猫  唯と俺と久我。

 ようやく変化の術を習得した俺は、喜び勇んで唯と交際を始めた。

 しかし術の上達とは裏腹に、俺の恋愛に関する情報は全然足りていなかった。

 師匠曰く、現在の俺の男女交際スキルは、概ね中学生レベルだそうだ……。


 唯には申し訳ないが、なわばりの外はよく分からないので、デートも極力近所ばかりだ。

 しかし、改めて人間として付き合ってみると、唯の警戒心の無さには驚嘆する。

 道を歩けば、両手にティッシュとチラシの束が出来るし、変なスカウトにも、二つ返事でついていってしまう。

 ……唯よ、今更だけど、猫に心配される人間って、どうかと思うぞ。

「あの、お茶でも飲んでいきませんか?」

 ある日唯は、帰ろうとする俺を引き止めた。みだりに男を部屋に入れるなと、普段から言っているのに……。

 俺が部屋に上がるのをためらっていると、唯はいつにない素早さで、先輩どうぞ――と、熱い番茶を勧めてきた。

 飲まずに帰るのは失礼だ。だが、猫舌の身としては、とてつもなくツライ。

 結局、必死すぎた俺は、湯のみが大半カラになるまで、彼女の視線に気付いてやれなかった。

「何か心配事? 僕で良ければ相談に乗るよ」

「……先輩。私ってやっぱり魅力ないですか」

 俺は、思いっきりお茶を吹いた。

 ――ええぇッ? お前の心配ってソレぇッ?

「ど、どうしたの急に? そんなことないよ」

「じゃあ、何で今までキスもしてくれないんですか? 本当は、期待ハズレだったんじゃないんですか?」

 唯は俺を責めるように、一気にまくし立てた。

 ――こ、困った。どうすりゃいいんだ……。

 彼女に本当のことも言えず、かといって上手い言い訳も出来ない俺は、目を逸らして黙りこんでしまった。すると唯は、急に隣にすべり込み、無言で俺のズボンのファスナーを下ろし始めた。

「ゆ、唯ちゃん? 何、してる……の?」

「私がんばるから、先輩!」

 え? ナニ? がんばる?

 言葉の意味を考える間もなく、唯が下着の上から俺の分身をまさぐり始めた。

 人の身で味わう初めての強烈な刺激に、俺は……。

「やめ……て、唯……」

 必死に絞り出した言葉は声にならず、かすれて吐息に紛れた。

「いいから、私にまかせて」

 唯は俺の嘆願を無視し、敏感な部分を艶めかしい手つきで撫で回し続ける。

 俺は彼女の手を何とかどかそうとするが、快感の強さに頭がもうろうとして、体が言う事を聞かない。

 ……や、やばい……。このままでは……。

「で……、出ちゃう……」

 ――思わず、情けない声が漏れた。

「いいよ、先輩」

 ――唯が俺の下着を脱がそうとする。

 い、いいや、ダメ、ダメダメッ、マジでこれはダメ!

 出ちゃうのは断じてお前の想像しているものじゃないぞ、唯!

 変化を覚えたての俺は、動揺すると耳や尻尾が「ポロリ」してしまう。

 だから、極力こういうことを避けてきたのに……。

 このままでは俺がレオだとバレてしまう。

 今のあいつでは、きっとこの事実は受け入れられまい……。

「唯ちゃん……、ダメ……ッ!」

 俺は己の太股に爪を深く突き立て、快楽に飲まれかかった意識を引き戻した。

 ようよう唯を引きはがし、正体バレの危機を脱した俺は、奇行の原因を聞いてみた。

「唯ちゃん、なんでこんなことするの?」

「だって、男の人はこういうの好きなんでしょ? 私、先輩に気に入られたくて……」

 唯は残念そうに、ポツリと言った。

「……は?」

「今まではね、きっと、愚図で、男の人の喜ぶこと、ちゃんと出来なかったから、何度も捨てられてたんだと思うの。だから……」

 なんてこった! 唯はここまで食いものにされていたのか!?

 ――俺の唯を好き勝手にしやがって!

 俺は困惑顔の唯を抱き寄せ、彼女がおれにしてくれるように、頭を優しく撫でてやった。

「俺にはそんなこと必要ない。絶対にお前を捨てたり嫌ったりしない。だからもう、媚びるような真似はしないでくれ。……お願いだ」

 唯はコクリと頷いた。だが多分、俺の真意は伝わっていないだろう。

 悔しいが、もう彼女の頭の中には、プラトニックラブというモノは存在しないのだろうか……?

「なんか思い詰めさせちまって、ごめんな」

 腕の中で、唯は小さく頭を横に振った。

「唯、ちょっと目ぇ、つぶってくれるか?」

「……目? どうして?」

「いいから、……な?」

 俺は深呼吸を一つすると、そっと唯に、やっと触れるくらいのキスをした。

 普段照れもなくコイツの頬や足を舐めたりしているが、やはり唇は……特別だ。

 わずかに触れただけで心が震え、出なくていいモノが顔を出してしまう……。

 俺は唯の頭をぎゅっと胸に押しつけた。

 激しい鼓動を彼女に聞かれるのは気恥ずかしいが、また首を絞められるよりマシだ。

「今はこれが精一杯……。ごめんな」

「ううん。……すごくうれしい」

 なんだよ。そんなに喜ぶんだったら、もっと早くキスしてやるんだった。

 バカだな、俺。

 でも、しゃーねぇよな。猫、だからさ。

「俺、実は女の子と付き合うの、唯が初めてなんだ。なんていうか……、ほんとゴメン」

「うそっ! こんなに格好いいのに?」

 嬉しいことを言ってくれる。まぁ、この容姿は、お前の好みを百%具現化したんだから当然かもしれないが。

「恥ずかしくて言えなかった……。でも俺、ちゃんと勉強して唯に相応しい男になるから、もう少し我慢してくれるか?」

「うん。……ありがと、先輩」

 俺は頭の耳が引っ込むまで、ずっと唯を抱きしめ続けた。

 そして、やっと俺の腕から解放された彼女の顔は、月明かりに照らされて、とてもキレイだった。……悪い奴だな、俺も。

「先輩……」

「ん? なんだ、唯」

「先輩って、キャラ作ってたんですね?」

「あ……」

 気が付けば怒りのあまり、すっかり地のままになっていた。これじゃぁ師匠の演技指導が台無しだ。

「私は、素の先輩の方が好きですよ」

 唯はバツの悪そうな俺を見て微笑んだ。

 真顔で恥ずかしいこと言うなよ。

 上目遣いで俺を見る唯と、お前を見上げることしか出来なかったおれ。すっかり立場が入れ替わっちまったな。

 いつの日か本当の事が言えたとき、お前は俺を許してくれるだろうか……。


                  ◆


 帰りに唯が送ると言って聞かないので、渋々大通りまで一緒に出た。

 照れながら手を繋いで歩いていると、ひどく悪目立ちする男が、「よ、ユイ、久しぶり」と声をかけてきた。

 唯は強ばった表情で、俺の手をぎゅっと握りしめた。

 似合わない金髪にニヤけた口、細く剃った眉、ムダに日サロで焼いた肌。どう見ても頭が沸いている顔だ。

 ――で、コイツ誰だ?

「なんだユイ、もう男をつかまえたのかよ」

 男はチッ、と舌打ちをした。

「せっかく俺様がヨリ戻してやろうと思って、わざわざ来てやったのによぉ!」

 ヒドイ! ヒドすぎるッ! こんなのと付き合っていただなんてッ! 唯、ウソだと言ってくれ!

「けッ、面白くねぇ。誰だか知らねぇが、そんな女くれてやる。俺様の使い古しだがナッ!」

 次の瞬間、俺は奴の顎を蹴り上げていた。

 チャラ男の体が宙に舞った。そして腹に二撃目の蹴り――。

「ぐぁあッ!」

 チャラ男は、うめき声を上げ、面白い程軽々と吹き飛んだ。

 これは猫又の妖力のせいか? 格段に力が増している。

 奴は数メートル先のガードレールに体を打ち付けると、歩道の上に無様に転がった。

 ――その動きが、俺の嗜虐心に火を点けた。

 俺が歩み寄ると奴は、「ひッ」と短い悲鳴を上げた。

『なんだ、まだ生きているのか。唯をけがしたクソムシめが!』

 奴は手負いのゴキブリのように、這いつくばったままヨロヨロと逃げてゆく。

 トドメを刺そうと俺の爪が、無意識に奴の頭を狙う!

「やめて先輩、久我くんが死んじゃうよ!」

 ――悲痛な唯の叫び声で、俺はやっと我に返った。いかん、つい猫の狩猟本能が……。

 ――ん? まてよ? 「久我」だって?

 しまった! コイツと出会う可能性を失念していた。

 久我の友人という設定を考えたのは師匠だが、遭遇時の対処までは、考えていなかった。

「二度と唯の前に顔を見せるな!」

 俺はそう吐き捨てると、怯える唯の腕を強引に掴み、今来た道を引き返した。


 気まずい雰囲気の中、案の定唯は、

「先輩って、本当に久我くんの友達なんですか?」と、疑ってきた。

「久我くんは先輩のこと『知らない』って言ってましたよね。……本当は何者なんですか?」

 俺を睨む瞳に涙が滲んだ。

「ごめん。……知り合うきっかけが欲しかっただけなんだ。でもそれ以外は、全部――」

「先輩も私にウソをついてたんですね。今までの人たちみたいに……」

 唯の腕を掴んだ手は、強く振り払われてしまった。拒絶が俺の心をさいなむ。

「違う、俺は――」

「もう来ないで! 嘘つきも乱暴な人もキライ! 先輩の顔なんか二度と見たくない!」

「聞いてくれ、俺、本当は――」

「先輩のバカ――ッ!」

 唯は俺に罵声を浴びせ、泣きながら走り去っていった。

 俺は呆然ぼうぜんとして、その場にずっと立ち尽くした。


 最悪だ。唯に嫌われた。例え人間になっても、俺の心はお前に届かないのか?

 こんなに好きなのに、俺はもうお前を護れないのか?

 猫又としても男としても拒絶されて、俺はこれから一体どうしたらいいんだ……?

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