第52話「あなたと私」


夜。

泥のように眠っていたはずだが、尿意を感じてむっくりと起きた。隣ではミカちゃんがすやすやと寝息を立てていた。床で寝る理沙はグガーといびきをあげ、布団から腕と足両方を出していた。やれやれと思いつつ、布団を掛け直してあげ、静かに部屋を出る。




トイレで用を足し、なんとなく居間に座る。

机の上に「クライカル」があった。シンシナティでは一般的な子供のおやつだ。

早い話が「煮干し」である。




ぱりぱり、もぐもぐ、ごっくん。

ぱりぱり、もぐもぐ……。




これでテレビでもあったらいいのになぁ。

勿論、ナイトゼナにはそんなものはない。

けど、夜中だし、通販番組とか見たかった。

実は通販番組はよく見る方で、体験者のストーリーが特に大好きだったりする。




愛用者の芸能人がデビューするまで苦労したことをストーリー仕立てで紹介し、本人のインタビューや家族の証言も含めて構成され、最後には挫折に立たされたとき、「〇〇を愛用することで逆境を乗り切った!」と大体的に宣伝。




それ以降、仕事に精を出し、効率よく動け、自身が頑張り続ける源となったとか、ベタ褒めするアレだ。まあ、本当に注文する気はないけど、利用したら本当に元気になれるのかな?と思ってしまう。テレビってなんか洗脳効果がある。




テレビだけではなく、よく雑誌の裏側にあるネックレスやブレスレッドの広告。ああいうのも実はちょっと気になる。




愛用者の声



「これつけて宝くじやったら1000万円当たりました!」

「万が一の為に常に3000万は持っています」

「超イケメンの彼氏ができました。おまけに大手企業に就職もできて超ハッピー!」




絶対嘘だ。

でも、たまに想像してしまう。もし、そういう事が本当に起きたら。いい大学、いい会社に入って、素敵な彼氏と出会って結婚。お金にも愛にも一切不自由しない、楽しい毎日。

その後の人生を一生、幸せで暮らすことができる。



いつしか二人に子供が出来て、育児に励んで。旦那さんを送り出して、私は家事をして、2人にはいつしか子供ができて。女の子1人、男の子1人が理想的かな。これは昔からの私の憧れだ。




時を経て、子どもは成長し、学校へ行く。

やがて卒業し、大学なり、社会に出る。




そして、いつしか、好きな人を私達の前に連れてくるようになるだろう。紆余曲折を経て二人は結婚し、私達にとって初めての孫が生まれる。




旦那も私も老いを感じるが、孫たちに囲まれて幸せな老後を送る。家庭の状況にもよるけど、最後は老人ホームで過ごすのかな。最後は病院で死ぬんだろうけど、寝たきりは嫌だ。




死ぬ時は大好きな人達みんなに囲まれて死にたいな。




……って、流石に考えすぎね。

まだ死ぬような歳じゃないってのに。

ところで、件のブレスレッドは2~3万程度。

学生でもバイトをすれば充分買える金額だ。

けれど、本当に購入するだけで幸せになれるのだろうか。信憑性を高める為に石のパワーを示すグラフや、偉い先生の証言も掲載されている。けれど、本当にその証言や記事は正しく真実を書いているのだろうか?




個人的にはイマイチ信用できない。

もし本当に幸福が訪れるなら安すぎる買い物だ。勿論、世の中はそんなに甘くない。そんなのは女子高生にでもわかる理屈である。




ブレスレット一つで人生幸せになるならきっと誰もが購入するだろう。そうなったら戦争も無くなり、世界平和はとっくに実現している。誰も彼もがみんな仲良しで、争いも何もない幸せだけに満ちた温かい世界。




そんなのは所詮、理想論でしかないし、上手い話は無い。でも、そう思うだけで実は本当に効果があったりして……以下繰り返し。




「彼氏もお金も、何の苦労もなく手に入る。嬉しいけど、でも、それって本当に幸せなのかな?」




「多分、それは幸せじゃないッス」




そう言って、隣に座ってきたのは理沙だ。

さっきまでぐーすか寝てたので、起きてくるとは思わなかった。驚く私を他所に彼女は手をぎゅっと握る。その手には力が込められていた。




「苦労して、自分で手に入れるからいいんじゃないッスか。何でも簡単に手に入ったらつまらないッス。メイだって勇気を振り絞ってアタシに話しかけてくれたッス。アタシはそれが嬉しかった。あの出来事があったから、アタシ達は友達になれたッス」




「うん、そうだね」




私と理沙は中学時代に友達になった。

けれど、私達は最初から友達だったわけではなかった。




私はどっちかというと根暗で人と喋るのは苦手だった。集団行動というものが元々苦手であり、一人でいる方が気楽だった。誰かと何かを話すより、一人で本を読むほうが楽しかった。




お弁当も教室では食べず、一人で中庭で一人で食べていた。教室にいると男子は男子、女子は女子でグループ分けの強制イベントが起きる。席と席をくっつけ、他愛のない話をしながらご飯を食べる。




どうして仲の良くない人と一緒にご飯を食べなくてはならないのだろうか。クラスの人みんなが友達なんて誰が決めたんだろうか?




かといって、一人で孤立してしまうと先生が五月蝿い。人の気持ちも知らないで「みんなと食べろ」と教科書のように形式ばった言葉を吐く。




それが鬱陶しかった。だから、わざと中庭で食事を済ませ、その後は図書室に篭って読書に励んだ。




それでも担任はやっぱり私の気持ちを知らないであれこれ五月蝿く言う。私は聞く耳を持たなかった。




だから成績を少しでも良くして反論を封じるように努力した。勉強を教える先生は幾らでもいるが、人生を教えてくれる先生はいない。少なくとも私の周りにそんな先生はいなかった。




そんな暗雲としていた私と理沙はまさに対象的だった。




彼女はコミュ力が高く、グルメレポーター基質な彼女は色々なお店でのメニューを食べた経験が豊富で雑談などの話題力も高く、クラスの人気者。男女共に友達が多いことでも知られ、他クラスでも名前を出せば通るほど知られていた。




彼女は教室で大勢の友達に囲まれながら、楽しそうに箸を進めていた。そんな彼女が眩しいなと感じつつ、こういう人と仲良くなったら楽しいだろうなとも思った。




でも、私じゃ無理かなとも思った。誰だって根暗な奴より明るい子とお喋りするほうが楽しいだろう。だから、彼女と話したことは殆どなかった。




私達が仲良くなったのは1つのきっかけだ。

あの日、彼女は新しく出来たラーメン屋さんに行くために友達を勧誘しまくっていた。けど、みんなデートや部活で予定が埋まっていて、全て断られてしまった。




机に突っ伏して落ち込む彼女を見てられない気持ちが半分、グルメ通の彼女が推すラーメン屋さんがどんな味なのか気になるのが半分。




だから、勇気を出して話しかけた。




人間暗い場所にいると落ち着くけど、たまに無性に明るい場所に行きたくなる時がある。この時の気分がまさにそれだった。




勇気を出して思いを伝えると、理沙は大喜びしてくれた。そのまま連れ出され、一緒にラーメン屋へ行くことになった。




何を話したのかは忘れてしまったけど、とにかくたくさんお喋りしたこと。本当に美味しいラーメンだったことはよく覚えている。




それからも事あるごとに一緒に食事をしたり、遊んだり、お互いの家に泊まったりもした。




お正月は私の家で理沙、お姉ちゃんと一緒に歌合戦見たり、深夜のマイナー映画を視聴して感想を言い合ったりした。初詣は人混みと寒さが嫌なので行くことは無い。




いるかどうかもわからない神様に祈るよりも友達と過ごす時間が大切だった。あの時、もし諦めて話しかけなかったら、どうなっていただろうか。




改めて彼女には感謝を示さなければならない。





「……私、理沙と友達になれてよかったよ」




「ふふ、そう言ってくれると嬉しいッス。ってゆーか、何を考えてたッスか?」




「んー、ミカちゃんと教科書の話したの。そしたら、なんか昔思い出しちゃって。あとテレビみたいなーって思って」




「ナイトゼナにはラジオすら無いですからねぇ。もっと娯楽があってもいいと思うッス」




「そだね」




「そんな娯楽のない世界で何を楽しみにするかと言うと……」




「きゃっ!」




理沙は急に私を押し倒した。私と彼女の距離が近い。互いの吐息が感じられるほど近い。

私の顔をじっと見つめる理沙に恥ずかしくて顔を背けた。けど、横目で見る彼女の目は熱を帯びている。




そして手が私の胸を鷲掴みにしていた。




「ちょ、理沙!いくら友達でもこういう事は……」




「正直、アタシは反対ッス。サラさんとの修行」




「え?」




「メイは知らないでしょうが、サラさんはナイトゼナ中に名を轟かすほど立派な剣士です。あの人がいたからこそ、マリア・ファングは栄えることができたと言っていいでしょう。簡単な仕事は準メンバーにさせれば済みますが、凶悪なモンスター退治、悪徳宗教の壊滅、指名手配者の逮捕……それらは全てサラさんがこなしてきました。そんな彼女が口を酸っぱくして言う厳しい修行……それは地獄です。いいや、地獄より辛いかもしれないッス」




「理沙……」




言葉の端々から彼女の本気さが伝わってくる。興奮しているせいか、やたら饒舌だ。

彼女は更に続けた。




「ナイトゼナでメイに出会えて本当に嬉しかった。お城の図書室で告白したこと、覚えてます?あれからかなり経ちましたけど、メイからの返事を聞いてないッス。その返事を聞きたッス。そして、このまま一生メイと暮らしたいです。ナイトゼナに骨を埋めることになっても私達なら思い出を共有できる。無理に元の世界に帰れなくてもいいと思うッス」




「……」




私はそのままゆっくり起き上がった。

理沙は押し倒したものの、さほど力を入れていなかった。




無理やり私を襲う気はないという事だろう。

彼女は自分本位の幸せを嫌う。相手も自分も幸せになりたいと願う人だ。本当はきっと、今すぐにでも襲いたいのかもしれないけど。




でも、私を想ってるからこそ、それはしなかった。そんな彼女を抱きしめる。




「大丈夫よ。絶対、死なないから。どんなに辛くても逃げる気は無いわ」




「甘いッス!」




理沙は私を抱きしめようとしなかった。

わかっていない、理解していないと激しく怒る。泣きながら怒声を上げても、私は怒らず、黙って彼女の言葉を聞く。




「サラさんは本気ッス。修行中になったら、私やみんなはサポートできません。怪我だけじゃ済まないんですよ!?もし死んだりしたら、契約を解除したら……アタシからすれば、この世界が無くなるより、何十倍も何百倍も辛いッス!それは他のみんなも同じ事ッス!」




大粒の涙を流す理沙。

彼女の言いたいこともよくわかる。

みんなの前では大見得を切ったけど、修行に耐えられるかどうかはわからない。




今まで以上に泣きべそかくだろうし、最悪死ぬことだってあり得る話だ。正直、怖いという気持ちが無いかと言えば嘘になる。




だけど、サラさんの修行に耐えられなければ、世界を救うなんて夢物語だ。その場合はセグンダディオとの契約を解除するしかない。それはすなわち、私の死である。




でも、セグンダディオは現・契約者である私の自殺を恐らく止めるだろう。だからサラさんに私を殺してもらう、つまり、嘱託殺人しょくたくさつじんだ。




私が殺されれば自動的に契約者から解除され、セグンダディオは新たな主を探す。この世界が滅びない為の保険だ。もう、覚悟はもう決めている。




だけど、そもそも修行に耐えきったとしてもイコール世界を救えるほど単純ではない。可能性が上がるとしても未知数だ。




それに敵はマルディス・ゴアだけじゃない。

邪魔してくる連中だって大勢いる。カンガセイロのような野盗、ジェットみたいな裏ギルドの人間。ゴアを信じる狂信者たち。




他にも数多くの障害がある。

それはきっと、私の想像を遥かに超えるだろう。私にどれだけの可能性がどれだけあるのか、全くわからない。でも……。




「大丈夫、私だって成長してる。やれるだけやってみるよ。だから応援して欲しい」




「メイ……」




私はまだまだ心も身体も弱い。

自分自身の実力じゃなくて、セクンダディオに助けてもらった部分も大きい。けれど、それでも少しずつはきっと成長している。だからこそ、ここまでこれたんだと思う。そこだけは胸を張ってもいいと思う。




私達は元の世界に帰る。

それがこの旅の一番の目的だ。

けど、それ以上に自身の夢を叶える為に頑張りたい。大好きなみんなと一緒に赤い屋根の大きな家で暮らす。




本音を言えば理沙に応援しくれたら、すごく嬉しいのだが。




「覚悟は決まってるみたいッスね……では気合を入れるためにも




「は!?」




「こういう崖っぷちな時、マンガやラノベでは主人公とヒロインがHするものッス。そしてお互い、深い愛に包まれ、絆を強くし、それを糧に厳しい試練を乗り越えていく。これぞ定番の定石ッス!!」




ぽいぽいとパジャマを脱ぎ捨てる理沙。

ブラは最初からつけておらず、パジャマの下はパンツだけだ。それもすぐに脱ぎ捨て、生まれたままの姿になる。暗くてよく見えないけど、彼女の豊満な胸だけは嫌でも目に入る。




たゆんとした、たわわな果実は目を逸らしても視界に入る。そして、次はメイの番と言いたげに私の服を強引に掴んだ。




「え、ちょ、ま、まだ、心の準備が……。つか、みんないるから!!」




「大丈夫ッス、静かにやりましょう。声は抑えてください。やり方は熟知してるッス。メイは気持ちよくなってくれたらいいだけッス。大丈夫ッス、天井の染みを数えている間に終わるッスから……」




そう言って彼女の唇が私の唇を塞いだ。

強引なキスに息ができなくなる。

苦しくて、辛くて、でも、心地よくて……。

首筋から鎖骨を丁寧に舐め、手がそのまま私の乳房へと伸ばされていく。無理矢理は嫌いなはずだが、どうも彼女は色欲が強いようだ。って、冷静に考えてどうする!




「あっ、あ、あ……」




ぞくぞくとする快感が肌から直に伝わってくる。あまりの気持ちよさに抵抗する気が失せてくる。変な声が出て、自分でもいやらしいと自己嫌悪してしまう。




私、そんなHな女の子じゃないはずなのに。

理沙は手を休めず、更に私を攻めていく。




……と思ったんだけど、途中で止まってしまった。どうしたんだろうと薄目で確認すると、たんこぶを作って気絶している理沙がいた。アニメやマンガだとお星様がキラキラと彼女の頭を回っている光景だ。




「まったく、この女はホント……」




はあ~とため息をつきながら脱力するミカちゃん。どうやら彼女が百科事典で理沙の頭を殴りつけたらしい。助かったのは助かったけど……でも、もうちょっとこのままでもよかったような。嬉しいような、残念なような、複雑な気持ちが交差する。




「あ、ありがと、ミカちゃん。助かったよ」




「メイ、こんなのと寝たら妊娠するわ。二人で寝ましょう。私は襲ったりしないから安心して。つか友達襲うなんて非常識よ。ほら、パジャマ着て。風邪ひくわよ」




脱がされたパジャマを渡され、それを再び着る私。何となく、のびてる理沙を見る。

悪い娘じゃないし、大好きな親友だ。

告白してくれたのも嬉しかったし忘れたわけじゃない。でも、今はまだ早いんだと思うことにした。



「ありがと。でもミカちゃんになら襲われてもいいかな。つか、私が襲っちゃおう。きっと、美味しそうだし」




「な、な、なに、バ、バババババカな事言ってるのよ!さっさと寝るわよ。もう!」




ぷいと顔を背けるミカちゃん。

けど、私の手を優しく掴んでくれる。

グイグイとやや強引に部屋へと戻された。

見えないけど、きっと絶対顔真っ赤にしているに違いない。




クスクス、やっぱりミカちゃんは可愛いな。急ぎ足の彼女の背中はなんだかとても愛おしい。でも、それ以上はふざけないでおいた。




理沙の気持ちは痛いほど嬉しいけど、今は官能に喘いでいる時ではない。官能の底に埋もれて何もかも忘れてしまいたい。




そんな気持ちにも狩られるけど、彼女の告白も忘れた訳じゃないけど、まだ保留。でも、いつか、その気持ちに正直に応えたいと思う。




それまではお預けだ。




このあと、ミカちゃんは朝までオートロックになる魔法で扉を閉じた。理沙は閉め出され、仕方なく自室で寝るのであった。








雀の泣き交わす声が聞こえる。

日差しが眩しく、暖かい。

ぐっと起き上がり、うーんと背筋を伸ばす。

まだ眠いけどそろそろ起きなくちゃ。




「あ、卵はどうなったのかな」



卵は窓辺のそばに置いてある。

後ろを振り向くと驚愕した。

卵にヒビが入っているのだ。




「きゃーー!!ミカちゃん、ミカちゃん。卵、卵!!」




「何よメイ……玉子ならスクランブルエッグにして」




「玉子じゃなくて卵だよ!!もうすぐ生まれそうなの!」




食材としてのたまごは「玉子」

生物学的なたまごは「卵」なんだよ。

という豆知識を思い出しつつ、必死でミカちゃんを揺り動かし、無理やり起こす。

寝ぼけ眼だったが、卵のヒビを見て「おお!」と目を見開く。




何事スッか~!?と理沙、ノノ、ジェーンさんもやってきた。




皆でじっと卵を見守る。

中にいる何かが必死に卵を割ろうとしている。ヒビは少しずつ、少しずつ亀裂を縦へと伸ばしている。でも、その速度は非常に遅く、スローモーションのVTRを見ているかのようだ。大体5~6分経ってようやく5%ぐらい亀裂が入った……という感じだろうか。




「じ、じれったい……。ねえ、これ私達が割っちゃいけないの?」




「メイ様、これは最初に超えなければいけない壁なのです。酷なようですが、自力で割れて初めて生き残れるのです。割れないのなら、この世界で生きることはできないのです」




「うう、見守ることしかできないのね」




ジェーンさんは頷く。

じっと亀裂を見守る私達。

もう朝ごはんの時間だけど、そんなの忘れて誰もが卵に意識を集中していた。




頑張って、頑張って!と応援しつつ、卵が割れるのをじっくりと待つ。中にいるのは果たしてどんな生き物なのだろうか。




セレナさんは希望としか書いておらず、具体的には何も……。




そういえば、セレナさんの手紙があった。

龍族の文字だけど理沙のハルフィーナなら読めるとか。理沙の方を振り向き、彼女と目が合う。




「理沙、あとで手紙を読んでほしいの。ハルフィーナでないと読めない手紙なんだけど」




「はいッス。それより、メイ、そろそろですよ」




再び卵に視線を戻す。

時間にして30分くらいは経っている。

卵は本当に少しずつ、少しずつだが、それでも確実に亀裂を増やしていく。




ラストスパートになってコツを掴んだのか、亀裂が速く進む。まったく亀裂がない時よりもある程度亀裂があったほうが割れるスピードは速まる。




本当にようやく、ようやく……卵が完全に割れた。




そして。




「りゅーーーー」




と、翼の生えた赤ちゃんドラゴンが生まれた。





「きゃぁぁぁぁー!可愛い!!」




と、私はぬいぐるみを抱きしめる感じで赤ちゃんドラゴンを抱きしめる。




実際、この子はぬいぐるみみたいだ。

大きさは大体20センチ程度。頭は角を生やし、背中には小さいながらも翼がある。おしりには尻尾らしきものも生えている。全体的に赤色だが、瞳の色は青色だ。




歯がいくつか生えており、手や足には爪が生えている。でも、ぬいぐるみと違ってちょっと重い。大体4キロぐらいだろうか?




「りゅー、りゅー!」




「よしよし。私がママでちゅよ~。ほら、たかいたかーい」




きゃっきゃっと喜ぶ赤ちゃんドラゴン。

ヤバイ、この子、恐ろしいぐらい可愛いわ。

あーもう本当に可愛い、可愛い、可愛い!!




自分の語彙の少なさに落胆するが、赤ちゃんの顔を見るだけで、そんなものは吹っ飛んでしまう。




「ほ~これがドラゴンの赤ちゃんッスか。実際に見るのは初めてッス」




「わ~、とても可愛いらしいです!」




「メイによく懐いてるのね。本当にお母さんだと想ってるのかも」




ノノが言ったのはお世辞ではなく、本当の事だ。赤ちゃんドラゴンは大きなまんまる目で私達をゆっくり見る。




好奇心旺盛なその瞳はやがて私を捉え、そのまま私だけ見るようになった。確か、赤ん坊は最初に見た生き物を親だと思うってテレビでやってたわ。




そうか、私が親になるんだ。

まだ結婚もしてないし、旦那様もいないけど親か……でも、それも悪くないかも。




「そう言えば赤ちゃんドラゴンは何を食べるんだろう?というか、どうやってお世話すればいいのかな?」




「赤ちゃんと言えばずばりミルク!メイ、お乳をあげましょう。さあ、バーと脱いで!」




「出る訳ないでしょ!」




続きを言う前に殴り飛ばされた理沙。

飛ばしたのは、言うまでもなくミカちゃんである。




「まったく、昨日といい、メイの事となると変態になるんだから理沙は」




「いやいやいや、実際、妊娠してなくても母乳が出る事例はあるッス!!」




「何かの病気じゃない?それ」




「あはは……えと、ノノは何か知らない?」




「うーん、龍族とはあまり交流してないからね。詳しくはわからないわ。でも、言葉はわかるわよ。みんなの言う通り、この子はメイをお母さんと想っているみたい。すごく安心しているわ」




腕に収まるドラゴンの赤ちゃんは私の事をじっと見つめている。そこで私が顔をプーと風船のように膨らますと、その顔が面白いのできゃっきゃっと笑ってくれる。




逆に頬を凹まして変顔にすると更に笑ってくれた。ヤバイ、育児ってすんごい楽しい。




「メイ様、先程セレナさんのお手紙のお話がありましたが、もしかしたら何か書いているかもしれません」




「うん。理沙、お願い」




「はいッス」




封印解除し、理沙がハルフィーナを掲げる。

そこから光が放たれ、手紙を一直線に貫く。

一瞬、手紙が燃えるのではないかと心配したが、光は手紙全体に伝わり、やがて青白く輝き出した。そして、その手紙にセレナさんが現れた。




「え、せ、セレナさん?」




まさか生きていたのだろうか?

一瞬、期待したけど真実は違った。

確かにそれはセレナさんだけど、彼女は全体的に青白い。影もないし、こちらの視線と目が合っても彼女は気に留めない。これはDVDとかで映画を見るような、そんな感じだ。





「これは立体映像ッス。セレナさんが生前、魔力を込めて手紙に封じた物だと思うッス」





「静かに」





ミカちゃんの一言で皆、静かになった。

ドラゴンの子は何が起きたのかわかっていないが、映像をじっと見ている。

私も一緒になってじっと見ることにした。




「メイ、お前がこの手紙を見ている時、私は既に死んでいるだろう。まあ、そもそも寿命だ。だが、命尽きる前にお前にこの手紙を託しておきたかった。セグンダディオを持つお前なら、その仲間にハルフィーナを持つ者もいるはずだ。だからこの手紙を託した。話というのはそう、ドラゴンの赤ん坊の事だ」




「りゅるー」




赤ん坊は自分の事を指しているのがわかるのだろうか。




なぜか、返事をした。




「私は人間の男と恋に落ち、龍として生きることを捨てた。ドラゴニストという、人でも龍でもない中途半端な存在になったのはお前も知っての通りだ。仲間たちから忌み嫌われ、里から追い出されたのも話したね。でも、龍族にも人情がある。年に1度だけ里帰りを許されていた。だけど、人間の野盗たちによって里は燃やされ、仲間たちを殺された」




苦々しく吐き捨てつつも、セレナさんは続ける。言うまでもなく襲ったのはジェット達だ。




「人間はドラゴンを忌み嫌っている。あのマルディス・ゴアに加担し、8つある大陸を4つに減らす手助けをしたからね。加担したのは一部の連中だが、人間達はその事をひどく恨んだ。元々、人と龍は互いに手を取り合い、困った時は互いに助け合った。なのにマルディス・ゴアの手伝いをするなんて……人間からすればドラゴンは人間を裏切った最悪な連中だと憎むようになった。いつしか、それを大義名分にして人間たちは大規模なドラゴン狩りを行ったのさ」




「龍はどの部分も金になる。舌は万病の薬になる。それでしか治せない病気もあるようだ。目、骨、歯、羽は加工すれば防具やアクセサリーにできる。1体殺せば数百万ガルドの値打ちがつくだろう。ナイトゼナ王は懸賞金を掛け、人間達は富と名誉の為にドラゴンを狩り尽くした。私はその生き残りの末裔だ。だが、里は炎の中に消えた。私の寿命もわずか。最後の希望はその子しかいない……。その子は里から逃げる時、村長から託された子だ。その子の本当の親も村長も盗賊たちに命を奪われた」




衝撃の事実に私は何も言えないでいた。

人間はドラゴンを忌み嫌っている。セレナさんも結婚したものの、生活には苦労していたと言っていた。今も憎しみや恨みを引き継ぎ、まだ懸賞金制度があるなら……。




この子は欲望を滾らせた人間たちからすれば格好の獲物だ。この子が危ない目に遭うのは絶対に避けなければいけない。




「メイ、ドラゴンの子は何でもよく食べる。特に肉を好むが、赤ん坊の内は咀嚼があまりできていない。なるべく細かく切って食べさせてあげて欲しい。野菜も加えてバランスよく、好き嫌いなくあげて欲しい。育児は楽しいことばかりじゃない。きっと辛いことの方が多いだろう。強欲な人間達はその子を狙ってくる事も充分考えられる。だが、どうか守ってやって欲しい。お前ならきっと守ることができるはずだ。







「セレナさん……」




私は泣き崩れた。

親友と呼んでくれる事が嬉しかった。

同時に守りきれなかった悔しさが湧いてきた。人間達の身勝手な振る舞いに腹が立った。ジェットは倒したけど、欲望を滾らせた連中は山ほどいる。




誰しも欲があるし、欲が無ければ生きる屍だ。けど、誰かを犠牲にして、自分だけが得をする。そんな欲や幸せは絶対に許しちゃいけない。




絶対にこの子を守らなくちゃ。

私の命を掛けても……。





「そしてどうしても困った場合、エルフ族を尋ねることだ。エルフ達は長寿であり、研究熱心でとても博識だ。村や里に住む者が多く、外に出ることは少ないから閉鎖的な者が多いが……メイなら大丈夫だろう。私の事を本気で想い、言葉にしたお前だ。きっとエルフ族にもわかってくれる者がいるだろう。居場所はノノが知っている。困った時は尋ねるといい」





そこで映像にノイズが入る。

テレビでも天候が悪かったりすると、写りが悪くなる事がある。もう、ここで終わってしまうのだろうか?音も雑音が混じり、音声が聞きにくくなる。




「私達の代でドラゴンの生命を絶やしてはならない。ナイトゼナのドラゴンは私を除けば、もうその子だけだ。だが、他の大陸にはまだ生き残りがいるとも聞く。しかし、彼らも賞金稼ぎ達に退治され、絶滅寸前だという。どうか、その子を、ドラゴン族の事を頼む。あの人と結婚してからというもの、愛はあったが、世間体は冷たかった。いつも針の筵の上にいる気分だった。あの人が死んで、人間の世界を出た私にはどこにも行く場所がなかった。だが、メイ。お前に逢えた事は人生で最大の幸福だった。私はあの世でもお前の旅路を祈っているよ。我が親友・メイ……」





映像はそこで途切れた。

手紙に急に火がつき、すぐに燃えカスとなった。できれば手元に残しておきたかったけれど……。





「魔法の手紙は役目を終えた後、自動で燃えるッス」




理沙の補足に頭では納得する。

でも、心が納得できなかった。




「責任重大ですね、セレナさん。育児もドラゴン族の事も頼むって。でも、わかりました。あなたの思い、絶対に無駄にはしません。必ず……やり遂げてみせます」




「りゅー!」




応援のつもりなのか、声を上げる赤ちゃんドラゴン。ふふ、なんだか意思疎通ができたみたいで嬉しい。言葉はわからなくても気持ちって届くものなのかもしれない。




そうだ、この子に名前をつけてあげなくちゃ。




「ねえ、みんな。この子の名前何がいいかな?」




「うーん……ドラゴンの子だから”ドラちゃん”とか?」




「りゅーん……」



ぷいっと横を向く赤ちゃん。

どうも気に入らないらしい。

猫型ロボットな理沙の案は却下と。




「ゴンちゃんとかどうかしら?」




「りゅー……」




ふるふると首を横に降る赤ちゃん。

言葉がわかっているのかな?

ドラゴンと言うより恐竜なミカちゃん案も却下と。ノノやジェーンさんの案も却下となる。




残るのは私か。




「うーん……りゅーっていうから、リュートってのはどうかな?」




「なんかそのまんまつーか、男の子っぽいッス。波◯拳とか出せそうッス」




「りゅー!!!」




じたばたと激しくもがき、喜びを表す赤ちゃん。あら、安直だと思ったけどその名前がいいのね。




「理沙、この子は男の子だよ。ちゃんとついてるし」




「あっ……本当ッス」




「どれどれ?」




「あの、メイ様、理沙様、ノノさん……はしたないですよ」




赤面しつつも、ジェーンさんに言われてはっと我に返る。いや、物珍しかったからついとは言えないか。




みんな赤面しているが、唯一ミカちゃんだけは平気だ。



なんでだろうか?




「よ、よーし。お前の名前はリュ―トだ!これからもよろしくね、リュート!」




「りゅー!!!」




この日から、異世界での戦いと同時並行で子育てもすることになったのであった。


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