一の段其の壱幕 戦国に生まれずして





 天文四年睦月。

 豊後国の山間の隠れ里。

 平氏の落ち武者達によって密かに開かれたさとの長が、二番目の子供を授かることになる。


 最初の妻りつの出産とほぼ同時に妊娠が判ったのは二番目の妻、さや。


 生理が不順だったことと、腹が大きくなりにくかったことで心配されたが、初子だというのに、さや自身は不思議と不安もなく、子供が生まれる日を心待ちにしていた。


 初めの子は女児であったため、この子供が長男となるが、胎内の子供の性別を知る手段などないこの時代の事だ、本人を除き、まだ誰もその事を知らない。


 もちろん、本来なら胎児に明確な自我や知識などあるわけもないが、その子供には確固とした人格が備わっていた。

 のみならず、外界を特異な能力により知覚さえしていたのだ。

 そう、その胎児は平成の世より転生した久遠その人だった。


 転生の為に用いた感応魔術で、周囲の人間の精神から知識を得た久遠は、ここが戦国時代の日本とそっくりの文化を持つ国だと知った。


 感応魔術は人の精神や魂魄といった情報を扱う魔術だ。

 ヨガの秘術のようにホルモンや血行あるいは不随意筋などを操作することもできるが、それは付録にすぎない。


 時空移動などできないはずなのになぜこうなったのか?

 時間逆行? 

 それとも平行世界か?

 ここは数百年の時間差が生じた過去の日本そのままの国ということなのだろうか。

 何れにしろ魂は、時空を超越した存在ということが実証されたという話になるのだろうな。

 

 検証はさておきこれからどうするべきか?


 仙術さえ使えれば広範囲の情報収集ができるが、肉体に依存する仙術は生まれた後、ナノマシンを見つけなければ使えない。

 その為の仙丹を前世では用意していたのだが……。


 今使えるのは、精神感応による狭い範囲での意識情報の送受信だけか。


 一応、転生するのに数十年単位の時間がかかった時のことも考えて用意していた感応魔術だが、まさか、転生で世界を超えることになるとは。


 周囲のバックアップもないし、感応魔術を使えなければなす術がないところだった。


 まあ、ないものにこだわっていてもしかたがない。

 まずは無事生まれることが第一か。

 感応魔術で母体の精神と肉体をを安定させているから無事誕生はできるだろう。

 それでもこの時代の出産ではリスクは大きい。

 衛生観念などない時代だ。

 家族などの手伝いで出産はほぼ自力で行われている。

 感染症などに対する対策は感応魔術を使って行うべきだろう。


 生まれて直ぐに死んだのではそれで終わりになってしまう。

 再度転生を行うにも術を補助する自分の分身なしには不可能なのだ。

 念には念をいれなければ。


 久遠は、そんなふうに状況を認識して方策を練りながらも、転生の成功を冷静に喜んでいた。

 だが、同時に完全な不老不死へ続く研究から遠ざかったことも認識していた。


 科学技術なしに新たな研究の発展は不可能だろう。

ナノマシンにより20世紀後半程度の技術再現は可能だが、それでは足りない。


 最低でも実用レベルのデータフロー型三進式の非ノイマン式コンピューターやそれをもとに構築された電子人格技術が必要だ。

 となれば、まずはナノマシンを確保して寿命を延ばし、文明を加速させるしかない。


 天文四年といえば、戦国時代の中期か。

 豊後なら確か大友義鑑が勢力を拡大している最中だ。

 しかし、武士勢力に入り込み権力を得るのは、武士たちの精神性に問題がありすぎる。


 彼らは基本的に血統主義者だ。

 また軍人教育が文化の根本にある為、暴力に傾倒しすぎている。

 幕末の動乱を考えても、彼らを中から変えるのは容易ではない。

 

 つまり武士を中心とした権力構造では、近代化にとっての邪魔者を内部に多く抱え込むことになる為、長期的に見れば遠回りとなるということだ。

 

 どうせ、農民と武士の知識レベルの差等、急速な科学発展を前提とするならないに等しい。 ならば、このさとを中心に新勢力を立てるべきだろう。


 また、未来について考えるなら西欧諸国の蛮行による歴史が繰り返されれば、数百年先の第二次大戦以降に核戦争や生物兵器によるパンでミックを起こそうとする勢力に抗する者がいない世界は滅びを迎える可能性が高い。


 そのためには……


 生まれる前にできる事を考えながら久遠は、この世界が辿るだろう歴史を、大きく変える決断を下した。


 そしてその日、豊後国江田郷えだごうの住人の多くが、両子山の祭神を初め、各々が信仰する神仏より夢の啓示を受ける。


 郷長さとおさ、森国光のもとに生まれてくる子は、生まれながらに仙骨を有する子であり多くの幸いをさとにもたらし、乱世の世を治める仙人となるであろう。


 その啓示に国光は大いに喜び、郷人さとびともそのことを驚きながらも歓迎した。


 中央への帰還はすでに夢物語ではあったが、平氏の末裔という誇りはまだ郷人さとびとの心に残っていたからだろう。

 

 未だ神仏の存在が身近にあり、人の生き方を支えていた時代にあって、それは一つのさとの行く末を左右する出来事になる。


 悠樹久遠改め、魔術師、森久遠。 誕生十日前のことだった。










用語解説 猿でも解る伝奇SF(民明書房)より抜粋



豊後国:

 現在の大分県あたり、日本海側の福岡県と太平洋側の宮崎県に挟まれ、一応瀬戸内海に面している。壇ノ浦の合戦から逃げ延びた平家の雑兵が作ったと言われるさとが多い


隠れ里:

 平氏のそこそこ大きな集団が逃げ延びて作ったと言われるさとが有名だが、実は山野部に近い村が年貢を払わないでいいように隠し田や畑を作った分村が多い


感応魔術:

 黒魔術的に言えばだが精神操作。SF的にいうならヒュプノやテレパシー。外部から無線LANでハードディスクのデータを上書きするように人間の精神を書き換える技術


ヨガの秘術:

 不随意筋や血流・ホルモンなどの人間の体内にあって人間が本来精神では操れないものを自在に操る技術。決して口から火を吹いたり、空中浮遊する技術ではない


平行世界:

 パラレルワールドの名で知られるSF的概念。本来は可能性により分岐していく世界のことだが、宇宙誕生あるいはそれ以前に遡って拡大解釈することでファンタジーまで取り込んだ。


転生:

 多くの流行作品の根幹となる概念。多感な少年時代では、肯定する者も否定する者も現実逃避と自由な発想の区別がつけられない者が多く、そのせいで非難されがちな概念


魂は時空を超越:

 輪廻転生は密教を起源とする道徳的な概念。三千世界等、平行世界の元ネタとなった概念を含み、悪い事をすれば生まれ変わりは地獄世界等、世界を超えて実はあたりまえ


輪廻転生:

 だから本来の概念では記憶を持っての生まれ変わりは地獄界や修羅界、畜生界などといった懲罰的な世界。それを考えれば流行の異世界転生者は……


ナノマシン:

 細菌やウイルスなど目に見えないが自然界で大きな役割を果たすものを人為的に作れないかという発想で生まれたSF的装置。広義では分子間の結合を自在に組み替えるものまで含まれる


データフロー型三進式の非ノイマン式コンピューター:

 昔は人間に一番近いと言われた


電子人格技術:

 意志を持つ人口知性の作成技術。HALLとかスカイネットとかアシモフのロボットの頭の中とか賛否両論様々なフィクションが作られている


血統主義:

 地位や財産は血の繋がった子供に継がせたいよな、といった親馬鹿思考に基づいた主義。

 資本主義とは本来関係ないはずなのに切り離せないものという思考操作と、法人制度などを造らせ再分配を阻害する事で、富の集中を生む要因となっている


軍人教育:

 殺し合いを美化するものしないもの様々だが、前者は武士道や騎士道のように殺人の罪悪感を覆い隠す為殺戮を巻き起こしやすく、後者はベトナム帰還兵などのように兵士の精神的異常を引き起こしやすい


両子山の祭神:

 地元では子宝成就などで有名な神仏混合の社。神呪は、オン・バサラ・ダルマ・キリベイ・ゴンゲン・ソワカ


夢の掲示:

 中世以前は神を利用する権力者によって戦争の契機付けにも使われるが、景気づけにはならないことが多い。現代では神を利用する政治家にとっては悪手となった


仙骨:

 解剖学などない時代に語られた仙人にあるという人間にはない架空の骨。それを元に和訳として命名された腸骨と共に骨盤を形成する実在の骨ではない

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