ラビットフット~兎の何でも屋さん~

ワクワクさん太郎

第1話

 その店は随分と特徴的で、伝聞だけでやって来た客もひと目で分かると噂だった。


 土壁の店々が連なる中で、たった一見だけの乾ききった木造の家屋。

 そんな面構えの店には不釣り合いな、淡いピンクに塗られた装飾過多な板に、鴬色の丸めた文字が書かれた看板。

 防犯なんて一つも考えられていない、見たこともない両開きのドア。

 しかしそのドアをくぐる事は、多くの悪人にとって地獄の門をくぐるに等しい。

 それを押し開けば、大抵奴は居る。

 柔らかな革張りのソファに座り、小さな丸テーブルに商売道具である足を放り出して、ふてぶてしく客を見据えている。

 地獄の悪魔との契約の結果とも、稀代の魔女の報復による呪いとも言われている、奇怪な姿を隠そうともせずに。

 アイツのところには金を持って行っても意味が無い。

 どんな依頼であろうと、持参する手土産はたった一つで良い。


 人参を一本、行きがけに買っていくだけで。


               □


「あのー、すいませーん……いらっしゃい、ますーかぁー……? わぁっ!」


 キィキィ、と西部劇でよく見る両開きのスイングドアの蝶番が掠れた高い音を立てる。先程から何度も店の前をうろちょろしていた足音の主が、やっと覚悟を決めたらしい。今日も食い扶持がやって来たことを喜び、労働の尊さを噛み締めながら、俺は入店早々騒々しい依頼人を値踏みし……その手に持った物を見つけ、大きく舌打ちをする。

 それだけで、客人は体を大きく震わせた。それにもまた少し腹が立つ、ちょいと過敏に反応し過ぎだ。


「……人参なんぞ持って他所様の家に何の用だ。お使いの途中ならママを待たせてねぇで早く帰んな」

「っ……あ、あのっ! 私、依頼に来たんです! お客さんがっ……ここなら、ここならなんとかしてくれるって!」

「ほう……依頼に、ねぇ。そいつは結構、大歓迎だ。仕事がなけりゃ、俺も食ってはいけないからな」


 俺の言葉を聞いて、女の顔がパァッと晴れる。

 が、しかし続く言葉で一気に怪訝な表情へと逆戻りだ。


「で、なんで人参なんざ持って来たんだ?」

「え? なんでって……だって、ココに来る時は、これがいるって……?」


 一体どんなアホが人参一本で仕事を請け負うなんて噂を流したんだか。

 俺一人だけの店ならまだしも、もう一人アイツはそんな料金体制で何食って生きればいいんだか。

 というか俺もこの図体で一本で足りるわけねぇだろ。

 いくつも湧き上がる突っ込みどころが頭を過ぎり、そのわけがわからないという風なとてもあどけない顔を見ながら、無意識に貧乏揺すりをしてしまう。

 悪いのは彼女ではないのだろう。わかっている。それはわかっているが、腸が煮えくり返るのを止められはしない。

 いや、駄目だ。落ち着け、クールになれ。鼻で深呼吸しろ。彼女はそういう種族じゃないか。これでは、あまりに大人げない。

 見れば彼女の目は落涙寸前、既に臨界点ギリギリだ。もしこれから俺が立ち上がりでもすれば、即座に泣き喚くだろう事は想像に難くない。


「ん゛っ……あぁ~、いや、すまないな。ちょいと腹の立つ事があってな、イライラしてたんだ。ほら、そんなとこに立ちっぱなしじゃあなんだろう」


 そう言って対面のソファを勧め、足をテーブルから下ろす。

 彼女はそれに無言で頷くと、顔を左右に軽く振ってから腰を下ろした。

 なんとかコンマ一秒間に合ったらしい。号泣直前の分水嶺の稜線から彼女を引き戻す事に成功してホッと一息つく。

 改めて、今回の依頼人の顔を見据える。

 彼女は俺の顔をチラチラと見ながら、非情に様々な表情の変化を見せている。


「さて、じゃあまずは名前を聞かせてもらえるか?」

「はい! 私はフェアリーのサルメトリアって言います! みんなからはサルメって呼ばれてるの……ます!」

「オーケー、大丈夫だサルメ、敬語は要らない。客なんだからもっと厚かましいくらいで良い。ところでココを紹介した奴の名前もついでに教えてもらえるか?」

「え? えーっと、私が働いてる歌う孔雀亭の常連さんのミナカタってドワーフさん」

「ん、ありがとさん」


 身長とほぼ同じサイズの、柔らかそうな薄い羽。白目の無い大きな翡翠の様な瞳。その体の成長具合に見合わない、コロコロと変わる表情、未成熟な精神。


 全て、『フェアリー』の特徴だ。


 我知らず深く溜息をついてしまう。今月一面倒そうな依頼客だ。


 彼女らフェアリーは、多種族共存社会と相成ったこのご時世でも、度々詐欺等の被害者側に立たされる種族だ。議員にでもなるような家柄の上位種でない限り、彼ら彼女らの知能は他の種族、わかりやすい例で言えば人間種の12歳程度までしか成長しない。こんな(表向きは)平和な社会体制となる以前は、それはもうありとあらゆる悪事に苛まれていた。

 騙され、嬲られ、虐げられ、貶められ、支配される。

 誘拐──当時は「狩り」だったが──して奴隷は勿論、愛玩動物扱いや、なんなら剥製、標本にまで。

 しかしそんなありとあらゆる様々な生物の悪意に晒されていた中で、フェアリーが今まで生き残れたのにも理由がある。彼女たちに高い知能は無いが、それを補って余りある精霊魔法を持っているのである。

 ある時、種族が一定数まで減った段階で上位種の主導により、フェアリー達が纏まったのだ。大陸の一部の大森林に引きこもっていたのを止め、大々的に都市を襲い、一国を占拠した。石畳にすら木を生やし、家々を泥の沼に沈め、矢の雨をそよ風で操り敵へと放り返す。その標的となった人間種の王都は、戦が終わった頃には広大な森となっていたそうだ。

 罠に嵌めてとして狩らなければ、極めて厄介なとなる。


 そんな敵に回すと恐ろしい「頭脳はちびっ子、力量は鮫」みたいなフェアリー様が抱えてくる仕事厄介事は、大体いつも同じ。


「それで、今回はどういう仕事を俺に頼みに来たんだ?」

「その、お友達に頼まれて、れんたいほしょうにん? になったんだけど、その友達がいつの間にか居なくなっちゃって」

「だろうなぁ……」


 これである。

 彼女らは法によって守られながらも、いたるところで騙される。もうこれはどうしようもない。

 だからこそフェアリーの上位種は多くの種族規律により、フェアリーへの搾取体勢を押しとどめようとしている。のだが……まぁ、まだまだ前途多難といったところだろう。確かフェアリーを連帯保証人とする際は、上位種の議員による認可が必要だった筈だが……それも込みでの詐欺か。

 そんなルールも彼女ら本人が知らなければ、どうとでも騙くらかせる話だ。


 十数年前に多種族共存を謳ったところで、世界に真なる共存と平和が訪れた事など一度もない。

 片側で握手を交わした竜人ドラゴニュートとドワーフが、もう片方では今だに火山の利権を争い血みどろの小競り合いを続けている。

 自由の女神も居ないこの世界では、自分達と違うモノへの迫害は未だに根強いのだ。

 ……ま、あっち地球にゃフェアリーだって俺みたいなのだって居なかったのにアレだったんだから、こっちの世界の先行きが険しくて当たり前か。


「ふむ、それで君はお金を返せず途方に暮れているワケか」

「え? ううん、お金は返したの」

「は?」

「お金は私が働いて貯めていた分で足りたから、すぐにお返ししたんだけど、お友達がまだ帰ってこないの! それが心配で心配で居ても立ってもいられなくて、そしたらお客さんがココを教えてくれたの」


 俺は天を仰ぎ見て片手で顔を覆った。

 どんどんどんどんむかっ腹が立ってくる。貧乏揺すりを再開しかけた右足を、逆の手で思いっきり掴んでなんとか抑えこむ。

 この依頼と依頼人は精神衛生上あまりによろしくない。

 これ以上口を開かれる前に、さっさとケリを付けてしまおう。

 そう思い俺が言葉を発しようとした瞬間、既に彼女はフェアリー特有の勢いの良さで話し始めていた。


「あの、人参一本で足りないなら、いっぱい、いーっぱい持ってくるの! だから、だからどうか、カルラちゃんを見つけて欲しいの! 私っ、まだまだあの子とお話したいの! お願い、お願いしますっ!」




 ────もう、我慢の限界だった。




「わかった」

「え?」

「フェアリー相手に下衆なペテンを働いたそのクソッタレをとっつかまえてこっから先二年は固形物を食えなくしてやった上に取られた分の金どころか尻尾の毛も残さず毟り取ってそのご友人も見つけ出して事と次第によっては『サルメ様ありがとうございます』しか喋れなくしてから蹴っ倒して一切合切全部まるごと両耳揃えてお前の目の前に並べてやるしついでにお前に嘘をついたそのミナカタとかいう奴のどてっ腹を耕して人参畑にしてやるって言ってんだ……パイを食うくらい簡単な仕事だ、依頼料はその手の中のソイツ一本でいい」


 俺は詐欺をする奴と簡単に騙される奴が、狩人とその弓の次に嫌いだ。

 呆気無く騙されて、しかも騙された事なんて一つも気づかずに身銭を切って、その上騙した側かもしれない奴が心配で何でも屋に相談しちゃう奴なんてのが来た日には……詐欺師を月で同胞が餅をついてる臼の中にまで蹴り飛ばさなきゃ気が済まなくなる。

 アイツになんて言われるかわかったもんじゃないが、まぁこの店の店主は俺だ。文句は言わせない、つか言っても無視する。


 サルメは数瞬の間ぽかんと大口を開けて呆然としていたが、徐々に俺の言葉の意味を(多分かなりおおまかに)理解して、力の限り相好を崩した。ふにゃんふにゃんな顔だ、ボロボロと涙までこぼしている。さっきなんとか泣かさずに済んだってのに。


「ありがとうごじゃいまずっ!! えっと……人参さん!」

「……俺は野菜じゃあない。俺の名前は──」


 そうして俺は、脇に置いてあった翼龍革のジャケットを自前の純白の毛皮の上に羽織り、雄々しい長耳を思いっきり反らし赤い目で彼女を睨めつけて。


「ラビットフットだ」


 彼女の持って来た人参を、音を立てて噛み砕いた。

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