一の段其の八幕 農協と道学園設立
天文五年霜月。
小弐資元が自害し、龍造寺氏が肥前を大内氏が豊前と筑前の征服統治を確定し、九州の勢力図が大きく変わる中、江田郷に一つの画期的な組織が誕生する。
農業協産組合。
全ての農家が武家の征服統治から逃れ自律して存在することを謳う組織だ。
言い換えるなら征服統治と混同された‘支配’という言葉を、“ 力による搾取 ”から、文字通り人々の暮らしを‘支え’その富を平等に‘配る’という本来の意味に戻すための組織だ。
久遠はこの組織を立ち上げる祝いの場で、こう宣言した。
「朝廷すでに武家を束ねるに
そして農協の活動については
「‘農士’‘工士’は全ての農民を技術をもって支え、また仙道の基に‘商士’を立てこれを配り、‘武士’は家に仕えず民を護る為のみに仕えるべし」
とした基本方針を打ち出す。
それは、後に創られる‘農業協同共産同盟’の礎となる組織で、前世界の農協を基本とした理念だ。
農協に参加する村や集落には技術指導や融資が行われ、生産された作物は農協に卸され代価が支払われる。
また、農協は警備も請け負い、参加した村を護る人員を無料で配備。
農家の次男や三男あるいは貧しい家の子供など、村で養えないような人材を農協で雇い教育する。
明文化された規約に基づき、技術指導と金融と流通と警備によって、農家の自律支配を目指すこの組織は、その精神から全ての武家を敵に回す危険性を帯びた組織だった。
しかし、まだそのことを理解しているのは、
「久遠さまは世の為に難しい事をなさっておる。わしらはそれに従おう」
それが彼らの認識であり、生活に密接した行動以外に政治的な関心を持たない人間にとっては、それが全てであった。
その従属意識を正し、自らの意志でその理念を正しいと判断して行動する人間を育てるための初等教育が必要だ。
そう考えた久遠は、既に、幼児教育を行う託児施設を、美亜に運営させていた。
ゆくゆくは、道学園幼学部として組織化する予定だったが、今は
「道士になれそうな子供はいるか?」
久遠の問いに、美亜は、例によって予め答えを用意してあったかのように答える。
「適応率80%以上が3名。85%に達するものはいません」
「教育による適応率の増加は見込めるか?」
「いえ、既に3名とも5歳になっていますので95%以上になる可能性は低いです」
「そうか。では新しく生まれてくる子に期待するしかないな」
久遠はそう言って、今度は今、妊娠している女達について聞き始める。
言葉だけを聴いてしまえば、道士となれそうな子供以外を切り捨てているように聞こえるが、久遠が考えているのは、子供がどう生きるのが幸せかを基にした適材適所だ。
適応率というのは、道士になれる人間の選別ではなく、道士に相応しい──暗い衝動に流されぬ自制心や、人を好み孤立しない順応性や、情に厚い性質など──数百の要素から導き出される心理学的なものでしかない。
久遠がナノマシンを与えて使えるようにすれば、どんな人間でも、能力的には道士と同等の力や寿命が得られる。
しかし、それが本人にとって幸せかどうかは別の話だ。
それを量るのが適応率なのだ。
三つ子の魂、百までという諺にあるように人格の基礎となる性質は、3歳頃には既に形成されてしまっている。
それは、幼児期を幹の部分、青少年期を枝の部分、完成された人格を実の部分というように、木に例えるなら根幹の部分であり、地中に張り巡らされた根の部分だ。
精神的な幼児期は、論理的な思考によって、社会に存在する価値観の何が自分にとって大切なものなのか、つまりは自分が求めるべきものは何なのかを判断する理性が形成されるまでの期間だ。
それに対して乳児期から3歳頃までの間に形成されるのは、感情のトリガーを決定する部分だ。
この世に存在するもの中で何に大きく心を動かされるのか、どういうことが嬉しくて、どういうことが哀しくて、どういうことに怒りを覚えて、どういうことが楽しいのか、という深層意識が形成されるまでの期間である。
それが意味するのは、感情と理性が必ずしも一致するものではないということだ。
幼児期で道士とする為の矯正が利くとしても、それは理性で考える部分の為、極度の矯正は人格を歪める原因となるし、何よりも子供が不幸になる。
久遠は、それを望まない。
道士以外の生き方を選ぶ事が幸せとなる子供には、そういう生き方をしてほしい。
そして、どういう生き方をするにしても、その生き方を誇れる人間を作る教育をしよう。
久遠はそう考えて、今日も単調で面倒なナノマシン操作を行い、様々な教材を作っていた。
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