第3話 君、殴り飛ばされん

「くっ」

 ダブルセイバーは宙を蹴って、自身を弾丸のように撃ち出した。勢いのまま拳を振り上げ、彼女は真っ直ぐに彼を殴った。助走がついている分、その威力は最初の蹴りの比ではない。前かがみを解かなかった累は、その攻撃を目にすることもなく、今度もやはり無防備に食らった。脳天に振り下ろす一撃。がごん、とやはり人が人を殴ったとは思えない鈍い音。累は顔面から地面に激突し、半分ほどが地中に埋まった。

 これ以上望むべくもないクリーンヒット。自身の力がそのまま相手に抜けていくクリティカル。だがその結果に、ダブルセイバーは満足しない。

 今の殴打音。最初の時はぐしゃ、だった。それは右側頭部を皮膚も筋肉も潰して骨まで蹴り砕いた音だ。だが今度はがごん。まるで“対等以上の硬さのものがぶつりあったような”音だった。もし圧倒的な差をもって攻撃が行われていたのなら、そんな音は、……じんじんと鉄を殴ったような痛みが拳に響いて残るはずはない。示す答えは一つ。最初よりも数倍強い打撃を、対等以上で耐えられたのだ。

 耐えたといっても、傷一つ与えられなかったわけではない。地面にめり込んだ累の頭、ダブルセイバーからは後頭部しか見えていなかったが、既に多量の血を流していた。ダブルセイバーは間髪入れず片足をあげる。地面と挟んだ状態なら衝撃の逃げ場がない、例え相手が鉄の強度だろうと関係なく潰せるはず、そう考えての追撃だ。しかし、その右足が振り下ろされて累に到達する前に、彼女はもう片方の足を“何か”にすくわれた。

「きゃあ!?」

 累は倒れている。手足も動いていない。けれど左手から這い出す“触手”だけが、別の生き物のようにするすると彼女の左の足首を捕えていた。

 戒めを解こうとダブルセイバーが触手に手を伸ばすよりも先に、触手がダブルセイバーを逆さづりにする。そのまま二回転、大きく渦を巻くような軌道を描きながら彼女を天高く持ち上げた。大げさなジャイアントスイング、あるいは地に堕ちた龍がのた打ち回りながら、それでも空を目指そうとするように。

 子どもが人形を振り回すような、乱暴な扱いだった。数メートルを一息に詰め、男子高校生を蹴り飛ばし、殴打で人を埋めるほどの体躯を持つ常人でない彼女と言えど、それだけ振り回されれば軽度の意識喪失は避けられなかった。一時的な脳震盪。身体が無防備になる一瞬。一秒にも満たない一時、彼女は触手に身を委ねることを余儀なくされた。

 触手がダブルセイバーを掲げる。力を溜めるように、狙いを澄ますように、最も高いところまで持ち上げてから少し動きを止め、ひゅん、と振り下ろした。およそ先端に人を括り付けているとは思えない速さと軽やかさ。全力で包丁を振り下ろしたかのような鋭い風切り音。受け身の取れない少女を相手に、少しの容赦もない渾身。

 ずがあああああああああああん!

 その風切り音が消えて止む前に、意識の混濁が晴れる前に、少女は地面に叩きつけられた。

 大地が揺れる。

 ほとんど同時に、彼が立ち上がった。前柄累が地面から顔を引き抜いて立ち上がり、少女が叩き付けられた方、もうもうと立ち込める砂埃に目をやった。

「……何が、どうなってるんだ」

 脳天とおでこには激痛。傷口からは滝のように血液が流れ出て、きちんと目を開くのも難しい。だが累は、今しがた、つまり少女の身に何が起こっていたのかを把握していた。地面に埋まっていても感じ取ることができていた。だから彼の言う“どうなっているんだ”とは、ここ数秒ばかりの触手とダブルセイバーが繰り広げた攻防についてではなかった。もっと根本的な、今の状況についての説明こそ彼の欲する情報だった。

 だが、答える声はないだろう。分かり切っている未来である。見渡す限りの平原。ここには痛みが消えた代わりに左手から触手が生えてしまった自分と、その触手に叩き付けられたおかしな少女以外に誰もいないのだから。世界はこれだけ開けているのに、まさしく八方塞がりじゃないか、彼が血に濡れる頭を抱えると。

【あなたは殺されかけているのよ】

 と、答える声があった。

「……何だ、今の?」

【説明している暇はない。前を見なさい。死にたくなければ魔法少女を捕えるの】

「おい、何を言って」

【来るわよ】

 頭の中に響いてくる女性の声が言うが早いか、どおん、と花火のように低く響く音がして、後からやって来た大気の波が累の身体を打った。砂埃のカーテンが内側から吹き飛ばされて、さあと消え失せる。音も大気の波も目に見えることはないが、その広がりが実際にあるかのように、少女の足に絡みついていたはずの触手も、先から紙か塵のように木っ端微塵に破壊された。衝撃波の中心に、下着のキャミソールが見えるほど際どくドレスが破れたダブルセイバーが立っている。最初に見せたのと同じ、唇の前に隙間を開けた人差し指と親指を持ってきて、彼女は唱えた。

善と悪の境界ノック・ザ・ヘブン

 どう考えたって声が聞こえる距離ではないのに、累の頭の中にははっきりと、しかしやはりまともな進路を辿らずに、彼女の言葉がするりと入り込んできた。

 今度は空にひびが入るわけではなく、ダブルセイバーの足元から空へ向かって、彼女を囲むように光の柱が現れた。空を突いてなお高く、その先は見上げてもうかがい知ることができない。眩い光はダブルセイバーの姿をすっかり隠してしまったが、しかし、最初の時と違って周囲の状況に何らかの変化を促すわけではないようだった。何かの標のようでもあるエフェクト。彼はその答えを、わずかに一秒後、光が晴れてから知った。

 変わったのは周りではなく彼女自身だ。もはや服としての機能を失っていたこげ茶色のドレスではなく、ダブルセイバーが身にまとっていたのはこげ茶色の質素なジャージに、リボンを巻いた麦わら帽子だった。ジャージは上下長丈。上着のチャックも最大限あげているから、首まですっぽりとこげ茶色に覆われている。あれだけじゃらじゃらとぶら下げていた野菜のアクセサリーはなりを潜め、野菜要素と言えば、左胸に野菜を盛り合わせたイラストがワンポイントで残っているのみだった。急激な変化、言葉を選ばなければ、それは衣装の可愛さや豪勢さから見て“劣化”と言い切れるほどの変わり様だった。

 非日常的なコスプレ会場の撮影現場から、農家の日常足る畑のワンシーンへ。崩れ落ちるような切り替わりだ。

【構えなさい。魔法少女はここからが本気よ】

「おい、だから何を。魔法少女ってのわうお!?」

 少女の姿が消え、一瞬、深く腰を落とした姿勢で目の前に現れ、溜めた拳が累の腹に突き刺さる。きっかり斜め四十五度。全身をひねって振り抜かれた綺麗なストレート。きっかり斜め四十五度。累は何とも間抜けな音を悲鳴にして豪快に吹き飛んだ。左手から伸びる触手が半分から千切れたまま、まるでしっぽのようになってなびく。地上からは、遠のく彼の姿が即座に点になる様が見れたことだろう。星になった、というやつだ。累が天に吸い込まれた今、それを見ることができたのはダブルセイバーだけだった。しかし、ダブルセイバーは顔を上げていない。

 腕を伸ばし、振りぬいた姿勢のまま、ぎり、と唇を噛んでいた。

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