第1話④

 バ・チンッ! 

 小気味よい音が聞こえたかと思うと、少女の右腕が発条仕掛けのように跳ね上がった。彼女の意思でそうしたのではないはずだ。その証拠に、彼女の目つきは険しくなっている。

 その視線の矛先はアルではなかった。

「そんなに睨まないでくれよ、お嬢ちゃん。こんな廊下でおっ始めたら、従業員が止めに入るに決まっているじゃないか。〝することするのは部屋の中〟。〝廊下では紳士淑女でありましょう〟。ちゃんとロビーに張り紙がしてあっただろう?」

「わたしは入り口から入れてもらえなかったのです」

「ああ、それは当然だ。ここでは女性はホストで、ゲストは男性だけだからな。だから君はここに入ってはいけない。いくら君が攻め気質でもね」

 肩を揺らしてくつくつと笑うのは、三十代半ばのスーツ姿の男性である。身長が高く、体格はゴリラにならない程度にガッシリしている。くすんだ色味の金髪はざんばらで、頭の上にはスーツと同系色のつば付き帽子。いかにも伊達男といった風貌だ。

 アルは彼のことを知っている。彼はドミニオ・ラブグッド。アジュールの自警団に所属している男であり、この娼館の用心棒をしている。

 少女にのしかかられたままではあったが、アルは安堵の息をついた。自警団のドミニオといえばこの町で知らぬ者のない存在だ。戦闘能力は折り紙つき。アルでは手も足も出ない少女も、さすがにドミニオには敵うまい。

 なにしろ彼は、ふつうの人間ではない。

「私はドミニオ。この店の用心棒をしている者だ。君の名前を教えてもらえるかな」

「エルフィータ」

 少女はすぱっと答えた。最初にアルと喋っていたときの、あの反応の鈍さが嘘のようだ。

 ところで、アルは少女の名前に聞き覚えがなかった。これほどまでに激しく殺意を燃やされるからには、よほど強烈な出来事があったに違いないのだが。

「エルくん、私から君へ伝えることがふたつある。ひとつ、その男を解放すること。ふたつ、君が破壊したこの建物の修理費を払うこと」

「わたしは貧乏なのです」

「そうか。では修理費について、今から事務所で相談することにしよう」

「それはできません」

「どうして。心配しなくとも、君の器量ならすぐに客を見つけられるはずだ」

「お断りします」

「お断り?」

 帽子の下で、ドミニオの眉がひそめられた。

「あぁ、ダメだよエル君。どうも君は勘違いをしているらしい。私は君にお願いごとをしているわけではないんだ。既に決定事項なんだよ。君はこれから私と一緒に事務所へ来て、どこの店に就職するか相談するんだ。君は随分と乱暴なプレイをするようだが、なに、この町は懐が深い。きっと良い店が見つかる」

「あなたがなにを言っているのか、わたしにはよくわからないのです。要するにあなたは、わたしの邪魔をするということですか?」

「そう理解してもらっても構わない。それで、返事は?」

「こうです」

 エルフィータが答えるが否や、アルの眼前には彼女の拳があった。死を予感する暇すらなかった。

 バ・チンッ!

 エルフィータの拳がアルの鼻っ柱に触れるか触れないか、というギリギリのタイミングで、エルフィータの腕がなにかに弾かれた。

 エルフィータは不思議そうに自分の腕に目をやった。アルもまた彼女の腕を見た。彼女の腕には、幅二センチほどのミミズ腫れがふたつあった。

「さきほども同じことをしてくれましたね。なにをしたのですか?」

「おいたのすぎるお嬢ちゃんに、しつけのムチを打ったのさ」

「そんなもの、あなたは持っていないように見えるのです」

「君はなかなか素直だな」

 ドミニオはくつくつと、肩を揺すって笑った。

「ムチというのは言葉の綾だよ。君が聞き分けの無いことをするから、状況を把握してもらいたくてね」

「わたしはあなたと敵対する意思を示しました。これからここで戦闘が始まります。そう状況を理解していますが、違うのですか」

「違うよ。戦闘など始まりはしない」

「なにを言って―――」

 バ・チンッ! 

 音とともに、エルフィータの顔面が床に激突した。

「ほら、戦闘が始まる暇などなかっただろう。君はそこで大人しくしていなさい。じきに私の部下が迎えに来る」

 女子供を痛めつけておいて、ドミニオは涼しい顔をしている。優男じみた風貌をしているが、彼はあれでなかなかガラがよろしくない。自警団などという暴力組織の一員なのだから、当然のことではあるが。

 自警団と呼ばれる組織がこの地方に生まれたのは、災禍が起こった後のことである。災禍によって失われた領主に代わって、増加する魔物や犯罪者から町を守る。それが自警団の目的である。

 元々は町の住人たちによって構成される組織だったが、より強い構成員を求めるうち、次第に流れ者ややくざ者が比率を増していった。場合によっては、他の地域から流れてきた強盗団や傭兵団がそのまま町の自警団になっていることすらある。

 ここアジュールの自警団も、団長始め上級構成員たちは大半がカタギではない。もとは大陸西部の荒野で強盗をしていた連中が、領主を失ったアジュールに体よく寄生したのである。その結果、よくあるオアシスの町でしかなかったアジュールは、金と女にあふれた夜遊びの町と化した。

「―――なるほど」

 床からわずかに顔を上げて、エルフィータがぽつりと言った。

「コレが攻撃の正体ですか」

 ブツン、となにかが引きちぎられたような音。アルがそちらに目をやると、エルフィータの右手が深緑色のひも状のものを握りしめていた。

 エルフィータはアルにのしかかったまま身を起こし、手にしたそれをしげしげと観察した。

「植物のツタ、ですか。これはたしか、この建物の外壁にへばりついていたものですね」

 エルフィータは、ちら、とすぐ横にある窓を見た。開いたままの窓の枠に、絡まり合うツタがぐったりと垂れている。いつだって手入れの行き届いている高級娼館で、廊下の中に入り込んでいるツタが放置されるはずがない。

「外壁のツタが廊下まで伸びてきて、わたしの腕を鞭打った。いいえ、打たせたのですね。あなたが」

「ご明察。しかし、自分を打ったムチをその場で捕まえるだなんて、凄い芸当だ」

「魔術の使い手に驚かれるほどの芸ではありません」

 そう言うエルは、ドミニオの魔術を目の当たりにしても、まるで驚きがないようだった。

 魔術。

 ドミニオ・ラブグッドを凄腕の用心棒たらしめているのは、まさにその魔術である。

 そもそも魔術は過去の技術である。かれこれ百年近くも前に、当時大陸を支配していた大国によって滅ぼされている。極稀に生き残りの魔術師が発見されることもあったが、世間的には魔術もその使い手も絶滅したものとされていた。

 けれどここ数年で事情が変わった。災禍によって、魔術を扱うことのできる人間が生まれたのだ。魔術を学問として学ぶことをせず、理屈を知らぬままに炎を操り稲妻を落とす者達。災禍によって特殊な才能を得た者たちは、その出生と異能により人びとに恐れられ避けられる。

「普通の人間とは異なる者。異なる力を持つ者。あなたは植物を操ることができるのですね。―――厄介なのです」

「そう思うのであれば、そろそろ良い返事を聞かせてくれないだろうか。君と私とでは戦闘と呼べるものは始まらない。大人しく私に従うのが、賢い選択だと思うがね」

 ドミニオがしゃべる間に、窓から廊下へと、何本ものツタが侵入してきた。ツタは蛇のようにのたうちながら床を滑り、エルフィータの傍らで鎌首をもたげた。ドミニオが「やれ」と命じれば、無数のムチがエルフィータを襲うことになるのだろう。

 それをわかっていないはずはないのに、エルフィータは首を横に振った。

「お断りするのです」

 途端、風切り音が連続して響いた。

 バチンッ、バチンッ、とツタが床を打つ音がこれまた連続して発生し、そのたびアルは「うひゃあ」と情けない悲鳴を上げた。エルはアルの上にいるのだ。彼女を狙うつるのムチは、ともすればアルに命中しかねないのである。

 しかし、人間を打ったときのバ・チンッという音はついぞ聞こえてこなかった。

 代わりに聞こえたのは、ハンマーで地面をぶっ叩いたような破壊音である。

 エルフィータの姿が、ついさっきまでドミニオの立っていた場所にあった。膝をつき、拳を床にめり込ませている。アルは穴のあいた壁を思い出した。どうやら本当に、素手で壁を殴り壊していたらしい。すさまじい膂力だ。

 いや、膂力だけではない。追いかけっこをしているときにも思ったが、彼女は脚力も尋常ではない。現にいまも、すぐ脇に控えていたツタたちの一撃をかわして、一瞬でドミニオのいた場所へと移動している。

 だが、戦闘力が高いのはドミニオも同じである。

 後ろへ飛んでエルフィータの一撃をかわした彼は、片手にさきほどまではなかった得物を構えていた。ダブルアクションの回転式拳銃。ドミニオの愛銃だ。聞き分けの無い人間がアレに眉間を撃ち抜かれるところを、アルは何度か目にしたことがあった。

「やれやれ。まさかコレを使うハメになるとは。お嬢ちゃん、死んでも恨まないでおくれよ」

「死んでしまえば恨むことはできないのです」

「それは良いことを聞いた」

 ドミニオが引き金を引き、エルフィータが横に跳んだ。的を外した弾丸が床にめり込む。

 エルフィータは立ち止まることなく、ドミニオへと飛びかかっていった。銃口がエルフィータを追うが、床を蹴り壁を蹴りジグザグに走る彼女を捉えることは難しく、弾丸はことごとく標的をかすめて飛んでいった。

 あと数歩の距離までドミニオに肉薄したエルフィータが拳を振りかぶった。

「お終いです」

「それはどうかな」

 拳を振り下ろそうとしたエルフィータが、髪でも引っ張られたようにその場でつんのめった。最初に彼女をめった打ちにしようとしたツタたちが、彼女に追いつき、腕に巻き付いて動きを封じたのだ。走ってきた勢いのまま両足が前方へ投げ出され、エルフィータの身体は宙に放り出された。

 そこをめがけて、ドミニオがさらに弾丸を見舞った。しかしその直前、エルフィータは背中が床に付く前に体をねじり、伸ばした手で床を叩いている。それで落下の軌道が僅かに逸れ、弾はまたしても床にめり込んだ。

「六発打ちましたね」

 転倒することなく着地したエルフィータが静かに言った。リボルバーの装弾数は外見から判断可能だ。エルフィータは律儀に撃った数をカウントしていたらしい。

 最初の数発は、ツタがエルフィータに追いつくまでの時間稼ぎ。ツタで彼女の動きを封じたところで、温存しておいた最後の一発で止めを刺す。ドミニオはそんな作戦を立てていたのだ―――と、エルフィータは考えたに違いない。

 しかし、そうではないことをアルは知っていた。

 エルフィータは腕を封じる幾本ものツタを馬鹿力で引き千切った。今度こそ必殺の一撃を叩きこもうと、指を折って拳をつくろうとする。

「っ」

 声を漏らして、エルフィータが顔をしかめた。眇められた赤目が自身の右手に向けられる。

 彼女の右手は、細長い槍状の物体に刺し貫かれていた。

 にぃ、と。ドミニオが口の端を持ち上げた。

 ドミニオの弾丸は通常の弾丸とはまるで違う。アレは鉄の塊ではなく植物の種なのだ。どこかへ着弾した種はドミニオの魔術により急速に成長し、死角から標的を狙う。

 エルフィータの右手を貫いたのは、おそらく竹かなにかだろう。最初に放たれ床にめりこんだ弾丸が、芽吹き、成長し、槍となって標的を射止めたのだ。

 しかし、そのことはエルフィータにはわかりようもない。せっかく装弾数を確認したのに、〝あと五発〟の弾があることに、彼女は気づくことが出来ない。

 二発目から四発目までは、一発目と同じく槍状の植物の種だった。新たに三本の槍がエルフィータの左手と両足を刺し貫き、彼女の動きを封じ込める。五発目はおなじみのツタに成長して彼女の首に巻き付いた。

「っく……」

「あまり動かないほうがいい。無理に動くと手足が取り返しの付かないことになる。商品価値が下がるのはこちらとしても嬉しくない」

「知った、ことじゃ……ない、のです」

「そうか。なら好きにするといい。最悪、両手足がなくても楽しんでくれる買い手を探すとしよう」

 ドミニオが指を鳴らすと、ツタが一層強くエルフィータの首を絞めつけた。

「それにしても、エル君は随分と君にご執心のようじゃないか。なぁ、アルジール・シーブス」

 張り付けにした少女の肩越しに、ドミニオがアルを見た。

 廊下の隅っこに座ったままだったアルは、頭を掻きながら立ち上がった。

「どこをどう気に入られたんだかわからねぇんだけどな。しかし驚いた。まさかあんたみたいな有名人が、オイラの名前を知っているなんて」

「私は自警団の人間だからな。問題を起こしそうな輩の顔と名前はひと通り把握している。アルジール・シーブス。盗みと騙しで小金を稼ぐ典型的な小悪党。渾名は〝毒虫〟。妙な薬物を武器にしてると聞いているが、そこに転がっているのかそうか」

 アルの足元に落ちている小さな球体を見て、ドミニオは納得したように頷いた。

「キャラクターも手の内もバレバレでやんの。参ったね、こりゃ。いろいろやりづらくなっちまう」

「おや、この町でなにか悪さでもするつもりだったのか? それとも、もうしでかした後か」

「冗談だって。本気にしないでくれ」

 ケタケタ笑いながら、アルははりつけにされたエルフィータの横を通って、ドミニオに近づいた。すれ違いざまにエルフィータが真っ赤な双眸で睨みつけてきたが、アルは自分が絶対に安全な状況にあると理解していたから、余裕綽々で「残念でしたー」と馬鹿にしてやった。

「んーッ!」

 くぐもった唸り声と共にエルフィータの左腕が暴れ、槍状植物が悲鳴を上げるように軋んだ。

 アルは慌ててエルフィータから距離をとった。

「おい動けるのかよ!」

「多少は動けるな。柔らかさのないものは折れやすくなる」

「先に言ってくれっての……」

 すっかり安心しきっていたから、びっくりした心臓がバクバク言っている。

「それは失礼。ところで、このエルフィータという子はいったい何者なんだ」

「知らねえよ。頭おかしいみてえだし、なんかクスリでもやってるんじゃねえの。少なくとも、娼館に売っぱらうには向いてなさそうだぞ」

「こういうのが好きな買い手を探すさ。面倒だがな」

「そいつはご愁傷様」

 アルの嫌味に、ドミニオは薄く笑いながら肩をすくめた。きざったらしいそんな仕草が、この伊達男にはよく似合う。

「それじゃな、ドミニオ。助かったよ。強い用心棒がいてくれると、お客は安心だ」

「もう行くのか。私は部下が来るまで暇なんだ。私の話し相手をしていけ」

「キザな男と自分以上の男前は嫌いなんだよ、オイラ。いつまでも同じ空気吸ってられるかって。それよかオマエさんは、そいつ―――」

 アルはツタと槍に拘束された少女を視線で示した。

「その頭のおかしい女を、絶対に逃がさねぇようにしてくれよな」

「ここの修理費と迷惑料を稼ぐまではな。その後のことは知ったことじゃない」

「それじゃ、それまでになるべく遠くへ逃げるさ」

 追われて逃げるのは慣れっこだ。今度のようなことは今までに何度もあった。追われる理由に〝覚えがない〟ことも含めて。

 馬鹿力と薬物耐性をもった頭のおかしい女に追われるのはさすがに初体験だが、ドミニオを始めとする手練れ揃いのアジュール自警団であれば、おいそれと脱走を許したりしないはずだ。いつも通り、自分はただただ遠くへ逃げればいい。簡単なことだ。

「まあ待て、アルジール・シーブス。話をしていけと言っただろう。逃げ場所ならいいところを知っている。教えてやるから、私の知りたいことを教えてくれ」

「結構だ。オイラは今すぐこの町を離れたい。それに、逃げ場所なら心当たりがいっぱいある」

 なにしろ職業小悪党だ。万が一のときの逃走先には常々検討をつけてある。

「そう言わずに、せめて質問くらいは聞いていけ」

「だーから、オイラ急いでるんだって。アンタ色男のくせにしつこい……ぞ……」

 鼻先につきつけられた銃口を見て、アルは言葉を止めた。

 無言でドミニオの顔色をうかがう。

「おまえ、ウチから盗んだ金をどこに隠した?」

 ドミニオは仮面のように硬い表情をしていた。

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