第5話

 夜が来る。

 砦の松明が焚かれ、見張りの男達が交代すると。

――行くか。

 男は動き出した。

 体調は万全とは言えない。厄介者となった村では警戒を怠るわけにはいかず十分な休息を取れなかったのだ。しかし長く険しいこれまでの旅路の中、体調万全であった事など幾日あったと言うのか。

 むしろこの状態こそ、男にとって平常。問題はない。

「ああ、つまんねぇな。見張りの仕事は億劫で仕方がねぇ」

 交代で出てきたばかりの盗賊達はべらべらとそのような愚痴をこぼしながら配置に付く。その警戒心の欠けた様は夜の闇の中、遠目からでもよくわかるほどで、巨大化した盗賊団に長年脅威となる存在がなかった証であろう。

 男は見張りの目を掻い潜り、砦の暗がりから所々石の欠けた壁をよじ登りその内部へと潜入する。

 人気のある二階を避け三階窓より侵入する男。

 長らく放置されていたのだろう、部屋に充満する独特の不快な臭いが彼の鼻を刺激した。

――近頃人が使ったような形跡はない。

 男が侵入した砦の空き部屋、その付近からも人の気配はしない。

 三百人という盗賊にしては大所帯であるドルバンの山猫だが、このバハーム砦は解放戦争時、千を優に超える兵士達が詰められていた拠点である。盗賊達が占有するには広すぎるぐらいの大きさだった。

――一、二階が本命か。

 人の気配はせずとも男は慎重に砦三階部を進む。

 夜空に浮かぶ月と星の光りだけがわずかばかりに照らす砦の通路、足音を殺し、暗闇に目を凝らし彼は山猫を探した。

――まずいな。

 男はこの砦の構造に詳しくない。砦の部屋の配置、首領ダーナンや古参の盗賊達の居場所を知る者を捕まえ聞き出す必要があった。その為、彼は人気の多い二階以下ではなくこの三階部で集団からはぐれた山猫を探していた。

――失敗だったか。

 想定していたよりもずっと大きな砦に、男の脳裏で村で最後に殺した盗賊の顔が浮かぶ。あの男から砦についてもっと詳しく聞きだしておくべきだったと、内心彼は己の浅慮を笑った。

 だが運に味方されたか、松明の明かりを手に山猫が一匹、男の潜む闇に迷い込む。

――こいつでいいだろう。

 見回りか、それとも何か別の必要があってこの三階にやってきたのか、それはわからない。

 安易に手をだせば騒ぎに繋がる可能性もある。しかし、男に迷う暇はない。

 どのみち騒ぎは避けられぬ。今必要なのは、情報。

 これから圧倒的に数で上回る盗賊相手に戦うにはどうしても知っておくべき情報、それをできるだけはやく手にする必要があったのだ。

 男は闇に紛れ慎重に山猫へと近付く、その距離を相手に覚られる事なく縮め、そして必殺の間合いに届いたその時。

「ぎゃっ!!」

 不意の一撃が山猫を襲った。

「死にたくなければ静かにした方がいい。私も殺しは好きじゃない」

 男は山猫の手より転がり落ちた松明の火を消し、空き部屋の中へと獲物を引きずり込む。彼の手には鋭い刃を持つ短剣が握られており、その切っ先はいつでも山猫の急所に突き立てられるよう準備されていた。

「な、何者だ。あんた……」

 震えた声。混乱と恐怖がこの盗賊を支配している証。

「私が何者であるかは重要じゃない。問題は、お前が私の質問に正しく答えるかどうかだ。もう一度言おう、私は殺しは好きじゃない。だが、助かりたいのならば私の質問に、正しく、答えるべきだ。いいな?」

「あ、ああ」

 有無も言わさず頷かせる。

 混乱する頭のうちに、つまりは冷静な判断を奪い、質問を浴びせる。この状況が要。

 男には盗賊が吐く言葉の真偽を確かめようはない。だからこそ、突然の恐怖により思考を奪い、場を支配し、真実を吐き出させる必要がある。

「この砦にいるのはお前達ドルバンの山猫だけか?」

「そ、そうだ……」

「それはおかしいな。攫った者達はどうした?」

 盗賊が人攫いなど珍しい話ではない。ドルパンの山猫が東黄人の女達を村々から攫っているという話は男も耳にしていた。

「そ、それは……」

 一瞬言葉に詰まる盗賊。

「地下だ。女はまとめて地下牢に放り込んである」

 そう言った瞬間、男の短剣が盗賊の指を刎ね飛ばした。

「ぎっ!! いってぇ!!」

「静かにしろ。 次は指じゃなく喉を掻き切るぞ」

 真剣な口調。盗賊は痛みを堪え必死に息を殺す。

「私は正しく答えろと言ったはずだが」

「う、嘘じゃねぇ。嘘をつくつもりなんてねぇんだ。ただ頭から女共の事が抜けてて……」

「言い分けは必要ない。必要なのは私の質問にお前が正しく答える事だ。わかるな?」

「わかってる!! わかってるから!!」

 さらなる混乱と恐怖に支配された盗賊。彼から情報を引き出す事にもはや何の障害もない。

 砦の構造、ボスの居場所、盗賊達の現状、あらゆる情報を吐き出させる。

 もうこの盗賊に用はない。

「最後に良い事をしたな。地獄で死神に伝えるといい。多少の情けはかけてくれるだろう」

 男が短剣で盗賊の喉を掻き切る。そこには躊躇いなどありはしない。

 血の臭いがする部屋で男はこれからの行動を頭の中で整理し決断する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る