【詩】泳ぐ光軸

藤和工場

第1話 泳ぐ光軸

 泳ぐ光軸


 あぁ、これはいつか見た光軸だ。


 線路の継ぎ目を鉄輪が叩く音は、甲高く短い。

 地方のターミナルへと至る夜の電車内は、意外な賑わいを見せている。途中から単線になる昼間一時間に一本の運行しかない、ワンマン路線とは、とても思えない。たまに現れる車掌も体を揺すりながら人を避け、狭い通路の往来に四苦八苦し、窓外の光少ない世界とは別の――都会の片隅に潜む、飲み屋の風景だ。

 僕の住処は、窓の外。

けれどこれから、ターミナルの夜行バス乗り場から十時間の旅をして向かう場所は、光に溢れている。

 羽虫が夜の光に誘われて、きらびやかな世界を目指しているだけ。だが、いつかそこが自分の世界になる時がくるかもしれない。

数十年を生きた場所を捨てるか……今はそれを秤にかける必要があった。

 ヘッドライトだけが、まばらにゆき、線路に並走する夜に沈んだ道を示す。

 賑やかな車窓から見るその場所は、いつか母を運転する後部座席に乗せて走った道だった。いつか、母が僕を乗せて走った道だった。

 その時、何を見ていただろう、話しただろう。

笑っていたか、怒っていたか、心はそこにあったか。

 記憶を大網で振るっても、何ひとつ、浮かぶものはなかった。

 だが、あれは――歌のないピクニックだった。

 だから、鉄の屋根を割って、ぼんやりと哀しみが降った。

 古い山から枯れた土地に吹き下ろす、冷たい風の中に佇む人影を墓標にし、それを振り返らない背中で見ていた。

 死にゆくだけの暗い世界に、何者をも残し、自分は光のあふれる場所へ向かうという後ろめたさが、きっと涙を誘っただけだ。

 生きたいと、こぼしただけだ。

 酒場の雰囲気はあっても、ここで泣き上戸になれば、誰もが奇異の目をくれるだろう。

 だから、窓に映る黒い絵画を見つめ続けた。

 憎しみと愛が裏表にある、薄い紙の絵画を見つめ続けた。

 ヘッドライトがつくる光軸が滲む。


――ああ、あれは蛍の光だ。


思いだした。

夏になると、家の前を流れるどぶ溝に、迷う小さな光。

名前も蛍としかわからないものが、よたよたと不器用に宙を泳ぐ、その光軸だ。

どうして、そんなものを思いだしたのだろう。何者かが肩を掴み、行くなと訴える郷愁なのか、この想いの儚さと愚かさを知らせに来たのか。

光り輝く世界では、田舎でしか生きられない淡い光など、消されてしまい、何も残らず死ぬだけだと、言いたいのか。

長旅の向こうにあるものは、きっと笑顔ばかりではない。人が、こうだから笑えるという絶対がないように。


それでも、僕は行く。


踏み出した旅を途中でやめることは出来ない。

涙を隠し、笑顔で埋めて、狭い深夜バスの座席に悶えながら、それでも朝を迎えて、煤けた慣れない空気を吸い、人混みにもまれて、すりつぶされる蛍になっても。

いくつか季節を数えたあとに、乾いた道ばたに落ち、亡骸になったら、西へと吹く風に乗って、帰れるだろう。

不器用な光の筋を、哀しみ流したあの溝の上に、不器用な息継ぎで、描くから。

また、後ろを飛んで欲しい。

言葉など、いらないから、夜のピクニックをしよう。

(了)

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