おねえちゃんなんていらない
木根うり
本編
#1 その名は千尋
食卓は笑顔であふれていたが、
テーブルにはチーズをふんだんに使ったラザニア、ボリュームたっぷりのシーザーサラダ、なめらかなカボチャのポタージュ、一羽丸ごと焼いたローストチキン……などなど、立派なごちそうが並んでいる。晴れの日にふさわしい豪華さは、ちょうど目の前に座っている同い年の女の子によって仕立てられたものだった。
そう、今日は郁美の父と千尋の母が再婚して、佐倉家に新たな家族が二人やってきた記念の日だった。父と郁美の父子家庭二人暮らしは終わりを迎え、今日から佐倉家は父と郁美、継母とその連れ子である千尋の四人家族として新たなスタートを切る。
なんとも晴れがましい夕飯の食卓であった。
父・
そんな幸せいっぱいの家庭のなかで、しかし郁美はひとりイライラと納得のいかない思いを抱えていた。
郁美とて当年とって十六歳、そろそろ大人の分別もついてくる年ごろだ。あからさまに不満そうな表情を浮かべたりはしない。むしろ不機嫌さを押し隠して、この場の雰囲気に沿うゴキゲンな笑顔でもって楽しそうに振る舞っていた。
ちらりと横を見ると、新しい娘に取り分けてもらった料理を幸せそうに
基本的にのんびり屋な父は、普段あまりつらそうな顔を見せるタイプではない。それでも、母と離婚してからはたびたび寂しそうな素振りが目立った。そんな父がこんな幸せそうにしているのだ、それに水を差すことなんてできるわけがない。
そもそも、なんでわたしはイライラしてんのやろ。
郁美は自分のことながら不思議でしかたがなかった。
継母の尋子さんは気配りのできるいい人だ。
郁美にだって優しかったし(再婚相手の娘に優しくふるまうなんて当たり前のことかもしれないというのを割り引いても)、温厚ながらもしっかりと自分の考えを口にできる芯の強さを備えているように見えた。
容姿だって歳のわりに美しさを保っているし(肌なんかみずみずしくて秘訣を教わりたいくらい)、父の再婚相手としては申し分ない。
それどころか、もったいないとすら思える。父は新たな伴侶を得て幸せな人生を歩めることだろう。
じゃあ他に何が、と考えて正面の千尋と目が合った。千尋は大きな目を細めて嬉しそうにニッコリ笑顔を向けてくる。
こいつだ。
千尋。そう、この
なにをはにかんどんねん。無防備な笑顔が
千尋はひと言で言ってしまえばウザかった。それもとびきり。
例えるなら発情期の犬。脚にまとわりついてくる室内小型犬。
郁美を気に入ったのか、それとも新たな家庭での地位を確保するべく取り入ろうとしているのか、とにかく郁美ちゃん郁美ちゃんとわずらわしい。
「郁美ちゃん?」
「なに!?」
思考に没入していたときにタイミングよく(悪く?)声をかけられて、思わずとげとげしい声を返してしまった。一瞬、空気が冷える。千尋は全身の毛を逆立て、目を丸くしてこっちを見ているし、父と継母も笑顔は浮かべたままだが
郁美はあわてて笑顔で取りつくろい、優しい
「ああゴメンなさい、ちょっと考え事してて。えっと、なに? 千尋……さん」
まるで猫撫で声だ。
郁美が笑顔の裏で気恥ずかしさとも罪悪感ともつかない思いでいるのにもまるで気づかない様子で、千尋はホッとしたような顔をする。続けて頬もゆるんだだらしない笑顔。こいつは
「えへ、その千尋『さん』ていうのやめてよ~。あたしたち、ほら姉妹、し・ま・いになったんだしい。えっとその、ちひろーとか、ちひろちゃーんとか、そんなふうに呼んで……ほしいな?」
えへ、ちゃうわしばくぞ頭わいてんちゃうか。ほしいな? ってなんやなんでちょっと溜めて語尾上げてんねん
そう無意識に
「まだ、なんていうか、緊張? してしまってるんかな。じき慣れてくると思うし」
申し訳なさそうな、気づかわしげな笑顔。再婚相手の娘としては百点満点に近い対応だと我ながら思う。
少なくとも、ずけずけと土足で踏み込んでくる・空気の読めてない・無遠慮な・胸のでかい・なんかよくわかんないけどミルクみたいな匂いのするこの女と比べればダブルスコアものだ。
そっかあ~、なんて間延びした声でちょっと残念そうにしている千尋は、なぜかまた頬をわずかに染めて上目づかいでこちらを見てくる。そろそろ笑顔の仮面も崩れ落ちそうな郁美がそれでもグッとこらえて無言でなに? というように首をかしげて見せると、千尋は照れたようにぼそぼそと言い放った。
「あ、それとも……おねえちゃん、でもいいんだよ? あたしのほうが半年くらい、年上だもんね」
アハハそうやなあ郁美はお姉ちゃんができてよかったなあ、なんて平和そうに笑う父の顔をラザニアの海に沈めてやりたかったが、もはや郁美にそんな気力は残っておらず、ただ乾いた笑いでこの場をしのぐことしかできなかった。
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