春の徒花

たい

第1話 紫陽花の咲く頃に

1

 梅雨真っ盛りの曇った空を見ながら、俺は私立しりつ天橋あまばし高校に登校する。

 この高校は正門から少し奥にグラウンド、左に校舎、右に体育館とプールがある。

 この風景も一年以上見ればただの日常だが、この季節には校舎のグラウンド側の花壇一面に紫陽花あじさいが乱れ咲く。

 紫陽花は俺が好きな花でもある。まぁ俺の名前「紫花しばな 陽介ようすけ」を入れ換えると「紫陽花」が出てくるからなんだが。

 それでも名前にある花なら少しくらい愛着がわくもんだ。紫陽花を前に少し立ち止まって見ていると、不意に肩を叩かれた。

 振り返ろうとすると俺の頬に指が刺さる。……いってぇ。

 何で指が刺さるんだ? こういうのって指の腹でやるもんなんじゃないの?

 顔は動かないので目だけで相手を見ると


「おはよう、陽介。何ボケーっとしてんの?」


 と、声の主である天雄てんゆうあかねがこちらを見ていた。

 名前の通り夕日のような茜色の髪を、今日も彼女はツインテールにしている。目が合うと、この曇り空でも輝くような笑顔を浮かべた。

 俺は茜と幼馴染みだから耐性があるが、他の男子がこんな笑顔を見たら心底惚れてしまうだろう。実際、茜に惚れている生徒は何人かいると聞く。


「いってぇな。そうゆうのは指の爪じゃなくて腹でやれ、腹で」

「別に爪でやってないよ?じゃあもっと柔らかいものでやってあげようか?」


 と言いながら茜は自分の唇に人差し指をあてて微笑した。その微笑みと唇がとても妖艶に見えたので目を急いでそらす。


「ほら、肩を叩かれて振り向いたら指じゃなくて口と口で朝の挨拶……キャーーー」


 ……。始まった。茜の悪癖。

 こいつは妄想癖とまでは言わないが、すぐに自分の世界に入ってしまうのだ。

 すると俺を叩きながらキャーキャー言っていたのが止まったので、不思議に思って茜を見る。

 あぁ目がとろんとしてきた。何を考えているのか、頬が朱に染まって少し涎が出ている。


「朝の学校で……口で……それ以上はダメっ……」


 アホか。何でこいつは朝から悶えてるんだ。このまま放っておく訳にもいかないので


「もうその辺にして行くぞ」


 と言って強引に手を引く。それでも茜は上の空で俺に引きづられながら校舎へと向かった。



「はぁ……」


 思わずため息が出る。

 この学校は今年から非常勤のカウンセラーを雇うことにしたそうだ。

 そのせいで全校生徒は必ず一回はそのカウンセリングを受けなければならなくなり、俺はこれからそのカウンセリングとやらを受けに行く。……面倒だ。

 今日の帰りに担任から


「紫花。まだカウンセリング受けてないだろう。もう受けてない生徒は少ししかいないから、今日中に受けてこい」


 と言われた。

 咄嗟に


「いや、今日は用事のアレがアレで……すぐに帰らないといけないんですよ……」


 と言い訳したが、先生は「言い訳しないで早く行け」と少し睨にらみを効かせて行ってしまった。

 バックれようとも思ったが、明日が怖いのでおとなしく従うことにした。

 カウンセリングをやっている教室は、校舎の裏の新館にある。新館と校舎は二階と三階の渡り廊下で繋がっている。

 校舎と新館の間は駐輪場になっており、そこでリア充どもがイチャこらしていると舌打ちしたくなる。

 もしかしたら自覚がないだけかもしれない。

 俺は新館の二階の一番北にある教室に向かっているが、他の生徒はいない。

 新館には教材保管室や理科室、家庭科室などしかないため、建物の中は閑散としている。静かな廊下には俺の足音がやる気なさそうに響く。

 ガラガラ。ドアを開けると


「あら~、いらっしゃい」


 とほんわかとした声が聞こえてきた。

 その部屋は普通の教室と大差ないが部屋の真ん中に大きな白いソファーが、その横には大きな白い丸テーブルと回転式の椅子が二つあって、観葉植物がいくつかある。


「ここの椅子に腰かけててちょうだい」


 と聞こえたが声の主は見当たらない。コポコポと音がするのを聞くと、お茶でも淹れているのだろう。そう思いながら椅子に座ってしばし待つ。


「は~い。お待たせ」


 その声と共に表れたのは、二十代と思われる女性。

 目尻が少し下がった大きな目と、ふんわりと波打った髪のサイドテールが印象的だ。


「はいどうぞ」


差し出されたのは、紙コップに入った紅茶だ。


「あ、ありがとうございます」


彼女は立ったまま


「え~と、今日はカウンセリングに来たのよね? クラスと名前を教えてもらえるかしら?」


と言う。


「二年二組、紫花です」

「二年二組は……」


 そう言うと彼女は少し離れたところにある本棚からファイルを取り出して、俺の正面にテーブルを挟んで座った。


「紫花君……紫花君……あった」


 俺の顔写真と生徒調査票があるページを開くとこちらに目を合わせて


「ようこそ、紫花陽介君。私はカウンセラーの竜胆りんどうめぐみよ。私のことは竜胆って呼んでちょうだい」


 そう言うと彼女は微笑んだ。思わず心拍数が上がる。


「どうも。紫花です」


 とだけ返して首だけで会釈する。


「じゃあ早速だけど、始めるわね」


 適当に流して早く帰ろう。


「まぁカウンセリングって言ってもお悩み相談みたいなものだから、あまり構えないでね」

「はぁ……」


 やる気がないので、こんな返事しかできない。


「は~いじゃあ、紫花君。少し私と目を合わせてちょうだい」


 その声に反応して顔を上げると、彼女はその性格が出ている瞳でこちらをじっと見ていた。

 思わず体が固まる。それほど彼女は美しかった。六月だからか、少し暑い。


「んふふ~。それじゃ、最近困っていることとかない?」


 くそっ、笑われた……。


「いえ。特に……あー…金欠ぐらいですかね」

「なるほど……。じゃあ、いいバイト教えてあげようか?」

「はぁ……どうも」


 仮にも学校関係者が、生徒にバイトを紹介してもいいのだろうか?


「あとは……学校生活はどう? 人間関係とか」

「あ、大丈夫です。基本一人なので」

「な、何でそんな自慢気なの? でも、あなた普段はそれなりに友達と話してるでしょ?」

「話してはいますけど、そこまで深くは関わってません」


 そうだ。俺が思うにボッチには二種類ある。

 それは物理的ボッチと精神的ボッチだ。

 前者はその名の通り、周囲に誰もいないボッチだ。一目でボッチとわかる。

 それに対して精神的ボッチとは、周りに人がいてもそれを同種とは認めない。会話はしても必要最小限で済ませる。ちなみに、俺は後者だ。


「そ、そうなの……」


 ボッチはかなり快適だ。クラスの揉め事には巻き込まれず、傍観に徹する。友達との軋轢あつれきも深く関わらないから生まれない。

 また、他の人に頼ることもないので、自分で考えて行動するのがデフォだ。

 これは本格的に政府はボッチを推奨するべきだ。そうすれば、いじめだって戦争だって解決するかもしれないし、しないかもしれない。

 それに、思考力だって養われる。日々自問自答の繰り返しだ。


「まぁ人それぞれだものね」


 目眩めまいがするのか、指で目頭を押さえている。


「じゃあ趣味は?」

「読書と人間観察ですかね」

「人間観察って趣味なの?」

「楽しいですよ。暇な時にボーッとしているふりして観察してます」

「あ、悪質ね……。あとは特技とかある?」

「人間観察ですかね」


 思わず即答してしまった。少し目がキリッとしていたかもしれない。


「あ、紫花君。昨日の晩ご飯はなんだった?」


 唐突に聞いてきた。あ、特技のことはさらっとスルーされました。

 うーん……なんだったかな? すぐには出てこなさそうだ。別に嘘でもいいだろ。


「えー……カレーでした」

「嘘でしょ~。本当は思い出せないんじゃないの?」

「……まぁ、その手の知識はあって当たり前ですよね」


 この人もカウンセラーだ。目の動きなどから、その人が嘘をついたかどうかぐらいわかるだろう。


「そりゃそうよ~。でも紫花君もその手の知識があるんでしょ?」


 ばれたか。ついつい癖で相手を観察しているからな。


「それなりには……。昔いろいろあったので……」


 ただ、初対面の人に話す必要もない。


「ふふ。ま、今は聞かないわ」


 今は……か。そう言うと彼女はメモに何か書いて、俺に渡した。


「これがバイト先の電話番号と地図よ。これが終わったら行ってみるといいわ」


「ありがとうございます。では、俺はこれで」

「そうね。じゃあまたね~。いつでもここにいらっしゃい。あなたとは仲良くなれそうだわ」


 俺は軽く会釈して席を立つ。振り返ると彼女は胸の前で手を降っている。

 それを見て俺は教室を出た。

 放課後でも新館は静寂を守っていて、窓から差し込む斜陽は廊下をほのかに赤く染めていた。



 カラカラと壊れそうな自転車をこぎながら、俺は地図にしたがってバイト先へと向かっている。

 地図に載っているのは、学校周辺から目的地までの道のりだ。

 学校の正門を出て五分ぐらい進むと神社がある。その神社の前には並木通りがあり、そこを抜けると小高い丘にある屋敷へと続く一本道だ。

 地図には丸い文字で屋敷に「ここ♪」と書いてある。

 マジかよ……。あそこがバイト先? 帰ろっかな……。

 そう考えている内に、屋敷の門の前に来てしまった。もう呼び鈴からして違う。……よし、帰ろう。そう決めて回れ右をすると、そこに女性がいた。

 普段なら驚いて声が出ていただろうが、彼女の容姿に目を奪われて、その声すら出てこなかった。


「どうした? 私の家に何か用か?」


 どうやら彼女がこの家の人らしい。

 彼女は真っ白なワンピースを着て、麦わら帽子をかぶっていた。風が吹き、帽子が持ち上がると彼女は片手でそれを押さえる。

 それと同時に彼女の長く、黒い髪がはためく。少し茶が入った瞳は不思議そうにこちらをみていた。

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