狙われた明久! 殺し屋ファイターの必殺弁当①
1
登校中の恋愛解禁令が公表された、その翌朝。
文月学園の通学路はいくらか華やいだような気がする。幼馴染らしき女の子と肩を並べて歩く男子生徒や、転校生らしき女の子と曲がり角でぶつかる人など、去年までの僕なら歯軋りして羨むような光景がそこここに見られる。
なんて妬ましい――などと、僕は口が裂けてもいえない。
なぜなら今現在僕の隣には、一際目を引く美少女、姫路瑞樹さんがいるからだ。
清楚で可憐、頭脳明晰で巨乳――とは昨日の黒覆面の言葉だけれど、その言葉通り姫路さんは綺麗で、同時にその言葉では足りないほど芯の強い女の子だ。それと、巨乳という表現では足りないほど豊満な胸を持っている。制服の上から判るレベルというのはすごいことなんですと、土屋陽向さんが力説していたことがある。
柔らかそうな髪を今日はウサギのバレッタで纏めていた。ほんの少しポニーテールにも見えて、僕の好みを的確に射抜くようなヘアスタイルだ。
「なんだか、こうやっておしゃべりするのは久しぶりのような気がします」
姫路さんがちょっと恥ずかしそうに顔を伏せる。頬がほんのり上気させて、時折僕をちらりと見るのだけれど、目が合いそうになると俯いてしまう。
でも、お互い様だろう。僕だって自分の顔が真っ赤になっている自覚がある。
「思ったより時間が掛かっちゃったね」
どぎまぎしながら僕は話題を探す。噛まない様にするのが大変だ。
去年――僕は姫路さんに告白した。成り行き上とはいえ、全校生徒が傾聴する中での大告白という見事な羞恥プレイだったけれど、姫路さんも堂々と受け入れてくれた。
晴れて両想いとなり、僕らは青春一直線……とならなかったのは知ってのとおりだ。直後に学生恋愛禁止令が出されてしまい、僕らは引き裂かれた。
だから、こんな風に――恋人みたいに寄り添って歩くのは初めての経験だった。どうしたって緊張してしまう。
「学校ではあまり話せなくなっちゃいましたし……。Fクラスはどうです?」
三年に上がって、学年主席を争うほど成績の良い姫路さんはAクラスの所属になった。監視の目もきつくなってしまい、このところあまり姫路さんとは会話できていない。
もっとも、去年Fクラスにいたというのがそもそも何かの間違いみたいなものだったのだ。結果的に僕たちは仲良くなることができたのだけれど、姫路さんには大きな負担をかけてしまったと思う。
「みんな相変わらずだよ。秀吉は部活を頑張ってるし、ムッツリーニは僕に協力してくれるし、美波は――」
昨日を思い出して、僕は言葉を濁す。僕が言うと傲慢に聞こえるかもしれないけれど、美波は姫路さんの恋のライバルといえる。話題に出していいのかな、と僕は躊躇ってしまった。
「美波ちゃんも相変わらず元気ですよね。よく一緒にお出かけするんですよ?」
僕の戸惑いを見透かしたように姫路さんは言った。仲の良い二人に僕のせいで亀裂が入っちゃうのでは――というのは邪推だったらしい。
ならば生徒会で辣腕を振るう、あの赤覆面の現在はあえて言うまい。それに、
「美波ちゃんはいろいろ暗躍しているみたいですけど、私は正攻法で行きますから」
教えるまでもなくバレてる。そんなことだろうと思った。
「あの、姫路さん。正攻法、って?」
どぎまぎする僕に、姫路さんが意味深に微笑む。美波もそうだったけれど、姫路さんも告白以来大胆なアプローチを仕掛けてくるようになった。
「――明久君と、恋人らしいことをいっぱいしようかなって」
『『ギルティだ吉井明久……!』』
いつの間にか黒覆面たちに周囲を取り囲まれていた。
「朝っぱらからいちゃいちゃいちゃいちゃと! この歩く公害め!」
「貴様が
「人間の想像力の限界を超える、凄惨で筆舌に尽くしがたい拷問を貴様の身体と心に刻み込んでやる!」
相変わらず登場と同時にクライマックスを持ってくるやつらだ。僕は逃走経路を探して周囲を見回す。しかし、黒覆面が十重二十重、易々と突破を許すような布陣ではない。こうなれば最初の一撃でリーダー格を血祭りに上げ、その瞬間の動揺を縫うように逃げるしかないか。
「待ってください!」
地面を蹴ろうと屈んだその瞬間に、姫路さんが声を張り上げた。
「皆さん。昨日、明久君が登校中の恋愛活動許可を公表したのは知っていますよね?」
少し怒った風に姫路さんが黒覆面たちに詰め寄る。
「し、しかし風紀を乱すような行為は厳として慎むべきで……」
黒覆面たちがたじろいだ。こんな姫路さんは見たことがない。去年までなら、大声を出すことも見るからに恐ろしい黒覆面たちに立ち向かうこともしなかったはずだ。
「いいえ。昨日までならいざしらず、活動許可という校則に変わった以上、それを邪魔する皆さんのほうが風紀を乱していることになります! だから――」
姫路さんが僕の腕を取って、抱き締める様にしがみついてきた。
「こういう風にすることが風紀を守ることなんです!」
豊満なバストが僕の二の腕を圧迫してくる――。
ああ、これが噂に効く必殺の「胸固め」か。確かにこれは微動だにできなくなる……。
「よし、い」
リーダー格と思わしき黒覆面が、絶句したように僕に問いかけてくる。
「それは、当たって、いるのか……?」
何が、とは言うまい。僕は一度だけ大きく頷いて、事実だけを端的に伝えた。
「とても……気持ちが良い……」
「うわぁぁぁぁん!」
「福村ー!? いかん、リーダーが戦意喪失だ! 撤退! 撤退ィー!」
リーダー格以外にも負傷者が続出したようで、彼らは気絶した戦友たちを担いでほうほうのていで逃げ出していった。
「すごいね、姫路さん」
あっという間に黒覆面たちを追い散らした姫路さんに、僕は感嘆の声を上げた。
「……何が凄いんですか?」
ぐいっと胸を押しつけながら姫路さんが悪戯っぽく笑う。……そういうイジワルは辞めて欲しい。僕の自我はいつまで持つだろう。
「これ以上やると、美波ちゃんが怒るから辞めておきます」
姫路さんが離れて、僕の至福の時間が終わる。さりげなく美波をディスってた気もするけど、聞かなかったことにしよう。乙女同士、駆け引きや鍔迫り合いがあるのかもしれない。
僕の二の腕にはまだ感触が残っている。知ってる? 女の子はとっても柔らかい。溺れてしまいそうなほど、柔らかい。
何より姫路さんの言葉が頭に焼き付いてしまって離れない。――恋人らしいこと。いっぱい。
ナニするんだろう。ナニしていいんだろう。
「明久君!」
よっぽど僕は鼻の下を伸ばしていたのだろう。姫路さんが頬を膨らませる。
「その、私も悪いですけど、やっぱりえっちなのは良くないことです。まだ私たち、高校生なんですから……」
そうだった。僕らはライトノベルの登場人物のごとく、清く正しい高校生なのだ。えっちなハプニングはパンチラまで。よっぽどテコいれが必要な場合のみヒロインの湯気と光がたっぷりのお風呂場まで。そういう風に、厳密なレーティングが引かれているのだ。多分。
「ん……? 高校生だからダメっていうことは、高校生じゃなくなったら……」
「もう、いじわるなこと、言わないでください……」
姫路さんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
勉強しようと――僕は必死に勉強して絶対に今年中に卒業しようと決意を新たにした。高校を卒業したら、すぐに姫路さんと卒業式をするんだ……。
「と、ところで明久君!」
上気した顔をぱたぱたと仰いでから、姫路さんは自分の鞄をごそごそと漁り始めた。
「これが私の正攻法、です」
と、綺麗な布に包まれた四角い物体を僕の前に差し出して、嬉しそうに言う。
「オベントウツクッテキタンデス」
――ん?
上手く聞き取れなかった。
「ごめん、風が強くて……悪いけど、もう一度お願いできる?」
「¨ŲėÁÄĢŊņÅˇAĄņÍŠMėČņÅˇæ」
くそ、文字化けか。僕の脳が聞き取りを拒否している。
しかしヒントは多いから、推測から真実を見出すことは可能なはずだ。
ひとつ。綺麗な布に包まれた四角い物体。ふたつ。トラウマによるショック症状を見せる僕の脳。みっつ。一瞬にして消えうせた性欲……。
結論に思い当たり、ついにこの日が来たか、と僕はごくりと喉を鳴らした。食欲からではなくて、これは生命への危機感からだ。
「あの、明久君……?」
一向に受け取ろうとしない僕に、姫路さんが怪訝そうに小首を傾げる。
なんとか誤魔化さないといけない。この受け取りを拒否する手立てはあるだろうか。
才色兼備の姫路さんだけど、こと料理に関してだけは殺人級にヘタクソなのだ。不器用とか味覚が変というタイプではなく、強いて分類するのであれば愛情から余計なものを入れてしまうタイプだ。
出所不明のスパイスを徹底的に混入するとか、リ〇ビタンご飯とかなら可愛いものだけれど、姫路さんの場合は塩酸流酸硝酸と化学薬品に傾倒している。説明に化学式を用いるレシピなんて、僕はクック〇ッドですら見たことがない。
「もしかして……迷惑でしたか……?」
切なげに目を伏せる。罪悪感を感じずにはいられない。
「いや、その! 姉さんからお昼代200円貰っちゃってて! 使い切らないと次の予算でもっと減らされちゃうから! お腹が膨れちゃって、姫路さんのお弁当までは入らないかも――」
「200円じゃ、学食のナポリタンも食べられませんよ?」
冷静に姫路さんが指摘してくる。
確かに200円じゃおにぎり一個にブラックサ〇ダーが関の山だ。お昼代をひそかに溜めてゲームの購入資金に回した前科が僕にはあって、それ以来食事代がすりきり一杯にまで減らされている。
「男の子なんだから、いっぱい食べないといけませんよ」
ずいっ、と改めて胸元に差し出されるお弁当箱――やっぱりどうしても手が伸びない。
「私の料理……嫌い……ですか? 本当は今までも、ずっとマズいって思ってたんじゃ……」
姫路さんの頬を、一筋の涙が流れていった――ように僕には見えた。
ヤバい。これは受け取らなくちゃいけない流れだ。恐怖に竦む身体を、動け、と必死になって叱咤する。男には、死を覚悟してでも守らなければいけないものがある――!
「――なんて。判ってますよ、明久君」
一転、弾むような口調で姫路さんが言った。今までの仕草は演技だったらしい。
「今まで私の料理が、ちょっと酷かったということはもう知ってます。ごめんなさい明久君、かなり無理して食べてくれていたんですよね……?」
ちょっとどころではなかったよ、という補足を飲み込んで、僕はごまかし笑いを浮かべる。
「だから、私、たくさん練習したんです。翔子ちゃんや美波ちゃんにも手伝ってもらいましたし、いろんな料理本も研究しました。だから今回はちゃんと成功したんですよ?」
霧島さんも美波も料理が得意だ。あの二人の監修が入っているなら安心できる。
「安心してください。私だって、去年までの私じゃないんですから」
ふっと……朗らかな姫路さんの笑顔に、僕の身体はつき物が落ちたかのように軽くなった。気付くと、自然と四角い箱を受け取っていた。
大きくてずっしり重い。女の子のお弁当箱の大きさじゃない。男の子向けの、食いでがありそうなお弁当だ。僕のために頑張ってくれたことが、それだけでわかる。
「――ありがとう、姫路さん。大切に食べるよ。どんなものが入っているの?」
「開けてからのお楽しみです。そうですね、ヒントは伝統料理、です。あんまりがっつきすぎて、喉に詰まらせないでくださいね」
水筒も一緒に渡される。細やかな配慮が嬉しい。
「でも、お昼に一緒にいられないのはちょっと寂しいです。明久君の感想、すぐに聞きたいですから。やっぱり私も、Fクラスのままが良かったかも……」
三年生の進級時を、僕は思い出す。
姫路さんがFクラスからAクラスへの昇格が決まったとき、一番残念そうにしていたのは何を隠そう姫路さんだったのだ。いつまでも一緒に、いつまでも変わらぬ楽しさを――という願いを彼女は心に抱いていた。だから、姫路さんには珍しく、鉄人に食って掛かったり、果ては学園長に直談判しにいったりと、とても頑強に抵抗していた。
「姫路さん、それは――」
「大丈夫です、明久君。今だって充分楽しいですから」
僕はほっとする。
あの時、頑なにFクラスに残りたがる姫路さんに、僕はこう言い聞かせたのだ。
今よりもっと楽しい未来が待っている、と。変化を恐れちゃいけない。今日より明日が、今年より来年が、もっと素晴らしいものになるように、人間は頑張っているんだと。
「明久君はすごいです」
目をきらきらと輝かせて、姫路さんは空を見上げる。
「私の今日、私の明日を、明久君はいつも面白くしてくれます」
「そんな、特別なことはしていないよ。いつだってドタバタの騒動になっちゃうし――」
本心から言った。誰かに尊敬されるようなこと、僕はきっとしていない。皆には迷惑をかけっぱなしだ。
姫路さんはそんな僕の言葉を遮るように、じっと目を合わせてから、
「だから、好きなんです」
と笑った。
まっすぐな言葉にたじろぎかけたけれど、僕だってヘタレじゃない。姫路さんになら何度だって、どんな場面でだって、答えてあげられる。
「うん、僕も姫路さんのことが――」
けれど、言い切る前に学校から予鈴が鳴り響いてしまった。ちっ、邪魔ものめ、と憎らしげに学び舎を見上げる。始業の五分前だった。
「行きましょう、明久君」
姫路さんが手を振って、校門に駆けていった。後を追いかけようとする僕に、姫路さんは振り返って朗らかに叫んだ。
「その言葉の続きは、放課後に聞かせてくださいね!」
僕は慌ててしまった。時間差を置かれると照れてしまう。でも、いやな気分じゃない。
気の利いた台詞を考えておかなくちゃ、と頭を掻いて、僕は足を踏み出す。
とりあえず――。
校門付近で僕を待ち構える、あの赤覆面と黒覆面たちをなんとか突破しなくてはいけない。
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