第5章 還らぬ命(1)

「デュー、待ってよ、デュー」

 家に続く裏通りに入ったところで、息を切らせたパルテナに呼びかけられ、デュルケンは我に返り歩を止めた。振り返ると、少女はまろびそうな足取りで後ろからやって来る。とにかく店から遠ざかろうとするあまり早足になりすぎて、パルテナの歩調を全く顧みていなかったのだ。

 少女の身長でデュルケンの足について来るのは難儀だったろう。他人に気を遣えない自分の性格が呪わしい。流石に申し訳ない気持ちに駆られた時。

 きん、と首の後ろを突き刺すような鋭い気配を感じて、デュルケンは金緑の瞳をすっと細めた。

「……デュー?」

 やっと追いついたパルテナが「なあに?」と言いかけるのを、「しっ」と短く遮る。

 この気配を知っている。とてつもなく危険な気だ。

 デュルケンは荷物を地面に置き両手を自由にすると、パルテナを背後に引き寄せ緊張を面に張り付かせて、気配の主が通りの向こうから現れるのを待った。

 だが、現れた相手を見て、デュルケンは自分の直感を疑う事になる。

「よう。さっきは世話になったな」

 嫌らしい笑みを浮かべて包帯をぐるぐるに巻かれた右腕を掲げてみせたのは、先程の店でデュルケンが手負いにした騎士だった。どうやら意趣返しに来たらしい。その行動の迅速さと執念深さは見上げたものだが、今しがた感じた気配は、目の前の男が放つにしては力不足を感じる。この男はデュルケンの相手としては弱すぎる。

 自分の思い過ごしだったのだろうか。デュルケンが興味を失ってふっと視線を逸らすと、それが男の自尊心を刺激したようだ。

「おい、なめてんじゃねえぞ。これからたっぷり礼をしてやるからな」

 舌なめずりしそうな程に歪んだ騎士らしからぬ表情で、男は凄みをきかせる。

「そのすました顔を見られないくらいに切り刻んでやる!」

 直後。

 周囲から襲い来た殺気にぞわりと総毛立つ。デュルケンはパルテナを抱きかかえて地を蹴った。思考する暇も無い反射行動の一瞬後、最前まで二人がいた場所に、かつかつかつ、と音を立てて鉄の刃が数本突き刺さる。

 デュルケンは理解した。気配の正体を。そして、この弱そうな男が何故これだけの自信を持って復讐に来たのかを。

 奴は知らせたのだ。風詠士の末裔を追う者に、その存在を。

 そして来たのだ、彼らが。ミナ・トリア王直属の暗殺者部隊、『毒蛇ヴィ・ボラ』が。

 悟った瞬間、短刀を手にし覆面で素顔を隠した全身黒ずくめの男達がそこかしこの物陰から飛び出した。その数、四。

「隠れていろ、そして絶対に動くな!」

 一人目の刃を身を引いてかわすと、腕に抱えていたパルテナを物陰に押しやる。何が起きているのか理解しかねるといった表情の少女に強く言い含めて、振り向きざま、背後に迫っていた二人目の頬に蹴りを叩き込んだ。

 低く突きを繰り出して来た三人目の頭を踏みつけて跳躍すると、パルテナから敵の意識を逸らす為に距離を取る。着地と同時、地面に刺さっていた短刀を一振り引き抜き右手に構える。そして、刃を振りかぶった四人目の腕に斬りつけた。目以外を覆い隠す覆面の下からくぐもった呻き声が聞こえる。

 反撃の猶予を与えず、黒服の首筋に短刀を突き立て引き抜いた。刃に赤い色がつき、デュルケンの頬にも生温かい液体が飛ぶ。前のめりに崩れ落ちてゆく敵にはもう目もくれず、彼は残りの襲撃者に意識を向けた。

 冷血な毒蛇達は、仲間をやられても動揺した様子を微塵も見せなかった。むしろ同胞の死を教訓にして、慎重にデュルケンを囲み距離を測る。

 じりじりと、しかし確実に包囲の輪を狭めて来る敵に対し、右から左へ、そして背後へと視線を巡らせ、そして不意に右へ一歩踏み出した。右側にいた毒蛇が咄嗟に刃を振りかぶり、残る二人が俊敏な影となって飛びかかって来るのを見届けると、デュルケンは即座に前方へ身をひねった。

 三つの刃が空を薙ぎ、毒蛇達が今度こそたじろいだ所で、振り向く勢いのまま短刀を投げる。ぎらりと光った刃は毒蛇の肩に突き刺さった。よろめいたところへつかみかかり、膝蹴りを繰り出す。喉仏が潰れる音がして、二人目の敗者が膝を折った。

 弛緩する手から短刀を奪って左手に持ち、背後から迫って来た三人目の攻撃をかわして足払い。上体が泳いでがらあきになった背中に容赦無く刃を刺し込む。

 一撃で息絶えた毒蛇から短刀を抜く暇は無かった。残る一人が斬りかかって来たのだ。デュルケンは絶命した目の前の敵を蹴り飛ばす事で手にしていた武器を放棄し、まだ生きている相手に向き直った。

 だが、相手の動きが刹那分早かった。毒蛇が勝ちを確信して揚々と刃を振り上げる。

 腕を犠牲にして一撃を受け、急所を避けるしか無いか。デュルケンは咄嗟に右腕を掲げたが、ごつ、という鈍い音と共に毒蛇が白目をむいた。

 誰が何をと考えるより先に、ゆっくりと前のめりに倒れて来る黒服の胸倉をつかみあげ、背負い投げる。毒蛇は頭から地面にぶつかって、ごきりと痛そうな音を立てた。

 短刀を奪い取って心臓部を刃で突き、力を込めて捻る。一回の痙攣を残して毒蛇は完全に沈黙した。

 一体何がこの毒蛇に隙を作ったのか。累々と死体が横たわる中デュルケンは視線を馳せ、そしてこの戦いの場に非常に不似合いな物を見つけた。地面に転がる一玉のキャベツ。現在のこの国では珍しくまるまると育って葉がつまっており、これで誰かを殴ろうものなら、恐らく筋骨隆々に鍛えた戦士の拳にも匹敵する威力になる。

 顔を上げる。その先には、次に投げようとしていたのだろう、大根を抱えたパルテナの姿があった。

 隠れていろと言ったのに。彼女のおかげで毒蛇達に勝てたのは事実だが、死を理解できない少女を人殺しの場面に立ち会わせてしまった。巻き込んだ、という苦味がデュルケンの口中にじんわりと広がった。

 こちらのそんな心情も知らず、パルテナはぱっと明るい笑顔を見せる。

「デュー、よかっ」

 た、と言おうとしたのだろうが、しかしそれは中途に遮られた。

「こ、小僧が! 毒蛇を倒したからって調子に乗るんじゃねえ!」

 と言う、半ば震えた怒鳴り声によって。

 それまで毒蛇にデュルケンの始末を任せきりで、高みの見物をしゃれ込んでいた男は、しかし――彼にとっては――予想外の結果が訪れた事で完全に気が動転したらしい。パルテナの首元で、鋼の剣の鈍色がぎらりと不吉な輝きを放った。

「う、動くんじゃねえぞ。一歩でも動いたら、首がころん、だからな!」

 目を血走らせ口から唾を飛ばして恫喝した男は、一瞬後、デュルケンの叫びを人生最期に耳にした音となして、意識を永遠に手放す事となる。

 一歩も動く必要は無かった。デュルケンの感情の昂りに同調したトル・メダは、怒りの刃となって男の首をはね、奇しくも宣言通りころんと地に転がしたのだった。

 首を失った手から剣が滑り、金属音をたてて落ちる。あおのけに倒れて動かなくなった男の死体を、パルテナはやはり恐怖も動揺も示さない瞳で見つめていたのだが。

「……何で」

 そばにやって来たデュルケンが苛立ちに満ちた声をかけると、少女は彼をぽかんと見上げた。

「何で隠れていなかった。のこのこ出て来た!」

「だって」

 少女は、少年の怒りの理由を理解できないとばかりに頭を傾ける。赤毛が揺れ、むせ返るような血の匂いの中に、花の香りがあまりにも場違いに混じった。

「デューが危ないと思ったから。パリィでも役に立てると思ったから」

「役に立てると思って死ぬところだったんだぞ!」

 至近距離で怒鳴りつけると、パルテナは両手で耳を塞ぐ仕草をしてみた後、悪びれもせずに。

「死んじゃっても大丈夫でしょ。少し、会えなくなるだけ」

 その言葉に、デュルケンの中で我慢の糸が切れた。ぶるぶると肩を震わせた後、大きく息を吸い込んで、吐き出すように怒鳴る。

「馬鹿か!」

 あまりの剣幕にパルテナがひくっとすくみあがった。少女の両肩を強くつかみ、揺さぶる勢いで言い聞かせる。

「死んだ人間は生き返らない! 見ろ、そいつを! また首が繋がって動くとでも思うか!?」

 パルテナが再度、足元でどくどくと赤黒い血を流し続ける騎士の死体を見下ろす。その視線には、先程には無かった怯えの色が確実に宿っていた。

「死んだらもう、喋る事も、何かを感じる事も、誰かに会う事もできない! 全て終わりなんだ!」

「会え……ない?」

 藍色の瞳に戸惑いが生じて、デュルケンの姿を映す。

「だって、パパとママにはまた会えるって」

「それはお前を安心させる為の嘘だ! もう会えないんだ、死んだ人間には!」

 デュルケンの脳裏をカシダの少し皮肉っぽい笑顔が横切る。あの笑みはこうしてデュルケンが思い描く事でしかもう見られない。カシダには、もう会えない。

 パルテナの明らかに衝撃を受けた瞳が揺らぎ、見る見る内に潤んでゆく。

「死んだら、会えないんだ」

 パルテナの声が震え、しゃくりあげる泣き声に変わる。ぽろぽろと落涙する少女を見下ろしていると、急に罪悪感がわいて出た。

 パルテナは死を理解できない。それは承知していた。だがそれで、己の死すら認識できないまま生の終焉を与えられたとしたらあまりに残酷だ。しかもそれが自分の過失でもたらされたとしたら。そう考えると、恐怖に近い怖気がデュルケンを襲い、事実を知らしめないではいられなかった。

 だが、感情に任せてこの少女を怒鳴りつけて良かったものか。混迷がデュルケンの心に生まれる。

 迷っている。それを自覚した時、デュルケンは更なる困惑を覚えた。

 過去に対して後悔はした事はあっても、未来に対して迷った事など無かった。風詠士の末裔として父を裁くまで、よそ見せず、他人の犠牲も気にせず、ただがむしゃらに生きる。カシダを失った時にそう誓ったのだ。

 それがどうして、目の前のこの少女の生死に、感情の浮き沈みに、花の香りに、弾ける笑顔に、一筋の涙に、こんなにも心が揺らぐのか。

 デュルケンは答えの出ない自問に逡巡していたのだが。

 どおん、と。

 大きな爆発音がデュルケンの思考を強引に断ち切るのと同時、家の方から吹きつける熱気を感じた。

 はっと振り向いた視線の先で、紅の魔物が踊っている。

 火。

 それを認識した瞬間、今の毒蛇の襲来と、視界に映る光景が繋がる。

 デュルケン本人を襲撃すると同時に、自分をかくまっていた場所を見せしめに壊滅させる。悪王ならばその程度の無慈悲な命令など簡単に下すだろう。

「燃えてるの?」濡れた瞳のままのパルテナが、ぎゅっとデュルケンの袖を握りしめる。「家が?」

 少女の心許ない横顔を見た瞬間、再び心が揺れた。

「……死んじゃうの?」

 不安を前面に押し出した声色を聞いて、身体が本能で動く。

 パルテナを抱き上げると同時、デュルケンは走り出した。

 家へ向けて。

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