一の段其の幕間 感応魔術とファシスト




 魔法。幻術。魔術に仙術。 妖術。呪術に陰陽術。

 そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。


 科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていた神秘や怪異は、唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。

 今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。

 

 だが、それは一般の人間の知らぬところで連綿と存在してきた。

 感応魔術もその一つだ。

 主に欧州という精神文明の未熟な地に伝えられてきたその技術は、かつてその地域にあり、ローマ帝国によって滅ぼされた精神文明の高い国々で生まれた技術だった。


 それらの文明を否定し、自らの文明こそが唯一の文明であるという野蛮な精神を持つ唯物的なローマ貴族達。

 国を失う事で歪められたユダヤ教の教義を正す為に集ったはずの教徒達が、教祖の死後分裂し、堕落して権力にすりよるようになったローマ国教派キリスト教。


 その二つが結びつくことで、これらの技術は、‘人為的に捏造された唯一神’に反する技術として排斥されていく。


 寛容や博愛や平等といった教えを捨て、軍国主義と剣闘士制度と奴隷制度を肯定するローマの国教となったことで、その一派は本質を守ろうとするキリスト教徒や異教徒達を、異端異教として排斥し虐殺して、ただ征服統治のためのシステムに成り果てていった。


 自分達の征服統治に都合のいい教義のみを編集して聖書とし、やがてはその聖書すらも方便として利用するのみになった彼らが、異教徒の信じる神や教義の象徴であった天使の一部を悪魔と断じることで、彼らが排斥するものの持つ技術は魔術と呼ばれるようになる。


 結果、自分達の文明が高度であると信じた蛮族と歪められた国教のせいで、異端異教の最先端の知識を捨てたヨーロッパは、この世界が球体であるというような学術知識や肥料作成などの農業技術あるいは外科的医学技術など多くのものを失っていった。


 しかし、そのなかにあって、もともと秘術とされていた感応魔術は、その秘匿性ゆえにかろうじて生き残ることができた。


 ジプシーチガニーの大魔女メイアは、20世紀まで生き残ったその魔術の秘奥を得た者である。

 幼少より一族の中では神童と呼ばれ、わずか30歳にして大魔女と呼ばれるようになった真の天才だ。


 それは、歴代7人しかいない大魔女の中で60歳以下で大魔女と呼ばれたものが他にいないということからも判るだろう。

 2000年以上に渡る感応魔術の歴史の頂点に君臨する魔女。

 それがメイアだった。


 そのメイアは今、感応魔術の秘儀を授けるため、年上の弟子であり情人でもある男の前に立っていた。

 

 彼女達の文化にあって、弟子と情人という立場は決してそぐわないものではない。

 感応魔術には性魔術と言われるような儀式も多く、師弟であるということは、そういうことでもあったのだ。

 それは、性に大らかな乱婚による多夫多妻制をとる母系国家で生まれた故であろう。


 それらの国家群を敵としたローマの意向と国教の教義が結びつき、乱婚は不道徳であると勝手に定義されたが、彼女達の文化ではそれは当然のことだった。


 一夫一婦制は、本来、多神教だったユダヤ教を、他の神を天使や悪魔に貶めることで一神教にした全体主義者ファシスト達が、兵士に女性を宛がうために作った制度が基となっている。


 意識的に神という民族伝説フォークロアを利用することで、自らに都合のいい制度を正義とし、逆らうものを悪としたそのユダヤ教を祖とするローマ国教もまた、全体主義ファシズムを教義の基本とした。


 かつては、国を失い流浪する民族の内部を纏める為に、苦肉の策として用いられた一夫一婦制と全体主義ファシズムであったが、野蛮なローマ文化と結びつくことで、絶対的な神の教えとして広められ、服従者達に押しつけられていく。


 本来、欧州で、このような制度をとっていたのは、共産性の母系社会からクーデターによって搾取を根幹とする父系社会へ移行した軍事国家の征服統治者達だけだった。

 

 やがてこの制度は唯一神教勢力と共に欧州を席捲するが、世界規模でいえば彼らは少数派でしかなく、他の文化圏では同じようなことは起こらなかった。

 

 それは古代の話だけではない。

 例えば、戦前の日本の農村など唯一神教勢力による文化的侵略が行われていない多くの農村では、乱婚や女性主導による一夫多妻が行われていたのだ。


「もうわたしの教える事はないわ。よくまあこの短い期間でここまでこれたものね。わたしでさえここまで達するのに10年以上かかったのに」

 メイアはそういうとくすくすと笑って、恩人であり愛弟子でもある男の顔を見た。


「子供がかける10年では、私に達人アデプトへの到達は無理だろう」

 彼女と同じ黒髪と黒目を持つ東洋系の男が神妙な顔でそれに応える。


 見た目は20代後半の妖艶な美女にしか見えないメイアだがその年齢は百を超える。

 男もまた、そんな年齢には見えなかったが、男がメイアの倍以上の時を生きているのを、彼女は知っていた。

 

「流石に200年以上を生きた仙人様相手では分が悪かったというわけね。いいわ、それで納得してあげる」

 そういうとメイアは男の腕に手を回して豊かな胸に抱え込む。

「じゃあ、これで今日からわたし達はただの恋人同士ね」


 互いの関係がこれで終わりでないことの確認をとるメイアに男は黙ってくちづけで応えた。


 この二人が出会ったのは1937年のオーストリアだった。

 銃で武装した大勢の男に襲われるメイアを、男が助けたことで二人の交遊は始まる。


 彼女を襲ったのは古の全体主義者ファシスト達による魔女狩りではなく、全体主義ファシズムという名が生まれたばかりの欧州を席捲せっけんすることになるナチスの親衛隊だった。


 ナチスの魔の手から救われた礼に魔術の教授を男に求められたことで、二人の仲は急速にを深まっていった。

 ナチスから助けたといっても、まだ二次大戦中に行われたユダヤ人やジプシーの虐殺は始まっていない。


 人体実験や財産を奪うために行われた政府による大規模な犯罪行為と違い、メイアが狙われたのはナチスの背後にいる魔術組織の差し金によるものだ。

 

 彼女の知識と力を利用しようとする似非魔術師達が作ったその組織は、ナチス党首であるヒットラーを操り、やがて多くの悲劇を巻き起こすのだが、それはまだ先の話だ。


 これから来る苦難を知らず、一組のカップルは束の間の甘い時を過ごしていた。

 それは、久遠転生の100年ほど前、あるいは400年の後にあったあるいはあるかもしれない世界大戦前夜の東欧でのことだった。






用語解説 明快よくわかる魔術知識(民明書房)より抜粋




人為的に捏造された唯一神:

 アブラハムの宗教における最大の禁忌で罪。古代イスラエルという国家が存在したときにあった原ユダヤ教の神を統一して、名も無い一つの神として創られた征服統治装置。神秘に対する否定を根幹に持つ現代的宗教の基盤となるシステム


現代的宗教の基盤となるシステム:

 信者には神を信じさせるが、宗教組織の征服統治者達は神を信じず、道具として使うことを肯定するシステム。特徴として神秘としての神を悪魔や悪霊と呼び、自らの権威を全面肯定する利権組織化。



ジプシー:

 エジプト人を意味する言葉がなまってそう呼ばれるようになったが、実際は五千年以上昔のインドから欧州に流れていった難民やローマ国教以外の信仰を持った宗教難民など。ナチス政権下の虐殺では五十万人とも言われる犠牲者がでているが、ユダヤ人ほど欧州社会に影響力を持たない為、あまり知られていない。


魔女:

 他宗教を排斥攻撃するキリスト教的見方では悪魔に使える者。彼らが言う悪魔は他宗教の神やローマ国教と教義を異なるキリスト教や偶像を持つユダヤ教本来の古い人格神を意味するので、実際は他の宗教の信者や祭司。


大魔女:

 だから精霊信仰では神に最も近づいた者であり、奇跡の体現者。本作では精霊魔術を継承する者で、感応魔術は科学的視点を魔術に取り入れた久遠の魔術分類でしかない。


性魔術:

 西洋ではアレイスター・クロウリー、日本では真言立川流が有名。起源は古くカーマスートラや古代から近代の農村に見られる多夫多妻制社会で行われた乱婚を伴う豊穣の儀式。


達人アデプト

 魔術師としての位階。この段階でやっと魔術師らしい事ができると言われている。


民族伝説フォークロア

 噂があたかも本当の出来事のように流布し変遷していくうちに誰もが知るようになったものを言う。近代では怪談に語られる都市伝説。中世では妖怪や妖精。古代では精霊や神。

悪魔は人為的に呼び方を変えたそれらの存在の総称。


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