二の段其の八幕 衣食住と娯楽



「久遠さま。 これ、なあに?」


 そう聞いたのは、七歳だというのに早くも自らが女であるという自覚を持って行動するようになった久遠の姉、かえでだ。


 今日も、鮮やかな色合いとふわふわとした手触りの新素材の着物に背中の中程まで伸びた髪を紫水晶のバレッタで止めるという流行の最先端をいくファッションに身を包み御満悦だった。


 その指差す先にはカラフルな表紙の本が置かれている。

 久遠の母であるさよの持ち物で、今日農協の販売所に並んだばかりのものだ。


 だが、これと似たようなものが今までかえでの目にふれなかったわけではない。


 綺麗なものや可愛いものに、最近強く興味を持つようになったせいか、今までは気づかなかったものに眼を向けるようになったらしい。


「これかい? これは絵物語だよ」


 夕食後の一家団欒の場であるため、にこにこと無邪気なかおで、久遠は本を手に取って隣に座った母へと渡す。


 それは悠久の時を仙人として生きた久遠が家族の為につくりだしたかおだ。


 そうしていると、利発ではあるが12歳くらいの普通の少年のように見える。


「この御本、とても面白いわよー」


 本を受け取るとそう言って、さよは目をきらきらさせているかえでに渡す。


 キラキラふわふわとした子供の好みそうな衣装を着た女の子が表紙に描かれたその本は、前世界の一部の日本人が見たら豪華な一般向けマンガ同人誌だと思うだろう。


 事実、その内容は‘ 勧善懲悪 ’を基本とした少女マンガだ。


 それは久遠が新しい娯楽として人々に広めたものの一つだった。


 平成時代の飽食世代の作家が書いたような冒涜を魅力と考えるような作風のマンガではなく、戦国の世らしい教訓を含んだ寓話的物語ではあるが、未知の娯楽であったマンガはこの時代の人々にとっては未知の刺激だった為、農協内の評判はいい。


 いや、だからこそといったほうがいいだろう。


 武家たちならばともかく、前世界と常識や倫理感をことにするこの地では、戦いそのものを美化した物語は受け入れがたいものだ。


 暴力に怯えて生きる人々にとって、力で正義を通すという武家の論理は、理性無き獣の語る‘ 異世界の理屈 ’でしかない。


 だからこそ、武家は、‘ 犬ともいへ畜生ともいへ ’と開き直って、奪い、傷つけ、殺し、血塗られた勝利のために生きる呪われた獣としての生を捨てねばならない。


 そう教えるのが、農協の‘ 勧善懲悪 ’だ。


 決して、理不尽な暴力を更なる強大な暴力で捻じ伏せ、正義と名づけられた必要悪を支える権威と権力を称える‘ 偽りの勧善懲悪 ’ではない。


 農家の勧める‘ 善 ’は、援けあい、創りあげ、求めあい、話しあう事で、弱い人間が獣の世界の理の中で見つけた‘ 人類のための生存戦略 ’だ。


 斬新な衣装を着た主人公が主役の恋愛ものや、新しい食材や調味料を使った食事を取り上げた料理マンガ。


 あるいは科学や新技術を使うもの達とそれを受け入れることができない人との間の葛藤を描くヒューマンドラマや、‘武士’が妖怪や賊を相手に人々を守るアクションもの。


 この時代の人々に受け入れられた物語は、久遠や命衣あるいは美亜によって、様々な教訓的テーマをもとに考えられたものだった。


 二十一世紀までの名作といわれたマンガを基にしたものや、昔話しを基にしてはいるものもあるが、様々な改編がされて内容は別の解釈を持つ作品となっている。


 武家文化に特有の“ 力ある者が力無き者を従えるのが当然である ”という価値観や、“ 理よりも面子を優先して権威で人を縛る ”という方法論が徹底的に排除されたそれらの物語は、新たな時代の象徴といえる娯楽の一つだった。


 少なくない手間をかけて久遠がそういったものを広めたのは当然、道楽などではない。


 農協の‘ 支配 ’を人々に実感させるためだ。


 後世に行くほど、征服と同じ意味で‘ 支配 ’という言葉は使われ、その本質が曖昧になってはいくが、古来より支配者が支配者としてある為の条件として言われるものがある。


 それは被支配者の生活を支えるために、富を公平に配り与えるという行為ことだ。


 支え、配る事こそが支配の本質で、‘ 人のための理 ’を本末転倒した‘ 獣の理で ’誤魔化そうとする‘ 武家の理屈 ’で歪められる前の‘ 農家の理 ’では、本来そこに暴力と強制は必要のないものだった。


 そして富の本質も、また金銭という‘ 奪いあい、傷つけあい、殺しあう組織 ’を維持するために発明された‘ 交換のシステム ’のせいで、‘ 権力を維持するための指標 ’に意味を変えていったが、本来の意味は別だ。


 本来の富とは、つまりは衣食住と娯楽の二つ。


 生きるために必要な物資と、生きていくための士気を与えるものだ。


 そして士気を高める娯楽も二つに分けられる。


 動物としての本能に働きかける酒や音楽といった人を酔わせるものと、人の理性に働きかける物語や詩文といった人を覚醒させるものだ。


  久遠が主に農協で広めたのは後者であった。


 マンガにとどまらずボードゲームやカードゲームなど多くの娯楽が農協を中心に広められていた。


 また前者も、微弱超音波による早期熟成技術を使った銘酒や、新たな楽器と楽譜の導入などでメロディーラインを持った理想をうたう歌などが作られ、徐々に人々の口に上るようになっている。


 衣食住のほうも上下水道に衛生管理や公衆浴場といった施設が次々と作られていき、世の移り変わりを農協内の村々に実感させていたが、新たな娯楽の誕生はそれ以上の衝撃を人々に与えていた。


 その証拠に農協に入ることを決意する人々が望むのは安全の確保だが、喜ぶのはよほど貧しい村でなければ、衣食住より娯楽の充実であった。


 人から奪う事をいとわない武家の文化が浸透した現代とは違い、多くの農村は原始共産制の母系社会の色を多く残し武家の文化と一線を隔している。


 彼らは足りるということを肌で知り、欲望の為に争う行為を有益とも発展の源とも考えない。


 だからこそ、労をいとうよりも楽しむことを望むのだ。


 文明が発展すると共に公平さの基準は複雑化していき、富の偏重は是正し難くなるが、この時代、足る事を知る人々を中心にするなら戦国の世を終わらせる新たな道はひらけるであろう。


 今では五つほども年下に見える小さな姉を微笑ましく見守りながら、彼女達の世代が新たな時代を切り開く世代となるであろう事を、久遠は確信していた。



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