LR

@orikadoyuki

第1話①

「一回だけでいいから。な、いいだろ」

 お菓子をねだる子供のような甘えた声を出して、アルは女の身体に指を這わせた。舐めたら甘そうな蜂蜜色の肌は柔らかく滑らかで、撫でているだけで心地よくなる。アルは横になった女をより近くに抱き寄せ、裸体の隅から隅まで、手の届く限り味わった。

「ちょっと」

 アルが女の首筋を流れる汗を舌ですくうと、ようやく、相手から反応が返ってきた。

「なにするのさ」

「甘いんじゃないかなー、って思って」

「やめとくれ。犬や猫じゃないんだから」

 無遠慮に胸を揉んでいたアルの手をぴしゃりと叩いて退かせ、女はベッドの上で起き上がった。床に足を下ろして、そのまま寝床を出ていこうとする。

「もーちょっとゆっくりしていけよ、ドロシー」

「休憩時間はもうおしまい。次のお客が待ってるの」

「休憩時間とは失礼な。オイラはゲストで、今はサービス中のはずだ」

「そういうことはちゃんとお金を払ってから言うんだね。銀貨の一枚も持ってくれば、添い寝するだけじゃなくて、ちゃんとシてあげるよ」

 アルはドロシーの手をとろうとしたが、彼女はひらりと身をかわして、ベッドから離れてしまった。

「まったく冷たい女だねぇ。恩人だっていうのに、オイラは」

「なにが恩人よ。アンタの悪巧みがたまたまアタシを助けることになっただけじゃないか。それをいつまでも恩着せがましくネチネチと。やだやだ、これだから小悪党はいけないよ。こずるい詐欺とみみっちい盗みばっかりやってるから、心までちっちゃくなっちまうんだ」

「くけけ! はてさて、これを見ても同じことが言えるかねえ」

 アルは枕元に置いてあったずだ袋を手にとった。逆さまにして、中身をベッドの上にばら撒く。

 じゃらじゃらと金属同士のぶつかり合う音が鳴ると、鏡を覗いていたドロシーがさっと振り返った。

「ちょっとアンタ、どうしたのさそんなにたくさん! ほとんど金貨じゃないか!」

「今度の仕事の取り分の一部だ。残りは〝あっち〟に置いてきた」

 あっち、というのはアルが町外れに用意している隠れ家のことだ。隠れ家といっても薄汚れた古い物置小屋でしかなく、当然住めたものではないから、旅の荷物や人目に触れさせたくない物品を保管するのに利用している。

「これで一部なら、全部でいくらになるんだい」

「さあねえ。オイラ計算苦手だから。幌付き馬車に御者をつけて、北の方まで行けちまうかもな」

「寒がりのアンタが北部になんていけるもんか」

「あー、たしかに。やっぱり行くなら南国がいいな。薄着のお姉ちゃんがいっぱい、甘い果物もいっぱい、異国の酒に涼しい海。うーん、最高だな」

 酒も女も大好きで、そのために必要なお金ももちろん好き。そんないかにもな嗜好をしているアルは、この世の楽園のような南の島を頭の中に思い描いて、だらしなくにやけた。

「……もう、町を出ちまうのかい」

 ここでないどこかを夢想するアルの姿に、察するものがあったのだろう。ドロシーが心なしか気落ちした様子でこぼした。

「もう一ヶ月近くもこの町にいるからなあ。砂漠のオアシスって言うだけあって、アジュールもなかなか楽しかったけど、一生住んで骨埋めるつもりはねえし。潮時だな、そろそろ」

「楽しいならずっと住むのもいいじゃないか。せめて町に飽きるくらいまではさ」

「ダメだダメだ。あんまり長居してると、オイラのこと嫌ったり憎んだりする連中が増えてきて、命が危なくなっちまう」

 なにしろ、アルは稼ぎのほとんどを悪行に頼っているのだ。基本的には騙すか盗むかで、殺しにはなるべく手を出さないようにしているが、それでも小さな恨みは幾つも買っている自覚がある。自覚していないものだってもちろんあるはずだ。それらが限界を超えて火を噴く前に姿をくらませなければ、いずれ寝首をかかれかねない。

「アンタ、まともに働こうって気はないのかい」

「こんな時代に、わざわざカタギになろうなんて思わねぇさ」

「災禍の影響ならだんだん消えてきてるじゃないか。ちょっと前までみたいに〝魔獣〟がやらためったら生まれることはなくなったし、北方軍だって山岳地帯の向こうに押し戻されて、今は出て来られなくなってる」

 ドロシーが、昨今この大陸を悩ませているふたつのトピックを挙げて言った。

 人里の只中に忽然と現れる尋常ならざる魔物―――魔獣。

 かつて強大な軍事力によって大陸を支配していたが、今は大陸北部に追放された王族の残党―――北方軍。

 片や数年前、片や数十年前から大陸の国々を悩ませているふたつの事案は、ここ最近は落ち着きを見せている。新たな魔獣の出現は滅多に確認されなくなったし、南下を画策する北方軍は、大陸内の有力国家が協力して組織した連合軍に牽制され、身動きがとれなくなっている。

 とはいえ―――

「混乱は消えちゃいねえだろ。魔獣どもはまだそこら中にいるし、魔物だって増える一方だ。幾つかの国が傾いたおかげで治安も悪化しまくってる。まじめに仕事してたって、いつ山賊やら魔物やらに襲われるかわかったもんじゃない」

 アルの言葉を聞いて、ドロシーの表情に陰りができた。彼女は魔物にも山賊にも襲われたことがあるのだ。魔物は彼女の故郷を、山賊は彼女自身を蹂躙した。そんな彼女を仕事のついでに助けてやったのは、ふた月ほど前のことになる。

「そういうわけで、敢えてカタギになるメリットなんてあんまりねえんだよ、こんな世の中じゃさ。悪党気取ってせっこい悪事に手を出してるほうが、汗水垂らして畑耕すより実入りがいいしな。―――それに」

 と、アルはドロシーの腕を掴んだ。顔を近づけて、蜂蜜色の肌をぺろりと舐める。

「一所にじっとしてたら、こんな美味しそうな肌には出会えなかった。ここらへんの連中はみんな浅黒いけど、おまえのは中でも特別きれいだ。だから助けちまったんだろうな」

「失礼なやつだね。アタシの魅力は肌だけかい」

「くけけっ、初対面で中身の事なんてわかるもんか。美女と醜女を目の前にして醜女を選ぶのなんて、美女を落とす自信のない愚図か特殊な趣味の変態野郎だけだ。普通は美女を選んで、あとで泣くハメになるのさ。美女はたいてい性格がひん曲がってるからな」

「へぇ、誰が性格曲がってて、誰が泣いてるって?」

「とぼけんなっつーの。さっきからずっと鳴いてるだろ、発情期の犬っころがワオンワオンって。性格ひん曲がった悪女がお預けばっかり食らわすからよ」

「だーから、金払えばシてやるって言ってるじゃないか」

 ドロシーはしゃべりながらアルにしなだれかかってきた。胸の谷間にさきほどの金貨が挟まっている。そういう仕事をする人間らしい、いかにもな振る舞いだ。アルはだらしなく鼻の下を伸ばした。手は胸に伸ばした。

 アルが金貨を取り返すと、ドロシーは不満そうに口を尖らせた。

「なにさ、アタシに金貨を払う価値はないってかい」

「女は金で買わない主義なのよ、オイラ」

 ドロシーは鼻を鳴らしてアルから身を離した。

「それじゃさよならだね。一応恩返しってことで、アンタがこの部屋を自由に使えるように店長に頼んであげてるけど、それ以上はナシ」

「なにが恩返しだ。客とってるフリしてこの部屋でサボってるくせに」

「添い寝とおさわりはタダにしてあげてるんだから、ギブ・アンド・テイクだろう。当館一番人気のアタシの身体をタダで好き勝手触り放題だなんて、幸せ者だよアンタ」

「むしろ生殺しだっつーの」

「なら他に宿を取ればいいんだ。それか、アタシが部屋に入らないよう鍵でもかけておいたらいい」

 アルは降参するように両手を挙げた。

「ああ、それ無理。オイラはミツバチだから、こんな美味しそうな花からは離れらんねぇの。だからほら、かわいそうなミツバチちゃんに、一回だけプスッと刺させてくれよ」

「飲み屋のオヤジみたいなシモネタ吐いてる暇があったら、さっさとその金貨をこまかいのに崩してくるんだね。どこから盗ってきたかしらないけど、金貨ばっかりジャラジャラいわせてたらすぐ自警団に目ぇつけられちまうよ」

 ごみを掃くように手をひらひらさせながら、ドロシーは廊下へ続くドアへと歩いていった。

 そのまま外へ出ていきかけて、「あぁ、そういえば」と足を止める。

「前に聞いたんだけど、ミツバチってのは針を刺すと自分も死んじまうって話だよ。一度刺した針を抜こうとすると、内臓がずるっと抜けちまうらしい」

「うへー。それじゃうかつに抜き挿しできねぇな」

 自分の内蔵が引っこ抜ける様をうっかり想像してしまい、アルは青い顔をした。思わず股間に手をやって異常がないことを確認してしまう。

 ぷっ、とドロシーが吹き出す。

「まったくアンタは、なりはでかいくせして子供みたいだね」

「うっせーや。大事なブツに危険が迫れば、どんな大男だって縮み上がるに決まってら」

「なら、せいぜい大事にしまっておくんだね」

 そう言い残して、ドロシーは今度こそ部屋を出ていった。

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