異世界にお引越し! - 訳あり物件でした -

でもん

第1章 引越先は訳ありでした

1. 引越

 俺は休みを取って、久しぶりに家族揃っての夕食の……はずだった……のだが…… 


 そこには妻も子供達の姿も無い。

 俺はただ一人、見慣れぬオフィスのような場所にいた。


 窓はあるがガラスの向こうはグレ一色で塗りつぶされている。腰かけているのはパイプ椅子。目の前には長机。その向こうには誰も腰掛けていないパイプ椅子がもう一脚、そしてホワイトボード。片手には発泡酒、口の中には咀嚼中のジンギスカン。



「何だここは……」


 肉を飲み込み、辺りを見回しながら、そう呟くと……


「待たせたな……」


 突然、目の前から声がする。

 視線を戻すと、誰もいなかったはずの、パイプ椅子に突然、巫女姿の少女が座っていた。



「え、え? どこから……」

「そう驚くな。まぁ、びっくりするのも仕方が無いが……先に自己紹介をしておこう。妾はオクシヘノ。お前たちが言うところの神の一人とでも思ってもらえればいい」


 その声に、どこか聞き覚えがあると思いつつも、俺は端的な結論に飛びついた。これは夢なんだな……なんだ……力が抜ける。夢だったらエロい展開が希望なんだが、娘と同じくらいか、それより下のお子さんには、性的な欲求なんて何も感じないしな……。そんな事を夢の中とはいえ、ぼーっと考えていたら、この神様が、とんでも無い事を言い出した。


「妾は、神として、そなたが心のそこから願っている、ノンビリとした生活を実現させてやろう。さぁ、今すぐ引っ越しじゃ! そこは、海と山のそば、景色は最高だ。そして、何と今回、特別に費用はもらわん。引っ越し代無料タダ家賃無料タダ、ついでに光熱費も無料タダじゃ!」


 あー、いいねー。無料っていうのがいい。



「場所はどの辺りだ? 暖かい所がいいなー。ハワイのワイキキ辺りで無料タダで住めたら最高なんだが……」

「そうじゃな、とりあえず、これを見ろ!」


 少女はホワイトボードをバン! と叩く。途端、ホワイトボード上に黒い文字が浮かび上がる。


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優良物件! 海と山のそば! 賃料、管理費、光熱費 永久無料! 異世界徒歩0分、間取りは住み慣れた3LDK! 仔細、応相談。

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 ふーん……ん? 異世界? 徒歩0分って事は異世界そのものだよね。

 あー、この夢、異世界転移もののプロローグみたいな設定なんだ……あー、俺もとうとう、こんな事を無意識に考えるようになったのか。 


 俺は、あくまでも普通のおっさん。趣味は読書で年甲斐にもなく好物はライトノベルを読み漁っている。「異世界転移」の話も、いくつも読んでいるので、夢にその影響が出たんだろうな。こんな事を考えられるって事は、これは明晰夢って奴か。


「その条件だったら異世界でもありか……な?」

「そうじゃろ! よし決まった! 引っ越し決定じゃ」


 気がはやいな。

 しかし、つまらない夢だ。どうせなら、すでに引っ越してますくらいの設定で始まってくれた方が嬉しかったんだけどな。とりあえず、そろそろ、起きるか……


 折角なので、発泡酒を一気に飲み干す。うん、うまい……うまい? あれ、夢ってあんまり味がある事は無いよな。まぁ、いいや。

 そしておもむろに机に頭を打ち付ける。


 ガン!


 ……痛い。痛い! 全力でやったので痛いぞ! 

 夢なのに、なんで痛い??


「あーそういう反応か……言っておくが、これは夢じゃ無いぞ。」


 夢じゃない。え、どういう事だ? それじゃ、引っ越しなんてする訳にはいかない。俺には家族が……仕事が……ある!


「引っ越しの件はキャンセルでお願いします。夢じゃ無いというなら、今すぐ元の世界に戻してください」

「あー、もう引っ越しは完了したぞ。もう戻すのは無理じゃ。あ、あと言い忘れたが、引っ越しはそなただけではない。そなたの家族も全員一緒じゃ」


 家族が同時に転移って奴か……家族離散という辛い思いをする事は回避出来たが、それでも困る。


「頼む、元に戻してくれ。子供達も学校はあるし、俺にも妻にも親がいるんだ」

「あー、その辺は全部、因果をいじっておいたので、問題ない。最初から、そなたち家族はいなかった事になっているので、誰も、気がつかん。それに、もうすでに、そなたの家族は納得して、引越し先で待っているぞ」


 戻れないのか……


「どうする? 今なら、そなただけ戻してやってもいいが……」

「……いい、家族がすでに同意しているのなら、俺だけ戻るという選択肢は無い」


 これで出口は塞がれてしまった。こいつの言っている事が本当かどうかは解らないが、家族が移住を了承したという以上、自分だけが一人、元の世界へ戻るという選択肢は無い。騙されていたとしても最悪、自分だけ異世界に飛ばされるだけなので、そこは覚悟するか。


「解った。異世界へ引っ越すのは納得はしないが理解はした。ただ、このまま放り出されても困る。強制的に移住させられるのであれば、ある程度、条件面で融通を利かせてくれ」


「ちっ、贅沢な。まぁ、良い。お前の家族もそれなりに条件を出していたようだしな。してお前は何を望むのじゃ? 応相談の範囲内で対応してやるぞ」


「家族が離散しないように、安全な住居の確保、安定した収入の確保、異世界での身分の保障、移住先に関する基礎的な知識と言語力は最低限、神の力を使って何とかしてくれ」


「わかった、なんとかしよう」


「あと、そもそも、何で俺達家族なんだ? 転移先で何かする事でもあるのか?」

「ああ、選んだのは全くの偶然じゃ。特に意図など無い。引越し先でやってほしい事があるんだが……それは、現地に着いてから使者が赴く事になっているので、それまではノンビリしておいてくれ」


 使者? やって欲しい事? とりあえず、後回しだ……


「それと、ステータスチートみたいな、力を……」

「ブブー、時間切れじゃ。それにの、過分な力を持つというのは、決して幸せな事では無いぞ。それじゃ、頑張ってくれ!」

「おい、ちょっと、ちょっと待て!」


 俺がいた部屋は徐々に暗くなり……やがて何も見えなくなった。


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 気がつくと、俺はいつもの食卓の前に座っていた。


「あ、あれ? 俺、今、眠ってた?」


 食卓の周りには、妻と娘、息子が座っている。


「ううん、そうじゃない」


 妻が応える。そうじゃない? どういう事?


「パパ、外を見て」


 娘の言葉に外を見る。

 そこには本来なら、隣のマンションが見えていたはずなのだが……広大に広がる青い海。


「これは、あれだね。こうして僕らの異世界生活が始まった……ってナレーションが入る場面だね」


 そう言ったのは、足下に座り尻尾を降っている我が家のトイプードルだった。

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