挫折者達の抱負 ④

 「リップオフ」の店内、クラシック・ジャズのクレオパトラの夢が流れるカウンター席ではユーリー二等准尉とエイブラム、ダビット一等准尉の両名が各々のグラスに満たされた同じ酒を味わっていた。

 1本のボトルを3人で共有しており、3人の前に置かれているボトルにはスミノフのラベルが刻まれている。

 癖の無いクリアな味わいを水の様に飲んでいくエイブラム一等准尉を横目に、隣に居るダビット一等准尉が今日、己とエイブラムを強引に誘った張本人へと尋ねる。


「ユーリー隊長、アンタが誘ってくるなんて珍しいな。パーシャちゃんは大丈夫なのか?」

「今日は妻の両親が遊びに来ているから大丈夫さ」

「ほお、向こうのご両親とはちゃんと付き合いがあるのか」

「まあな……俺が居ない時を狙ってしょっちゅう会いに来てくれてる様だ」

「……おおう、そうか」


 返答に困るエイブラムを他所にユーリーは平然とした顔でスミノフを飲み下す。本音を言うならばもっと強い酒が欲しい所だが、今日はこれくらいが丁度良い。


「仕方ないさ、向こうからしたら、俺は妻を見殺しにした男だからな」


 自嘲で笑うユーリーの目は既にその事実を受け入れていた。

 エイブラムがアルコールで染まった顔で空になったグラスを回す。内側で氷が音を鳴らした。


「つまり、蟻に追い出されたあの日、娘と嫁と自分の命、全部守る事は出来なかった訳だ」

「無事に救命艇に乗り込む事は出来たんだ、ただ、パーシャを身ごもっていた妻が酷い怪我をした……あの時までは、極限の選択ってやつは映画の中だけだと思ってたよ……」

「みんなそうさ、同じ目に会うまでは全部が全部、理解出来ない他人事だ」


 ユーリがグラスを握る手に力を込めた。


「俺は妻を助けたかった……妻は……エリーナは、パーシャを選んだ」

「母は強し、だったんだな」

「今思えば、俺より先に親になってたんだろうな……俺が親になれたのは、事切れるエリーナの前でパーシャをこの手で抱っこした時だよ」

「その後でよく軍に入れるわな、蟻に復讐したかったのか?」

「最初はな、復讐心が無くなった訳じゃないが……今はエリーナの面影を持ちながら成長していくパーシャから目が離せないからな」


 ダビットが大げさにグラスをカウンターに置き、突然の音にカウンター内のマスターが顔をしかめる。


「ならさっさと軍なんて辞めちまえよ、今度の作戦はその蟻の巣に突っ込むんだぜ? 可愛い娘を独りにしたら、死んだ嫁がブチ切れるぞ」


 苛立たしさを隠さずにユーリーをにらみつけて来る。

 ダビットの突然の変わり様にエイブラムが目を丸くしたが、ユーリーは待ち構えていた様に落ち着きを払っていながら、逆にダビットへ問う。


「ダビット、お前の方はどうなんだ?」

「あっ?」

「映ってたんだろ、あの中に。ヘンリー教授が当時の写真を元に映像に映ってた顔の骨格を参照したんだが――」

「止めろ!! …………クソ、わざわざ昔の記録をほじくり返しやがって……」


 ダビットが叫び、拳を握り震わせ俯く。堰を切った様な狼狽は、普段のダビットからは酷く離れたものだった。

 エイブラムが腑に落ちた視線でダビットへ語りかける。

 ダビットの背が今は一回り小さく見えた。


「お前が映像を見て、様子が変わった理由はその事なんだな。可笑しいと思ったんだ、お前見たいなやつがアレ位のショッキング映像で落ち込むなんて」

「……15年前に朝、玄関で別れた時の姿そのままだったんだ……」


 観念したのかダビットは溜め息を盛大に吐くと、遠くへと視線を向けたまま独り言のように呟く。


「……結果的に妻子を見捨てたんだ……恐いんだよ、今になって生きてるか死んでるかも解らないあの子に会うのが……情けない話だよな」


 カウンターから流れる曲が変わり、今度はゆったりとした優雅な調べに乗せて月明かりの夜に恋人を待ちわびるラブソングが流れる。

 ムーンライトセレナーデの歌詞だ。

 何時の間に作っていたのか、マスターがダビットの前にカクテルを置いた。


「ギムレットです、御代はツケにしておきますよ」


 それだけ言うとマスターはさっさと場を離れてしまう。

 呆然とするダビットの横でエイブラムとユーリーがボトルに残っていたスミノフを2人で分ける。


「なら、せめて迎えに行ってやろうぜ。止まっちまった親子の時間は後でじっくり解きほぐして行けばいいさ」

「……何があっても、息子に今も愛している事だけは伝えてやれ」


 エイブラムとユーリーの2人が挟む様にダビットの方へと左右にグラスを差し出した。

 ダビットがそれを見て誤魔化す為に笑みを浮かべると、2人のグラスへと己の手にしたカクテルを軽く打ちつけた。




 暗闇に包まれた自室でヘンリー教授が熱心に自分のパソコンに向かい合っていた。

 パソコンの画面には、トム軍曹から送られて来た動画が表示されている。

 蛍色の光に包まれた大きな空洞の室内、その中心にはブドウ状の巨大な有機物が室内の床から天井まで一体となりオレンジ色の発光と鼓動を繰り返している。

 近くには全身が半透明で白く、労働蟻より小さい未確認の蟻達が細長い腹の先端から管状の触手を伸ばして、ブドウ状の有機物から中の液体を吸い取っていた。


「……ふむ、生殖器が無い他の蟻達といい……例のオレンジ色の液体を巣全体に送るブドウ状の巨大ポンプ、回収した液体からはナノサイズの幹細胞見たいな働きをする何かが確認出来るし……恐らく巣の主とその候補だけを生かす事に特化したシステム……」


 突如、パソコンモニターからの光源だけが頼りの室内が突如明るくなり、ヘンリー教授が室内の照明スイッチの方へと目を向ける。

 すると、蜘蛛の体形に変形していたマリーがスイッチをオンにしていた。


『もう船内は夜の時間ですよ』

「そうだったね、すまない。ちょっと、作業に夢中になり過ぎていたよ」

『暗闇の中でのパソコン作業は目を筆頭とした身体に大きな負荷をかけます。控えましょう』

「今度から時間になったら勝手に照明がつく様に改造しようかなあ」


 マリーは素早く軽やかな金属音を伴う六つ足のステップでヘンリー教授の足元へと辿り着くと球体になり、今度は球体になったマリーをヘンリー教授が自分の机に置いた。

 マリーがカメラをデスクトップへと向ける。

 ヘンリー教授が優しく微笑んだ。


「興味があるかい?」

『はい、とてもあります――あの巨大蟻の正体が解ったのですか?』

「ある程度はね。中々におもしろいよ、彼らは……」

『私も知りたいです』

「うーん、まだこれは外に出してない機密情報なんだよねえ……ロックフェラー君からも暫くは伏せて置くように言われてるんだよ」

『そうですか、我慢します』


 感情を感じさせないマリーをヘンリー教条は暫く困った様子で見ると、何かを閃いた顔をする。


「どうしても、知りたい?」

『いいのですか、私に教えても』

「よし、じゃあ歴史の勉強をしようか」

『私は全て暗記していますが』

「そうとも、答えは君の知識の中にあるのさ。と言うわけで、最初の問題だよ! 私達人類が、地球を捨ててしまった理由は何かな?」

『結論を先に言ってしまえばオーガニックナノマシンの暴走です。それによって地球はおろか、月と火星にあった人類の居住シェルターも無限増殖したナノマシンに覆われてしまいました。グレイ・グー、が現実に起こってしまったのですね』

「うん、それじゃあ、何でそんなトンでもなく物騒な事が起きた背景を教えてくれるかい?」


 マリーがカメラを光らせ、ホログラムで過去の資料を展開し始めた。


『元々は西暦末期に起きた大戦の泥沼化が原因ですね。終戦した時には勝者は誰もおらず、総人口は3分の1、地球も深く傷ついてしまいました』


 黙って聞き入ってるヘンリー教授へとマリーは新しい資料を次々に写していく。


『先の大戦で人類は2つの連合国家に別れ、それぞれが人類再生の為に幾つかの巨大プロジェクトを立ち上げ奔走を始めます。――このアークも、その時の成果ですよね』

「そうそう、当時の力あるご先祖様達がやっきになって、自分達が安全に生きていける場所を作ろうとしたんだねえ」

『私的におもしろいのは、私達――機械工学を大きく発展させ、半永久機関を開発し、アークを造った我々に対して、敵対関係にあった方の国では、生物工学を発展させてテラフォーミング、より安全な再生医療、最終的には件のオーガニックナノマシンを作った訳ですね』

「そうなんだよ、マリー。当時のナノマシンは問題も無く、ちゃんと成果を上げていてね。この後で素敵な事が起きたんだけど、解るかな?」

『はい、敵対していた連合国家同士が、お互いの技術成果を交換し合う事で纏まったのですね。絵空事見たいです』

「それだけ、当時の人達は戦争に懲りてしまったんだね。しかし、そのお陰で地球の自然環境は回復していき、食糧問題、人類の文化圏の再生、ひいては月と火星での居住を可能にした訳だ」


 マリーが黄緑色に包まれた惑星達の写真をホログラムに上げる。


『――そして、オーガニックナノマシンが原因不明の暴走を起して全てを終わらせたと』

「原因は今でも解らずじまい、当時は火星圏の居住コロニーに過ぎなかったアークに住んでたご先祖様達は、慌てて逃げ出して、ナノマシン技術は全て廃棄したと言うわけさ」

『暴走する原因が解らない技術を使い続けるのはとても危険ですからね』



 現在に至るまでの歴史説明を終え、マリーがホログラムを閉じていく。


『――あの、巨大蟻の正体は?』

「え? さっき自分で言ってたじゃないの?」

『――あ』


 マリーが始めての反応を起すと、彼女は自分が思い至った情報資料を上げて行く。


『資料が極端に少ないですね』

「あくまで交換しあった技術はちゃんと成果を上げられた、半永久機関とナノマシンだけだからねえ」

『でも、推察出来る資料は残っています。打ち上げ実験を行った記録が』


 ヘンリー教授の眼前へとマリーが差し出したホログラムは、当時のニュースを切り出した文だ。


 ――2xxx年4月19日 地球類似惑星へテラフォーミング装置の発射成功! 希望の光へとなるか!?――

 ――2xxx年7月7日 テラフォーミング実験中の地球類似惑星からの反応が途絶える。実験は失敗か――

 ――2xxx年12月24日 人類の救世主!! ヨシカワ夫妻、遂にオーガニックナノマシンの実用化に成功――


『つまり、あの蟻を作ったのは人類の可能性があると』

「現時点だと、その確率が高いって所かな……いっその事、巣の奥にいる家主に直接聞きたいねえ」

『行っては駄目です』

「おお、マリー! 心配してくれてるんだね!」


 ヘンリー教授が球体のマリーを抱きしめ様とするがマリーは転がり避け、ヘンリー教授が椅子から転び落ちる。


『ヘンリー教授の勝手な行動で、コウタロウ達に何かあったらどうするのですか』

「……それも、そうだね……」


 頭を打って落ち着きを取り戻したヘンリー教授が椅子に座り直し、照明を見上げる。


「賽は投げられた以上、今は彼らに任せるしかないけど……歯痒いね」

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