一の段其の幕合 夜盗と仙人








 神仏。神仙。地霊に天使。 精霊。女神に祭礼神。

 そんなものなどいやしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていたそれらの存在は、唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。


 だが、戦国の世にあって、それを否定するものは少数派だ。

 それらのほとんどは武家のものだったが、中には例外もいる。

 盗賊の頭、金兵衛もそうした人間の一人だ。


 金兵衛は、生まれながらの盗賊だった。

 盗賊を親に持ち、盗賊として育てられ、盗賊として人を殺し、盗賊として生きてきた。


 普通の人間と同じように笑い、手下の死に時には涙し、女に惚れて酒を楽しむ。

 一見、盗賊であっても、何ら普通と変わらぬ男のように見える男だ。


 だが、金兵衛にとって、盗みのために人を殺す行為は、山で狩りをして獲物を獲るのと何ら変わらぬ行いでしかなかった。

 そして親が死んだ今となっては、彼にとって、人間は自分の手下と女と獲物の三種類しかなく、だから世間が言うような神や仏など信じてはいなかった。


 この時代において、神仏を信じぬということは、極悪非道の獣のようなやからだということは常識だ。


 武家の人間など、教育を受けて育った人間の中には、それなりに例外もいたが、この夜盗たちのように、教育を受けることのない人間は、親に善悪を教わるとき、悪いことをすれば神に罰せられ、死んで地獄に落ちると教わる。


 それは、特定の宗教ではない倫理や道徳と結びついた信仰だ。

 信仰を持たぬものは、人を喰い殺して生きる獣と同様だというのが、この時代の常識なのである。


 だからこそ、神仏など信じない合理的な武将達も、神仏を信じているふりをする。

 第六天魔王を名乗った織田信長ですら、禅宗や神社とは深く関わっている。


 だが、悪を悪とも思わぬ金兵衛は神仏など信じぬし、信じたふりなどもしない。

 そんなものがいたとしても、人間の事など蟻同然に思い、救いの手を差し伸べたり、罰を与えたりはしないものだと信じていた。


 だから、目の前にその白い道服を纏った老人が雲に乗って現れ、彼らを諭したときも、手下達の何人かが、地面に這い蹲り許しを乞うても、刀を手に嘲りの声を返すだけであった。


「盗みをやめ悔い改めろだあ? そがなこつ、だれがきくか。糞食らえ」

 言うと同時に、刀を振るって老人の首をねようと襲い掛かった。


 しかし刃が老人に届く前に、雲がふわりと浮かびあがり、攻撃を避ける。

 そして、老人が手を振ると、風とともにパキリと音をたてて刀が折れた。


「ちくしょう。おめえら、やらねえか」

 金兵衛は手下に命じ老人を襲わせようとするが、数人を除いて手下達は地面に這い蹲って手を合わせて祈るだけだった。


 老人に襲い掛かったのは、何れも金兵衛と同じ神仏を信じぬ連中だ。

 面白半分に人を獲物としてなぶる獣達サディストや、命の価値を自分の役にたつかどうかでしか判断しない冷酷な者達マキャベリストだった。

 

「お主らにはこの山の神が罰をくだすであろう」

 その数人の刃が届く前に、老人はそういい残し、空へと昇っていった。


「くそだらが!いうとけや!」

 金兵衛は唾を吐いてそう言い捨てると、地面に這い蹲って手を合わせて祈る多くの部下をいまいましそうに見下ろすと、立っている部下から刀を奪う。


 そしてその刀を手に、近くで這い蹲る大男のもとへと歩いていく。

 この男は、生まれ育った村を戦で焼かれ逃げ出した男達のリーダー格だった男で、今地べたに這って祈っている男達は、皆もとはこの男とともに村を離れた男達だった。


 力自慢で武士達相手に、真っ向から立ち向かう有能な部下だったが、信心深いごく普通の村育ちだった彼らには、神仏に歯向かうなど慮外りょがいの事だったのだろう。


 そんな信心深い男の前で立ち止まり、金兵衛は冷酷な目で男を見下ろした。

 それは、金兵衛が獲物や歯向かう部下を前に見せる虐殺者の顔だった。


 一罰百戒。

 そんな言葉は知らなかったが、金兵衛は経験でそれを行わねば、この盗賊集団が維持できないことは知っていた。


 金兵衛はそのまま無言で刀を振り上げ、次の瞬間首がとんだ。

 ──金兵衛の首が。


 一匹の巨大な黒猿が、金兵衛の刀が振り下ろされる瞬間現れ、豪腕を振るったのだ。

 巨大な手刀が、まるで斧のように容易く大の男の首を宙に撥ね飛ばす。


 そして、刀を手に驚きで立ち尽くす金兵衛の部下達の首を瞬く間に次々とねていく。

 やっと我に返った部下達が逃げ出したが、百メートルもいかぬうちに木の陰から現れた狼達に阻まれ、立ち尽くしているうちに、大猿と狼達の長であろう巨狼にほふられてしまう。


 わずか数十秒のうちに、盗賊達は狼達の餌となった。

 残ったのは、地面に這って祈りを捧げていた二十人ばかりの男だけだ。


 獣として生きた者が、獣として死ぬ。

 それは、罪や罰といったものとは無関係に起こる戦国の世ではありふれた光景だった。

 だが、それを見る者の目にはそうは映らない。

 

 残酷で怖ろしく、在ってはいけない。

 あるいは、哀れで情けない。

 日常とかけ離れた光景に思えるだろう。


 それは、正しく人として生きるものなら当然の心の動きだった。

 その心を失った人間の末路が、戦国の世にはありふれたこの光景だ。

  

 周囲の惨状を見て腰を抜かし、小便を漏らす男たちや、あるいは目をつぶったまま経文を唱えるだけの男達のもとへ、天から舞い降りた仙人がお告げを下すのは、それからさして間を置かぬ昼下がりのことだった。




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