エピロー(グシャ)


「<おしまい>じゃないですよ明久君?」

「何勝手にエピローグにしてるの?」

 ――逃げられなかったか。

「でも二人とも。考えてみて?」

 今のこの状況を。

 性癖の暴露からいまだ立ち直っていない工藤さん。

 他でもない工藤さんからの蔑みで手ひどい心の被害を負ったムッツリーニ。

 パパが消えてちょっとしょんぼり元気のない葉月ちゃん。

 戻ってこない秀吉。

 姿を消した霧島さんと、そして隣の教室から時々響いてくる雄二の絶叫。

 そしてドン引きするババア長と、不測の事態を考慮してスマホ片手に待機する高橋先生。

「もうこれ以上被害を増やすことはないと思うんだ」

 至極当然なことを僕は主張する。

「いつものことじゃない」

「そうですよ」

 至極当たり前のように返された。慣れてはいけないものに慣れてしまった人間の末路か。二人は比較的常識人と思っていたのに……!

「でも葉月ちゃんの精神衛生上よくないよ!」

 マッチョ、けっこう仮〇、女装、変なイケメンにショタ、姉弟愛と続いて、闇と女装。

 変態どものオンパレードだ。子供の成長によくないことは誰にだってわかる。

「葉月」

「なんですか、お姉ちゃん」

 とことこ歩いてきた葉月ちゃんを膝の上にのせて、美波は猫なで声で語り掛ける。

「バカなお兄ちゃんの理想の女の子、見たいよねー?」

「バカなお兄ちゃんの好きな子ですか!? 見たいです!」

 タフな子だ。僕と目が合うと、ちょっと照れるように身をよじらせて、

「葉月が……出てきちゃったら……バカのお兄ちゃんと結婚するです!」

「高橋先生ェ!」

 スマホを操作しようとした高橋先生を見とがめて僕は叫ぶ。

「――まだ早いです!」

「そうですか。時流が時流なので」

「この学校をマスコミの餌食にすんじゃないよ」

 葉月ちゃんがどうしてダメですか? としょんぼりしている。

 時流が時流だからね。許されるのはラノベジャパニーズ・ポルノの中だけだからね。みんな誤解してるけど。

「そういうわけだからアキ」

「そういうわけですから明久君」

 ずずっとどうぞ、と立ち上がらされた。姉さんも微笑んでいる。

 どうあっても逃げられない――と僕は悟る。

 けれど、なかなか手が前に伸びなかった。

「どうしたのアキ。いやだいやだじゃ話が進まないわよ」

 判っている。判っているんだけど――サモンの一言を絞り出す勇気が出てこない。

「――怖いんだ」

 僕は本心を吐露してしまっていた。

「お仕置きとか、制裁とかじゃないんだ。もし理想の人が姫路さん……いや、美波にも似ていなかったら、二人を傷つけちゃうんじゃないかって」

 僕は姫路さんが好きだ。でも、彼女が理想の人だから好きになったわけじゃない。

 一年を通して、その一年間ずっと彼女を見ていたから――こんなにも好きになったんだ。

 それは美波も同じことが言える。たまに心が揺らいでしまうくらい、美波が魅力的な人だってことを、僕は一年かけて知ることができた。

 だから。

 こんな形で、こんな変なもので、傷つけたくないんだ。

「なによ、それ」

 美波が吹き出すように笑った。

「今更何が出てきたって、ウチの気持ちは変わらないんだから。あんまり乙女心、バカにしないでよね」

 美波に負けじと、姫路さんもずいと身体を乗り出してきた。

「そうですよ明久君。玲さんも言ってました。愛はバランスだって。どんな人が出てきても――明久君を受け入れます」

「そうよアキ。アキの理想と、自分がどんなに違っても――ウチはそんな理想なんかに負けないし、諦めないわ」

 ムッツリーニが言っていた。告った女の子は強い、と。

「……ありがとう」

 こみ上げてきそうになる涙と喜びを何とかこらえて、僕はようやく手を前に差し出した。

 何が表れるか。僕にも予想がつかない。理想の人と言われたって、想像できやしない。

 でも、何が表れたとしても、この二人は受け止めてくれる。そして、前に進んでくれる。

 そんな安心感が――背中に感じる二つの手のひらが、僕を押してくれた。

「サモン!」

 幾何学文様の上に青い光が躍る。人の形をしている。すらりと長い脚が現れはじめ、まずは高橋先生がスマホを下してくれる。警察沙汰は避けられたようだ。

 やがてちょっと大きめなお尻と。

 きゅっとしまった腰と。

 豊満なバストが現れて。(背中をつかむ片方の手に力が込められたのは秘密だ)

 柔らかく微笑む黒髪ショートの人物――こそは。

 姉さんだった。

「あらあらまあまあ。これではアキ君と相思相愛ですね」

「これは陰謀だぁぁぁ!」

 動揺すら見せず頬を染める姉さん。

 あの様子――これが出てくると確信していた、明らかな策謀の匂いを感じる!

 そうだ、これは何かの間違いに決まっている。いくら身内の影響が大きいとはいえ、僕にとって姉さんだけはありえないんだ!

 そこをちゃんと説明しないと――。

「――はい。児童相談所ですか。――はい。はい。姉が弟から性的暴行を受けていると」

「高橋先生ェ!」

 こうなってしまう。逆だし!

「や、やっぱり明久君は大きいほうが……好きなんですね!」

 焦りを露わにしながら、しかし何とか好意的に迎え入れようと姫路さんは頑張っている。

「私だって……きっと今より大きく……大きく……」

 まじまじと自分の胸を見つめ、それからキッと姉さんを睨みつけて、

「だめですー! あの腰のカーブは無理ですー!」

 崩れ落ちた。

「姫路さん!? いや、あの理想像が間違いだから! ショックを受けることなんて何にもないんだよ!」

「そ、そうよ! ありえないわ!」

 援護射撃が美波から打ち出された。

 姉さんのスタイルとは真反対に位置するスタイルの持ち主として看過できない事態なのだろう。でも、何が出ても諦めないってそういうことかな?

「アキは確かにおっぱい星人だけど!」

「そんな認定されたことがない!」

「で、でも……! たまには、ちょっとくらい、つ、つ……」

 ぎりり、を歯ぎしりをして、美波は自分の胸を見下ろす。

「つ……るぺ……たも……いいって思ってるはず! ビック一辺倒はありえないの!」

 言い切った。すごいぞ美波、自分を見つめて受け入れた。

 美波の自己犠牲を無駄にはしたくない。僕もその勇気に乗って抗弁する。

「そうだよ姉さん! 僕はどちらかというと大きくもなく小さくもなくでも揉める程度の手ごろな大きさがいい!」

「アキ……」(バキッ)

 美波、僕は君の味方をしたつもりなのに、どうして暗い顔で腕の骨を曲げるんだい?

「ふう、仕方ありませんね。では私が直々に、皆さんの意見を論破して差し上げます」

 僕たちの抗議に、姉さんは机の下から一冊の本を取り出して宣言した。

「その本は……!」

「これはアキ君が、数々の戦火と焚書坑儒の中、最後の最後まで守り通してきた――最大のお気に入りの参考書えっちなほんです」

「やめてぇぇぇぇ! それ失くしたら僕が僕でなくなっちゃうのぉぉ!」

 中学時代からの相棒なの! 雄二やムッツリーニ以上の親友なの! 悲しいとき病めるときいつもそれ見て癒されてきたのぉ!

「見つけるのは私でも苦労しました。まさか枕のクッションを引き抜いてそこに隠すとは……やりますね、アキ君。夢枕に立ってくれとでも祈っていたのでしょうか」

 図星すぎて冷や汗が出る。

「アキの……最大のお気に入り……」

「はい。つまり、この世に数多ある参考書エロ本の中でも、アキ君の欲望と最大限合致している奇跡の一冊ということになりますね。その証拠に、とても良く使い込まれています(意味深)」

 ごくり、と姫路さんと美波が喉を鳴らす。

「私はこの参考書えっちなほんを精密に分析しました。その結果によると」

「やめてよ姉さん! みんな引いてるよ!」

「いいえ明久君。これは私たちが立ち向かうべき――現実なんです! 邪魔しないでください!」

「アキ! ウチはどんな苦しみにも耐えてみせる!」

 どうして女性陣が前のめりなの!? むしろ詰ってくれたほうが気が休まるのに!

「玲さん! 教えてください! 分析の結果を!」

「お二人には辛い話になりますよ?」

 ぐっ、と二人が身構える。引く気はなさそうだ。

 はたと僕は気づく。

 ――もしかすると姉さんは、この展開を狙っていた? 二人の、僕への露骨なアピールを鷹揚と聞き入れていたのは、この場で二人を叩きのめす算段が整っていたから――?

「分析の結果、Dカップが――」

「二人とも聞いちゃだめだ!」

「邪魔しないでください!」

「黙ってて!」

 二人のためを想って言っているのに!

「71%」

 厳然たる数値の前に、美波が心臓を抑えて膝を折り、一方姫路さんは一瞬のガッツポ。

「ですが、Eカップ以上は51%もありました」

 が、返す刀で姫路さんをも斬って捨てる。

「遺伝子を呪わざるを得ないわ……!」

「これでも……足りないというんですか明久君……!」

 くっ、二人を見殺しになんてできない!

「異議あり!」

 恥をかいてでも僕が二人の仇を討つ!

「残り29%はDカップ未満! 中には貧乳も混じっている! 姉さん! 37頁に折り目があるだろう! その女の子はポニテ貧乳だ!」

 美波が瞳を潤ませて僕を見つめてくる。

「折……目……?」

 そう、折り目――お気に入りの参考書の中でも、極上を意味する言葉……!

「アキ……!」

「ですがこの子もBカップはあります」

「アキ……。歯を食いしばって」

「AもっBもっ大差ないっじゃっないっか!」(バスっバスっバスっ)

「あるのよアキ。0と1の間には無限の隔たりがね」

 実際問題つるぺたのエッチな本なんて売ってないんだ美波。それこそ絵に頼るしかなくて、実写派の僕には困った事態なんだよ――と抗弁しても火に油を注ぎそうなだけだから止めることにした。

 美波の殴打に耐えながら意識を保とうと努力する。ここで僕が折れてしまえばすべて姉さんの思惑通りに事が進んでしまう。

「玲さん! Dカップの女の子には折り目はついてますか!」

 しまった――! 美波に気を取られて姫路さんが疎かになっていた!

 姉さんは姫路さんの一縷の望みすらも断ち切る。

「ありません」

「うっ……明久君……私たちはもう……!」

 受け入れるとか諦めないとか言ってたよね!? 二人の恋はエロ本ひとつで壊れちゃうの!?

「決着はついたようですね。この聖書が示す通り、アキ君の理想は、恥ずかしながら私ということになります」

 高らかに聖書を掲げ、姉さんが勝利宣言を行う。抗う術を必死になって模索するが、ガチのお気に入りだけに反証の材料がない!

「判らないでもありません。私が幼いころからアキ君だけを見つめていたように、アキ君もまた、私という存在を身近に感じて生きていたのです。それがいつしか姉、弟という関係を超えて、異性と認識しあうのも時間の問題だったと――」

 ――ガシャン、と姉さんの言葉を遮るように、何か物の落ちる音がした。

 掲げられた聖書から、するりと落ちてきた『それ』。

「MP3……プレイヤー?」

 すっと何事もなかったかのように姉さんがプレイヤーに手を伸ばす。がっ!

 とっさの判断で僕は飛んでいた。一瞬早く、姉さんより先にプレイヤーを確保する。

「いけません、アキ君。それは」

 仄かに見えた姉さんの焦り。きっとこの中に元凶が入っている。その確信がある!

「再生ボタン――!」

 さぁぁぁという雑音が流れた後。

 姉さんの囁く声が、MP3プレイヤーから解き放たれた。

『アキ君。アキ君はお姉ちゃんが大好きです。いつも抱っこされたいと願っています。アキ君。アキ君はお姉ちゃんが大好きです。いつも抱っこされたいと願っています。アキ君。アキ君はお姉ちゃんが大好きです――』

 ……。

「洗脳じゃん!」

「ただの睡眠学習です」

 この姉――! さては僕の最大のお気に入りが枕の中に隠されていることを知りながら、あえて回収せずにMP3プレイヤーを仕込んだな……! 夜な夜な深層心理に姉の存在を植え付けて――。

 全てはこの瞬間、この状況を生み出すために!

 不純異性交遊を、自らの手で刈り取るために!

「だけど反証の材料は揃った――僕の理想が姉さんじゃないと、今こそ論破してみせる! いくよ、姫路さん、美波!」

 二人を鼓舞して立ち上がらせれば、きっと姉の陰謀を暴いて真実をつかめるはず!

 ――が。

「アキはつるぺたポニテが大好き。アキはつるぺたポニテが大好き。アキはつるぺたポニテが大好き。アキはつるぺたポニテが大好き。アキはつるぺたポニテが大好き」

「ずるいです美波ちゃん! 明久君はDカップだけが好きです。明久君はDカップだけが好きです。明久君はDカップだけが好きです。明久君はDカップだけが好きです」

 二人はMP3プレイヤーの取り合いをしていた。

 発想が姉さんと変わらない……。

「二人とも、今そんなことしてる場合じゃ」

「あっ瑞樹! プレイヤー返しなさい!」

「ダメです! 美波ちゃん引っ張らないで――あっ」

 ぽーんとプレイヤーが宙を舞った。二人が追いかけていく。その先にはテストの採点をする、あの四角い大きな機械が鎮座している。

 ガツン、と二人の膝が機械を打ち抜くのと、げっ、というカエルのつぶれるような声がババァ長から漏れるのが同時だった。

 それだけで何が起こるのか予想できてしまった。

 機械が黒い煙を上げ、その直後、召喚フィールドが爆発したかのように教室からあふれ出ていった。

「ジャリども……」

 ババァ長が額に青筋を浮かべてこっちを睨んでいる。……今回、僕は何にも悪くないと思うんだけれどなぁ。

 教室からあふれ出ていった召喚フィールドの影響はたちどころに現れた。

「わわわ、なんでもっかい出てくるの!? ムッツリーニ君、見ないで! 見ちゃらめぇ!」

「…………けっこう仮〇……僕を裁きに……来てくれたのか」

 教室の隅っこで始まる淫欲の祭り。

「アキちゃんが二人も!? ダメなのじゃ、わしに近寄ってはいかんのじゃ! 近寄られたら――わしは――もう――」

「……雄二。あれだけシたのにまだアキちゃんなの」

「「ウ……ア……ァ……」」

 隣の教室で行われるサバトの儀式。

 そして――召喚フィールドは校内全域を覆ったらしい。

 遠くのほうで絶望的なざわめきが聞こえ始めていた。

「おい! 今召喚するとどうしてか秀吉が出てくるぞ!」

「まじかよサモン! 出てきたぜ! まじで秀吉だ! 触れるぞ! 揉めるぞ!」

「俺なんかチャイナ服秀吉だぜ!」

「甘いぜ俺はメイド服秀吉だぜ!」

「お姉さま!? どうして半脱ぎなのですか保健室でイチャコラしましょう!」

「アキちゃん!! どんな服でも着てくれるなんてついに女装を自分のものにしたんですね!」

「よ、吉井君。こんなところで迫られても僕は……困るよ。けど……だけど……!」

 阿鼻叫喚だった。

 テストしないほうが欲望が前面にでるのかなぁと、僕は妙に冷静になって考えてしまった。

「ジャリ……。今度こそ責任を取ってもらうからね」

 ババァ長がマジ切れの顔で近寄ってくる。

 ――僕悪くないよね? よね?

 こりゃ停学かなと理不尽さに涙を流していると、迫りくるババァ長をなんと突き飛ばした人影があった。

 美波と姫路さんだった。

「仕切り直しよアキ!」

「明久君の理想は私ですよね!?」

 ぐいぐい近寄ってくる二人の圧力に、僕はもう。

 もう……。

「もういやだぁぁぁ!」

 泣いて逃げるしか、ないじゃないか!

 理想は心にしまっておいて、豊かに育めばいいものなんだ。

 誰かの影響を受けているとしても、誰かに強制されるものではないんだ。

 そんなようなことを、僕はこの日、痛いくらいに知った。



                          <おしまい>

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