第11話 君、考えん

 累は左腕と同様に“頭も守っていた”はずではないのか?

 ダブルセイバーは、中身がどうあれ人間を殺したという事実には目もくれず、ただ彼が“死にに来た”不可解に頭を抱えた。

 もちろん、理には適っている。ダブルセイバーの攻撃を止めるのなら、累の選択は最適解だった。彼の読み通り、もし累が胴体を防御に使ったのなら、ダブルセイバーはそれごと左腕を破壊するつもりでいたのだ。だから左腕を生かそうとするのなら、累はダブルセイバーの攻撃を“止める他になかった”。しかし。

「もしも頭が弱点だったなら」

 砕かれれば死ぬではないか。左腕だけが遺っても意味などなくなる。

 てっきり、そういう理由で頭部を守っているのだとばかり、ダブルセイバーは思っていた。踏み潰してトドメを差そうとしたら触手に邪魔されたことと、先ほどの乱舞で累が決して頭を受けに使わず、どころか全ての攻撃を避けていたこと。二つを鑑みるに、累も触手も頭部を特別として扱っている。それは。

 弱点だったから、ではないのか?

 ……再生能力を持つ相手に、どこが壊れた壊れていないという話は、あるいはナンセンスなのかも知れない。

 だがダブルセイバーは、再生が際限のない回復ではないことを良く知っていた。少なくとも、“前柄累に限って”絶対にそれはないと確信していた。

 魔法少女の経験であり、また知識から来る結論だ。

 再生は奇跡ではない。タネも仕掛けもある単なる機能だ。走ること、喋ること、考えること、持つこと、食べること、見ること、そういう、身体が最初から持っている機能の一つでしかない。

 そもそも。

 “再生”はファンタジーの産物ではない。

 現実の自然にも欠損した部位の再生を行う生物などいくらでも存在している。

 身近なところでは、例えば“トカゲのしっぽ切り”。人間社会では上の人間から下の人間への保身のための責任転嫁という意味合いで使われるが、もともとはトカゲの“自切”という行為から来る言葉である。

 敵に相対したトカゲは、自らのしっぽを切っておとりとし、その隙に危機から離脱する。このしっぽを切り落とす行為が自切であり、その後トカゲは切り落としたしっぽを再生する。形や色、骨まで再現するわけではなく、完璧に元通りとはいかないが、これも立派な再生だ。

 トカゲに似たところで再生能力を持った生き物と言えば、ヤモリが有名だろう。その再生範囲はトカゲをゆうに超え、しっぽに留まらず足、あご、眼のレンズまでを復元してしまう。とある実験では、眼のレンズを十八回取り出して十八回再生したという記録まで残っていて、機能の劣化もなかったと言うのだから、その能力の高さがうかがえる。

 更に強い再生能力を持つ者であればヒドラやヒトデ。脳を再生できるとされるクラゲに、寸断された分だけ数が増えるプラナリア。見渡せば、再生することのできる生き物は数多い。

 もっとも、いたずらに他の動物へと目を向けずとも、人間にだって再生能力は備わっている。腕が次々に生えるわけではないにせよ、ちょっとした傷なら元通りになるし、人体の中でも随一の回復力を誇る肝臓は、その七割を切除されても元に戻ることが可能だ。

 再生は、決して夢物語ではない。……それは、夢物語ではない以上、条件タネ上限しかけもあるという意味だ。

 レンズは復元しても目玉は再生できないヤモリ。切断も細かすぎれば再生できないプラナリア。不健康では再生できない人間の肝臓。

 再生は死を拒否する万能な能力ではない。決してそれを否定できない。限りなく死ににくくなることはあっても、イコール不死とはならない。

 であれば、……話を戻そう。

 かように、再生は奇跡ではないいのちはゆうげんである

 だから触手やそれを操る累も例外ではないのだ。既に彼は人間ではないと、その点についてダブルセイバーも異論を唱えるつもりはないが、人間ではない、常識外れの生物だから“現実の再生能力の枠には当てはまらない”とは考えていなかった。それは彼女が……多くの“彼女たちまほうしょうじょ”が、人知れず積み重ねてきた長い戦いに証明される。

 魔法少女の敵は不死ではない。

 どんな理不尽にも終わりはあった。

 終わらない戦いなど一度もなかった。

 現に触手には限度があったではないか。

 切断された触手はその場で再生するわけではなく、またそれ以上動くようなこともなかった。おそらく、累に回収されなければ再生を行えないからだ。もしそうではなく、触手がいつでもどこでも何度でも勝手に再生できるというのなら、ダブルセイバーが累に肉薄した時点で触手が動きを見せない理由がなかった。長物故に近接戦闘では使い物にならないから? ばかばかしい。長くもなるというだけで、上下左右に自由に動けるモノが得意な距離を選ぶはずもない。大体、近場で壊されるということは、それだけ手早く回収できるということでもある。再生と再出撃の感覚が短くなるのなら、かえって近接戦闘寄りの武装かも知れないぐらいだった。

 では、当の累はどうだろう。再生の即効性だけなら触手よりも上位には違いない。回収するなどの手間がなく、砕いた腕を一秒か二秒で再生できるのだ。現実の自然界における再生が、場合によっては何日もかけて行われる治療だと考えると、その速度は破格である。

 ただし、触手と違って大きすぎる傷の治りが遅い。肩口から跡形もなく吹き飛んだ右腕は、その修復に十秒近くかかっていたのだ。十秒でさえ速攻には違いないにせよ、その再生速度には明確な差異があった。差異があるということは、万能ではないということだ。

 突き詰めていけば、“再生できない箇所”があるはずだ。

 再生にかかる時間が“傷の大小”に左右されるのと同じで。

 再生できる箇所が“破壊された部位”に左右されてもおかしくはないのだ。

 もちろん、これらは仮定に過ぎない。

 だが累の行動を少し観察すれば、仮定にも説得力が出てくる。累はある部位への被弾を、他の部位を犠牲にしてまで明確に嫌がっていたからだ。

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