第1話⑤
「さっさと金の在り処を吐きやがれ! このクズ野郎!」
銃床で横っ面を殴られ、アルは身体の縛り付けられた椅子ごと床に倒れた。吐き出す唾は血液混じりの赤色だった。しこたま殴られたお陰で、口の中はズタズタになっている。手足も、骨折こそしていないものの、手ひどく傷めつけられてアザだらけである。
「ちいっとは手加減しとけよお。死んじまったら意味がねえんだからよお」
ベッドの縁に腰掛けた大男が、拳銃でアルを殴った小男をたしなめた。
「すんません兄貴。こいつがこんな状況で笑ってやがるから、つい」
「そりゃあ笑いたくもなるだろうさ。ワシら自警団の隠し金庫を破って、金貨をたんまり手に入れたと思ったら、三日と待たずにとっ捕まっちまったんだからな。まさに天国から地獄へ真っ逆さまってやつだ。くっははははッ!」
兄貴と呼ばれた大男は、実に愉快そうに声を上げて笑った。
彼はベリウス・ストランド。アジュール自警団の幹部の一人だ。つまりドミニオの同僚である。ふたりそろって、アルの前回の仕事の被害者という説明もできる。
仕事のメンバーはアルを含めて四人だった。一人が自警団の隠し金庫の在り処を知り、一緒に盗みをやろうと協力者を集めたのだ。隠し金庫は自警団の人間でも滅多に近づかないから、静かに仕事をすれば楽に儲けられると、企画者は自信満々にアルたちに語った。
実際、企画者の作戦と鍵開け職人の腕が良かったお陰で仕事は楽勝だった。早朝に仕事を終えた四人は、それぞれ特大サイズのズタ袋いっぱいの金貨を抱えていた。四人は金貨を各々の隠し場所に隠してから酒場に再集結し、そこで成功を祝して酒を飲み交わした。
それから後、アルは彼らの顔を見ていない。
そしてたぶん、彼らのうち最低でも一人とは、もう二度と会うことはないだろう。自警団がアルを犯人と決めつけているのは、仕事仲間の誰かが自警団にとっ捕まって、他の仲間の名前をバラしたからに違いないのだから。
ベリウスは椅子の正面に立ち、裸で縛り付けられたアルを見下ろした。
「毒虫アルか。どんな野郎かと思ったら、全身タトゥーの変態とはな。気味が悪いったらねえ」
肩と言わず腕と言わず彫り物のされたアルの肌を見て、ベリウスが言った。
「そいつは悪かったな。お目汚しにならねぇように消してやりたいとこなんだが、生憎と、彫り物ってのは消せねぇんだ」
「いいや、消せるさあ」
ニヤリとほくそ笑んで、ベリウスはアルの肩を鷲掴みにした。そこに掘られたタトゥーを握りつぶそうとでもいうかのように、肉をえぐり取らんがばかりの握力で。
「あぎっ、ぐぅっ……」
「良い声で鳴くじゃねぇか。どれ、もっと違う鳴き声を聞かせてくれや」
「っいぎゃっがあぁぁぁ―――ッ!」
肩を襲った新たな痛みに、アルは獣のように咆哮した。
熱かったのだ。ベリウスの手が、まるで焼きごてのように。肩の肉が焼かれるじゅうじゅうという音が耳を侵し、嫌な匂いが鼻孔を刺し貫く。
「全身の皮をこんがり焼いて、卵の殻みてえにバリバリ剥いてやるぜえ。そん次は目玉だ。貴様の右手が沸騰するとこ、左目でじっくり観察させてやる。―――おいベニー、便所の鏡外して持って来いや」
「へっ、へい! すぐに!」
この場から離れられることを喜ぶように、拳銃をもつ小男――ベニーは素早く部屋を出ていった。
「アルジール。テメェのことはちゃんとかわいがってやるよぉ。せいぜいおまえのお仲間より良い悲鳴を聞かせてくれやあ」
「っくぅ、っがあああ―――ッ!」
「その鳴き声はもう聞いたぜえ。早く次のを聞かせろい」
肩をつかむベリウスの手の温度が急激に上昇し、アルの皮膚を瞬く間に黒く焦がした。変色した肌に爪を立て、無造作に引き剥がす。町中に響き渡りそうなアルの悲鳴に、ベリウスはお気に入りの音楽でも聞いているかのように心地よさげに身をよじった。
「良いぞお……、いまのは良かったぞお……、アルジール・シーブス……。貴様は今とてつもなく良い音を出した。不覚にも一発でイキそうになっちまったあ。貴様、歳は二十かそこらだろお。若い奴は本当、良い楽器になるぜい。だぁかぁらぁ……、もっと良い声を聞かせろいッ!」
高温の手が心臓の真上に置かれた途端、今まで感じたことのない類の衝撃がアルを貫いた。視界がチカチカと明滅して、景色はおろか、すぐ傍にあるはずの大男の巨体すら、霧に沈むように不明瞭にぼやけてしまう。
ベリウス・ストランドもまた、ドミニオと同様に魔術の使い手である。災禍によって生まれた魔術師の絶対数はそう多くないが、自警団や傭兵団といった暴力を売り物にする組織ではしばしば見かけられる。その出生から人びとに忌避されがちな魔術師たちにとって、その手の組織は絶好の居場所なのである。
アジュール自警団には三人の刻印持ちが所属しているという。そのうちふたりとわずか数時間の間に知り合ってしまうとは、なかなかあることではない。
「おいおい、痛みで意識飛ばすんじゃあねえぞお。テメェのことはよおく可愛がるように、って、ドミニオから頼まれてんだからよお。―――それにワシも、おまえさんのことはゆっくり味わいてえと思ってるしなあ」
ベリウスは嗜虐心にあふれた表情を浮かべると、ついさっき焼き剥がしたアルの肌を口に含んだ。くちゃくちゃと咀嚼して、ツバとともに吐き出す。
「焼き加減が足りてねえなあ。どれ、すこし火力を足そうかねえ」
スープでもつくっているような気楽な調子で言って、ベリウスがアルの胸板に手をあてる。
「―――――――」
痛みが激しすぎるためか、アルの悲鳴は声にすらならなかった。餌を待つひな鳥のように大口開けて上を向いた姿勢のまま、全身が痙攣するばかりだ。
「おーいおいおい、声が出ないじゃあ意味がないだろい。これでも飲んで元気出さんかあ」
アルの開けっ放しの口に、ベリウスは手にしていた酒瓶の中身を流し込んだ。
「かぎっ、ごえっ……ッ!」
「くははははっ! そうかあ、そんなにおいしかったかあ……。うれしいねい」
ベリウスは痩せこけた頬を薄赤色に上気させて、アルの顎をつかんだ。
「ところで。盗んだ金え、どこにやった?」
「あ……?」
「金だ、金。ウチの金庫から盗んだ。―――正直に離せば、楽に殺してやる」
「オイラは……」
言いかけて、アルはごほごほと咳き込んだ。
「あー…、くそ。声が…でねえ……」
「だらしのねえ野郎だなあ」
アルの声があまりに小さく、かすれていて聞き取りにくいためだろう。
ベリウスは長身をかがめて、アルに顔を近づけた。
アルは待ってましたとばかりに、ベリウスの顔面めがけてツバを吐きかけてやった。血の滲んだアルの唾液が、ベリウスの鼻っ面から滴り落ちる。飛沫のいくらかは彼の口にも入っただろうが、ベリウスは嫌な顔ひとつせず、むしろ嬉しそうにニヤついた。
「まだこんなことする元気があるかあ。いいぞお。イジメ甲斐があるじゃねえかあ」
赤熱したベリウスの手のひらがアルの肌をなぞる。肌に残る火傷は、蛇の這ったあとのようだった。
「次はどこのイレズミを、引き剥がして……やろうか……」
ベリウスは中途半端に言葉を切った。立ち姿がぐらりと揺れる。
「なん、だ……。頭が、なんか……」
ぶつぶつ言うのが聞こえていたかと思うと、どう、とベリウスが転倒した。
初めはかすかに、次第に大きく、いびきをかき始める。
すっかり寝入ったことを確信して、アルは安堵の息を吐いた。
(毒虫を下手にイジっちゃダメ、っつーこったな)
アルはゴキゴキと骨を鳴らして両手首の関節を外すと、するり、と拘束から引きぬいた。両足もさっさと開放して、しばらくぶりに椅子を離れて立ち上がった。
部屋の隅に置いてあった自分の荷物から丸薬を取り出して口に入れ、がりがりと噛み砕く。丸薬は痛み止めだ。状況が状況なだけに我慢しているが、焼かれたり剥がれたりしたところは、今も叫びだしたいほどの激痛に襲われているのである。
(本当に全身の皮を剥くつもりだったんだろな、こいつ)
床の上で寝息を立てているベリウスを見下ろして、アルはぶるっと背筋を震わせた。
ついでに、最近立て続けに死ぬような目に遭っている自分自身の不幸ぶりにも。
(ま、毒さえ通じりゃ問題ねえんだがな)
アルは自分を縛っていた縄を使ってベリウスを縛り上げると、目を覚ましたときに少しでも動きにくくなるようにとベッドの下に押し込んだ。鏡を取ってくるように命じられたベニーとかいう男はまだ戻ってきていない。トイレに鏡が無かったのだろうか。
服を着て手早く荷物をまとめたアルが部屋を出ようとしたとき、廊下から足音が聞こえてきた。きっとベニーだ。アルはドアのすぐ脇に移動した。手には、自分の拘束されていた椅子を持っておく。
足音が部屋の前で止まると、アルは椅子を振り上げた。
ドアノブがくるりと回り、ドアが内側へと動く。
アルが椅子を振り下ろした次の瞬間、痛みにうめいて床の上に転がったのはアルの方だった。
「いきなりなにをするのですか」
無骨なデザインの革ブーツが、アルの顔のすぐ横でゴッと床を鳴らした。ブーツの上にはほっそりした脚。太ももを剥き出しにしたショートパンツ。丈の短く腹や腕のあらわな上着。てっぺんには、黒髪を短く切った女の顔。
アルはその顔をよく覚えていた。
「オマエっ、こないだのガキ!」
「動かないで下さい」
エルフィータはブーツの踵でアルを踏みつけた。故意にか偶然にか、ベリウスにこんがり焼かれたところを、だ。アルは痛みに目が眩んだ。この女には踏まれてばっかりだ。
「っづう……。オマエさんは……、今頃どっかの店で、客をとってるとばかり……思ってたんだけどな」
「ドミニオという男はわたしにそれをさせたかったようですが、承服できなかったので逃げてきたのです」
おい話が違うぞドミニオ、と、アルは今ここにはいない伊達男に文句をつけた。
くだらないことを考えている間に、アルに与えられたわずかな作戦タイムは終了してしまった。エルフィータがアルの腹の上に馬乗りになって、頭へと手を伸ばしてきたのだ。
自分の処刑方法を思い出し、アルは顔面を蒼白にした。
アルは両手でエルフィータを引き剥がそうとしたが、どこをどう鍛えているのか、彼女の上半身はビクともしなかった。そうこうしている間に彼女の両手はアルの頭を挟み込んだ。
「オイッ! 上でなにしてやがるッ!」
またしても、アルを救うのはアジュール自警団になるようだった。
階段を駆け上がる何人分もの足音と口汚い罵り声。事務所内にいた自警団員たちが、取調室の異常に気づいて駆けつけてきたのだ。その中には姿を消していたベニーも混じっていた。
「そいつだ! その女が俺を!」
びしっ、とエルフィータを指さしたベニーは全身ズタボロだった。
「あいつ、こないだドミニオさんが捕まえてきた女か?」
「店から逃げやがったのか! ―――おいお嬢ちゃん。テメェ、アルジールの仲間かよ!」
かくん、とエルフィータの小首が傾いだ。
「わたしがドミニオに捕まったときのことを聞いていないのですか?」
「ぐっ……、そういやアルジールを殺そうとしてたんだったな……。なら何者なんだよテメェは!」
「ベリウスさんはどこだッ!」
「事と次第によっちゃぶっ殺すぞアマァ!」
男たちは声を荒げ、それぞれ銃や剣を構えた。
「面倒な事になりました」
小声で言ってエルフィータは立ち上がった。アルのことも、襟首を掴んで無理やり立たせる。
「おい、オイラを殺すんじゃなかったのかよ」
「そのつもりなのです」
「なら今すぐ殺ればいいじゃねぇか。それか、ここに置いていくんでもいい。そうすりゃヤツラがオイラを殺してくれる」
「それでは意味がないのです」
「なんだそりゃ、いったいどういう……うぉっ」
エルフィータはアルを部屋の奥へと放り投げた。焼けただれた肌から床に落ちたアルは哀れな悲鳴を上げた。
「いきなりなにしやがる!」
アルは喚くように文句を言ったが、エルフィータと自警団員たちは互いに睨み合うのに忙しく、小悪党の発言など誰も聞いていなかった。
「あなたがたにお願いがあります。この男をわたしにください。わたしには必要なのです」
「ふざけるなぶっ殺すぞガキャア!」
「では、こちらこそ」
言い終えたエルフィータの後ろ姿が揺れたかと思うと、うぎゃっ、と自警団員の悲鳴が上がった。悲鳴の主がどうと倒れるより早く、次の悲鳴が上がる。
「なんだこいつっ!」
「撃て! 撃つんだ!」
「さっさと斬り殺せ!」
二人目が倒れてようやく、男たちはエルフィータへの攻撃を開始した。しかし彼らの武器は疾風のように動く少女を捉えることができない。振るわれる剣は空を切り、放たれた弾丸はことごとく床や壁にめり込んだ。そうしている間にも男たちは一人、また一人と苦悶の声を上げて倒れていき、やがてそこに立つ者は少女一人となった。
「くけけ、やっぱすげぇや。自警団の連中を瞬殺しちまった」
アルは隙があればこっそり逃げ出そうと思っていたのに、そんな時間はちっともなかった。あったとしても、鮮やかな手並みに見惚れてしまっていたから動けなかっただろうが。
「殺してはいません。わたしが手にかけるのは、ただ一人、わたしの故郷を滅ぼした仇だけ」
エルフィータは猫のように身軽に跳んで、起き上がっていたアルを再び押し倒した。
「わたしはただ、あなたを殺すためだけに在るのです」
「もしかして伝えてなかったかな。オイラ、オマエさんに恨まれる覚えが全然ねぇぞ」
「あなたにとっては、滅ぼした町のひとつやふたつ、気に留めるほどのことでもないのですね。さすがは化け物。おぞましくも猛々しいけだものらしく、酷く臭う生き様なのです。―――やはり間違いない。あなたこそがわたしたちの仇」
「オイラが、化け物……?」
毒虫を相手に化け物とは、ずいぶんと買いかぶってくれたものだ。
そして、相変わらず話が飲み込めない。
「そう、あなたは獣なのです。だから―――」
エルフィータの両手がアルの首に伸ばされた。ちゃき、と金属同士の触れ合う音。
「獣には首輪をしなければいけないのです」
首に手をやると、確かにそれらしいものが巻きつけられているようだった。
アルは大仰に眉をひそめた。
「なんでこんなものを……。おまえ、オイラを殺すんじゃないのかよ?」
「わたしはあなたを、故郷にあるみんなの墓の前で殺さなければならないのです」
エルフィータはアルから身を離してベッドから降りた。
「大陸北部、山岳の裾にある冬の町ルーメンス。そこまであなたを連れて行きます。そして殺します。だから、今はまだ殺さないのです」
「そんな面倒な事を、なんでまた」
「これは復讐なのです。わたしたちルーメンスの民すべてのための仇討ちなのです。だから果たされるのは、死んでいった隣人たちの前でなければならないのです」
平坦な口調でありつつも、その声音には、何があっても使命を果たさんとする強い決意が感じられた。その決意は、生きるために盗んで、楽しむために抱いて、満たすために食い散らかすことしかしてこなかったアルには縁遠いものだ。
だから、その決意の価値がアルにはわからなかった。
「言うまでもないことだけどな。生きている限り逃げようとするぞ、オイラは」
「逃がしません。抵抗も許しません。それはそのための首輪なのです」
「そのための、って、これなんか意味あるのか?」
触った感じではただの輪のようだから、てっきり彼女の趣味かなにかだと思っていた。精々逃げられないようにロープでも結ぶのだろうと。しかし、どうやらそれだけではなさそうだ。
少しの間詳しい説明を待ってみたが、エルフィータはアルの質問には答えなかった。静かにアルを見つめている。睨むのではなく、ただ見ている。
瞳に湛えられた憎悪を除けば、彼女は感情を持っていないのではないかというほど冷たく静かだ。まるで人形のようである。だからこそ隙がない。その上アルお得意の毒や薬が効かないのでは、隙をつくりようもない。
つまりお手上げだ。少なくとも、今のところは。
死に際に未練のひとつも見つからない下らない人生だとしても、生き足掻くチャンスのがあるのなら、大人しく終わらせる気はアルにはない。せめて自警団から盗み出した金貨を使い切るくらいはしなければ勿体無いように思うし、未練にならないまでも、なんとなく見てみたいものや行ってみたい場所はあるのだ。一応は。だから可能であれば、この少女からうまく逃げてみようと思う。
そんな具合に、いまいち締まりのない決意をアルは固めた。
「お嬢ちゃん、なんて名前だっけか」
「エルフィータ・エテノイラム」
「んじゃエルだな。知ってるかもしれねぇけど、オイラはアルジール・シーブス。愛情込めてアルって読んでくれていいぞ」
「では、アルジール・シーブス」
聞いちゃいなかった。
「今日この日この時から、あなたはわたしと共に来てもらいます。わたしがあなたを殺すために。あなたが罪を償うために。自らの刑場まで、自らの足で歩くのです」
無感情な顔の中。唯一感情を露わにした赤い双眸が、捕虜となったアルを見つめている。
「この世の名残を惜しみながら、一歩一歩を踏みしめなさい」
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