episode.2 ~小姑~
毎月第一木曜日は、月に一度の当学区子供会主催の資源回収日。
回収する品目は、新聞紙、広告、段ボール、本、雑誌、アルミ缶、牛乳パック、古着などで、指示された通りにまとめ、自宅前の道路から見える場所に出す、というルールになっています。
第三金曜日にも、新聞販売店主催の資源回収がありますが、引っ越した当初、その日に出したところ、早速、斜め向かいの葛岡さんのおばあちゃんのチェックが入りました。
「松武さん、ちょっといいかしら~?」
「あ、葛岡さん。おはようございます」
「今日って、資源回収の日だったかねぇ~?」
「はい、昨日○×新聞さんの回収のお知らせが入ってました」
「そのことだけど、これから資源回収は、子供会のほうに出してくれない?」
「ええ、それはいいですけど、何か理由でも?」
「回収した資源はお金に換えて、子供会の費用になるんだよ。どうせ出すなら、そっちに協力したほうが、ねぇ~!」
なるほど、そういうことなら、我が家としてもご協力させて頂くことに異論はありません。
「分かりました。では、これからはうちも、そうさせて頂きますね」
「分かったら、今すぐ片付けて。出しっぱなしだと、持ってかれちゃうから!」
「え? でも今回は、もう…」
「そのまま、家の隅っこ置いとけばいいでしょ! 言われたら、すぐにやる! ほら!」
何だかな~と思いながら、言われた通り、今出したばかりの資源類の束を自宅に運び入れ、再び表に出ると、門の陰から葛岡さんのおばあちゃんが、まだこちらの様子を伺っていました。
おそらく、私がちゃんと片付けるか、見張っていたのでしょう。彼女に向かって、ぺこりとお辞儀をすると、まるで私のことなど見ていませんでしたとばかり、くるりと背を向け自宅の中に戻って行きました。
何軒かのお宅は、第三金曜日にも出していて、絶対に子供会のほうに出さなければいけないという決まりはありませんが、おばあちゃんのおっしゃるように、折角なら少しでも子供会費のお手伝いになればと思い、極力第一木曜日の回収に出すことにしました。
もっとも、第三金曜日の回収を強行すれば、面倒くさいことになるだけですから、敢えて波風立てるのも…というのが、正直なところです。
その日は第一木曜日。朝から雨が降りそうなお天気で、ひとまずは資源ごみを出したものの、しまおうか、どうしようかと、草むしりをしながら、回収車が来るのを待っていました。
回収時間は特に決まっておらず、夕方に来ることが多いものの、まだ大丈夫と高を括っていると、午前9時頃に回収されることもあり、油断出来ません。
警報が発令されない限り回収はありますので、少しの雨ならビニールを掛けておくのですが、そこそこの雨量になると、新聞や段ボールが水を吸ってしまい、回収する業者さんに申し訳ない気がして、次回に回すようにしていました。
特に、こういう雨が降りそうで降らない日は悩むところ。降り始めて、片付け終えたところへ、回収車が通り過ぎて行ったこともあり、我が家のようにカーポートに屋根がないと不便です。
そうこうしていると、角を曲がって、葛岡さんのおばあちゃんが歩いて来ました。私の姿を見つけると、いつになくご機嫌なご様子で話しかけて来ました。
「こんにちは。草むしり? せいが出るねぇ~」
「お帰りなさい。お出かけでしたか?」
「うん、ちょっと実家までね~」
「そうですか」
「それがねえ、実家の弟の嫁さんがね~…」
不覚にも捕まってしまった私。こうなると、当分の間、おばあちゃんのマシンガンのようなトークが続きます。
本日のお題は『実家』でした。彼女のご実家は、市内中心部の繁華街に近い場所にあり、かつてはお商売で繁盛し沢山の使用人さんもいて、とても裕福なお家だったというのがご自慢で、今も頻繁に実家へ通っているそうです。
ご両親はもう何十年も前に亡くなり、後を継いだ弟さんも十年以上前に亡くなって、今はその奥さんと息子さん世帯が住んでいらっしゃるのだとか。
実家へ行けば上げ膳据え膳で、何から何まで弟嫁さんがやってくださり、気が向いたときに、月に一度はお泊りに行くのが恒例で、自分専用のお布団もあるのだと、嬉しそうに話すおばあちゃん。
弟嫁さんにとって、おばあちゃんは小姑に当たるわけですが、弟嫁さん自身、すでにご高齢のはずです。
義両親もご主人も他界され、世代交代してもなお実家に入り浸る小姑。百歩譲って、親兄弟のお仏壇にお参りするのは良しとしても、私ならアポなしお泊りは勘弁して欲しいと思わずにはいられません。
小一時間ほどした頃、ぽつぽつと雨が落ち始め、いったんおばあちゃんのお話を遮り、並べた資源類を中へ運ぼうとすると、
「うちの車庫の屋根の下に置いていいわよ~」
と、おっしゃいます。ですが、本格的に降り始め、この状態で運ぶのも大変ですから、お気持ちだけとお断りすると、
「何言ってんの! 今日は、子供会の回収でしょ? ほら、早く運びなさいよ!」
と、何かに取り憑かれたように使命感に燃え、やめるという選択肢などない様子。結局、私はずぶ濡れになりながら、新聞の束、段ボール、空き缶、古着など、葛岡さん宅まで何往復も運ぶ羽目になったのです。
濡れた服を着替え、バスタオルで髪を拭いていると、おばあちゃんから電話が掛かって来ました。
「どう? 終わった?」
「ええ、この大雨の中、カーポートのほうに置かせて頂きました」
正直、ちょっとムカついていましたので、嫌味のつもりで言ったのですが、
「いいよ、お礼なんて。これから雨の日は、うちの車庫に置かせてあげるから、回収日を忘れないように、ちゃんと運んどきなさいよ。それじゃ~ね」
そう言うと、一方的に電話は切られました。
私の嫌味など見事にスルーされ、気が付けば『置かせて頂いている』立場になり下がっており、その上、今後は雨の日に『わざわざむこうまで運ぶ』という全然有難くないオプションまで追加されることに。
「カーポートの屋根、設置しようかな~」
眠そうに毛繕いしている猫たちに向かって一人呟いていると、雨の中を回収車がやって来て、合羽を着た作業員さんが手慣れた様子でトラックに積み込み、走り去りました。
私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。
私が住むこの町は都市計画区域に指定されており、升の目状に引かれた道路に、整然と区切られた区画が並んでいます。
ただ、すべての区画が同じ広さではなく、小さいところでは30坪台から、広いところでは150坪程度まで、購入希望者のニーズに応じて多様な広さの土地が分譲されています。
小さな区画の場合、ハウスメーカーさんがブロックごと買い上げ、隣接する家同士、日当たりや視線が干渉しないように、効率よく設計された建売住宅を販売することが多いです。
メリットは、自由設計に比べリーズナブルであることと、土地と建物の購入が同時に済ませられ、ハウスメーカーさんのほうで面倒な手続き等を一括でやって頂けるなど、人気は高いようです。
自由設計を希望する場合、坪単価と面積は最も重要事項ですから、そうしたことも考慮して、人気が集中する広さが、最多価格帯に設定されています。
ただし、メーカーさんによっては土地取得に一切関与しない会社もあり、登記手続きやローンの申請など、すべて個人でしなければならず、かなり大変な思いをされたというお話もお聞きします。
中には、連続する数区画を購入し、それを合筆(一区画として登記する)して、豪邸を建てられるケースもあります。
ご近所では、漆原さんのように、趣味のガーデニングを目的に、80坪を3区画購入し、広いお庭にはガゼボ、ポタジェ、ビオトープまで備えた、素晴らしいイングリッシュガーデンを作られるお宅もあります。
逆に、当初150坪の土地に親世帯を建て、後に二筆に分筆(一区画を複数に分けて登記する)し、別棟の子世帯を建てて敷地内同居されているケースが、花村さんのお宅。
隣接する75坪の土地を二区画買えば良いと思うかも知れませんが、更地と建物付き土地とでは固定資産税が違うため、すぐに別棟を建てない場合、そうした方法を取られることもあるようです。
そうしたケースとは別に、この町が新興住宅地になるより以前に、この土地の地主さんだった場合、所有地の宅地開発に同意すると、造成工事に係る相応額を支払うか、所有地の半分を物納するかの、二つの選択肢があります。
土地所有者の多くは投機目的で購入された方で、当初の地目は『雑種地』いわゆる荒れ地で土地としての価値が低く、分譲面積自体が広大だったため、工事負担額がそれなりの額になることから、物納されるケースが大半です。
そのお一方が木村さんのお宅。もともと奥さまのご実家がこのあたりの土地を所有されていて、造成時に半分を物納、娘さんに300坪ほどを贈与され、残りを売却されました。
木村さんの奥さんの柚木ちゃんと私は幼なじみで、彼女の旧姓は国枝さん。私たちの父親同士も幼なじみで、祖父母の代からの長いお付き合いです。
結婚して、この街に家を建てたとき、偶然、彼女もこの街に住んでいることを知り、子供が生まれれば3世代で幼なじみになりますが、この時はお互いに結婚して間がなく、まだ子供はおりませんでした。
そんな柚希ちゃんには、現在、ちょっと深刻な悩みがありまして、ちょくちょく会っては愚痴を聞いておりました。悩みというのはご主人の妹さんのことです。
三年前に結婚した柚希ちゃんは、ご両親から贈与された土地に、ご主人の俊之さん名義でお家を建てました。マイホーム資金は、柚希ちゃんの実家から出ていて、毎月俊之さんのお給料から返済しています。
柚希ちゃんの実家は会社を経営しており、現在は父親が会長、兄が社長で、俊之さんは専務取締役、いわゆる『逆玉』というやつです。
俊之さんとはお友達の紹介で知り合い、明るくて人柄も良く、柚希ちゃんの一目惚れでした。結婚するにあたり父親の会社へ引き抜かれ、優秀で真面目な仕事ぶりで厚く信頼されていました。
昨年、俊之さんの父親が他界し、一人になりすっかり弱ってしまった母親を案じ、柚希ちゃん夫妻の家で同居を始めたのです。
自宅は二世帯同居を前提とした住宅ではありませんでしたが、ベッドルームが7つあり、一階のキッチンとは別に、二階にもミニカウンターがある豪邸ですから、特に支障はありません。
ところが、義母と同居を始めた頃から、俊之さんの妹の美紗代さんが、子供を連れて頻繁に来るようになったのです。
それが徐々にエスカレートして、保育料が勿体ないからと、子供たちを預けてパートに行くようになり、お休みの日には朝から晩まで入り浸り、夕飯まで食べて行く厚かましさ。
「最初に私がお夕食を誘ってから、それが当たり前になって」
「作ったり、片付けたりは?」
「ない。上げ膳据え膳のリクエスト付き」
「旦那さんのご飯は?」
「テイクアウト」
「嘘っ~! じゃあ、食費は?」
「当然タダだと思ってる」
「あり得ない!! 図々しいにもほどがある!」
「こないだなんて、『いちいちアパートに帰るのも面倒だし、家賃も勿体ないから、ここに住もうかな~』って言ってたんだから」
「うわ~、他人事ながら腹が立つ~! ガツンと言ってやりたい~!」
「言ってやったら、気分良いよね~!」
とはいえ、柚希ちゃんの立場ではなかなかガツンとは言えず、さすがに引っ越し発言には、夫と義母が『冗談にも程がある』と釘を刺したものの、なぜか本人はその気になっている様子。
兄妹にはもう一人姉がいるのですが、上のふたりと末っ子の美紗代さんとは10歳離れており、甘やかされて育ったためか、大人になった今でも自分勝手な性格はそのままなのだそうです。
21歳で出来婚し、現在5歳と3歳の子供がいますが、ご主人の周志さんはフリーターで、柚希ちゃんの父親の会社へ来ないかとお声を掛けたものの、本人は定職に就くより今の方が性に合っているからと断ったのだとか。
当然生活は厳しく、そのため美紗代さんもパートに出ているのですが、義母ではワンパク盛りの男の子二人の面倒は看きれず、結局そのしわ寄せは柚希ちゃんに来ることになるのです。
柚希ちゃん自身、常勤ではないとはいえ会社の役員をしているため、俊之さんからこれ以上負担を掛けるなと忠告されても、
「いいじゃん、働かなくても、高いお給料貰えるんだから。こっちは安いお給料でこき使われてるんだよ? だいたいさ、私は少子化対策に貢献してるんだから、子供産んでない人がフォローするのは当然だよね!」
と、勝手な屁理屈を並べ立てるばかりです。
そして、彼女のお腹には3人目の子供がいて、来月には出産予定。この数週間『産休』と称してずっと兄夫婦宅に入り浸り、その上ここで『里帰り出産』をすると宣言。
兄夫婦、厳密には兄嫁の実家が出資している家をもって『里帰り』というのも非常識だと思うのですが、本人曰く、『母親がいるのだから、ここが自分の実家』という理屈らしく、手が掛かる上の子のお世話を含め、はなから柚希ちゃんを当てにしているのが見え見えでした。
何人子供を産むかは個人の自由ですし、少子化対策に貢献しているといえばそうかも知れませんが、経済的にも状況的にも、自分たち夫婦だけではやって行けないような家族計画というのは、身勝手で無責任でしょう。
それが誰かの犠牲の上にしか成り立たないのなら、尚のこと大人としての自覚がなさ過ぎるとしか思えません。
柚希ちゃんの惨状を聞いて、子供の頃、よく長期休暇になると母の実家へ連れて行かれたことを思い出しました。
当時はまだ母方の祖父母共に健在で、母の長兄家族と同居していました。私や弟妹は久しぶりに従兄妹たちに会えるのが嬉しくて、ずっとここにいたいと言っていましたが、義伯母は大変だったと思います。
実家への帰省で『娘』モードに戻った母は、上げ膳据え膳で『羽を伸ばす』だの『心の洗濯』だのといっては、ゴロゴロしていた姿が思い出され、くだらないことで兄嫁に小言を言ったり、顎で使う様子を見て、子供心に凄く嫌な気持ちになりました。
私の父は一人っ子だったため、母は小姑の苦労を知らず、それゆえ自分のしていることが分からないのかとも思ったのですが、美紗代さんには実家に入り浸っている義姉がいて、義実家に行くたび、色々と嫌な目に遭わされるとボヤいており、そのうえで、
「柚希さんは私みたいな小姑で、本当にラッキーだよね~。何の苦労もないじゃん!」
呆れて物も言えないとは、まさにこのこと。
経験の有無に関わらず、自分のことは棚に上げる辺り、やはり本質的な部分が大きく歪んでいるということなのか、いずれにしても、他人ならなるべく、身内なら極力関わりたくないタイプです。
その後、無事出産した美紗代さんは、宣言通り兄夫婦宅に居座り続け、2か月が過ぎても一向に帰る気配はありませんでした。
ここにいれば一切の家事をする必要もなく、子供たちは高い塀に囲まれた広いお庭で勝手に遊んでくれるので、『公園へ連れて行って』と駄々をこねることもなく、母子ともに居心地が良いのでしょう。
屋内には母子の私物や衣類、子供たちの玩具やベビー用品が散乱し、壁や床、高価な家具にまで、マジックやクレヨンで落書きされ放題の無法地帯と化し、元の瀟洒な姿は見る影もありません。
おまけに、自分が出掛ける際には、兄嫁の外国車を我が物顔で乗り回し、いつの間にかチャイルドシートまで取り付ける始末。柚希ちゃんが使おうとすると、自分の軽自動車を使えと言うのです。
が、しばらく使っていなかったせいかバッテリーが上がって動かず、とりあえずその日はタクシーを呼んだものの、外国車のキーを持ち去り、軽自動車の修理もせずに放置したまま。
ここまで来ると、柚希ちゃんも限界でした。我が家に来る頻度も増え、笑いながら話していた愚痴も、涙声で切々と訴えるようになり、しばらくの間実家へ帰ろうか、俊之さんに相談してみるといいました。
さすがにこれ以上放置出来ないと考えた俊之さんは行動を起こし、数日後、その人はやって来たのです。
彼女は、アルファン緋呂美さん。俊之さんたちの長姉で、10年前に国際結婚をして、現在はフランス在住。今回は夫と二人の子供を置いて、一時帰国しました。目的は美紗代さんから柚希ちゃんを解放すること。
そのために、ふたりはある準備をしていたのです。
緋呂美さんとは、柚希ちゃんの結婚式以来の再会でした。
弟と母親ばかりか、妹と子供たちまでもがお世話になっているお礼とお詫びを兼ねて、丁寧に柚希ちゃんにご挨拶する姉に、自分の出産祝いに来たと思い込んでいる美紗代さんが、会話に割り込んで来ました。
「ねえ、いつまでもくだらない話してないでさ、こっちに来て座ったら? 柚希さん、お茶入れてよ」
「美紗代! 柚希さんに失礼でしょ!」
「うっさいなー!」
母親に注意されるもどこ吹く風。
朝起きたままのスウェットの上下を着替えもせず、ソファーに踏ん反り返り、舌打ちしながら再度お茶を催促し、帰国したばかりの緋呂美さんに言いました。
「ねえ、お姉ちゃん、御祝いは何?」
「は? てか、何であんたがまだ居るの? とっくに床上げしていい頃でしょ? いつまでも迷惑かけてないで、さっさとアパートなり旦那の実家なり、帰ったらどうなの?」
思いもよらない姉の言葉に、むくれた顔で言い返す美紗代さん。
「実家に里帰りして、何が悪いの?」
「実家? ここは俊之と柚希さんの家で、私たちの実家じゃないでしょ」
「お母さんがいるんだから、ここが実家でしょ!? ここじゃないなら、どこが実家だっていうのよ!?」
「いい? うちはずっと賃貸で、去年お父さんが亡くなって、そこを引き払った。お母さんは俊之の家にお世話になってるだけで、私たちの実家といえる場所は、もうないんだよ」
それに納得出来ない美紗代さんの反論は続きます。
「けど、お兄ちゃんが死んだら、この家は私や子供のものになるんでしょ!? だったらここが実家でいいじゃん!」
「バ~カ! 相続権があるのは配偶者と子供。妹のあんたに、権利はないんだよ」
「でも、結婚して3年も経ってるのに、子供いないじゃん!! 子供がいなきゃ、いずれ私が…!」
「子供がいない場合は、先ず親に権利が発生する。三分の一ね。あんたに権利が発生するのは、子供も親もいない場合で四分の一。でも、私にも権利があるから、八分の一ね。それに、子供はこれから作るから、あんたが貰える可能性はほぼ皆無だよ」
「柚希さん、もう35だよ!? 今から子供って…!」
「あんたなんて、お母さんが42の時の子でしょうが。私を生んだ時だって、30超えてたんだから。あんたには分からないかも知れないけど、世の中には、時期とかタイミングとかを見て、計画的に子供を作る夫婦はたくさんいるんだよ」
「ま、子供が出来たらの話だよね?」
「どっちにしても、あんたに権利はないよ」
「何でよ!?」
「ここは柚希さんがご両親から貰った土地だから、そもそも俊之の財産じゃないってこと。建物は減価償却するから、俊之が死ぬ頃には価値はゼロだし、今死んだら負債が残って、相続放棄しないと、借金を払わなきゃいけないことになるんだよ」
「なにそれ、めっちゃ不公平! 柚希さんはいっぱい親から貰ってんだから、私にもくれたっていいじゃん!」
「てかさ、逆に何でそう思えるわけ?」
「だって、柚希さんはお兄ちゃんと結婚して、木村家の家族になったんだから、家族なら助け合ったり、共有するのが当たり前じゃん!」
「じゃあ、あんたは俊之や柚希さんに、どんな協力をしたっていうの?」
「それは…! それは、私のほうが大変だし、子供にお金も掛かるし、お兄ちゃんのほうが裕福なんだから、助けるのが当たり前でしょ」
「それが屁理屈だって、いい加減気づきなさい」
もの凄いテンポでの二人の遣り取りに、俊之さんの腕にしがみついたまま、言葉も発せずに見守る柚希ちゃん。
わざとらしいまでに大きなため息をついて、緋呂美さんが畳みかけました。
「そうそう、子供で思い出したけど、あんた、ここの修繕費どうするつもり?」
「は? 何、それ?」
「子供の落書きに決まってるでしょ。壁も床も貼り直さないと無理そうだし、家具は弁償だよ? 凄い高い外国製みたいだけど、払えるの?」
「何で私が!? まだ小さいんだし、子供には責任はないでしょ!」
「子供には責任はないよね。じゃあ、誰に責任があるの? 私? 俊之? 柚希さん? お母さん? 違うよね。親であるあんたでしょ?」
「私は出産したばっかりだし…」
「車運転して遊びに行けるのに、それはないよね。横になってたって、落書きしないように注意するくらいは出来たはずだよ? 上はもう5歳なんだから、聞き分け出来る年齢でしょ」
「もう、私にどうしろって言うのよ!」
「最初に言ったでしょ。さっさとアパートなり、旦那の実家なりへ帰れって」
「そんなの無理! アパートじゃ、昼間一人で子供の世話なんて出来ないし、旦那の実家はしょっちゅうお義姉さんが来てて、あれやれこれやれってなんでも私に押し付けて、自分は何にもしないで…!」
「それって、全部、あんたが柚希さんにやって来たことじゃない」
「だから、それは家族なんだから…!」
「柚希さんが家族なら、むこうのお義姉さんだって家族だよね? 自分の都合の良いときだけ家族って、それは通用しないよ」
さすがに、ここまで論破されるとぐうの音も出ないのか、シクシクと泣き始めた美紗代さん。今度は同情を引く作戦に出たようです。
が、幼いころから妹のことは熟知しているだけあり、緋呂美さんは無視して、部屋中に散らばった私物や衣類を一か所に拾い集め始めました。
「お姉ちゃん、何してんのよ?」
「あんたが、ここを引き払う準備。もうそろそろ、みえる頃だと思うんだけど」
すると、タイミングを見計らったようにインターホンが鳴り、美紗代さんのご主人と、そのご両親がいらっしゃったのです。
柚希ちゃんは、あちらのご両親とは初対面でしたが、周志さんや美紗代さんとはずいぶん違った印象で、義母と柚希ちゃんに、
「ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。これまで嫁と孫が、大変お世話になりました」
と丁寧に御礼を述べ、少しですがと里帰り出産の御礼の品と一緒に、御礼金まで包んで寄越してくださいました。
柚希ちゃんは、にこやかに微笑み、
「いえ、こちらでは大したことはしておりませんし、義母も、孫のお世話をさせて頂けて、幸せだったと思いますから、お気持ちだけ頂戴して、これは赤ちゃんと上の子供たちのためにお役立て頂ければ、わたくしたちも嬉しく存じます」
と、御礼のお品だけを受け取り、お返しした御礼金は、快く納めて頂くことが出来ました。
あちらのご両親にとっては、初めて会う三人目の孫。久しぶりに会った上の二人も、抱きしめたり優しく撫でたりと、可愛くて仕方がない様子です。
さっき集めた私物を、緋呂美さんと周志さんとで手際よく袋に詰め込み、美紗代さんに言いました。
「さあ、行くぞ」
「は? 行くってどこへ?」
「俺の親ん家に帰るんだよ。昼間お前一人じゃ、子供たちの面倒看きれねーんだろ?」
「ちょっと待ってよ! そんなこと聞いてない!」
荷物を運び出し、子供たちを車に乗せる義両親と周志さんに、激しく反論する美紗代さん。
それに追い打ちを掛けるように、緋呂美さんが言いました。
「あ、それから、お母さんは介護付きのマンションに引っ越すことになったから」
「何、それ!? それも聞いてない!」
「ついでに、あんたの子がボロボロにしたこの家、メンテナンスが入るから、戻って来ても無駄だよ」
「お姉ちゃん、私をハメたの!?」
「ハメるも何も、元々ここはあんたの家でも実家でもないでしょ。あんたさ、結婚して三人の子のお母さんなんだから、しっかりしなよね。すみません、お義父さん、お義母さん。ふつつかな妹ですが、宜しくお願い致します」
「いえ、こちらこそ、大変お世話になりました」
そう言って深々とお頭を下げると、後はもう有無を言わさず、大声で喚く美紗代さんを車に押し込み、一家は義両親宅へと帰って行きました。
まるで嵐のような出来事に、夢だったのかと思いましたが、美紗代さん母子がいなくなった室内を見た途端、ほっとしたのと同時に、あれほど嫌がっていたのに、強制的に追い出したことへの罪悪感が入り交じり、柚希ちゃんの瞳から涙が零れ落ちました。
すると、ずっと無言で様子を見守っていた俊之さんが、
「ごめんね、驚かせて。でも、僕たちも限界だったから、姉に協力してもらって、こうした。今まで散々迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳なかった」
そう言うと、深々と頭を下げ、一緒に頭を下げる緋呂美さんに、柚希ちゃんも大きく首を振り、自分のほうこそと何度も御礼を伝えたのです。
とはいえ、気になるのは最後に発した緋呂美さんの言葉。義母が介護付きマンションへ引っ越すことは柚希ちゃんも初耳で、それについては、義母自ら説明しました。
「この子たちから話をされてね。美紗代は歳をとってから出来た子で、甘やかして育ててしまったもんだから、柚希さんに大変な迷惑を掛けてしまって」
「いえ、そんな」
「きつく言えない私が悪いんだって分かってるの。私がここにいれば、あの子はまた戻って来るだろうから、上の二人がお金を出し合って申し込んでくれた介護付きのマンションへ行くのが、皆のために一番良いと思ってね」
「でも、寂しいじゃないですか」
「大丈夫。ここへ来た時みたいに、新しいところへ行けば、また新しい友達が出来るから」
「お義母さん…」
「柚希さんには、本当に良くして貰って、ありがとうね。もう二度と、美紗代にはご迷惑を掛けさせませんから、どうか許してやってちょうだい。でももし、あの子が本当に困った時は、どうか力になってやってください。お願いします」
そう言って、深々と頭を下げる三人に、柚希ちゃんは涙が止まりませんでした。
ホテルに泊まるという緋呂美さんを引き止め、その晩は義母と久しぶりの水入らずの時間を過ごしてもらいました。こんなことなら、美紗代さんも一日くらい一緒に過ごさせてあげれば良かったと言ったのですが、俊之さん曰く、
「あれは、ちょっとは苦労や我慢を覚えたほうが良いんだ。母も言ってたように、甘やかした僕たちが悪いんだけど、世の中全部が、自分の思い通りにはならないことを、しっかり身に付けないと。…って、今頃遅いって言われそうだけど」
確かに遅いかも知れませんが、まだ手遅れではないはず。なぜなら、美紗代さんに限らず、これから生きていく上で、今が人生最年少なのですから。
そういえば、子供の頃、よく祖母から言われていたことがあります。
「いい? 大きくなって、自分の弟妹が結婚したら、結婚相手の人には、絶対に意地悪をしちゃ駄目よ」
「そんなことしないよ? どうして?」
「こうちゃんは、一番上のお姉ちゃんだから、弟妹の結婚した相手の人にとって、あなたが言ったことは、普通の人に言われるより、何倍も強い影響力があるの。だから、もしどうしても言わなきゃいけないことがあったら、お嫁さんやお婿さんじゃなくて、弟妹本人に直接言うこと」
「うん、分かった」
「そしてね、もし、ゆりちゃんやももちゃんが、今言ったようなことをしていたら、こうちゃんがやめさせてね」
「嫌なら、自分で嫌って言えば良いのに?」
「それが言えない人もいるから、こうちゃんにお願いしているのよ」
おそらく、祖母の中では、私に釘を刺すのと同時に、弟妹がそういうふうになりそうな予感がしていたのでしょう。
昔から『小姑一人は鬼千匹に向かう』(=嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほど恐ろしく、苦労の種であること)という諺がある通り、本人に自覚がなければ、それに振り回される方はまさに地獄です。
特に妹のゆりには、その兆候が見られますので、うちの鬼千匹にも、超特大の釘を差し込んでおくことにします。
そして、人の振り見て我が振り直せ。私自身、気付かないうちに、実家の鬼が二千匹に増殖しないよう自戒しないといけません。
我が家のリビングで、猫たちに囲まれてソファーに座り、時々猫を撫でながら、笑顔でその後の顛末を話す柚希ちゃんに、私も心底ホッとしました。
「ママがね、こうめちゃんには親子二代でお世話になったって、本当に感謝してたの」
「何言ってるの! お世話になってるのは、私のほうなんだから!」
「こうめちゃんが近くにいてくれたから、乗り切れた気がする。私一人だったら、どうなってたか分からないもの」
あまりにも義妹が酷かった時期、車も取られ、ご両親にも話せず、自宅にいるのも拷問だった彼女を、私が強引に連れ出していました。さもなくば、柚希ちゃんの精神は、本当に崩壊しそうな状態だったからです。
放っておけば良いのに、義妹や子供たちの食事の準備をしなければと強迫観念に苛まれ、我が家で簡単なものを作って持たせたり、私の車で出来合いのものを買いに行ったりもしました。
「結局、おばさまたちに話したんだ?」
「俊之くんがね。言わなくていいよって言ったんだけど、黙ってるのは良くないからって。彼ね、うちの親が怒って離婚させられる覚悟してたんだって」
「そうなの!?」
「でも、ママに『あなたには、いい勉強になったわね』って、私のほうが喝を入れられちゃって」
「そっか」
「逆に俊之くんには、『色々気を遣わせてしまって、申し訳ない』って謝ってた。彼、ママのこと、ちょっと取っ付きにくいマダム風に思ってたみたいで、すごくイメージが変わったんだって。笑っちゃうでしょ?」
「そうなんだ~」
「これでもうちの両親、どん底から這い上がった叩き上げだもん、ね!」
「うん、知ってる。凄いよね」
今でこそ、柚希ちゃんの実家は国内屈指の大企業ですが、それを築いたのは、彼女の父親と、それを側で支えた母親。
彼女のご両親が私の祖父と会うために、柚希ちゃんを伴って我が家に来たのは、私たちがまだ5歳の頃。幼かった私たちは、大人たちが深刻な話をしている傍で、小さな手を繋いで遊んでおりました。
「…あの子は、元気?」
「うん、元気だよ。多分…」
絶体絶命だった一家の運命を決めたのは、まだあどけない子供だった私たち。柚希ちゃんのママが『親子二代でお世話になった』と言ったのは、その当時の出来事です。
そして時を経て、今度は、私と当時まだ婚約者だった夫が、柚希ちゃんのご両親に助けて頂くのですが、それはまた、別のお話。
間もなくして、豪邸はリフォームに入りました。お庭も含めて、工期は一か月程度でしたが、しばらくは実家に戻り、ここへは戻らずにいるとのこと。
工事が終わった自宅付近で、何度か美紗代さんの姿を見かけました。案じた通り、戻ってこようとしているようでしたが、当然中から応答はなく、門のロックの暗証番号も変更され、無理に入ろうとすればセキュリティーが作動します。
そんな矢先、柚希ちゃんの妊娠が判明しました。件のこともあり、ご両親は生まれるまで実家にいることを勧めましたが、柚希ちゃんは自宅に戻ることにしたのです。
それを聞きつけ、すぐさま美紗代さんが押しかけて来ましたが、以前とは違い、はっきりと自分の口で、今現在体調が良くないからと自宅に上がることを断り、何度しつこく食い下がって来ても、何度でもきっぱりお断りし続けた柚希ちゃん。
やがて諦めたのか、美紗代さんが押し掛けることもなくなりました。
数か月後には、元気な可愛い女の子が誕生し、その二年後には男の子を授かり、さらに三年後にまた男の子と、気が付けば3人のお母さんです。
残念ながら我が家にはコウノトリは来ず、3世代続けての幼なじみは実現しませんでしたが、その後もずっと親しく交流は続くのでした。
さて、因縁の第一木曜日。何かの呪いでも掛けられているのか、このところ決まってその日は雨続きでした。
葛岡さんのおばあちゃんに言われて以来、雨の日には、律儀にカーポートの軒下まで運び、子供会主催の資源回収に出していた私。
ですが、さすがに土砂降りの中、葛岡さん宅まで運ぶのも馬鹿らしく、この日はスルー。雷を伴うほどの大雨ですから、さすがにおばあちゃんも外まで確認には来ません。
そして、決戦の第三金曜日。お天気は、皮肉なまでに快晴。
やはり皆さん、雨の中資源を出すのは敬遠されるようで、ほぼすべてのお宅の前に資源ごみが出され、私も皆さんに倣い、シレッと新聞の束を出し始めた時でした。
「ちょっと、松武さん!」
「あ、葛岡さん、おはようございます」
「おはようじゃないわよ。今日は資源回収日じゃないでしょ!?」
「このところ、ずっと雨で出せませんでしたし、皆さんも今日は出していらっしゃいますね~」
「他人様がどうしようと、自分だけはきちんとやることを守るのが、人間として大事じゃないの!?」
目を吊り上げて腕組みしながら、私が出した資源ごみを睨み付けるおばあちゃんに、にっこり微笑みながら答えました。
「そうなんです~。葛岡さんはいつもきちんとしていらっしゃるから、私も間違えないように、葛岡さんと同じ日に出してましたので、今回もご一緒させて頂きました~」
そう言って、葛岡さん宅のカーポートに置かれた大量の資源ごみの山を指差した私。それを見て、慌てふためくおばあちゃん。
じつは先日、年2回恒例の町内清掃(おばあちゃんは不参加)の時にごみ出しの話題になり、雨の日の資源回収をどうしているかという流れになりました。
いつも、雨の日に私が運ぶ姿を目撃していたご近所の皆さんから、葛岡さんの奥さんの知るところとなり、ならばと二人で示し合わせ、あえて第三金曜日に出すというパフォーマンスに出たのです。
余程バツが悪かったのか、出された新聞紙の束を持ちあげようとするおばあちゃんに、とどめの一言。
「どうしましょう? 私から奥さんにメールして、片付けるようにおばあちゃんが言ってるって、お伝えしましょうか~?」
「そ、そんなこと、わざわざしなくてもいいわよ!」
そう言うと、そそくさと自宅に戻って行きました。
とにかく、他人を自分の意のままにしたくて堪らないおばあちゃん。今後も、極力子供会主催の回収に協力はしますが、出すか出さないかの判断は、私にあって然りです。
自宅に消えたおばあちゃんを見送って、小さくガッツポーズ。『にっこり笑って、バンパイアの胸に杭を打ち込め作戦』第二弾、勝利です。
まあ、柚希ちゃんの小姑に比べれば、葛岡さんのおばあちゃんなんて、まだ可愛いものかも知れないと思いながら、同時に、私は彼女たちの身内ではなくて、本当に良かったと思うのでした。
とはいえ、まだまだ元気全開の70代は、町内のあちらこちらで、今日も明日も明後日も、有難い(?)お説教を振りまいています。
この先も、彼女が巻き起こす騒動に振り回されるのですが、それはまた、別のお話。
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