5-2
「なあ、天音」
「なんじゃ?」
水分補給に立ち寄った、学園近くの坂道の自販機前で、俺は尋ねた。
「俺が明日死ぬって、本当なのか? まるでそんな実感湧かないんだけど」
「主殿、すごく言い難いことなのじゃが……」
天音は言葉を切り、間を作る。
目を伏せて、気まずそうな雰囲気が漂ってくる。
「なんだよ、はっきり言ってくれ」
「お主の心臓に向かって、蛇が今にも、それを食い破らんと大口を開けておるのが視える」
「え?」
蛇……?
「主殿、あの日話した、呪いについて覚えておるか」
「蠱毒の内容のことか?」
「そう」
「ごめん。正直、あんまり覚えてない」
あの時はあまりにも衝撃的で、会話の内容すら断片的にしか記憶してないのに、話の中身まではさすがに覚えきれなかった。
「そんな主殿のためにもう一度説明すると、蠱毒とは、以前話した通り、毒虫、毒蛇などの毒持つ生物を一つの壷に入れ、密閉して共食いをさせる。そうして最後に残った生物を、呪詛として用いる呪法じゃ。その共食いをさせておる期間が長ければ長いほど、壷の中の怨嗟はより密度を増し、濃くなってゆく。通常、三日~一週間ほどで完成させるが、中には一月以上かけた例もなくはない。そして、蠱毒の完成までにかかった倍の期間が、呪いの対象者の余命となるのじゃ」
ああ、確かそんな話だったな。
蠱毒は基本的に土中に埋める呪法だから、それを見つけて破壊しなければならない。
――だっけか。
「この場合、あの日玉藻が、術入りしたのは五日前と言った。仕掛けたのがあの日の朝。よって、主殿の命は、明日までということになる」
「その心臓を食おうとしている蛇が、心臓を食ったら、俺はどうなる」
「全身を激痛が襲うじゃろう。やがて過呼吸になり、痺れ、痙攣し、衰弱して死に至る」
「……悲惨だな……まさに毒だ」
一学期の終業式を間近に控えた、七月十六日、日曜日、昼過ぎ。
少し前まではまだ風も温い程度だったのに、暑さはもうすっかり真夏だ。
熱風が肌を焼き、腕には毛穴から吹き出た汗が玉のようになっている。
額の汗を首にかけたタオルで拭いながら、自販機で買ったばかりのスポーツドリンクを一口含み、そして左肩に鎮座する天音に差し出した。
それを両手で受け取ると、天音はボトルを口に付け、傾けて、ごくごくと飲料水を補給する。
「ぷはぁー、んまいの、これ」
「あ、お前、全部飲んじゃったのかよ」
「ん、すまん。神様だって、咽は渇くのじゃ。酒ならなお良かったがの」
「贅沢言ってんじゃねえ。俺にはペットボトルですら、今月はすでにきついんだからな」
主にお揚げとか、お揚げとか、お揚げとかのおかげでな!
「むう、すまんの。自重出来ればいいんじゃが……」
する気がないのに反省を口にするな。
まあ、他で節約すれば、やっていけないこともないし。
そこらへんは、俺の腕の見せ所だな。
ペットボトルを天音から受け取って、自販機に併設されているゴミ箱へとそれを捨てると、ちょうど広報が流れた。
『天川学園在学、一年五組の神藤陽一君。至急、天川学園西棟、生徒会室までいらっしゃい』
美織さんの声だ。
って、何で広報なんて使ってるんだ? というか、プライバシーもなにもあったもんじゃ……。こんなことで有名にはなりたくなかったなぁ。
学園にそんな機能まで備わってること自体、知らなかったし。
いつもの如く、呼び出されるまま、俺は生徒会室へと直行した。
風紀にうるさい永瀬は、幸いと言っていいのか分からないけど、今は出払っている。
よって、俺は小走りで、廊下を駆けた。
「あら、ずいぶん早かったわね」
生徒会室の扉を開けるなり、外の景色を眺めているのか、こちらへ背を向けたまま、第一声を放った美織さん。
案の定、今日は奏先輩も一緒のようだ。
でも、その表情は少し苦悶を呈していた。
「すぐ近くの自販機で、水分補給してたので」
「そう。水分は、しっかり補わなくちゃいけないわね」
言いながら、こちらへと振り返った美織さんの左目には、真っ黒い眼帯が当てられていた。
「美織さん……その目」
天音も驚いたようだ。愕然として目を瞠っている。
「ふふっ。ちょっと、柄にもなく張り切りすぎちゃったかしら」
左目に当てられた眼帯に触れ、いつものように、くすりと微笑む。
それが無理をしているようで、見ていてとても痛々しい。
「大丈夫、なんですか」
「あら、心配してくれているの?」
「当たり前じゃないですか!」
「ふふ、ありがとう。でも、心配ご無用よ。大切な後輩の為だもの。無茶でも無理でも、頼まれた仕事は、きっちりこなすわ」
ゆっくりと歩き、会長の席である会議机中央の椅子に静かに腰掛ける。
そして、あらかじめ設置されていた水晶玉を覗き込んだ。
「美織、なにか見つかったのかの?」
肩から飛び降り、机に降り立つと、天音は美織さんのもとへと駆けていく。
声からはだいぶ遠慮がちな、申し訳なさが伝わってきた。
その様子を見て、真一文字に結んだ口元をわずかに綻ばせながら、美織さんが頷いた。
「ええ。だいぶ骨が折れる仕事だったけれど、ようやく見つけたわ」
「それは――」
「まず、盲点だった、と言っておこうかしら」
盲点? 死角、見落としていたってことか。
でも、なにを。
「永瀬さんの話によると、鳩羽さんは霊脈に沿って行動をしていたそうね」
「ああ、その通りじゃ」
「霊脈というのは、霊格の高い場所に集まるもの。この辺り一帯で特に霊格が高いのは、みんながよく知る、夜坂神社――」
「ってことは、夜坂神社に行けば――」
「陽一さん、人の話は最後まで聞いてちょうだいね? 最期になりたくなければ、だけど」
「すみません」
しかし縁起でもないことを言う。
まあ、無茶をさせてしまった手前、何を言われても、美織さんにはなにも言い返せないし、頭も上がらないだろう。
顔を上げると、美織さんが、くすりと優しく微笑んだ。
「話を続けると、もう一つ、霊格の高い場所がこの地に存在するのよ」
「美織、それはまさか――」
気づいたように、天音ははっとして目を瞠った。
俺もまだ気づけてないって言うのに、意外と勘がいいのか、この狐は?
「そう、そのまさかよ。千歳稲荷」
「千歳稲荷? って、天音が封印されてた場所じゃないですか」
まさか、あんな廃墟みたいな神社が、決戦の地なのか。
「…………」
なにやら強く視線を感じたので、そちらを見やると――。
案の定、天音がジト目で睨みを利かせていた。
「廃墟なんて思ってすみませんでしたごめんなさい」
かなり棒読みだが、とりあえずは謝っておこう。
仮にも、自分の家みたいな場所を悪く言われるのは、確かに、誰だって気分のいいものじゃない。
「しかしなぜ、そんな処に蠱毒を埋めたんじゃ、あやつは」
「永瀬さんの報告によると、鳩羽さんが霊脈に沿って行動していた時、それぞれ立ち寄った場所に、なにか記号みたいなものを残していたそうね」
「記号? あ、もしかして、グラウンドの木に彫られてた、あの変な印ですか?」
「そう。その印、なんだと思う」
問われ、逡巡の思考の後、俺は答えた。
「遊び、じゃあないですよね?」
「……正解」
「えっ」
当たってしまった。
まさか当たるなんて思ってもみなかったから、面食らってしまう。
「――て、そんなわけないでしょう、陽一さん」
「はは、ですよねー。なら一体」
やっぱりハズレだった!
「霊脈の流れを、一時的に変えるものだそうよ」
「霊脈を?」
でも、そんなものの流れを変えたところで、なにか得することでもあるのか?
「主殿、恐らく玉藻は、より効率よく蠱毒を運用するために、霊脈の流れを変え、千歳稲荷へ集中させておるのじゃろう」
「集中させて、どうするんだよ? 蠱毒ってやつは、もう完成された呪いなんだろう?」
「ううむ……」
どうやら天音にも、鳩羽の思惑が読めていないらしい。
腕を組み、目を伏せて、なにやら思考し始める。
ここはとんちの利いた答えを期待しよう。
「これは、もしかしたら最悪のケースかもしれないけどね――」
すると、顎に手を沿え、探偵坊やみたいに考え込んでいた美織さんが、先に口を開いた。
「その巫蠱の術……。対象者が陽一さんだけじゃないって線は、あり得るのかしら」
その言葉を耳にした天音は、ぴんと耳を張り、ぴくりと反応を示した。
ゆっくりと目を開けると、信じられない、といった顔をする。
「まさか、その為に霊脈の操作をしたというのか……」
「え、おい、なんだよ、どうしたんだ一体?」
「あやつは初めから、お主一人だけに的を絞っておった訳では、なかったのかもしれん」
俺だけじゃ、ない?
霊脈を操作して、千歳稲荷に集める、んだよな……。
霊脈というのは、常に循環しているものだ。一箇所に集められたとしても、さらにそこから幾筋にも分かれ、また巡っていく。
地面に根を下ろす植物のように、大地を走る霊脈の流れ。
その中心にある蠱毒の壷……。
「って、もしかして――」
「陽一さん、あくまでも可能性の一つ、ってだけだけどね。そもそも、呪いの対象者は、基本的に、アイテム一つにつき一人ずつってのが相場じゃないかしら? それを複数、ましてや、この狐狸ヶ崎の街の住人全てに適応させようだなんて、正気の沙汰と思えないわね」
あくまで可能性だと、美織さんは、再度念を押す。
確かに、昔話を聞く限りでは、鳩羽の怨嗟は、相当強いものなんだろう。
けれど、霊脈を操作したからといって、街の全てを呪い殺すことなど出来るものなんだろうか? 街の人間すべてが、丸ごと呪い殺されただなんて話、ただの一度も聞いたことがない。
永瀬の見解は、どうなんだろう?
あいつは今までずっと、俺の知らないところで、そういったモノに携わってきた専門家だ。
そしてこれからも、一般人には感知されない、怪異を払ったり退治したりを続けていくんだろう。
この場にいないからなんとも言えないけど、永瀬の意見は、聞いてみたいと思う。
「主殿――」
「なんだ?」
なにか言いたげな表情をした天音に返事し、青い瞳を見返す。
――と
「陽一君!」
バンッ、と大きな音と同時に、生徒会室の扉が開き、誰かが中に入ってきた。
突然の物音に、肩をビクッと跳ねさせ、慌ててそちらへ振り返ると、
「永瀬……」
そこには、永瀬紫音の姿があった。
肩で大きく息をし、自慢であろう艶やかな黒髪のポニーテールが揺れ踊る。
相当急いで来たのだろう。首元や額に汗の玉が浮かんでいる。
「どうしてここに?」
見れば、白のノースリーブのブラウスに、七分丈のジーンズという涼やかな出で立ち。
そして、もはやお馴染みの日本刀、妖刀禍刈の刀袋を携えていた。
「はぁ、はぁ……。いえ、広報で、星川会長からお呼び出しがかけられていたのを聞いていたので、狩りをいったん切り上げて、こちらへ来たんですけど……。もしかして、壷の位置が……?」
「ええ。想像通りよ、永瀬さん」
ゆっくりと立ち上がり、美織さんが答えた。
「会長……その目」
「大丈夫、心配ありがとう」
やはり皆、反応は同じ。
沈痛な面持ちで、永瀬も眉をひそめる。
「妖気の渦に、拒まれたんですね」
グッと拳を握り締めると、若干トーンを下げながら悔しげに呟いた。
「ええ」
それに対し、美織さんは静かに首肯した。
「妖気の、渦?」
「そうです。あまりにも強力な妖気の塊は、それ自体が結界の役割を持つようになるんです。実際にそこへ立ち入ろうとする場合にはもちろん、会長のように、千里眼を用いて視る場合にも、それは侵入者を拒みます。その反発は練られた気の、質と強さに比例する」
「そんな、やばいことだったのか……」
改めてことの重大性に気づかされた。
そして、それに頼らざるを得なかったとはいえ、美織さんに無茶をさせてしまったことに、深い罪悪感を覚える。
「主殿……辛いのは、なにもお主だけではない」
俯き、震えた声で天音は言う。
「わしとて神の端くれ。じゃが、わしにはそれを見破ることは出来んのじゃ。あの姿に戻らん限りはな」
「本性のことか?」
「そう。しかし、あの姿での探知となると、霊力を著しく消耗してしまう。奴が言うておったろう。妖力のほぼ全てを使い切って練りあげた、と。わしにはそれを破壊するだけの霊力を、温存しておかねばならなかったのじゃ」
静かに顔を上げた天音は、美織さんへと向き直った。
「すまなかったの、美織。不甲斐ないわしを許してくれとは言わん。この借りは、玉藻を退治してから、必ずや返す故、今しばらく待っていてほしい」
そして、丁寧に頭を下げた。
神様が、人に頭を下げている。
恥も外聞もなく、心からの謝罪だ。
霊力を温存しなければならないとはいえ、人の子に頼らなければならなかった自分に、無力さを感じていたんだろう。美織さんの家に行っていたのも、なにか自分にもできないか、そんなことを考え思ってのことだと思う。
俺の知らないところで、ずっと、悩んでたんだな。
「ふぅ……」
小さく息を吐くと、美織さんはふっと優しく微笑んだ。
窓から差し込む光を背に、聖母みたいに温かく、やわらかく笑ってみせた。
「そんなことは気にしないで。私はただ、陽一さんのために尽力しただけだから。けど、それでも貸し借りにしたいというのなら。そうね、鳩羽さんを退治し、無事、陽一さん、果てはこの街の人々を救うこと。それでいいわ」
「わしを、許してくれるのか……」
「なぁに、その間の抜けたような顔は? いつもの愛らしい天音さんは、どこへいったのかしらね」
くすくすと笑い、少しの間を作る。
「そもそも、許す許さないの問題じゃないわ。初めから私は、かけがえのない陽一さんのために、無茶を承知で力を使おうと思ってたのよ? 誰のせいでもない。私が、勝手に首を突っ込んだだけ。だって、陽一さんがいなくなるなんて、つまらないでしょう? からかう相手が減るのは、それだけで退屈なものよ?」
ね、陽一さん。と、美織さんは、おかしなところで俺にバトンを渡してくる。
真面目な話をしていたのかと思ったんだけど、
「はは、美織らしいね」
なんて、さっきまで神妙な顔つきだった奏先輩が、笑いながら同意しているところを見ると、場の空気は一転も二転もしたらしい。
重苦しい空気を換えること。美織さんが昔から得意としていたことだ。
決してムードメーカーと言えるような、そこまで弾けた性格の人ではない。
ましてや、こんな状況でふざけられる悪癖持ちでもない。
ただ、さりげなく換えてしまうところが、美織さんの思いやりを感じるし、凄いところだと俺は思う。
「ありがとう、美織」
心のこもった、温かい、感謝の言葉だった。
「さ、呪いの場所は教えた通りよ。今度は、あなたたちの番」
「はい!」
力強い美織さんの言葉に、俺も意志を表すよう大きく首肯した。
「陽一さん、しっかりね」
天音を肩に乗せ、永瀬とともに生徒会室を退室し、扉を閉める瞬間に声が聞こえた。
隙間から覗く美織さん。
隣には、奏先輩。
二人が手を、振ってくれていた。
今生の別れにならないよう、俺は再度、大きく首を、縦に振った――。
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