番外編

ドラマチック・プロローグ 前編


 魂の双子だ。

 あたしはこの子に出会うために生まれてきたのだと思った。


 うちはいわゆる母子家庭というやつで、お母さんとあたしの二人きりで暮らしていた。

 父にあたる人はあたしの物心つく前に亡くなったそうで、どんな人だったのかは正直よくわからない。お母さんに聞いたときは「優しい人だった」なんて言ってたけど、それってすごく月並みな答えだよね。

 お母さんはけっこう仕事ができるらしい。だからか、生活であまり苦労した覚えはない。

 面と向かって言うのは照れるけど、これってけっこうすごいと思うし、お母さんのことは一応尊敬してる。家ではすごくすごくだらしないんだけどね。

 家事全般はあたしの仕事だ。小さい頃から必要に迫られてお手伝いするようになって、今では不足なくできるようになったとは思う。料理なんかも、得意って言っていいんじゃないかなあ。


 そんなわけで、特にお父さんがいないってことに引け目を感じることもなく、あたしはこの歳まで生きてきたんだ。

 まあ、「お父さん」ってどんなかなって思ったりすることはあったけど、それってひとりっ子の子がきょうだいってどんなかなって思うようなものだよね。特別なことじゃない。

 白状すると、ホントに小さいころは寂しいって思うこともないわけじゃなかったけど。でも、それだって母子家庭に限らず、ありふれたことだから。

 あたしはお母さんとの暮らしが好きだった。それはホント。


 中学卒業とほぼ同時にお母さんの転勤が決まって、あたしたち二人は京都に行くことになった。本当はもう少し前に話があったんだけど、進学のために無理を言って延ばしてもらったんだって。ありがたい話です。高校の受験は新幹線で前日入りして、なんだかちょっと楽しい気分になったのを覚えてる。

 無事高校にも合格し、京都での新生活にはすぐ慣れた。ちょっとした習慣の違いなんかはあったけど、べつに外国ってわけじゃないしね。あ、ホントに「マクド」って言うんだーとか、そういうのはおもしろいって思ったな。


 新居での生活リズムができてきたころ、お母さんが改まって話があると言い出した。あたしはまたどうせくだらないことだろうって思ったんだけど(晩酌のビールを一本増やしてほしいとか、スリッパの柄が気に食わないとか)、今回ばかりは違った。

 なんと、結婚したい人ができたんだって。


 正直ちょっと興奮してしまった。

 だって、再婚だよ? いや、今まで全然そういう話を聞かなかったから。

 どうもあたしの小さいころ(つまり、お母さんのまだ若いころ)はそれなりにモテたらしいけど、最近は全然だった。その若いころだって、付き合うとかまではいかなかったみたいだし。ていうかモテたっていうのも自己申告だし、本当なのかな? それはまあいいんだけど。

 とにかく、だからお母さんはもうそういうのあんまり興味ないのかなってぼんやり思ってて、そこにきてこの再婚話だから、なんかちょっとハシャいじゃったの。

 わーわー言いながらどんな人ーって聞いて、そしたらお母さんもなんか満更でもないみたいな顔していろいろ話しだして、つまりそのときわたしは再婚を「お母さんの恋バナ」としてとらえていたんだ。

 で、そのテンションのまま寝て起きた翌日、これがただの恋バナじゃ済まないことに気づいた。

 お母さんと再婚するってことは、その人があたしのお父さんになるってことだ。


 嫌だなとかは思わなかった。不安もそんなになかった。あたし昔からポジティブだよねってよく言われてて、この前なんかもカエちゃんに「あんたホント腹立つくらい前向きだよね」って褒められたし。褒められてるよね?

 それで、早く会わせてよーってつついたら、なんとまだ付き合ってもいないということがわかった。

「結婚したい人ができた」って、本当にただ「結婚したい」だけかよーって思わずツッコんじゃったよ。結婚したいって言うだけなら、幼稚園の子が大きくなったら先生と結婚するーって言うのと変わんないじゃん! 同じじゃん! ホントただの恋バナだったよ!

 でもあたしの方でもなんか火がついちゃったから、もうぐいぐいプッシュして応援した。さいわい向こうのほうもお母さんを憎からず思ってたみたいで、無事付き合いだしたと聞いた時には拍手してしまった。自分にね。いろいろ作戦立てたりしてがんばったもん。


 再婚が現実的になって、相手の人と顔合わせすることになった。

 なんでも向こうも再婚だそうで、そういう意味ではちょうどいい組み合わせなのかもって思っちゃった。ただし相手の人は死別じゃなく離婚だそう。でもべつに関係ないよね。


 それよりも重要なのは、なんとあちらにもあたしと同い年の娘さんがいるということだ。

 顔合わせはその娘さんも一緒。お母さんは既に一度会っているらしい。今回は、言うなれば再婚後ともに暮らす家族(候補)四人でのご対面というやつ。

 その子はこの春に高校に入ったあたしと同学年で、誕生日はあたしの方が早いから、つまり再婚話がうまくいったら、あたしはおねえちゃんになるのだった。

 わお。


 待ち合わせた場所に着いたのはあたしたちが後だった。ていうか時間ギリギリになっちゃった。あたしが髪のセットでうんうん言ってたのが悪いんだけど、でもお母さんだって余裕ですーみたいな顔しといて財布忘れて家に戻ったりしてるんだから、まあ半々だよね。


 レストランみたいな改まった席だとあたしたち高校生は肩凝っちゃうからということで、顔合わせは地元の喫茶店ですることになっていた。わりと大きなお店だけど、本当にカフェっていうより喫茶店ていう感じだったな。京都では有名らしい、けっこう歴史のあるお店。

 ちょっと町家風の外観に反して、お店の中はレトロな洋館て感じですてきだった。正面のガラス越しにシックな中庭とテラスが見えてまたすてき。

 ホールみたいに広くなってて人も多いから一瞬戸惑ったけど、男の人がすぐ立ち上がってこっちに手を振ってくれたから迷わずその席に向かっていけた。

 思えば、すぐ気づいたってことはあれってずっとお店の外を気にして待っててくれたってことだよね。待たせちゃって申し訳ないけど、でもそういうのってちょっと嬉しいな。楽しみにしてくれてたのは向こうも一緒なんだってことでしょ?


 ちょっと子供みたいにそわそわして、でも満面の笑顔のその男の人は、なんていうかあたしの想像してた「お父さん」そのものだった。すごくかっこいいってわけじゃないけど、人の好さそうな、穏やかそうな顔。娘の運動会でビデオカメラ回してそうっていうか、娘に彼氏ができそうって聞くと「まだ早い!」って焦りそうっていうか。ごめん、テレビや漫画でしか知らないからイメージが貧困なんだ。でも、本当にそんな感じなんだよ。

 第一印象でしかないけど、そういう人だからあたしは嬉しくなった。あたしにとってはほとんど初めてお父さんになる人だもん。仲良くできそうで安心したし、こういう人を選んだお母さんのことをやるじゃんって思った。


 そしてこの場にはもう一人、とても重要な人物がいた。

 待ちきれないわんこみたいにそわそわした男性をたしなめつつ、完璧な笑顔であたしたちに席を勧め、流れるようにこちらへメニューを渡してくれる女の子。

 休日の喫茶店は人が多く、ホールはざわめきで満たされていたけど、その子の言葉は不思議とまっすぐあたしの耳に届く。糸電話みたいにふたりをつなぐ見えない糸があるみたいに。形の良い唇から「はじめまして」とフルートのように甘い声が紡がれたとき、いまこの瞬間とても重要な何かが始まったのだと思った。

 それが郁美いくみちゃんとの出会いだった。


 ちょっと大げさに言い過ぎちゃったかな。

 思い出補正っていうか、いまの気持ちがさかのぼってその時の印象を変えてしまっている部分がないとは言えない。本当の気持ちって、いまこの瞬間にしか存在しないものだと思うし。

 でも、ひと目見て鼓動が早くなったのは本当。つまり、すてきな子だなって思ったの。


 ターコイズグリーンのドット柄シャツの上にあずき色のカーディガンを重ねた姿は、彼女のすらりとした体躯を浮かび上がらせ、声高に主張しないのに確かな存在感があった。ぴったりとしたベージュのサブリナパンツに光沢を抑えたシャンパンゴールドのバレエシューズの組み合わせも、シンプルだけど美しい脚のラインを際立たせていて、かっこいいのにしっかりキュート。

 前髪を流した前下がりのマッシュショートボブは、黒髪だけどあんまり重さを感じなくて、メイクもナチュラルに見えてポイントポイントでしっかり手がかかってる絶妙のライン。改まった席ではないとはいえ再婚相手候補との顔合わせだし、大人受けも押さえて気合入れてきたんだろうな。

 清潔感があってスマートで、一見きっちり隙がないのにどこか可愛さがにじみ出てて、なんていうか性格がよく出てる。しっかり者なのに不意にたまらなく可愛い表情を見せてくれる郁美ちゃんにぴったりのファッションだった。


 そう、郁美ちゃんはとてもしっかりした子だ。あたしの方はといえば、家では家事全般を請け負って、だらしないお母さんの面倒を見たりしてはいるけど、基本的にぽやーっとしたタイプ。

 いや、自分ではちゃんとしてるとは思うんだけど、学校とかでは気がつくと周りの子にフォローしてもらっている。助けられてるし、自分でもそれに甘えちゃってる部分があるんだと思う。


 郁美ちゃんは第一印象からもうフォローする側って感じだった。ぽやーってしてるあたしみたいな子を、たまに文句を言ったりしながらもしっかり助けてくれるような。

 そういう意味では、もしかして相性いいかもって思ったんだ。面倒見る側にとっては迷惑な話かもしれないし、面倒見させることになったら申し訳ないなって思うけど、でも仲良くできそうならそれは嬉しいじゃない?

 持ちつ持たれつっていうか、いっつもフォローしてもらってるように見えてたまにどかんと気持ちを返すみたいなの、あると思うし。それにあたし、これでもけっこう尽くすタイプだから。


 だから、えーっと、つまりファーストコンタクトの時点で、あたしことたに千尋ちひろ佐倉さくら郁美ちゃんのことをかなり好きになってたの。既に。そういうこと。

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