女子小学生二人が知的な会話をする話

「卓越した人間になりたい」


 桜凱旋はそう言い、先ほどまでやっていた算数のドリルをパッと閉じた。そうしてメガネを外し、胸ポケットにしまい込む。完全に勉強終了、やる気ゼロのモードだった。


 ここは桜の自宅。今日は友達の梁凛麗リャンリンリーと一緒に、明日提出の宿題をやっている途中だった。小さめの円卓を囲み、正座して宿題をやっていた凛はその桜の様子を、一体なんだろうという戸惑いの目で見つめている。


 切れ目で顔立ちの整った、落ち着いた佇まいの凛ではあるが、見た目の冷淡な印象とは違い、なぜか敬語で話す内気な女の子なのだ。敬語に関しては、おそらく敬語で日本語を覚えたのが原因だろう。


「センちゃん。急にどうしたんですか?」



 センちゃんこと桜凱旋は遠くを見るような目で遠くを見ている。つまり遠くを見ていた。



「いやぁ、最近『私は何故こんなにも平凡な人間なんだろう』って思うようになって」



 小学五年生にして、どうやら随分と哲学的な悩みにぶち当たったらしい。窓の外を見る桜の目はある意味悟っているように見えた。それかある意味何も考えていないようにも見えた。


 多分後者だ。



「別に、このままで良くないですか?」


 単純に思ったことを言いつつ、凛は算数のドリルを解き続けていた。もう終わりかけなので、さっさと終わらせたかった。



「えー。やっぱり何かこう、圧倒的なチカラが欲しいんだぜ。全知全能の知識とか、戦慄するほどの知性とか」



「うーん。私、センちゃんは別に、普通なのが一番好きですよ」



 言ってすぐ、好きというオーバーな表現をしてしまった事に気付き照れる凛。しかし幸か不幸か、桜は全く気にしていないようだった。



「え〜全知全能の力ほしいほしい〜! そして宿題をすぐさま終わらせたい〜!」



 言って、まるで子供みたいに欲しい欲しいと地団駄を踏んで見せる。その勢いで胸ポケットに入ったメガネが飛び出しそのまま床に勢い良く落下、床とメガネが接触しガシャンと甲高い音が鳴る。


 桜はひぇぇぇと叫びながら慌ててメガネを拾い上げ、レンズに傷が付いてないかを心配そうに注意深く調べる。そうしてレンズが傷付いてない事に安心した桜は、良かった〜と独り言を呟きながらメガネに息を吹きかけホコリを飛ばし再び胸ポケットにしまった。



「……」



 卓越した人間の対義語みたいな、極めて平凡な姿だった。


 そんな凛の胸の内には気づかず、桜はともかく、と仕切り直すように言う。



「卓越した人間はやっぱり頭がいいと思うんだぜ。だからこれから、知的な会話しかしない事にするって決めたんだぜ」


「知的な、会話ですか?」



 凛が少しいぶかしげにいう。



「そう、知的な会話だぜ」


「でも……センちゃんこの前、べにショウガの事くれないショウガって読んでたし、知的な会話は無理だと思うんですけど……」


「そ、それは、偶然たまたま間違えただけだし……」


 露骨に目をそらす桜。その時のことを思い出したのか、若干顔が赤くなっている。


「でもセンちゃんこの前、土産の事どさんって読んでたし、蒼天の霹靂のこと笑点の霹靂って言ってたし、Xmasの事クロスマスって読んでたし、ビビンバの事ビンババって言ってたし、メロンの事」




「やめて!!!!!!!!!!!!!」




 センちゃんの恥振り返り大会は、わずか10秒で閉幕となった。知的というより痴的だなぁ、凛は思った。












 ◇◆第一部 あらわれるイデア編◇◆


 〜知的な会話しかしてはいけないゲーム〜




 桜の宣言によって、知的な会話しかしてはいけないと決まり早五分が経過した。


 決めた瞬間から、会話が一切なくなった。


 知的な事を話そうとするあまり、何も話せなくなってしまったらしい。絶妙に微妙な緊張感が場を支配していた。


















「…………昨日、驚愕的な出来事がありましたのよ」




 そんな緊張感と静寂を破ったのは、桜の完全にバカみたいな一言だった。おもむろに口を開く桜だったが、残念ながら、知的という概念を勘違いしているとしか思えない口ぶりだった。



「驚愕的な、出来事ですか?」


 驚愕的という表現に驚愕しつつ、凛が桜に問う。


「はい。昨日友達に『先輩のかねで焼肉なう』ってメール送ろうとしたんだけど、間違って『先輩の肉で焼肉なう』って書いて警察沙汰になりましたの」











「……なんでTwitterみたいな嘘吐うそつくんですか?」


「………………なんでだろう?」




 知的な会話しかしないゲームは無事、桜の完敗で終わった。













 ◇◆第二部 うつろうメタファー編◇◆


 〜知的しりとり〜



「知的な言葉だけでしりとりしようぜ」


 知的な会話ゲームから解放された桜が、意気揚々といつも通りの口調で言う。こっちの話し方の方がセンちゃんらしくて良いと思うなぁ。凛は思った。しかし、しりとりかぁ。



「……なんだか、しりとり自体があんまり知的じゃない気が……」


「うーん、じゃあ揚げ足とりする?」


「揚げ足取りは絶対知的じゃない……」



 第一回女子小学生会議の結果、結局しりとりする事になった。



 先攻は桜から。しりとりの「り」からスタートだ。



「り……り……り……。

















 …………り?」




「詰まるの早くないですか?」



 一発目から、あまりにも幸先が悪い。そもそも知的かどうかなんてその場の判断なのだから、りんごは知の象徴たる果実だからセーフ、なんて理屈で「りんご」って言っちゃっても別に良いのに。


 そんな桜は未だ、うーんうーんと唸りながら考え続けていた。



「り……り……。











 ……リンガーハット」



「……」



 真っ先に思い浮かぶ知的なモノがリンガーハットの時点で知性を全く感じないのだが、折角なので続ける事にした。



「トマス=モア」


「あ……あ……。……アパマンショップ」



 知性とは何なのだろう。指摘するのもなんかアレなのでそのまま続ける事にした。お部屋探しもある意味では、知の結晶と言えなくもない。



「……プロタゴラス」


「す……。す……。







 ……すしざんまい?」


「……流石に、すしざんまいはちょっと」


「すしざんまい、ダメ?」


「……ダメ」



 第二回女子小学生会議の結果、すしざんまいは知的ではないという結論が下された。


 理由は「なんか全部ひらがなだからアホっぽい」というものだった。


 寿司惨魔遺すしざんまいなら知的だったのにね。桜が言った。


 凛はそんな名前の店絶対行きたくないなぁと思った。


 す、を再び考え直す桜。



「す、す、す、……スクリプト!」


 確かに知的っぽい。なんか横文字だし。凛は「と」を考え始める。


「対子(といつ)」


 瞬時に答える凛。



「と、対子って何?」


「麻雀用語で、同じ牌が2つ揃った状況です」


 言って、凛はポケットから対子を取り出した。





 🀄️🀄️







「なんで麻雀牌あるの!?」


「私、いつも対子といつを持ち歩いてるんですよね」


「な、なるほど……」



 あまり腑に落ちない。一体何に使うのだろう。桜はこれまでの人生で、対子が必要な場面を一度も経験した事がなかった。


 何に使うのか少しだけ気になったが、麻雀のルールがあまり分からなかったのでこれ以上は聞かなかった。凛は楽しそうに「大三元の種ですよ……」と言いながら対子を眺めていた。



 次は「つ」からだ。



「つ、TSUTAYA」


「……知的ですか?」


「だって、映像情報が収められた虹色に光る円板状の物体が沢山あるし」


「DVDですよね?」



 そう言われると知的な気もするが。


 凛は「や」から始まる言葉を考える。



「……あれ?」



 なんだか、急に出てこなくなった。


「……」



 おかしい。先ほどまでは色々出てきたのに。今はもうヤマダ電機とか山田養蜂場しか出てこない。



「……ヤマダ電機」



 少し悩んだ後、凛はヤマダ電機に折れた。



「知的?」



 桜が訝しげに言う。相手に対するジャッジだけ厳しすぎやしないだろうか? 凛は思った。


「だって、科学の象徴たる電子機器類が山のように一同に集ってるんですよ?」


「……なるほどだぜ」



 桜は納得した表情で再び考えにふける。なんかもう、屁理屈を考えるゲームみたいになってきた。



「き……き……き……」


 出てこない様子の桜。


「きあ……きい……きう……きえ……」



 一つずつ組み合わせて考え始めた桜。しりとりの末期症状だった。



「きわ……きを……きん……」



 全部終わった。出てこなかった。



「……」


「……」





「あー! やめやめ! もう知的なフリをするなんてやめる!」



 言って、桜は机に突っ伏しそのまま動かなくなった。こうして、知的しりとりも無事、桜の惨敗で終わったのだった。



 ◆◇



「……センちゃん」


声をかける凛。


「……」


「……センちゃん?」




「……私は私、それで良いんだぜ……」



 突っ伏したままの桜から、そんな名言みたいな声が聞こえてきた。



「センちゃん……」



 自分で言う事じゃないよなぁ。凛は思った。だけど賢い凛は決して口には出さなかった。


 いつの間にか、凛は宿題を終えていた。桜は半分以上残っていた。



「……明日、急に台風来ないかなぁ」



 桜は窓の外を横目に見ながら言う。凛は窓の外より現実を見るのが一番賢明だなと思った。翌日、めっちゃ晴れた。

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