間の段 仙道と英雄





 魔法。幻術。魔術に仙術。 妖術。呪術に陰陽術。

 そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていた神秘や怪異は唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。

  

 だが、存在しないことになっているそれらの技術が、国家を動かしていた時代が確かにあったのだ。


 太古の昔、神秘や怪異は、人間という愚かな獣を戒め、裸の毛無猿から社会の中で生きることのできる人へと躾ける役割を担っていた。

 人はそれらの秘術を使い、神とう存在を人間に示して、愚かな獣を纏めたのである。


 神は、自然の営みの前にあまりに無力な人間が、己の内にある獣性を御しきれずに自覚のないまま狂った欲望を吐き出さないようにするための社会装置システムであったのだ。


 現代にいてさえ、人間が裸の毛無猿として生まれる事には変わりないが、今では神の役割は理念と教育へと引き継がれた。


 人は神々の座を理想へと託したのだ。

 だが、現代であっても、かつて神々を否定し欲望に狂う人間がいたように、理想を否定し欲望に溺れる行為が現実だと、理想を否定する人間はいる。


 いや、神秘が子供にまで否定される事で、その数は増えていく傾向にある。

 それは西洋の精神的に幼い文明が世界を席捲したことの弊害だろう。


 ローマ帝国の時代以降、西洋では、神という社会装置システムの本質を見失い、その価値を知らない人々が、その装置を動かしていた。


 ローマ国教派キリスト教を動かす彼らは、己の欲望を満たす為に、神を単なる社会の征服統治装置システムとして利用したのだ。


 これは欲望に溺れる人間を制御する装置システムを、狂った欲望を満たす為に効果的な搾取を行う装置システムとして使うという本末転倒の極致であった。


 当然、それを止めようとする人々はいたが、グノーシス派のように、そのことごとくが、権力と暴力の前に消えていった。


 東洋では武家勢力が台頭することで、搾取装置システムを神という社会装置システムとは別に構築していった為に幾分かはましであったろう。


 だが、結局そうした搾取装置システムは、洗練されるごとに多くの血と涙と苦渋の声を生み出していくことになる。


 我々の知る人間の歴史は、数千年を超える搾取装置システムの歴史であった。


 その歴史の中で、魔術や陰陽術と云った神の権威を支えた秘術は、西洋では地下に潜り、東洋では権力を陰で支える役割を持ったまま搾取装置システムに組み込まれていく。


 その中にあって、唯一つ仙術の系譜は完全に人里から離れ、自給自足と真理の追究を行う事だけに専念し、人間の歴史と関わることをめた。


 他の秘術と違い、それを仙術が可能とできたからだというのもあるが、それ以上に大きな理由があった。


 その理由は二つ。

 一つは、仙人がその数を大きく減じ、人の世への影響力を失った為。

 もう一つは、仙術の幅広く物質的な力を悪用される事を嫌ったからだ。


 人の世に関わる事で益をもたらせず、悪しき影響を与える怖れのみがあるならば、関わらぬのがお互いにとっての幸福であろう。


 それが、かつて久遠が悠姫から聞いた理由である。


 そして、それを鵜呑みにせず、自らの意見とする為に、久遠は激動する20世紀半ばの世界を見て回った。


 だが、その過程で科学と出会った事が久遠のその後を変える。


 科学の発達に人間が己の力だけで人類そのものを滅ぼす可能性を見出したからだ。

 その危惧は当たり、久遠が里を降りて百年の後、原子力兵器が誕生した。


 もし久遠がナチスドイツの原子爆弾開発を阻止していなければ、アメリカとドイツによる世界最終戦争により人類は滅びを迎えていたかもしれない。


 当時、原子力の恐ろしさを真に理解していたのは久遠一人であり、ヒットラーとアメリカの陰の征服統治者である企業群の危険性を真に知っていたのも彼のみであった。


 久遠に転生寸前の様々な技術があれば、その二つを潰すことさえ可能だったろう。

 だが、仙人としての本来の技術と西洋の魔術のみしか持たぬその時の彼にできることは限られていた。


 久遠にできたのは、多くの命を奪い、協力者となった大魔女の犠牲の上に、より危険性の高いナチスの核兵器開発だけを、ただ遅らせることだけだった。


 その事を知る人間の中には、久遠達を英雄物語の主人公のようだと語る者もいたが、久遠はそれが己の無力さを表すものだと知っていた。


 そして、世に語られる英雄とは、国家や巨大な権力の狭間で生き足掻く人間の象徴であり、また生贄でもある事も知っていた。


 それでも尚、久遠は新しく様々な技術を開発していきながら、同時に朝鮮やキューバといった核兵器の使われる危険性の高い場面で危機を回避し。


 ソビエト連邦の崩壊後の核兵器や細菌兵器の危険な組織への流出を防ぎ。

 中東やアフリカで細菌・化学兵器による大規模殺戮を止める為に動き続けた。


 それを知る人間の中には、久遠を国際謀略小説や軍事小説の主人公に例えた者もいたが、彼にとってそれは、ただやらなければならないことをできる範囲でやるだけの事でしかなかった。


 医師がいつか死ぬ人をただ治し続けるように、警察官が決して無くなる事のない犯罪の抑止を続けるように、政治家が正しい答えの無い選択肢の中から少しでもましな選択を探し続けるように、己が決めた己の役割をただ果たしたにすぎない。


 久遠はそう言って、彼を物語に例え揶揄する若者に笑いかけたことがある。

 そしてふと遠くを見るように続けたのは、その若者の未来をおもんばかってのことか。


 人は皆、誰もかもが特別で他の誰かとは違う存在だ。

 だから、その違いに価値をつける人間もいるが、価値などは時や場所で変わるものだ。

 自分や誰かにとって、かけがえのないものを無価値と思う人間もいる。


 それを許せないと思うのは自らの居場所を守りたい心から来ているのだろうが、それが個人じぶんにとってどれだけ大事なものだろうが、だからこそ価値を付ける事には意味など無い。

 

 誰もかもが大切なものを失う恐怖に負け、自分と違う価値観を持つ人間を排除しようとすれば、待っているのは地獄だけだ。


 だから、人に人である以上の価値を求めてはいけない。

 だから、特別な能力や特異な才能を認めはしても、それをかけがえのないものと思ってはいけない。

 

 この世界にとって、かけがえのない者は存在せず、また存在してはならない。

 なぜならば、人の命は有限であり、代えの利かない存在に頼る存在ほど脆いものはないからだ。


 誰かにとってかけがえのない存在が消えたとしても、それは悲しむべきことであっても絶望すべきことではない。

 なぜなら、世界は奪い合いのゼロサムゲームではないからだ。

 

 人は何かを創り出すことができる生き物で、有限の物質を無限の循環で交換し続けるシステムを知っている。

 ただ目の前のものを貪るために争うだけの哀れな生き物ではない。


 久遠は歳若い友人の息子にそう語って聞かせたが、その若者が直ぐに久遠の言葉に納得することはないだろうことも、解っていた。


 それでも久遠が珍しく自分の考えを伝えたのは、肥大化する搾取システムを制御できずに巨大な滅びを迎えかけていることに気づかず、繁栄の頂点にあると思い続けている人間達の姿に、その若者を、重ね合わせてしまったからかもしれない。


 その言葉は、アブラハムの宗教やナチスの価値観が巻き起こした悲劇を見てきた者の心からの言葉であったのだが、また仙道の理想でもあった。


 理念や制度として残されたとしても、個人の価値観は永遠に続きはせず、自然と或いは故意によってかたちを変えていく。


 それは歴史を見れば解るだろう。

 多くの理念が、それを伝える組織を存続させる為に力を求めることで歪められ、その本質を見失い、争いあう。


 時の流れは何もかもを飲み込み、混沌とさせていく

 だが、理念は消え去ったとしてもその残骸からその理念が求めた理想を見出す者も、またいつの時代にも存在している。


 人の世が続く限り不幸は尽きないが、理想もまた消えはしない。

 本当に大事なものは決して傷つかず消え去ったりはしない。

 

 久遠が、不老不死や永遠不滅という仙術の究極の目標を真に追い求め始めたのは、そういった事実を知っていたからだったのだろう。


 久遠はそれらの活動と共に新しい秘術を生み出し続ける。

 最新の科学技術と仙術を融合させ物質技術を創り。

 感応魔術を中心とした精霊魔術を、数学的に解析することで新たな精神技術を創り出した。


 その成果が、久遠のコピーであり、相棒パートナーの美亜である。

 もし、久遠の研究目的が己自身の代えを創り出すことだけなら、それで全ては終わっていただろう。


 だが、そうはならず、久遠は研究を続け、転生という新たな目標を定めた。


 大魔女メイアが死ぬ前に使ったという転生の秘術への挑戦心ゆえか。

 生まれ変わっても、また逢えると言ったメイアの言葉ゆえか。

 それとも他に理由があったのか。


 それを久遠が語ることはなかった。

 久遠の行動が彼の心を示し続けたように、転生した彼の行動が、何れそれを示すだろう。


 久遠が生きてきた長い時間で行われた冒険の数々。


 ここまで語り、そしてこれから語られるのは、そんな久遠の前世でのような波乱万丈な冒険物語ではない。


 そう、人々が手に汗握り、悲しみに涙し、正義が行われた事に興奮と歓喜を覚える英雄譚えいゆうたんではないのだ。


 それが、語られるとしても、それはこの場ではなく、また別の話。


 これは英雄という名の生贄も、力によって滅ぼされる悪も、欲望のぶつかり合いによる戦いも、全てを超えて新しい生き方を始めた久遠によって創られる物語。


 これは、真の意味で人である為に人間を超えた仙人が、神をも超えて未知の領域に行かんとする前人未踏の物語である。






用語解説 聖書宗教は戦争宗教だった!(民明書房刊)より一部抜粋



グノーシス派:

 グノーシス主義に基づき、知性のみが神の姿を見出すとしたキリスト教の一派。キリスト教が組織として権威を求めた段階の初期に異端とされ滅ぼされたが、本来のユダヤ教キリスト教派として多神教であった古代ユダヤ教の本質を伝えていた。


グノーシス主義:

 ヘレニズム文化によって当時の先進国家であった東洋思想と地中海沿岸の欧州や中東で栄えた古代の宗教・思想。


ヘレニズム文化:

 ペルシャ・インド・ギリシャから日本に至るまで広範囲の文化的交流が認められる文化の総称。陸路で鉄器文明の伝播と共に広がったと見られ、争乱による難民が世界各地に散らばることで伝えられた。


アブラハムの宗教:

 ユダヤ教の聖書に編纂された創世記の預言者、アブラハムの名にちなんだ偶像崇拝を禁じた一神教宗教の総称。排他的なカルト的性質を持つ為、戦乱の原因となりやすい。


排他的なカルト的性質:

 神との契約という征服統治システムを古代イスラエル国家の崩壊後も残そうと多神教を廃止し、十二あった氏族の十までもを神ごと切り捨てた結果、必然的に起こった宗教的性質。

 

カルト:

 その本質は内部団結の為に外部に敵を創り組織を維持する集団的性質を持つ組織でその規模の大小は問題ではない。アブラハムの宗教を文化的根幹に持つ国家は全てその性質を持つ為、現代の先進国主導の国際社会は常に対外的に敵を必要とする。


アブラハムの宗教やナチスの価値観:

 人を殺す事は罪では在るが、組織の利益の為に行われる殺人は例外で、大量虐殺も問題ないと考える価値観。人を護る為にあるはずの組織がその対極である殺人を容認するという本末転倒の行為を正しいとするカルト性は悲劇を起こしやすい。




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