おお魔族よ死んでしまうとはなさけない

@THASAIDIN

第1話 逆・異世界転生

 歴史ある魔法都市〈百塔のプラーガ〉を、今や3種のがてらしていた。


 火事と、松明と、火刑に処された犠牲者たち。


 串刺しにされ、聖油を塗られ、聖火をともされた火刑台上の「異端者」たちは、ほどよく並ぶ街灯のかわりだ。それらが赤々とてらす大通りを、松明をかかげた狂信者たちの列が行く。


 伝統ある魔法音楽学院は焼き打ちにされ、生徒たちは教師から新入生まで「魔女」とされ、神罰ならびに天誅てんちゅうがくだされた。


 魔王陛下の暗黒騎士団は、まだ来ない。


 いや、かれらが来ても、勝てるだろうか?


 あの暴威に? あの理不尽に? 突如として「この世界」にあらわれたあの災厄に?


 恐るべき黙示録アポカリプスの騎士ども、彼方の世界より来たる蘇生者リジェネレーター、女神に与えられし卑劣チートをふるう者ども……あの、あの……


 ――異世界転生者に!!


「っけんな、このクソ市長、なんのアイテムもドロップしねえ! 聖遺物レリックくらい落とせよカス!」

「超必殺魔法ファイヤーフレイム! 相手は死ぬ! ……あ、やべ、街の区画ごといっちった。……まっ、いっか、どうせ更地にするし」

「んんんんwww! 吾輩好みのロリロリエルフを奴隷にするでござるぞwww洗脳魔術、発動ぅ!!」

「よし、計画通りだ。高レベル現地ウィザードを魔法陣の形に並べて、串刺し&火炙りで大量処理。これで効率的にMPを回収できるな」

「ああ、これからオレたちの新しい国造りが始まる! 近代的かつ合理的かつ啓蒙的な理想国家を築いて、お花畑ファンタジー土人どもを導いてやろうぜ!!」


 たった数人の〈異世界転生者〉たちの攻撃で、西方世界に冠たる魔法学園都市は陥落した。

〈百塔の都〉の市民たちは、幼きころより魔法文化に親しみ、知識と教養と人倫を尊ぶ文明人だ。

 しかし異世界転生者がこの街にかけた禁呪は、魔王ウィッチキング誘惑チャームすら顔色なからしめるものだった。

 市民たちは脳と魂をこぼたれ、暴徒と化した。

 かつては街の誇り、尊敬の的であった魔術師を引きずり出し、上は老師から、下はまだあどけない見習い魔女まで、その股ぐらに荒削りの杭をうちこみ、生きたまま放火した。

 数百年前に禁止された「魔女狩り」の再現だった。



「町はずれの孤児院に魔族がまだ生き残っとるつう噂だぞ!」

「アンデッドさまにはやくお教えしないと……!」

「殺せぇ! みんな殺して燃やしてアンデッドさまに捧げるんじゃあ!」


 人々は〈異世界転生者〉のことを”アンデッド”と認識していた。

 なにしろ(本人たちの話によれば)かれらは一度死んで――「どこ」で死んだかはさておき――そして甦ったのだから。

 まぎれもなく、不死者アンデッドだった。

 亡者アンデッドであり、死霊アンデッドであり、不死の怪物アンデッドだった。


「やめてください、この子たちは魔族じゃ――きゃぁっ!」

 修道女がつきとばされた。勇敢な、無謀な少年が食ってかかる。

「ねえちゃんになにするんだ!」

「ああ? なにすんだ、このガキ! オレの経験値にしてやろうか!」

「ふっ、面倒だ、僕の禁じられし禁断の黒魔術、シュヴァルツブラックで、全部漆黒の塵に返してやろう!」

「おひょひょー! まだロリっこたっくさん! 吾輩のまじかるロボトミー魔法で、ハーレムにくわえてやるでござるよー」

「うーん、子供か。こういう非労働非生産の人口をより効率的にMPに変換する方法を考えないとな。拷問しながら共食いカニバリズムさせるとか?」

「みんないい加減にしろ。かれらがバカで貧乏なのは仕方ないだろ。リアル中世で、脳みそまでファンタジーなんだから。まずは試しに近代的尋問術、CIA公認のウォーターボーディングでもやってみて――」


「そ、その子たちに手を出すな!」

 ぼくは我慢できず、思わず叫んだ。

「だめ、せんせいでてきちゃだめ!」

「かくれてないところされちゃう!」

 子どもたちがつぎつぎと叫ぶ。――叫んでくれる、ぼくのために。

 もう隠れてはいられない。ぼくは古びた本棚の隙間――指三本ほどの狭い隙間から、押し潰した肉体を変形させつつ、姿をあらわした。

異世界転生者アンデッド〉たちが(恐らく生理的嫌悪から)かすかな悲鳴をあげる。微妙に正気SANも削れたようだ。

 スキル「肉体変異」を発動。ゲル状のからだ魔力MPを消費し、固有のものに組みなおす。

 筋繊維を縄のように束ね、網のように編み上げる。

 触手を四肢に、触角を五官に、鞭毛を十指に、繊毛を衣服に織りあげ、人型にならんとする。


 孤児院の砕かれた扉の向こう、髪をつかまれ顔をあげられ絶望しきった修道女の顔、涙ぐむ子どもたちの顔、その後ろには五人の恐るべき異世界転生者アンデッド、そして無数の狂わせられた群衆、その背景には燃え上がる古都。


 恐怖。だが、恐怖以外の何かが躰を動かす。神経線維がもつれ、手足に痺れが走る。指先がふるえ、最後の指が二股に分かれてしまう。捏ね上げたばかりの胃袋がぎりぎりとねじれる。反転して、五臓六腑を丸ごと吐きだしそうだ。

 それでもなんとか人型の姿を模した。

 真の魔族ルーリングたるその姿、純血の魔人たる姿をば。


「魔族はぼくだ。名はユーマ。魔術師じゃない、純血の魔族だぞ。その子たちは関係ない、放してやれ」

 ぼくは痙攣する四肢を押さえつけ、慎重に歩を進める。願わくば、敵の目に『恐るべき高位の魔族』らしく見えているように!


 子どもたちの前に、立つ。

「もうだいじょうぶだよ」まだ五本指になっていない鞭毛の手で、頭をなで、小声でささやく。

「せんせぇ……!」

 物心ついたばかりの少女だ。戦災孤児で、母親の亡骸を前にしても泣かなかった。

 それなのに、ぼくのために泣いてくれるのか。やめておけ、その涙はとっておけ。これからもっとつらいことが起きる。


 スキル「透視」とスキル「読心」を発動する。目玉が熔けた宝玉のように流動する。左目には紅玉ルビー色の、右目には柘榴石ガーネット色の魔法陣が映し出され、魔女が鍋をかきまわすように、ぐるぐると回転する。

 異世界転生者アンデッドどもは、たじろいだ。前衛職は2、3歩、後衛職は10歩ほど後退した。

 願ってもない反応だ。ぼくの保有スキルはどれもFランク、それもスキルレベルは3未満とくる。

 おまけにできることは「敵の状況ステータスを把握する」――ただそれくらいにしか役立たない。

 学院の魔術師なら鼻で笑うか、学院の生徒でも「ちょっとした悪戯」程度にしか思うまい。

 だが、こいつら異世界転生者アンデッドは所詮異世界人よそもの――この手のこけおどしには弱いと見える。

 かれらの注意は、このぼくにむいた。

『レベル5』の雑魚モンスターのぼくに。


「うわ、はじめてみた、まじもんの魔族じゃん。人間の魔術師じゃねえ! 経験値いくらくらいよ?」

 筋骨隆々の大男(ただし身長と筋量を増やす呪術を使用済み)。

 職業は「狂武僧バーサクモンク」、レベルは……100max


「なーんだ、ゴスロリ悪魔っ子じゃないナリか。

 四肢切断ダルマ肉便器&永続蘇生魔法耐久プレイを楽しもうと思ったのにぃ!」

 美形の男(ただし西方人風に魔術で整形&脂肪吸引済み)。

 職業「聖職者プリースト」、レベルは……100max


「フッ、なかなかの強敵のようだな。

 だが、人呼んで〈黒き漆黒の貴公子ブラックプリンス〉と恐れられる、このオレの相手になるかな?」

 右目に眼帯の男(なお、右目は裸眼で視力1.5の模様)。

 職業は「白魔術師ホワイトソーサラー」、レベルは……100max


「悪魔の生態には興味があるね。とりあえず生きたまま生体解剖しよう。

 そして蘇生魔法で甦らせて、三千回くらいやれば、有用な統計データを取れるな」

 美形の男その2(ただし西方人風に魔術で整形済み)。

 職業は「錬聖術師ミスリルアルケミスト」、レベルは……100max


「ようやく歯ごたえのあるヤツと戦えそうだな。

 なにせ孤児院に巣食って子供を食らうクソ魔族……倫理的にぶっ殺しても問題ない相手だ!」

 目がガラスのように澄んだ男(精神汚染の影響あり。なお、症状は「前世」から継続している模様)

 職業は「剣聖ソードマスター」、「聖騎士パラディン」、「勇者ブレイブ」、「英雄ヒーロー」の四重。

 レベルは…………………………………………………10000cheat


「……フッ」

 知らず口もとから笑いがこぼれる。

 ――うん、これは勝てない。

 つーか、百歩おいてレベル100はともかく、なんだよ、「レベル1万」って。

 孤児院ウチの子供たちが勇者ごっこするときでも、そんなバカな数字は言わないぞ。

 しかし、悲しいことに真実なのだ。

 一方、ぼくのレベルは5きっかし。しかもこれがクラス上限だ。

 純血の魔族なんて威勢を張ったけど、その正体は魔王軍でも最下級の、最下級。

 粘魔スライムの肉体に、たまたま低級霊ラルヴァの魂が入っちゃった、淫獣インクブスの、クソザコナメクジ。

 妖狐や魔犬、猫又ねこまたへのクラスアップを目指す狐さん、犬さん、猫さんたちの幼年組(?)に混ぜてもらい、一からこつこつ、百年につきレベル1の速度であげてきたのだ。

 人並みの知性INTを得たのだって、ほんの十数年前だ。

 嘆かわしいことに、そうまでしても知性INT以外のステータスは上昇しなかった。

 もう苦笑いしかでない。

 その肝心の知性だって人並み――つまり、種族「人間ヒューマン」の平均値と大差ない。

 つまり、魔族の中じゃ低いほうってことだ。

 戦略、戦術も素人で、戦闘でも役立たず。

 まあ、それでも魔王さまたちの温情で、兵站担当の職につき、どうにかこうにか食っていけたけど。

『兵站担当』といえば、聞こえはいいが、ぼくの場合は、給仕、洗濯とか、ああ、あとマッサージとか得意でした。

 ようするに雑用だ。

 とある戦役で(「うわあ、きれいな花だなあ」とか見惚れていたら)うっかり戦地に置いていかれ、

 同じ境遇の戦災孤児をどうしても見捨てられず、拾って育てていたら――、

 あれよあれよと孤児院の経営者に……!

 運よくたどりついた人間の都市がリベラルな魔法都市だったおかげで、いろいろと便宜をはかってもらったり、シスターがボランティアで来てくれたりと……。

 いつのまにやら、文字通り「人並み」に暮らしていけるようになっちゃってしまい……。

 いやいや、これでも昔はひとりの魔族おとことして成功する夢を見ていたこともあるんだぞ。

 この調子でレベルをあげて(千年後くらいに)魔王になってやろう、いやいや、いつしか冥王ダークロードになってやろう、とかね。

 ……ま、そもそも孤児院の子供にすら正体がすぐばれる時点で、下級魔族としても失格……まさに最下級魔族だ。

 もともと人を襲ったりできる性分ではないらしい。

 まあ、それがこのぼく、底辺魔族、ユーマなにがしの人生……『だった』。


 ここでその生涯は終わる。

 敵は伝説の勇者レベルが五人。

 偉大な魔王さまたちが刺し違えるような強敵。

 だが、一度、魔族として生まれたのだ。

 ならば一度くらい――魔王らしくふるまってやる!


「フフフ、わしの陰謀たくらみを見破るとはな。さすが異界の勇者どもじゃ――!」

『わし』とか一人称に使っちゃうぼく。

 語尾に『じゃ』とかつけちゃうぼく。

 そんなヤツ今どき古株の魔王さまにもいねーよ。

「我が名はユーマ・イシュルギィーア!」

 名字は今適当に考えた。

「人間の子どもをさらい、ぶくぶくと太らせてから、おいしく貪り食らう予定だったのだがな!」

「うそだ、せんせぇはいつもやさしかった!」

「いっぱいごほんをよんでくれたもん!」

「ねむれないときいっしょにねてくれた!」

「もういないお母さんとおとうさんのかわりになってくれたよ!」

 やめろ、そのての呪文セリフはぼくに効く、ほんとにやめろ。

 ぼくは演技を続けた。躰をせいいっぱい大きく、そしてグロテスクに変形させながら。

「ふはは、我ながら完全なる幻惑まどわしの術よ。まんまと騙されおって、この小童どもめ、フハハハハ!」

 ……小童こわっぱとか人生で初めて使ったな。

「よく聞け、子どもら、わしは貴様らのことなんぞ、なーんとも思っとらん!」

 ……だから、だからね。

「この『恐るべき魔族さま』から急いで逃げるがいい、脱兎のごとくな!」

 ……あ、脱兎だっとじゃ子どもに分かんないか。それじゃ、ええと……。

「無力なウサギちゃんのごとくな!」

 指を伸ばした鞭毛で地面を引っぱたき、

「さあ、とっとと行け! そして、わが魔王さまの暗黒騎士団にできる限り早急に捕まるがいいわ!」

「うわああああああああ!!!」

 子どもたちは逃げていく。事情を組んでくれた年長組が、泣きじゃくる幼い子たちを引きずっていく。

「そこの修道女もだ。会った時から聖水臭くてかなわんかった! とっとと去れ!」

「ユーマくん、あなた……」

 シスターは唇をかみしめ、恐怖をふりきり、走りだす。

 彼らを追うものはいない。

 五人の異世界転生者アンデッドは完全にこちらを見据えていた。


「こんのクソ魔族、レアアイテムドロップしなかったら承知しねーぞ!」

「ああ、吾輩の! 吾輩のロリっこたちが! 吾輩の肉オナホ候補生たちが逃げていくナリィ~!!」

「クッ……魔眼がうずく……! まさかこんなにも早く秘儀シュバルツアイズを解放する日が来るとはな!」

「こんな時だけど、いい考えを思いついた。現実世界の自爆テロを丸パクリして、洗脳魔法と火炎魔法を組み合わせりゃ……人間子ども爆弾の完成だ! やっぱオレって内政向きじゃん?」

「いいか、よく聞け、クソ魔族! テメエみたいに力で他人を虐げる、優劣意識に凝り固まった階級意識丸出しの最低のクズをぶっ殺すために、オレはトラックに轢かれて転生したんだよォォォオ!!」


 異世界転生者アンデッドたちの魔力、攻撃力が、神々の冗談のように急上昇する。

 というか、まだ上がるのかよ……。

 ぼくはさらに体組織を希薄化させ、できる限り巨大化して威嚇する。

 さらにグロテスクに変形したおかげで、見た目だけなら名のある魔王様よりも強そうだ。

 今こそ思う存分味わうがいい、このぼくが数百年(その間、知性があったのは最近の十数年だけ)をかけて磨き上げた必殺技の数々を――。

 ひとつ! ぶ厚い木の板すら切り裂く必殺の殺人触手テンタクルスラッシャー

 ひとつ! 泣く子も黙る子守歌スリープ・ザ・ソング

 ひとつ! 猛犬ですらときどき死ぬ強烈な魔性毒マジカルポイズン

 そして、人間らしい心……とでも言えば、オチがつくのかね。


 ぼくは並み居る五人の異世界転生者バケモノに言った。


「さあ、かかってこい、地球人アースリング

 ――ファンタジーをなめるなよ」


 かくして、剣と魔法の交錯する、一大決戦の幕が切って落とされた――!




 ………………。



 …………。



 ……。




 気が付けば真っ暗な世界にいた。

 ……いや、その……うん、まあ、分かってたんだけどね。

 分かっていましたよ、ほんとに? 

 ちょっとくらいチャンスあるかなーとか思ってたりはしたけど。

 十分覚悟の上でしたよ?

 ……自分が死んじゃうことくらいはさ。

 でも、実際死んでみると違うもんだよね。現実感がないって言うか。いや、実際現実この世じゃないわけだけど。


 のっぺりとした黒い虚無の空間。これが死後の世界ってわけか。

 人間たちは生前の行いと信仰する神々によって、天国とか、浄土とか、黄泉の国とか、戦獄ヴァルハラに振り分けられるらしいけど、魔族はみんな無神論者だ。

 さもなければ、魂が神々の管轄下に入って、人間たちの天国の逆バージョン、つまり地獄で永遠の責め苦を追うはめになる……らしい。

 ということは、ここはどこだ?

 そんなことを考えていると、どこからともなく声が聞こえてきた。




「――おお魔族よ死んでしまうとはなさけない」




 幼い娘が、暗き御座みくらに、仔猫のように寝転んでいる。

 その肌は神酒みきをとかした桃の色、その瞳は蒼穹あおぞらが夕陽の緋色に屈するあわいの、ほんのわずかな時しか見られない神秘的な深色こきいろ……深紫ディープパープルで、心なしか吊り上がった形をしている。

 小柄な肢体は、黒絹のほう一枚にぴったりとおおわれ。その上半身は、妖精族の乙女のよりも華奢でしなやか、下半身は女夢魔の娼婦よりもむっちりと豊満で、しりももしし置きはなまめかしい。


 ――ぼくは気づく。

 暗き御座に横たわるこの幼き娘は……乙女の上半身と、娼婦の下半身を持つ、この美幼女は……かの半人半蛇のラミアーよりも、半人半鳥のセイレーンよりも、何千倍も危険な化生けしょうだと

 

 蠱惑的な双眸まなざし、無垢なる白きはだえのコントラストは、仮にも淫魔の血統インクブススローピィの末席を汚すぼくですら、軽い魅了チャーム混乱コンフュージョンの状態に陥らせるほどだった。

 聖職者ならその場で発狂、王侯なら十のくにか百の城が傾くレベル。


 美幼女はそのくちびる――艶やかで、厚く、小さく、柔らかく、ぽってりとして、赤々として、あたかも接吻キスのマークの具現化めいたそれ――で、流麗な形の水煙草を軽く一吸い。甘い媚香を、ふぅ、と吹く。

 そしてから肘をつき、これまたいちいち男を堕落させそうな具合に嫣然に笑むと、


「――ちこうよれ、わが臣よ」


 と、ぼくに呼びかけた。


 ぼくは考える。たかだか十数年しか使ってない脳みそをふりしぼる。


 ……うん、この方はどう見たって、高位の魔族だ。

 それも〈魔軍七十二侯〉の上位を占める大貴族か、大宰相、あるいは少なくとも十以上の軍団を総べる軍団長と見た。

 いや、最悪の場合、世界で十人しかいない〈魔王陛下〉その人である可能性もある。

 もし次の台詞で、この方の一人称が『余』とか『わらわ』だったら、全身全霊をふりしぼって非礼を詫びよう。――最下級魔族と同じ息を吸っているという非礼を、だ。


 美幼女はのたまった。


「フフ、そう恐れずともよい。なんとなれば、ちん思うに――」


 魔王様より上だ、この子――ッ!!

 朕だぞ、朕! 一人称に「朕」を使うのは、世界でも4名だけ。そのうち3名は人間で、神聖抹独マルドゥック帝国の皇帝、龍国ドラコニアの天子、さもなくば、日出ひいずる皇国の現人女神あらひとめがみだけだ。

 そして最後の4人目は……。


「なんとなれば、朕思うに、汝ら魔のうからは、身分の軽重を問わず、愛しき子孫うみのこに他ならぬからじゃ」


「ま、まさか、あ、あああ、あなた様は、め、冥――」


「さよう。朕は東方世界にて〈白面金毛の妖姫妃ようきひ〉、

 中央世界にて〈バビュローンの大淫婦〉と讃えられしもの、

 西方世界では〈冥王ダークロード〉なる俗な名でも呼ばれておるがの」


「ででででも、冥王様っ! あなた様は千年前に封印あそばされ――いや、ご無礼を冥王陛下!

 いや違う! 魔王陛下の皆様方より偉いんだから「陛下」はダメだろ――!

 め、冥王聖下せいか――は、陛下より上の呼び方だけど、それは人間の教皇の尊称……!

 失礼千万! じゃ、じゃあ、逆転させて――冥王魔下まかとかで!?」


「ああ、もう、よいよい、冥王様でよい。

 ほれ、汝も一吸いどうじゃ」

 男を指さきの一掻ひとかきで絶頂死させそうな美しい指でつまんで、冥王様は水煙草の吸い口をゆずってくれた。


「ご、ごごごご光栄に! ま、まこと、恐悦至極でありますれば!」


「ほんに恐悦きょうえつ至極しごくってるのう……まあまあ、落ち着け。話が進まぬ」


「ふはぁー、はい、落ち着きました」


「……なれ、意外と心の根が太いの」


 ぼくはたっぷりと媚香を吸い、どうにかこうにか元気を取り戻すと、冥王様に低姿勢で問いかける。

「あの冥王様は、つまり、本当に冥王様でいらっしゃる……?」


「さよう。疑うのなら透視なり読心なりしてみるがよい。とくに抗わぬがゆえ」


「そ、それでは失礼して……」


 スキル「透視」並びに「読心」を発動。もちろん、スキルレベルが低いので、ふつうなら冥王様どころか、そこらへんの小悪魔にも余裕でキャンセルされるけれど、ご本人が受け入れてくれるなら話は別だ。


 そして結果は……、


 職業は「冥王ダークロード」。

 レベルは……………………………………………………infinite


 チートとか、そういうレベルじゃねえ。

 この方は本当にあらゆる魔族の王、神々に次ぐ力の持ち主なのだ。


 だが、その真実を知った結果、ぼくはあまりしたくない質問をせざるを得ない。


「ということは、ここは?」


「冥王がおるのじゃ、冥府に決まっておろう」


「ということは、ぼくは?」


「冥府におるのだ、死んだに決まっておろう」


「ですよねー」


「ですのじゃー」


 ぼくはすすり泣きを始めた。


「……あの、でも冥王様。ぼくはどれくらいの間、やつら転生者アンデッドを引き付けられたのでしょうか。躰を変形させて威嚇して、あれやこれやと脅しすかして、2、3分の時間は稼げたんですが、実際バトルが始まってからは、最初の一合いちごう目から先は、記憶がおぼろげで……」


「ああ……汝の奮戦ぶりはこの冥府より見ておったぞ。魔族として、あっぱれな戦いぶりじゃった」


 と言いつつ、なぜか視線をそらす冥王様。


「いえ……自分の実力がクソザコナメクジなのは十分に承知しているので、正直に言っていただけると……。

 ぼくは何秒くらいやつらとやりあえたんでしょうか?」


 冥王様は小首をめぐらせ、視線を泳がしたあげく、こうのたまった。


「…………1フレームくらい?」


「何ですか、その単位!? 1秒どころか瞬殺ですらない感じなんですけど!」


「いやいや、朕思うに、汝は汝なりに頑張ったと思うぞ?

 転生者にぶち殺された後も、身を挺して時間を稼いだしたのう!」


「おお! まさかお伽噺によくある『禁じられた力が解放されて……』的な!?」


「いんや。――きゃつらはな、汝の躰を『レアアイテム』とでも思ったらしく、汝の躰を解体して……剥ぎ取り? 素材回収? 的なことをし始めたのじゃ。それでかれこれ10分ほど時間を稼いだ」


(あっ、『身を挺して』って、そういう……)

 冷静に最後の記憶を思い出すと、残酷無慈悲な転生者アンデッドどもがナイフ片手にニヤニヤ笑いでぼくに近づいてくる光景が目に浮かんだ。


「じゃが、そのおかげで我が配下の魔王とその禁軍(※近衛部隊のこと)が〈百塔のプラーガ〉に駆けつけ、串刺しと火あぶりに処せられた学院生を救出し、おおかた治癒せしめ、汝の孤児院の子らも無事保護することができたのじゃ。大義であったぞ、汝の勇気は」


「あ、有難うございます……」

 孤児院の子たちが無事なら、特に未練はない。魔王陛下に保護していただいたなら、今後の生活も大丈夫だろう。

 ぼくが瞬殺されて、生きたまま家畜のように解体されたことなど、些末なことだ。――死んでしまった今となっては。


「ですが、あの転生者たちはどうしたんです? 恐れながら、魔王陛下の禁軍でも、連中を倒すのは難しいと思うのですが……」

 主にレベル的な意味で。たしか序列一位の魔王陛下でもレベルは90弱だったはず。レベル100max以上の転生者たちに正攻法で勝てるとは思えない。


 冥王様はほくそ笑む。

「フフ、転生者どもの対処法は実は簡単でな。なにしろきゃつらは所詮、転生者アンデッド――とすれば、答えは簡単。『黄泉帰らせて』やればいいのじゃ。我が配下の十人の魔王どもは、いずれも朕が健在の御世に、死霊術を教え込んだ練達の死人占い師ネクロマンサーばかり。一介の転生者アンデッドに再び生を与えることなど造作もなきことよ」


 冥王様は、男の夢を踏み躙り、嘲笑う女の笑みを浮かべた。

「ククク、やつら泣き叫んでおったぞ。『元の世界には“生き帰り”たくない~!』とかなんとかのう」


「それはそれは……。たしか、アースだか、テラだか、ガイアだかいう忌み名をもつ……。正式名称は〈地球〉とかいう異世界でしたか。東方の碩学によれば〈修羅道〉と〈餓鬼道〉の正体だとか、あるいは〈地獄〉そのものとも」


「うむ、かの〈地球〉では8億の民が飢餓に苦しみ、1年で500万のわらわが物心つく前に飢え死にするという。

 鉛の魔弾たまを放つ火薬仕掛けの鉄杖が、これまた世界で8億本以上も出回っておるようで、戦火は絶えずわき起こり、恐怖テロルは津々浦々に蔓延っておる。おまけに、世界中の富の半分を、たった一握り(1%)の暴君どもが握っておるという、まこと凄まじい異境でな」


「はは……そんなとこ、本当にあるんですか? 〈地球〉の話は異世界学の本で読みましたけど、いくらなんでも誇張しすぎじゃ……だいたい、本当にそんな世界なら神々や魔法使いが介入するでしょう?」


 冥王様は、いかにも恐ろし気にのたまった。

「さようなことは起こらぬのよ。なんとなれば、かの異世界〈地球〉は、奇跡も魔法も存在せぬ、文字通り“神も仏もない”世界なのじゃからな」


 この場合、『仏』はことわりを極めた武人、魔術結社の大導師、不老不死の聖仙など、人でありながら人の領域を超え、神々にも匹敵する概念に昇華した存在を指す。

 『神』と『仏』が同じ存在を指す地方もあるが、『神』の方は、おおむね人類以外の霊的超常的知的生命体と考えて支障はない。


 ぼくは何気なしに言った。

「“神も仏もない”なんて、ぼくら魔族にとっちゃ理想郷じゃないですか?」


「ほう……、どうしてそう思うのじゃ?」


「えっ、だって……」


 戸惑いながら、慎重に意見を述べる。

「その……神々がいなければ、ぼくら魔族はいきなり浄化や除霊されたり、聖水や聖火や聖油をまき散らされたり、手当たり次第にあちこちの土地を聖域や聖地や霊場にされたり、祓魔師エクソシスタ退魔巫女カンナギをけしかけられたり……そんなこともなくなるわけで……」


「ほうほう……」

 続けて、という感じに、冥王様が御手をひらひらとさせる。


「ま、魔族だけじゃないですよ。人間だって、本当は神々なんかいない方が幸せになれるんじゃないかな。神罰も祟りも人身御供も神隠しも、神明裁判や異端審問も無し。やれ聖戦ジハードだ、やれ十字軍クルセイドだ、やれ偶像破壊イコノクラスムだ、やれ廃仏毀釈はいぶつきしゃくだって、無理やり殺し合いをさせられることもない。

 魔法だってそうだ。魔法がなければ、魔術の材料にするために人間の臓器をえぐりだしたり、血を抜いたり、儀式の生贄用に奴隷や赤ん坊を売り買いしたりする連中もいなくなる。それに、魔力が豊富に含まれる宝石の鉱床をめぐって戦争が起こることもなくなるでしょう。最近じゃ、石油だか石炭とかいう、古代生物の死骸から怨霊を抽出して魔力に変換する術式が見つかったせいで、今度は油田を巡って戦争が起きているそうじゃないですか。そういうバカバカしい争いもきっとなくなると思うんです!」


「ふむふむ、面白い意見じゃ。――朕思うに、やはり汝を選んで正解じゃったぞ」


「あ、あの、それはどういう……?」

 冥王様は虎のようににたにたと笑っていた。どうもイヤな予感がする。致命的な選択ミスをしてしまった感覚だ。よくよく考えれば、神々の批判はともかく、いわば魔法の総元締めと言える冥王様を相手に魔法批判をしてしまったのは無礼どころの話じゃないような気もするが……!


 だが、そんなことが原因ではなかった。

 偉大なる冥王ダークロードは、赤い淫らな舌をのぞかせ、嬲るようにささやく。


「――『“神も仏もない”なんて、ぼくら魔族にとっちゃ理想郷』……汝はそう申したな。

 では、いっちょってみるか? その“理想郷”に――」


「えっ、そ、そんなことできるわけ――」


「汝、死んどるじゃろ?」


「は、はあ……というか、殺されたばかりですけど……」


「おまけに汝の躰が転生者どもに解体されてしまった今、たとい魔王でも汝を蘇生するのは難しいじゃろうな。汝のような魔族の中の魔族が、こうも容易く一生を終えてしまうとは、朕思うに、まことに残念でならぬぞ♪」

 冥王様はちっとも残念でなさそうに宣った。


「つーわけで、朕の禁呪で、汝を“転生”させて進ぜよう!」


「てっ、“転生”って、ま、まさかッ!?」


「――さよう。き先はもちろん〈地球〉じゃ!」


「なっ、なんでそうなるんですかッ!? 普通に元の世界に転生させてくださいよ!」


「やかましい! テンプレクソ女神どもが異世界転生者を特典チート付きで、ぽこじゃかファンタジー世界に送りこんでくるせいで、多元世界のバランスがメタクソになっとるんじゃ!

 地球あっちからの転移者やらは昔っからおったが……近ごろはいくらなんでも多すぎる!

 朕思うに、向こうの世界で何か異変が起きたに違いない。地球あっちがクソだから、みんな異世界こっちに来るんじゃろう。

 ――ゆえに朕の名において命ずる! 我が臣ユウマよ、異世界〈地球〉を救ってこい!」


「んなっ!? そんなムチャクチャな! 異世界を救えだなんて無理ですよ! そういうのは人間の勇者に言ってください!」


「人間の勇者(笑)が頼りにならぬから、こうして魔族の汝に白羽の矢を立てたのじゃ。

 朕も歳のせいか、『古き良き』という言葉の魔力に惹かれて、かつてのファンタジー世界を懐かしむことがあっての。

 人間の勇者どもは昔と違って――昔の勇者どもも我ら魔族にとっては気に食わぬ連中ではあったが――世界を救うわけでも、人を助けるわけでもなく、うっぷん晴らしに虐殺、強姦、奴隷売買。ぼくの大きなチ○ポディックを見て、と言わんばかり。よそ様の世界を歪んだマチズモの代償にしおってからに。

 挙句の果てには内政チートで文化破壊と来たものじゃ。地球あっちの世界が死ぬほど嫌いだったくせに、地球あっちの知識で異世界こっちの社会を地球あっちそっくりに仕立て直そうとするんじゃから、片腹痛いにも程があるわい。

 かような者どもに世界の未来を託すわけにはいかぬ。つーか、頼んでも戻る気ないじゃろ、きゃつら」


「で、でしたら、もっと高位の魔族の皆さまにお頼みすればいいのでは……。自分を卑下するのは慣れてますから言っちゃいますけど、ぼくのレベル5ですよ、5!」


「それな。実はさしもの朕とて、真の超常たる女神どもより霊格は劣る。おまけに今の朕、絶賛封印中じゃし。

 女神どもはゴミ箱にちり紙をぶち込む感覚で、転生者を異世界こっちに送り込んでくるが、朕の力では霊格の低い存在を――それこそレベル5程度の下級魔族を――どうにかこうにか時空の穴をこじ開けて“転生”させるのが限界でな」


 冥王様はにんまりと邪神めいた笑みを見せ、人差し指を軽く振り、何事か呪文を唱えた。


「あ、あの、ぼくの足下になんか魔法陣っぽいものが出たんですけど! 光ってるんですけど! これ、召喚の反対の召還陣じゃないですか!?」


「ふむ? 意外と博識じゃな、汝。知性INTだけ高いのは伊達じゃないの。

 ――ご明察。これは召喚獣を帰らせる際に用いる召還陣の転用じゃ。こいつで“理想郷”までひとっ飛びじゃぞ♪」


「きょ、拒否権は……」


「あっ、これ朕の勅命じゃから、逆らったら死刑な」


「もう死んでます!」


「そうじゃった。まっ、特典チートはやれんが、レベル限界キャップくらいは外してやる。送り先もできるだけマシな環境にしておくから心配するな。それじゃ武運をグッドラック! 地球あっちもあっちで意外といいところじゃぞ?」


「さっき言ってた話と違いません!? ああ! ちょっと待って、せめてもう少し心の準備を――」


 真っ暗な冥府の世界が、真っ白な光の世界に変わり、ぼくは再び意識を失った。




 ………………。



 …………。



 ……。




 気が付けば真っ白な世界にいた。


 全身の皮膚をくまなく千の針が突き刺すような激痛に襲われる。

 視界に、小さなピンク色の軟体動物が目に入った。手に力を入れる。紅葉の葉の形をした軟体動物が曲がる。

 ……うん、これ、ぼくの手だ。間違いない。人間の、赤ん坊の手のひらだった。

 魔族に生まれ変わったわけではないらしい。一瞬、疑問に思ったが、冷静に考えると、『魔法が存在しない世界』であるならば、もともと魔族も存在しないのだろう。


 全身を突き刺す激痛は、厳寒と、そしてぼくが布きれ一枚も着ていないことの証だ。

 身の上や家族の存在を示すものとて無し。箱や籠に入れて捨てられたわけでもなく、『この子の名前は○○です』との置手紙も無し。


 地上は一面の雪景色に、空は猛吹雪。遠くの方に灰色の人造石の邸宅のようなものが建っている。

 ちゃくちゃくとぼくのからだが雪に埋まっていく。

 すでに体は衰弱しきっているようで、泣き声も出せない。


 たしか冥王様、言ってなかったけ――『送り先もできるだけマシな環境にしておくから心配するな』って。

 いや、その、王侯貴族の息子として生まれ変わり、絹のしとねの上で金のスプーンを加えて目を覚ます――と、そこまで都合のいい新・人生を想像していたわけじゃないですよ。


 でも、その……あの……冥王様? いくらなんでも『雪の日に』『野外で』『全裸で』『孤児みなしご』スタートは酷すぎませんか!?

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