白天なる蒼穹に還す者

四月朔日 橘

Ⅰ:忘れていた想い出

別れと出逢い

 真夜中の荒野、そこに2人の人影があった。1人は仰向けに倒れており、1人はその隣に膝を立てて座っている。

 仰向けに倒れている1人は荒い息を繰り返し、その隣の1人は倒れている1人の手を握っている。

 その一面は砂と紅。月の光だけが差し、蠢く影が音を立てて近づくのを感じる。

 月明かりが2人を映し出す。仰向けに倒れているのは女。歳は18歳程で着ていた白のロングコートは裂け、その腹部からは紅色が落ち染まっている。もう1人は男。しかし、女よりも歳下で彼女の手をギュッ、と握りしめながらその手に額を押し付けて泣いていた。現状、どうしようもできないことは彼にも分かっていた。


「ヤダよ」


「っ……ゴメン、ね」


 途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女は動かない身体を叱咤して、彼が握ってない方の手を彼の頬に当てた。彼は顔を上げる。頬から伝う雫が月明かりの元、静かに光って下に落ちた。


「だい、じょうぶ……だから」


 だから、逃げて。女は男にそう言うも彼は動こうとはしなかった。彼女を置いて逃げるなんてできなかった、否したくなかった。それが分かってしまったのか女は困ったように微かに笑みを浮かべた。それでも、彼だけは助けなければいけないし助からないといけない。唯一の肉親、自分が死んだとしても彼だけは絶対に助けなければ。

 その時、地が蠢いた。またヤツが現れる。そうなってしまったら彼は助けられない、助からない。蠢いた砂の中から出てきたのは巨大なムカデのようなもの。一番前についている足は鎌のように鋭く、大きい。

 痛む身体を押して、起き上がる。途切れ途切れの息が苦しく。目の前が暗くなるが、そんなこと言ってはいられない。彼を逃がさなければ、その意思だけで彼女は立つ。


「っ、」


 しかしフラリ、と身体が傾いて倒れた。目の前の怪物はゆらりと蠢いて、その鎌を振り下ろした。少年が裂かれる瞬間、一閃。

 ぱっくりと真っ二つに別れる。轟音が鳴り響いて辺りの砂が舞う。そして、二つに裂かれた怪物は白く淡く、光り出して天に昇る。


『……間に合わなかったのか』


 男の声がした。悔しさを含んだ声。その手には一振りの刀があり、紅に塗れているが白く光り輝いたかと思えば天に昇る。先程の怪物と同じ現象である。


「遅、い」


『喋んな、バカ』


「バカね、分かってる、くせ、に」


 倒れこんだ彼女の側にしゃがみ込む男は泣きそうな顔をした。後悔の顔。まるで彼女を愛おしむような、彼女と別れるのを拒む子供のような顔をして。彼女の呼吸音は荒く、もはや時間の問題となっていた。少年はただ呆然と立ち竦んで見てるしかなかった。その会話に含まれた意味は、紛れもなく「死」。


「なん、で」


 零れ落ちた言の葉が、二人の耳に届く。何で、こんなことになったのか。


『……アイツは』


「弟、よ……できれば、この世界に、なん、か入れたく、なかった……」


 途切れ途切れの声。彼女の死期が近いと、男は察したのか右手を何もない空間に伸ばす。ポウ、と淡い光が男の手に纏わりついて何かを形成し始める。先程の刀とは違う、小さな短剣。

 それを微かに震える手で握りしめると、彼女の胸に向かって振り下ろす。


「やめろ!」


 少年の声が響く。彼女は一粒の涙を零して、少年に向かって最後の言葉を向けた。


「――――生きなさい、藍」


 胸に短剣が突き刺さる。強い光を放って、彼女の身体は小さな光の球を作り始めて天に還る。唯一彼女の付けていた小さな石のついたネックレスだけが残った。この場にもう、彼女の気配はない。……ハズだった。

 急速に光が収縮する。天に還ったハズの光が男の持つ、彼女が付けていたネックレスに。吸い込まれるようにして光が消えた。静寂が落ちる。


『……ほらよ』


「っ、あん、た」


 渡されたネックレスはもう光ってはない。けれど、確かに彼女の気配があった。


『オレは還魂士』


「還魂士……?」


『お前の姉貴もそうだった』


 男曰く、彼女の魂のほとんどは天に還したがほんの一部のみネックレスに宿した。いずれは少年のためになると思って。ギュ、と彼はネックレスを握りしめる。その手に雫が落ちた。


『アイツに頼まれからにはやらなきゃなんねぇ』


「……?」


『お前、俺について来い』


 彼女、少年の姉と同じ白のロングコートを来ている男は唐突にそう言った。一瞬、理解できず固まるが「は?」と声をすぐあげた。意味がわからないと、そんな声を。


「何で?」


『碧に頼まれたからな』


 碧、そう言ったのか。それは少年の姉の名。彼女は還魂士だった、その事実を少年はまだ受け止めきれていない。男は苦笑して、少年の髪に手を伸ばす。姉と似たその黒髪をグシャグシャと撫で回した。


『行くぞ、名前は?』


「えっと……え? 決定事項?」


『当たり前だろ、こんなとこに居てみろ。またあんな怪物共に襲われるぞ』


 呆れたように言う男は何かを思い出したらしくあ、と言った。


『オレ、凌斗りょうと


 男の名前らしい。少年は男を見上げた。姉よりも年上で20代後半に見える。ニカ、と笑う男に少年はおずおずと名を告げる。


「……藍翔あいと


『藍翔か、よろしくな』


 藍都が凌斗の手を掴む。凌斗はもう一度彼の髪に手を伸ばして髪をグシャグシャと撫で回した。


 ――――淡く銀色に輝く月だけが、全てを照らしていた。

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