空のてっぺん

アヤモフミ(文文文)@ダラリノコトダマ

空のてっぺん

 少女は、今日も目を覚ます。


 イザナの世界は、なにもない白い部屋と、壁に開いている穴である。

 手のひらほどの穴。かなり深い。

 穴の底は抜けていて外が見えるが、この丸く切り取られた景色が面白いものかといえばそうでもない。


 外は、いつもぼんやりと暗く、何もない。

 時折、キラキラと光るものがまばらに見える時もある。

 最初はそれが楽しみだったが、それも飽きて最近では穴の外を見ることもあまりない。 


 いつからこうしているのか、もう思い出せない。

 いつまでこうしているのかも、わからない。



 目を覚ましたイザナは、自分自身を包む白いワンピースの裾をつかみ、

「これは、服…」と確かめるように言った。


 そして、「これは…手、と…ゆび…」と自身の顔の前に、小さい手を持ってきて、少し動かしながら呟く。


 その手で顔や頭をさわり、やはり確認して呟く。

 体の部位をひとつひとつ同じように確認し、そして最後に、


「わたしは…イザナ…」


 と、言った。



 彼女はわからなかった。

 彼女には何もわからなかったが、自分だけは自分を忘れないでいようと思っていた。


 いつまでも…。

 イザナがイザナであるとわかるうちは。



 そしてイザナは日々を過ごした。


 ある時、『せなか』と言う言葉が思い出せなくなった。

 ある時、『あし』と言う言葉が思い出せなくなった。

 ある時、『ゆび』と言う言葉が思い出せなくなった。


 イザナがイザナで在るための、いつもの確認作業は、だんだんと短くなっていった。


 ある日、イザナは目を覚ますと、自分を抱きしめ

「わたしは…イザナ…」とだけ言った。



 穴の外を久しぶりに覗く。


 その日は、とてもキラキラしているように見えた。

 前に見た時より、何倍も何倍もキラキラしていた。


 あの、あれ。

 あのキラキラは、なんと言ったかな…。


 思い出せないけど、彼女の中の何かが、ドドドと動き出した気がした。



 その日からイザナは、穴をよく覗くようになった。


 ある日、目を開けられないほどの大きな光が横切った。

 ある日、キラキラが集まって河のようになっていた。

 ある日、ゴウゴウと真っ赤に燃えていた。


 イザナはそれらを言葉で表すことはできなかったが、そのたびに彼女の心は高鳴り、震えた。



 ある日、景色は青かった。


 青、今まで見たことのない色。


「あぁ・・・」


 イザナは、今までにないほど、ゾクゾクと身を震わせた。

 自分自身の体をギュウと抱きしめた。


 その色を、その感動を言葉にすることはもうできなかったけど、代わりに、とめどなく涙があふれた。


 白い部屋の、白い床に突っ伏して、声をあげて泣き続けた。





『はい!もういいよ!』


 突然の音が、イザナの鼓膜を震わせた。

 イザナは初めて自分以外が発する音を聞いた。

 はじめての大きな音。耳が破れるかと思った。


『それじゃあね、生むからね!』


 白い壁が、床が、ぐにゅりと柔らかくなり、部屋は徐々に狭くなりはじめた。

「あっ、わっ?わっ?」

 立てなくなり、尻餅をつく。

 迫る壁と床は硬度を失いながら収縮し、やがて袋のようになる。

 イザナは後ずさり穴の方へ逃れる。


 やがて壁と床は密着し、イザナを圧迫する。

 

 死ぬ?

 本能的に理解した。

 イザナは穴に出口を求めた。


 穴の先は青く、明るい。

 イザナは、決めた。


 手をかけると穴はさほどの反発もなくグニャと伸びた。


 穴を広げ、中に入る。狭い筒状の穴を広げながら這いずり進む。


 穴は足元から埋まっていく。壁や天井だったものが足先に迫ってくる。

「あっ、あうっ・・・」

 苦しい。

 グニャグニャの細い穴を必死で進む。

 恐怖に追われ、進む。

 穴の外へと、進む。


 そして、頭が、穴から抜け出た。

 長い黒髪がブワッと舞った。


 ビュウゥ―――――――――――――――ッ!


 

 イザナは目を閉じた。


 風だ。

 とても強い風。


 初めて感じる、風というもの。

 これが何かはわからなかったが、イザナの心は気持ちいいと感じた。


 薄目を開ける。


 周りは、すべてが青い。

 その青さの中に、白いもやがふわふわと浮いている。


 広い。


 どこまでも、どこまで行っても壁はない。

 床も、天井も。


「あっ!」


 白い部屋だったものが穴を足元から埋め、イザナの全身は押し出されるように外に出た。


 そしてイザナは、落下した。


 ゴォ・・・と、ものすごい風を顔に感じる。

 でも息はできたので押しつぶされそうだった先ほどのような恐怖はなかった。


 白いワンピースが、音を立ててはためく。


 浮遊感?落下感?

 イザナはそれを楽しいと思った。

 イザナは、いつの間にか笑っていた。

 大声で、笑っていた。

 それは、イザナにとって初めての笑顔だった。


 突如、ホワンッと柔らかいものに阻まれて、落下は止まった。


 

 イザナは、白いもやの上に、居た。

「・・・う?」


 そのふわふわのもやに手をついて、イザナは立ち上がる。



『やあやあ! おつかれ! 大丈夫かな?』


 頭上から先ほどの音が聞こえ、上を見上げた。

 そこには、人の頭ほどの白い球体が、浮かんでいる。

 なんだろう。これは。

 イザナは首をかしげた。


『あれ? 元気? 聞こえてる?』


「・・・・?」


『あー、やっぱり言葉忘れちゃったかな? こりゃぁ、この子もダメかな・・・』


「・・・う?」


『あー、ダイジョーブ! 壊れててもすぐに復旧したげるから!』


 球体がチカッと光ると、突然、イザナの頭に言葉があふれた。

 今の気持ちも、今までの気持ちも言葉でちゃんと言い表せる。

 そう思った。


 ここは、空だ。そして、なぜか雲の上に私は立っている。

 周りを見渡すと、遠くの雲にも自分のような人間が幾人も見える。

 その上に浮かぶ球体もそれぞれにある。

 あまりに遠くのものは見えないが、とてもたくさんいるように思えた。


 イザナはワンピースの裾をギュッとつかみ、尋ねた。

「あれは、一体・・・、何なのですか? 私は一体・・・」


『あー、うん。 ま、それはいいんだよ。

 ところで、君、自分の名前、わかるかな?

 やっぱり忘れちゃったかな~?』


 球体はおどけた調子で訊いてくる。


 何なのよ、これ。失礼だな、とイザナは思った。

 そしてちょっと腹立たしさを抑えて


「私はイザナですけど!」


 と答えた。



『・・・・・』


 何も言わない球体。

 イザナは少しむっとした表情で、それを見つめた。

 しじまが訪れた。


『・・・ぉおお~~~~~っ!』


 しばらくしてから、突然の感嘆の声。


『すごいじゃん! すごいよ! よく覚えてたな!

 おつむ弱そうな感じだったし、言葉も全然わからないみたいだったから、正直だめだと思ってたよー!』


「な!? なにがですか! わかりますよっ! 自分の名前くらい!

 だいたい、さっきからなんなんですか! あなたなんなんですか!

 すごく失礼です! 意味が分かりません!」


『えっ? そう? 僕、そんな失礼な感じ?』


「そうですよ! あと、この状況。説明してください!」


『説明・・・は、そのうちに。

 まぁ、とりあえず君は合格!

 いやいや、これはすごいことよ?

 ほら、周り、見てみ?』


 促されて周囲を見ると、先ほどまでいた自分と同じような人間たちは、白い球体に吸い込まれている。

 いや、球体がぽっかりと口を開けて膨らみ、人間を喰らっているように見えた。

 逃げて、雲から落下する者もいた。

 遠くてよく聞こえないが、みな、泣き叫んだり、苦しみもがいているように見えた。


「どういう・・・ことですか?」


 声が震える。


『不合格者はいらないでしょ?

 だから、処理してんの』



 青空が夕焼け色に染まるころ、周りから声がしなくなった。

 白い球体は、それぞれの人間を処理し終えると、泡がはじけるようにパチンと消えていった。

 

 そして誰もいなくなった。

 静かになった。

 ただ、風の音だけが聞こえた。


 言い知れぬ悲しみがイザナの心を満たした。

 顔を手で覆った。涙があふれて止まらない。


『んー。君は感受性が豊かで、優しい子なんだねぇ・・・。

 ま、そういうのもいいと思うよ? アリアリ!

 さて・・・ほかに合格者は・・・お、いるね?』


 ほかに誰か、いる?

 イザナは泣き濡れた顔をあげて、周りを見回す。

 

 どこまでも続く空の果ては緩やかに丸い。

 もしかして、世界はこの白い球体のように丸いのだろうか?

 夕焼け空にたなびく細い雲。

 その雲の合間に、ポツンと人影が見えた。


『合格者は二人か~。

 ま、妥当かな。

 大体いつも二人なんだよね

 じゃ、いくよ』


「え?」


 ゴッ!と猛烈な風が頬を薙いだ。

 そして、次の瞬間、目の前には人がいた。


「ふぁっ!?」

「うぉっ!?」

 突然、息がかかるくらいの至近距離に自分以外の人間の存在を見た。

 心臓が飛び上がるほど驚き、後ずさる。お互いに。


 自分の姿を見て、もう一度相手を見る。


 相手も自分を見ていた。

 見つめていた。

 ・・・顔を赤らめて。


 その表情を見て、カッと頬が熱を帯びた。

 恥ずかしい。そう思った。胸の鼓動が早い。

 イザナは顔を伏せた。


『おーおー、いい感じじゃない?

 純情少女と真面目メガネ君か。

 お似合いじゃないか』

『そうかなー?

 俺には引きこもり喪女と童貞メガネヲタに見えるぞ?

 失敗すんじゃね?』


 それぞれの頭上に浮かんでいた球体は、そういうとぐにゅりと柔らかくなり、くっついて一つになった。


『じゃあ、イザナ!』


「はい」

「あ、はい」

 少年と少女は同時に答え、目を見合わせた。


『ははは、みんな最初の名前はイザナなんだよ。

 でね。

 これから、君ら二人には、世界を作ってもらうんだ』


「えっ?」

「どういうことですか?」


『俺の名前は、アメノミナカヌシ。

 まぁもう会わないし、忘れてくれていいよ。

 君たちは、両方イザナなんだけど、それじゃ紛らわしいからなぁ・・・』


『君!童貞真面目ヲタメガネ君!』

「ぼ、ぼくですか?」

『うん。君。

 君はね!』

「イザナギ?」

『で、引きこもり純情少女はね!』

「イザナ・・・ミ?」

『そう、イザナギとイザナミ。

 なじむでしょ?

 もうなじんじゃったでしょ?』

「は、はぁ・・・」


 呆然とする二人に、アメノミナカヌシと名乗った球体は


『じゃ!頑張ってセックスしる!

 とりま、四六時中セックスな!

 セックスしとけば何とかなるから!

 ま、年頃の男女がこんなふわふわフカフカなとこで二人きりとか。

 もうセックス以外にやることないでしょ! ハハハハハ!』

 

 というと、パチンとはじけて消えた。


 ちょうど雲の向こうに日が沈み、夜の帳が下りようとしていた。



 雲の上に座る。確かにふわふわフカフカだ。

 イザナギはなぜか少し離れた所に座った。


 イザナミとなったイザナは、イザナギとなったイザナをみつめた。

 顔を赤くしたままイザナギはうつむいている。


 少し遠くのイザナギに、「あのぉ・・・しますか?」と声をかけた。


 ビクッとして面を上げるイザナギ。

 上気した顔。メガネ(というらしい)が曇っている。

 呼吸が乱れている。


「な、な、な、なにをっ?」

「その・・・セックスを・・・」

「えっ! いや! ちょっとまって! 出会ったばっかだよ!?」

「でも、それ以外にやることないって・・・」

「・・・・・・」

「しないんですか? セックス・・・」

「・・・・・・」


 こちらを見つめたまま無言になるイザナギ。

 しばらく逡巡した後、小さい声で、「い、いいんだね・・・」と言い、イザナミとの距離を詰めた。

 隣に座り、深呼吸をして、両手でイザナミの肩をつかむ。


「あ・・・」

「なっ、なに?

 あ、や、や、やっぱ、やめる?

 後にする?こ、今度にする?」

「いえ・・・そうではなくて」


 イザナミはイザナギの瞳をみつめ、

「そういえば、セックスって・・・なんなんでしょう?

 イザナギさん。ご存知ですか?」


 イザナギはピキッと固まった。

「そ、そこからかぁ・・・」というと、空を見上げた。


 悲しそうな、でも少し安心したような顔で・・・。



 ・・・。

 ・・・・・。

 ・・・・・・・。

 さぁ。今夜・・・何度目かの日本が、生まれる・・・はず。





【おしまい・・・あるいはいずれかの古事記へ】


 





 







 

 

 

 





 

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