歪なベクトルスクエア

桜侑に決めることなどできない。

決定権が自分にあることさえわかっていない。

難しいと認識した時点で、自分が選んでは行けないものだと認識してしまう。

より正確に判断できる人が答えを出すべきだと。

……だから桜侑は、鞠也に頼りきりになっていた。

今回も鞠也が最善の答えを出してくれる。


葛西と付き合ったときも、彼の話は秀逸で、非の打ち所がなかった。

彼といれば、秀でたものがない自分でも輝けるのではないかと思ったから。

他人に委ねることで、失敗したあとの逃げ道を無意識に作っていた。

決めたのは自分ではないと。


無理、決められないとその日は帰宅することになった。



───しかし1週間後、桜侑は会社を退職していた。


「桜侑ねぇ、何があったの? 」

「ちょっと玲二無理かなって思って」

「ちょっと周り見えなくなるとこあるけど、将来安泰じゃん」

「なんか無理だったの」

「会社までやめて。葛西さんには言ったの?

「……無理だから」


頑なに視線を斜め前に向けている。

これはあとでめんどくさいやつだ。


「じゃあ、夏角にぃ選ぶの? 」

「生身無理」

「は? 」

「夏角くんはやっぱり画面越しがいい。目の前で話したりとか無理」

「ごめん。何言ってるか分からない」


理解しようにも、違う次元で話されては無理な話だ。


「何の話~? 」


何の前触れもなく、夏角が現れた。


「ヒッ! 」


勢いよく鞠也の腕を掴み、後ろに逃げる桜侑。


「……え? どういうこと? 」


さすがの夏角も困惑する。


「何か───画面越しの夏角にぃが好きだから? 面と向かって話すの嫌みたい? 」


何とか咀嚼してみる。


「……」


一瞬の間の後、


「───わかった♪ 」


スマホを取り出し、ものすごい勢いで何かを打っていく。


「はい♪ 桜侑、このアドレス検索して♪ パスワードは『natsuki_m』」


不審がりながらもアドレスのURLを入力していく。


「……? 」


最近話題のヴァーチャル系の配信アプリのようだ。

ライブと個人通話やチャット機能が搭載されている。

配信者と不特定多数、配信者と個人通話やチャットができるのだ。


「桜侑専用のを作ったから、これでお話出来ちゃうよ♪ 」

「! 」

「これならありでしょ? 」

「あり! 」


夏角はふにゃとした笑顔。


「……葛西さん、可哀想に」


あっさりと登録させた瞬間、


───ピコンピコン!


桜侑のスマホにヴァーチャルギャラクシーの着信が入る。


「は、はい! 」


画面に映し出されたのは───3Dキャラクター。


『桜侑~♪ 夏角だよ~♪ 』

「夏角、くん! 」


食いつかんばかりに画面を凝視する。


「……僕、何見せられてるんだろう」


2次元、3次元では飽き足らず、2.5次元まで網羅した妖怪に抜かりはなかった。

桜侑の希望を即座に形にするあたり、薄ら怖い。


『これでいつでも俺とお話できるね~♪ 』

「うん! うん! 」


桜侑は相槌を打つことしかできないほどに、いつも以上に語彙力を失っていた。


『桜侑は俺のお姫様だよ♪ 』

「……! 」


桜侑はすでに半狂乱に陥り、言葉にならない。

面と向かって言われたときには真顔だったはずが、ヴァーチャルに変わったと途端この喜びよう。

度し難い、としか言いようがない。


『桜侑は可愛いな~♪ うふふふふ♪ 』

「……! ……! 」


声すら出せないほどに喜んでいる。

すでに息が荒い。


「ちょっと気持ち悪い」


当の本人は少し離れた場所にいた。

可愛くて堪らないといった満面の笑みで桜侑を見ている。


「……まったく分からない。何なの、これ」


すぐ近くにいながら桜侑は夏角本人など見ていない。

画面越しで、動きながら話すヴァーチャル夏角に夢中。


『桜侑、改めて俺から言うね♪ 』

「え? 」

『俺のお姫様になってください♪ 俺の彼女に♪ 近いうちに結婚しようね♪ 』

「……!! 」


現実ではありえない告白とプロポーズミックス。


「は、は、は、は、は、は、は、はぁはぁ……はい! 」


鞠也はその場から逃げ出したかった。

一分一秒たりともこの場にいたくなった。

自分もこの世界には異質ではあるけれど、目の前で行われている事案よりマシだと思った。


───♪🎼.•*¨*•.¸¸♬


鞠也のスマホが不意に鳴る。

ディスプレイに出た名前を見て、即座に応答した。


「隆一! ひさしぶりぃ! 今? 超暇ァ! マジで? すぐ行くわァ! 」

「鞠也ちゃん?! どこいくの?! 」


こういうときの桜侑は反応が早い。


「後輩が相談あるみたいだから行ってくるよ! 桜侑ねぇは夏角にぃと話してて! .…今から行く! 」


スマホを片手に、脱兎のごとく走り去った。

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