第2章 フェロル村
10. 日用品
痛みの記憶が恐怖となって、震えが来る。
明日以降、この恐怖で身が竦んだりしないよう、己を鼓舞し、克服しなければならない。妻がリリィとの話しを終え、寝室に戻ってきた。俺は、妻にしがみつき、その体温にようやく安心し、深い眠りに落ちた。
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一晩寝たら元の世界に戻るなんて事は無かった。だが、期待してしまうのはお約束というものだろう。
起きた瞬間にカーテンを開け、現実を改めて知る。
「お父さん! お姉ちゃんがリリィと変な事してる!」
息子が寝室のドアを開けて叫んだ。
ミントも一緒に入ってくる。
「朝からどうした?」
その声に、ひとえも目を覚ました。
息子の表情から、危険が迫っているというより、何か、言いつけに来たという感じだったので、ゆっくりと起き上がり、リビングまで行く。
「ユイカ、どうした…………あ?」
リビングへ入ると、ジャージ姿に鉢巻をし、雑誌でメガホンを作っている娘と、その前でテレビに向かい、ヘッドフォンをつけながら楽しそうに踊っているリリィの姿だった。
「あ、パパ、おはよう。リリィはダンスの才能があるわ。顔がいいだけじゃアイドルはやっていけないもんね。歌って踊れて顔面偏差値! これが揃わないと、トップは目指せないわ」
「いや……何をやっているんだ……」
「彼女は最高よ!」
もう鼻血が出てるじゃん。
ミントがティッシュを1枚くわえてきて、ユイカに渡した。
「おはよう。リリィさん」
後ろから妻の声がした。
「は、はひー。奥様、おはようございます」
リリィが直立不動になる。昨晩はかなり締め付けられたみたいだね。
「昨日もお約束したとおりユイカ様の指導の元、練習しております」
「はい。結構。それでは昨日伝授した、タナカ家の家訓を大きな声で」
「はっ」
そこでリリィが立ち上がり、直立不動の姿勢。両手は後ろに組んで、
「アイドルは恋愛禁止、つり橋効果は死の病!」
「近づきません中年に! トキメキません中年に!」
「命をかけて守ります。このタナカ家の未来と自分の操!」
豪快な宣言だった。
ひとえが冷ややかにこちらを見る。
「み、水しかでないけど、とりあえずシャワー浴びてくるよ」
「あ、僕も浴びる」
俺はその場を逃げ出した。浩太と二人で風呂に向かった。
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親子で仲良くシャワーを浴び、身体を拭いて着替えてから、洗濯機を回す。
「あー、洗剤と柔軟剤のストックが切れたら困るなぁ」
食料だけなく、この家で快適に生活するには必要な日用品が沢山ある。
「ひとえ、トイレットペーパーのストックは、どのくらいある?」
「あー、あと3本くらい。外に出かけるついでに、トイレットペーパーを買って来て……っていう訳にはいかないわね……どうしましょう……って、あら」
「ん、どうした?」
リビングに戻る。
食卓を囲んで、皆が呆然としている。
「えーと、これ、トイレットペーパー?」
「そう……みたいなのよね」
食卓の上に未開封のトイレットペーパー12ロール(ダブル)が乗っている。
「これ新品だよね、どうしたの?」
「今、あなたと話をしていたら突然、食卓の上に出てきたの」
「気がついたら目の前にあったよ」
「家族とリリィさん以外、誰も動いていない」
ユイカもミントも、トイレットペーパーがなぜ食卓にあるのか解からないみたいだ。
こ、これはもしかして……
「ひとえ、さっきみたいに何か必要なものを言ってみて」
「え、えーと、ティッシュペーパー」
何も起こらない。
何か足りないんだな。
「『買って来て』って、後ろにつけて、もう1回言ってみて」
「ティッシュペーパーを買って来て」
食卓の上にティッシュペーパー6箱セットが現われた。
よし。
「あ、これは便利ね」
ひとえが、神に祈った力。「生活に困らない」が電気ガス水道以外にも活きていた。そりゃそうだ。電気ガス水道だけじゃ生活は出来ない。この生活にようやく希望が見える。
その後、食材や日用品を色々と出してみた。常識的なストックの範囲であれば現れてくるようだ。ティッシュ100箱のような事は出来なかった。転売目的……とはいかないようだ。
「自転車を買って来て」
自転車は出た。
階段の上なので、下まで持って行かないと使えないけど……
「自動車を買って来て」
ちょ、ちょっと待て。食卓の上に車はまずいし、玄関からも出せない。
……と焦ったが、出てこなかった。危なかった。
階段の下に軽自動車があれば便利だけどな。
「ひとえ、とりあえず、その辺で……購入するお金がどこから出ているのか怖いし」
一応、あとはひとえに任せよう。目先の話として一番大切な家族の安全と日常生活の担保ができた。
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