第35話 暗雲
「口ん中イテーよ。どーすんだコレ、本番で噛んだらオマエのせいだからな」
「噛まないよ。練習でも噛んだことないんだから」
相模(さがみ)にふっかけて、無難な答えをもらって落ち着いて、時計を見ればいよいよ本番準備の時間が迫ってきていた。
八王子(はちおうじ)の視線につられるようにして時計を見た千葉(ちば)は、いつになくマジな顔をして尋ねた。
「いよいよだけど、どーよ、どーなのよ心の準備は?」
「えー。フツーだろ、そんなの。緊張してねーと言ったら嘘になるけど、ブルってるわけじゃねーし」そして振り向きもせず背後の相方に問う。「だろ?」
「そうだな」
相模は静かに答えた。
八王子の決戦は、間もなく始まる。面倒くさいときもイライラしたときも、ひたすら和泉(いずみ)のことを考えて乗り切った一ヵ月半と少し。その結果が、この先の本番の出来にかかっている。
「よし、いくぜ野郎ども!」
「おー!」
若干一名混ざっている女子も、ノリでこぶしを振り上げた。
「本番終わったら、イズミンまた合流して一緒に回ろ?」
「いいの? やったー」
「えっとねー、じゃあ待ち合わせ場所は……」
ナイス勧誘の千葉の言葉を、事情を知る相模が引き取った。
「体育館の裏手がいいんじゃないか。俺たちの後は二十分の休憩が入るから、多分誰も来ないし」
「ゆょし、そーしよう。全員一回、裏手集合な」
「今、噛まなかった?」
「あぁん?」
「いや、今……」
「おぉん?」
「うん、聞き間違いだったみたいだ」
柏(かしわ)が諦めて歩き出すのに、一同が続いた。
体育館の入り口で和泉だけが離れていき、「楽しみにしてるから、笑わせてね。あと、動画撮っとく」と励ましてくれる。
八王子、相模、柏、千葉の四人は体育館の裏手に回る。そこでさらに、柏と千葉の裏方班が準備のため先に中へと入っていった。思い切り屋外でありながら一応控え室扱いの裏口には、演者二人が取り残される。
出番まで、あと十五分。ここまできて今さら、話すことなどない。
八王子は両手をポケットに突っ込み、落ち着きなく待機スペースをうろつき回った。
相模は体育館の壁に背を預け、地面に目を落としている。
このまま、永遠のように長く感じられる十五分を過ごす――そうは問屋が卸さなかった。
砂利を踏みしだく足音が複数近づいてくるのに気づき、八王子が足を止める。
「こっちだって」
「なんでだよ、こっちは糞お遊戯の会場だろ。ぜってー違う」
「うるせえなあ、さっきこっちに行くの見たつったら見たんだよ。何度も言わすなサル脳」
「あぁ? 目標やったら次、てめえだからな? 覚えとけよ?」
複数の、あまりガラのよろしくない話し声まで聞こえてきた。
八王子がゆっくりと目をやると、相模は苦笑いを浮かべながら「穏やかじゃないね」と応じた。
それからすぐだ。美倉高の制服を着崩した、総勢五人のいかにも不良っぽい面々が姿を現したのは。ざっと特徴を述べると、デカい奴、逆毛、金髪、鼻ピアス、口髭といったところか。
「おー、いたいたあ!」
髪を逆立てた一人が陽気に叫べば、
「つか、なんで二人いんだよ。一応聞くけど、アタマどっちだ?」
口髭が似合っていない一人が、ヒバ高の二人を見比べてから、相模に向かって問うた。
用件はとんとわからないが、リーダーはどちらかを尋ねられていると理解した相模、素直に隣の相方を示して見せた。
「うっは、意外。チビのほうがアタマ張ってんのか。ご愁傷様だな、このガッコ」
「チビじゃねーよ。相方が無駄にデケーから相対的に小さく見えて迷惑してんだよ。で、なんなんだオマエら?」
本日二度目の――それもあからさまなチビ扱いに、八王子の機嫌は急降下した。本番直前で気持ちが高ぶっているのも手伝ったのだろう。普段の人見知りはどこへやら、彼はバイオレンスな展開の到来に怯えるという選択肢を忘れ、早くもキレかかっていた。
「見てわかんねえ? おれら美倉高のモンだけど。おとなしいことで有名なヒバ高に番長らしき野郎が現れていい気になってるって聞いてよー、ちょっとシメにきたわ」
「スミマセン。俺たち学園祭の出し物で『番長S』ってコンビ組んでるだけで、実際の番長ってわけではないんですよ」
喧嘩腰の相方にしゃべらせていては事態が悪化の一途をたどると危ぶみ、相模が穏やかな声で取りなした。
どちらにしようかギリギリまで迷ったあげく、アゴはしゃくれさせたままで、いかにも「オモシロでやってます」アピールを続行中だ。
「その割にはよーお、そっちのおチビちゃんのほうはずいぶんとイキがってねえか?」
「彼はこういうキャラなんで」
「そういうのはさ、舞台の上でだけやりゃあいいんじゃねえの?」
「あと十五分ちょいで本番なんで、スイッチ入っちゃったんですかね」
八王子に日々散々鍛え上げられてきた「年下+後輩キャラ」をいかんなく発揮し、この場を穏便に乗り切ろうとする相模だが、雲行きはいよいよ怪しくなっていく。
「いいんだよ、そういうのはさあ。ただそういうの――番長とかやるんなら、おまえら駆け出しのルーキーのド新人じゃん。だからおれらに挨拶して、で、下に付くってんなら総番に話通してやっから」
「いや、あのですね。俺たちは漫才やるだけなんで、その……何て言うんですか、番長活動みたいなのはやりませんし、知りません。この後の本番終わったら解散しますから、どうぞお構いなく」
「もういいっつうの。ここまで来たらさあ、お互いもう引っ込めねえのわかるだろ? 空気読めや」
とぼけまくってきた相模だが、もちろん相手の言わんとしていることは理解している。だが、そんな空気は読みたくなかった。
このままボケまくっていたら、血気盛んな若人たち――でも多分全員年上――も面倒くさくなって引き上げてくれるのではないか、くれるといいな、くれますようにと望みをかける。
後ろにいるはずの八王子の表情は、怖いので見られない。
「スミマセン、ちょっとわからないんで。とりあえずあと十五分だけ待ってもらっていいですか? そしたらじっくり話聞かせてもらいますんで」
「いや、無理だろ。だっておまえのツレは全然そんなフインキじゃねえみたいだぜ? さっきからめっちゃガン飛ばしてきてんだけど」
ハンズアップしたまま、相模はため息混じりに後ろを振り返った。
そこには両手をポケットにインし、いつにも増してキレのある三白眼で、前方をカチ上げるように睨んでいる八王子。ある意味予想通りの姿を目にし、「何やってんだよ」と、力なくつぶやく。
「八王子どうすんの、収集つかなくなったじゃないか」
「うるせー」
「いやいや、このままじゃ本番できないよ。この人たち引き連れて体育館入ったら、学園祭自体がおじゃんになる」
「だからって引き下がれっか、ぜってーやんぞ本番」
「じゃあ……俺がこの人たちを引き止めておくから、八王子は中入ってもいいよ。ピンネタある?」
「あるわけねーだろゾンビ野郎。コイツら片づけて漫才すんだよ」
「おおー! 言った言った。おい腰抜けデカブツ、ちっこいほうは覚悟決めたみたいだぜ? おまえも腹括って畳まれろ、な?」
上背が相模と同じくらいある、美倉高グループのリーダー格が言った。ちなみに幅は三割り増しくらいだ。
「それじゃ、あのう……平和的に解決しましょう。あっち向いてホイ、とか」
「そんなんで力関係決められっかよ。なんのために五人も雁首そろえて来たと思ってんだ?」
「あ、それ。そう、こっちは二人なんだから、そちらさんも対等に二二でやりましょう、荒っぽいことするならせめて」
「ああん?」
と、青筋立ててスゴむ前方のリーダー格よりも、
「……オイ」
と、静かに背後から呼びかける八王子の声のほうが、相模には二倍強ほど怖かった。
だから思わずどもって、
「な、何?」
そう答えて振り返ると、腕組みをゆっくり解いた相方が、自分の左隣の定位置にやってきた。
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