2. 内見

「海はいいなぁ……」


 ベランダに出て、大きく息を吸う。

 とりあえず、ベランダの下を覗くと、本来は、そこに下の階のベランダが見えるはずなのだが、空中にせり出しているような状態になっているみたいだ。この部屋は4階だったはずなのに、10階以上の高さがありそうだ。眼下には、白い砂浜が見える。さっきまで夕食を食べてたはずなのに、雲ひとつ無い真昼間になっている。


「海はいいなぁ……」


 もう一度、呟いた。


 どうやら、自宅ごと異世界に転移させられたみたいだ。ようやく状況を把握する。

 確かに、住み慣れた3LDKとは言っていたけど、そのまんま、自宅じゃないか。


 妻もベランダに出てきた。


「田舎に引っ越しちゃったみたいだな」

「そうね、本当にいい景色ね」


 妻のひとえ・・・と結婚してから、もう15年になる。子供達が社会に出たら、妻の田舎でノンビリ過ごそうかという話はしていたが、まさかこんな事になるとは……


 部屋の中では、中3になる娘のユイカと、小6の息子の浩太が、突然、しゃべり始めたトイプードルのミントと遊んでいる。子供は環境に慣れるのが早くていいね。お父さんは、とりあえず海でも見ているよ。


 そういえば、自宅ごと転移しちゃったけど、ライフラインって何で生きているんだ?

 部屋の中を見て、リビングの電気が付いている事に気がつく。


「……ユイカ、テレビ! ひとえ、ガス! 浩太、トイレって流れるか見てきて!」


 妻と子供達に声をかけ、俺はパソコンを起動する。

 すると、トイレに行った浩太が慌てて戻って来る。


「お父さん! 玄関が光ってる!」

「何だって?」


 慌てて、玄関に向かうと、玄関の扉があるはずの部分が、虹色に光っている。ゲームで行ったら、確実にどこかへ転移しちゃいそうな場所だ。


「浩太、とりあえず触るなよ。とりあえず、トイレを流してみてくれ」


 浩太にそう言い、玄関の問題は、少し後に回す。

 俺もパソコンを起動し、その後、スマホも確認した。妻と子供達に確認した結果、ライフラインについては、こんな感じだって事がわかった。


・電気、ガス、水道、下水に関しては生きている

・エアコンも使える……これは、ベランダに室外機があるから大丈夫だったんだろう

・なぜかお湯は出ない……給湯器が玄関の向こう側にあるからなのか?

・テレビ、スマホなどの電波類は全滅。当然、GPSも取れない。

・パソコンは、電源は入るものの、ネットに接続できない。


 パソコンはどうもIPアドレスの取得が出来ていないようだ。うちのマンションの場合、設備としてインターネット環境が付いていたから、DHCPサーバがマンション管理なんだよな……ネットにアクセス出来ないって、本当に不便だ。ついでに、玄関以外の外部への開口部もチェックするが、各部屋の窓は開いた。そこから見える景色はまったく違うものになっていたけどね。風呂の点検口はいくら押してもビクともしなかった。


「とりあえず、玄関以外の確認は済んだね。そういえば、みんなは、どういう説明を受けた?」


 妻と子供達、それにミントにも転移する前の状況を確認してみる。


「私は、『ご主人が希望されたので、その願いを叶え、田舎へお引越しいただきます。ただ、異世界ですけどね。ププ』って言われたよ。さすがに頭にきたので、一発入れておいたけど」


 うちの妻は、決して元ヤンじゃありません。


「あと、生活が出来るようにしてもらわないと困る……とはお願いしておいた」


 ……だからガス、水道、電気がOKだったのかな。説明してくれた神様はジャージ姿の女の子。


「うちは、引っ越したく無いけど、引っ越すならアイドルの家のそばが良いって言っておいた」


 娘のユイカ

は、女性アイドル好き。将来は自分でスカウトしたアイドルをプロデュースしたいそうだ。「うち」という一人称は、中学に上がってから始まった自分設定らしい。ユイカへの説明は幼稚園のような制服姿の幼女だったらしい。


「僕は、引っ越し先でも友達が欲しいって言っただけかな。あと、受験勉強しなくても良い中学に入れるようにして……ってお願いした!」


 息子の浩太は現在、受験勉強中。浩太よ、たとえ異世界であっても、勉強はしなさい。こっちの説明には腰に侍のような刀を差した少年との事。ちょんまげはしていなかったので、侍かどうかは判らない。


「僕はママさんやパパさんと同じようにして……ってお願いしたら、喋れるようになった」


 ミントにも説明してくれるなんて、なんて気が利く神様達なんだ。そこにいたのはスーツ姿の男性との事。



 情報共有もできたし、いよいよ玄関か……安全を考えると、正直このまま部屋の中にいたい。明らかに何処かに転移しますという感じの虹色に光っている所に飛び込むなんて、どうかしている。とはいえ、災害用の食料を合わせても、せいぜい1週間分くらいしか食料が無い。良い景色を見ながら、飢えて死ぬなんて選択肢は取れない。そう、食料……


「パパさん、なんかその目、嫌です」


 ミントが尻尾を丸め、妻の足元に擦り寄る。

 いや、さすがにミントを食べたりしない。ミントも家族の一員だし、トイプードルだし、食べるところ無いし。


 よし、玄関の外に出てみよう! まずは……

 

「光の中に入れるのか。入ったら外に出られるのか、出たら戻れるのかの検証が必要だ」


 玄関のドアがあった場所は虹色に輝いている。

 その光の帯はゆっくりと動いている。これが赤と青と白の3色構成だったら理容室だったな、などと考えてしまう。


「ユイカ、バスタオルを1枚持ってきて。ひとえと浩太は時間がかかると思うから適当にしてて」

「「「はーい」」」


 娘にタオルを持ってきてもらい、半分を光の中に入れて戻す。

 光の中に入った部分に特に異常は見られない。

 5分ほどかけて、高さや角度を変え何度か繰り返し、バスタオルの3/4程度の長さであれば、中に入れて戻せることが確認できた。


「ふうー、次はもう少し長いものを……あれ、ユイカ、何やってるの?」


 ユイカが光に向かってボールを投げる。ミントが駆け出し光の中へ。そしてボールをくわえて、戻ってくる。


「パパが変なことやっているから、暇だったので……」

「ユイカちゃん、もう1回! もう1回!」


 【検証終了】

  どうやら、光の中は安全です。

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