第8話 神様のお告げ
授業に飽きて机に伏せている男子生徒。千臣のことしか目がなく彼の座席の周りに集る女子生徒。数学の公式を板書していた中年教師。その誰もが、魂が抜けたように意識を失っていた。しっかり寝息は立てているし、人によってはいびきまでかいてしまっているから、眠りについただけなのはわかる。紫苑によると、他のクラス全てがこのような状態になってしまっているという。
「萌黄、この曲知ってるよね?」
「うん。夢見の幻想曲でしょ? 聞いているとだんだん眠気が襲ってくる波長のピアノ曲よね。でもあの曲ってこんなに熟睡させる曲じゃないでしょ? しかもこっちの世界の曲じゃないのに……それになんであたしたちだけ起きてるの?」
「詳しいことはわからないけど、弾いてるのが誰なのかはわかるよ。魔界の曲を知ってる人間って言えば、魔界から来た人間だけでしょ」
紫苑が見つめるのに誘われて、萌黄は女子で埋もれた千臣の座席を動かした。しかしそこにいるはずの千臣の姿はすでに消えていた。
「――千臣篤志か、金馬嬢子ってことね。まさか強硬手段に出るなんて、本当に考えられないほどせっかちだわ」
「俺たちを誘い込んでるのは間違いないだろうね。どうする萌黄?」
「どうする、って行くしかないでしょ。このまま皆を眠らせておいたら問題になるじゃない。そうしたらあたしたち、この世界からも追放されるわ。それだけは避けなくちゃ」
数学のノートを閉じて萌黄は重い腰を上げた。向かうは芸術棟三階にある音楽室である。
「やっぱり、行かないといけないんだよなあ……」
いつになくやる気がない紫苑は肩をがっくりと落として、萌黄のあとについていった。
*
音楽室には、やはり二人の気配があった。ピアノを弾いているのがツインテール少女で、一番前の座席の机に足を組んで座っているのが無表情少年だ。その腕に絡められているのは、鞘に収められた一本の長剣だった。見ているだけで威圧感と禍々しさを与えるこの剣は、戦士一族の家宝でもあった。
「あれって
声を消しつつ紫苑は叫んだ。目を見開いている彼の呼吸は間違いなく速さを増していた。
「紫苑?」
「何で学校にまで持ってきてるんだよ……萌黄、やっぱり駄目だ、帰ってもいい?」
「今更どうしたのよ?」
「萌黄だって知ってるでしょ、俺は、あの剣に……。嫌だ、思い出したくもない。やっぱり帰る!」
目が泳いで錯乱しているまま、勝手に紫苑はアピスを使ってその場から逃げ出してしまった。
萌黄だって知っていた。次期魔王候補として、幼いころから紫苑は勇者四人衆のような反魔王勢力から狙われ続け、何度も殺されかかった経験をもつことを。それゆえ彼は争いや血が流れるような行為を本能的に避けてきていた。
わからないわけではなかった。萌黄もクーデターの際、酷い光景を何度も目にした。だから、ずっと平和な世界の中で暮らしたかった。
それなのに、彼らはこの世界に現れた。
「隠れてないで出てきたらどうなんだ、魔王女」
千臣の声だった。呼ばれて素直に隠れているわけにもいかない。萌黄は大人しく音楽室に顔を覗かせた。
「随分なことをしてくれるじゃない。学校中を眠らせるなんて、あたしたちを呼び出すのならもっといい案はなかったの?」
ピアノを弾く嬢子は集中しているらしく反応しない。代わりに千臣は鬼の紅剣を携えて、萌黄の眼前に仁王立ちした。
「どんな案を使ったかは関係ない。歴史に残るのは結果だけだ」
「あなたは一度あたしに負けてるのよ」
「だから、そんなことは結果には残らないんだ……」
冷酷に言って千臣は鬼の紅剣を鞘から抜き去った。その刀身は血に染まったように赤黒い。
「はっきり言ってあんまりお前には興味ない。でも嬢子のために斬らせてもらう」
彼の太刀筋は常人では目に入らぬほど異様に速かった。だが最初から身構えていた萌黄の反応がそれを上回った。時間軸を渡り歩くことができる時間魔術である
だが、魔術は発動しなかった。
「え、なんで……!」
迫る刃から声が零れる。
「鬼の紅剣の力を知らないのか? 剣の届く範囲の魔術をすべて無効化するんだけど」
知らなかった。萌黄は今さら思い知らされた。なぜ最強の魔王であった鬼灯が圧倒され、この現界に追放されたのか――この鬼の紅剣があったからなのだと。
刃の刀身に映る虚ろな千臣の表情が、刹那満足した笑顔に変わった。
息を呑んで、瞼を閉じた。
だが、空を裂いていた鬼の紅剣は、止まっていた。萌黄の心臓を捉えたまま、動かない。どころか、鬼の紅剣は弾き飛ばされてしまった。
ピアノの演奏が揺らぐ。
「お前、邪魔する気か」
「……神様のお告げに逆らう奴は、俺が止めさせてもらうでー?」
千臣の動揺を打ち消して、音楽室に擦ったような足音が現れた。萌黄が振り返ると、そこには三組の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます