第2話 君、目覚めん

 普通の人間ならまず間違いなく死んでいる。そして累は普通の人間だ。だからダブルセイバーは言葉通り、彼が理解する前に彼を殺したことになる。けれどダブルセイバーは、前柄累という人間を蹴り飛ばした後にゆっくりと着地して、いかにも不満そうに自分の左足に目をやった。累を人形のように軽々と蹴り飛ばした凶器。黒のパンプスと白のレースソックスは血塗れで、今しがたの殺人を雄弁に物語っている。不満だったのは返り血ではなく、また血液と一緒に残留する蹴りの感触でもなかった。

 油断なく、吹き飛んでぐったりしている累に向けながら、ダブルセイバーがチョーカーに指を当てる。

「グッドチャイルド」

『何だよ。集中してるんだから話しかけるな』

「魔法少女が普通の人間を全力で蹴り飛ばしたらどうなるかしら」

『場所は?』

「頭ですわ」

『引き千切れると思うぜ。あるいは破裂する』

「わたくしも同意見ですわ。けれど前柄累の頭はそうはなりませんでしたわ」

『……』

「一緒に吹き飛びましたの。頭と身体がくっついたまま」

 グッドチャイルドは少しだけ、返答に困ったようだった。沈黙が訪れ、その間もダブルセイバーは累から目を離さない。死んだはずの彼は、死んだように動かず、草花の絨毯に仰向けになって倒れていた。右側頭部の出血は止まらない。当然だ。人の足で蹴られたとは思えないような陥没の仕方をして、その凹みは右目にまで迫っていたのだ。どう見ても致命傷。放っておいて治るものではない。

 あんな損傷を受けて人間が生きていられるはずがない。

 そんな当然は、ダブルセイバーだって百も承知だった。もっとも。

『あたしもそっちに行く。万が一ってこともある。ダブルセイバー、おまえは空間を』

「遅かったようですわ」

 ダブルセイバーの当然は、相手が人間だった場合に限る。

 グッドチャイルドの話を最後まで聞く前に、ダブルセイバーはチョーカーから指を離した。のみならず、思い切り地面を蹴って飛び上がった。グッドチャイルドの話を聞きたくなかったわけではない。地面に現れた何かが、草花を一直線に掻き分ける影が、自分に向かって高速で向かって来たのを見つけたからだった。

 ある程度の高さで、ダブルセイバーは中空に制止する。眼下を睨み“何か”が空までは追って来ないことを確認すると、じっと、“何か”の正体を見極めた。

 簡単に例えるなら、へびかみみず。細長く、地上を這って進むあの類の生き物だろう。

 ただし異様に長大であり、その割に体躯が細い。高いところから眺めると、言うなれば一本の太い血管ではなく、複雑に折り重なった毛細血管を見ているようだった。

 へびは、大きくなっても五メートルと言われている。しかし、眼下でもぞもぞとうごめきこちらの様子をうかがうそれは、既に五メートルを優に超えているように見えた。いくら細いからと言っても、とてもではないが今の今まで潜んでいられたような大きさではない。みみずよろしく地中にでもいたのなら別だが……もっと根本的な前提が、その長大な生き物の存在と矛盾していた。

「わたくしの魔法で連れてきたのは、わたくしと前柄累だけ。だとすればあれは」

 あれが自分ではないのだとしたら、その正体は一人しかいないことになる。視線は草原に横たわる生き物の身体を辿り、根元まで行ってその正体を見た。まるで大地から血管が浮き出てきたような、鱗のない、赤い色の根元には。

「お目覚めですわね、ミクス……!」

 最悪だ、と唇を噛む。

 蹴り飛ばされた……死んだはずの前柄累が立ち上がっている。何とか両足で身体を支えているような前かがみの姿勢で、いかにも満身創痍と言った風だった。が、ダブルセイバーは彼が本当は満身創痍でも何でもなく、“何事もなかったかのように”復活している事実に気づいていた。

 見れば誰だって分かる違いだ。

 遠目にも分かるほどに陥没し、傷の大きさを示すように多量に出血していた累の頭は。

 今や、流れ出た血液だけを残して元通りになっていた。

 人間の仕業じゃない。それだけでも、“既に”累が全く人間ではないのだとダブルセイバーには理解できた。致命傷を負って死んでいない上に、肝心の致命傷まできれいさっぱり治っているのだから弁護のしようがない。しようがあったところで弁護をしたいわけではなかったが、しかし余計な気を使わず、事も済んでいたに違いないのだから、彼には人間であって欲しかった。

 無為な願望である。しかも、彼が人間ではないとする証明は他にもあった。傷が治ったことよりもずっと“人間ではない”最たる標だ。

 その左腕、手のひらから生えているモノ。

 先ほどダブルセイバーの足を狙ったへびかみみずのような生物。

 生肉をより固めたような色をして、粘ついた体液をまとう動く縄。

 蛇行し、蠕動する管。

 身もふたもなく言い表すのならそれは、“触手”と呼ばれる類のものだった。

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