第37話 プランB
「おい相模(さがみ)、マジでマジでマジでヤベー! こいつ、背中に金属バット隠してやがったー!」
「ええっ?」
見れば、照明のポールを中心に右へ左へ反復横跳びしている八王子(はちおうじ)がいて、その正面には、午後の日差しを受けて鈍く輝く鈍器を振りかぶったリーダー格のデカブツがいた。
八王子の動きに翻弄されているが、相当いら立っているのが遠目にも見て取れる。
とにかく、その物騒な物をしまってもらわなければ。相模はいつも低い声をやや上ずらせてリーダー格の男に声をかけた。
「ちょっとあなた、そんな物持ち出してきたら殺傷目的ってことで、話違ってきちゃうじゃありませんか」
「バカバカ、そんな話が通じるヤツなら最初からこんなヤベーもん持ちだしてこねーよ!」
右か左か。ステップを踏み間違えれば鈍器の強襲を受けかねない八王子は、腰を落として次の一歩に備えたまま早口でまくしたてた。呼吸が浅くなっているのか、息苦しい。
「八王子、タイムングでこっち来い。何とかする」
「噛んでんじゃねーよ。ってか、まず自分の後ろのヤツをなんとかしてから言え」
その発言を受けて、金属バット装備のデカブツと、先ほどから相模の背中で空気感を漂わせている口髭の彼の目が合った。
「そのまま押さえてろよ」
「おう、やっちまってくれ!」
鈍器ユーザーが攻撃目標を変えた。コメツキバッタめいた標的は後回しにし、まずは二人がかりで劣勢の一人を沈めようという考えだろう。
ターゲットが外れても、八王子はほっとする間もなかった。
「相模、オマエ金属バットで殴られても平気か?」
「さあねえ、さすがにアレでこられたことはないから。でも、どうやらはなるんじゃないかな」
声のトーンが一オクターブくらい上がっている八王子とは対照的に、この期に及んでさえ相模は落ち着き払った口振りだ。
ただ、一応羽交い締めにされているわけで、行動の自由はだいぶ制限されてはいた。
そこへ、多分生温かい――なにせ直前まで背中に格納されていたのだ――金属バットが振り下ろされる。
「ほら避けますよ。後ろの君も一緒に動いてくれないと巻き添え食うよ」
八王子はバットの使い方を間違っている人の脚めがけてタックル。これがアメフトならクリッピングの反則でイエローフラッグが飛ぶところだが、大丈夫、審判は見ていない。
バットの軌道がズレる。
避けきれない相模――と、背後に密着した口髭氏。
不良ボス格の繰り出した鈍器は、相模を羽交い締めていた仲間の左腕を直撃した。
反射的に戒めを解き、言葉もなく五体投地する口髭ダンディ。
耳元でちょっとイヤな音を聞く羽目になった相模は、仲間をやっちゃった鈍器の彼から間合いを取りつつ、腕を押さえてうずくまっている人へ声を掛ける。
「俺、ちゃんと言ったからね、避けようって。だから謝らないぞ」
「んなこたーいーんだよ。急げ時間だ、もう出囃子鳴ってるぞ!」
上擦る八王子の声に耳を澄ませば、扉の隙間からは確かに、千葉に預けたシンフォニックメタルの荘厳なオープニングが漏れ聞こえてきていた。
「あー……もう、しょうがない。こうなったらやるよ。大事な相方の恋がかかっているからな」
そう言って相模は、ファイティングポーズを取った。
曲がりなりにもリングに上った経験者のキマった構えに、相模があれだけ渋っていた〝人を殴る〟決意をしたのだと、八王子にはわかった。わかってしまった。
見慣れたゾンビ歩行とはまた違う、どこか剣呑な気配を漂わせながらユラユラと前へ詰めていく背中を見送る。コイツとは絶対、喧嘩しないようにしようと、心に誓った。
武器所有で圧倒的優位に立っているはずの美倉高生のほうが、一歩、二歩と後退した。そして血走った目を素早くめぐらせ、背後に体育館を囲むコンクリの塀が迫っていると知るや、得物を振り上げた。
「死ねやクソが!」
「そういうこと言わない」
振り下ろされたバットを、無造作に横からキャッチ。そのまま軽くひねるだけで、凶器の所有権はあっけなく相模に移った。
もぎ取ったバットを後ろに投げ捨てて、恐怖に固まった不良さんが学園祭を邪魔できない程度の打撃を与える――段になって、八王子の予想通り相模も固まった。どこまでいっても、ヘタレはヘタレだ。
するとそんな状況に、敵さんのほうが戦意を取り戻したようだ。「あれ、もしかしてチャンスじゃね?」と、顔に書いてあるのが見える。
斜め後ろから相方を押しやりながら、八王子はターゲットを見据えたまま言った。
「相模、オマエはやんなくていい」そして拳を握り固める。「ツッコミはオレだからな」
そう、叩きのめすのではなくて、ツッコミを入れるだけだ。
だってそうだろ? |オマエ(オレ)が本気になったらこんな粋がったガキどもなんざ指一本で息の根を止められるんだからな。
「ビィイ……クワイエッ!」
八組前でのゲリラコントで披露した英語教師のモノマネをしつつ、デカブツくんのアゴに、左フック。力加減は、相模へのツッコミの八〇%といったところか。
ところが、ボケてもいないのにツッコまれたかわいそうな人は、足にキたらしい。脳を派手に揺さぶられたのだから無理もないだろう。千鳥足になって立っていられなくなり、最後の一人のリーダー格もダウン。
「オレたち、ベタなコトやってんなー」
「体育館裏で殴り合いの喧嘩をする日がくるなんてな」
戦意喪失して累々と横たわる五人を、しみじみと見下ろしてつぶやく番長二人。
しかし、いつもみたいにニヤニヤと笑い合っている時間はない。
後ろに突っ立っているデカい気配に言い放つ。
「行くぞ」
「はいよ」
素早く頭を切り替えて、重たい鉄の扉を開けた。
外の明るさに慣れきった二人の目を、オレンジ色の光が貫く。強引に目をこじ開けても、舞台上から降り注ぐスポットライトが照らす範囲しか見えない。
「やべー、出囃子がコーラス部に突入しかけてやがる」
「ほぼ一分経過か」
手探り足探りで階段を登り始める八王子が、突然、足を止めた。
すぐ後ろからついていく相模には、状況がわからない――急がなければならないこと以外は。
「どした?」
いつもとは逆に見上げて問えば、八王子はまったく覇気のない声でとんでもないことをのたまった。
「むりだ」
「いやいや、ここまできてキャンセルは無しで頼むよ」
「や、むりだって。ひと、すげーいるんだもん」
「そりゃ千人以上入ってるだろうから……」
そこまで言って、相模は思い出した。
この相方の八王子という男は、漫才をやろうと誘ってきた当人に間違いないが、極度の人間嫌いだったではないか。そんな男が、千人超の観衆――その視線の真っ直中へ飛び込んでいくというのは、どれほどの恐怖だろう。
トラブって出演できませんでした、という言い訳は、多分できる。実際に大変なトラブルに巻き込まれたばかりだ。だが、「やらない」という選択肢を、今の相模が採用したいとは思わない。
確かに、八王子の都合で半ば強引に付き合わされる形で始まった『番長S』ではある。ネタを作ったのも、ゲリラライブと称して廊下で突然ネタを始めると言い出すのも八王子だった。コンビ結成より一月半。活動期間は実質、一月たらず。
しかし、相模はすでに、コンビの片割れとして、その責任の半分を担っているつもりでいた。ネタに妥協しなかった八王子と、アクション部分で妥協を許さなかった自分がいたから、今からやるネタが完成したのだ。
「よし、じゃあプランBだ」階段で八王子を追い越しざま、アゴをしゃくれさせしっかりキャラを入れて、あとは後ろを振り返らずに言った。「ワシが先に出るからな、貴様のタイミングで来るんだぜ」
舞台袖から弊衣破帽の相模が、肩で風を切り、ヨタりながらセンターマイクまでやってくる。
そして――
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