第28話 試練
「姉貴、ピアスしたいんだけど」
根本までしっかりブリーチし終え、完璧な金髪になった八王子は、居間に入りざま長姉に声をかけた。
八王子家長女はちゃぶ台に肘をついてバラエティー番組を見ている。彼女はすぐに振り返らなかったが、代わりに手の中の水割りのグラスの中で、氷が涼しげな音を響かせた。
タイミング良く番組がCMに切り替わり、長姉が気だるそうな顔で見上げてくる。
「なんだガキ。一丁前に色気づきやがったのか? あ?」
「いや、そんなんじゃねーけど」
「聞こえねーんだよザコ助がぁ! 声張れぇ!」
「ナメられねーようにピアスの一つでもつけようつってんだよ! 文句あんのか!」
若干及び腰になりつつも、顔を真赤にして八王子(はちおうじ)は叫んだ。
九歳上の長姉は、春香なんて可愛らしい名前に反していつもこんな感じだ。決して酒の影響ではない。彼女はザルなので、酒ごときが感情の起伏を制御できるはずがないのだ。
女兄弟で育つと、男でもおっとりした繊細な性格に育つというが、少なくとも八王子家には当てはまらなかった。
小さい声でボソボソ話すと「聞こえない」と言い直しを何度でも命じられる。怒鳴られたら怒鳴り返すのがこの家のルールだ。
タレ目なのに鋭い眼光で睨み上げられるのに、八王子は歯を強く噛みしめることで耐える。そして長姉の眼球から放たれる圧に逆らい、ゆっくり一歩前に出た。
長姉もちゃぶ台をブッ叩きながら立ち上がり、ヨタりながら接近してくる。
ついに、両者の鼻先の距離は一センチを切った。
「本気で言ってんのか、ガキ」
「オレは冗談なんか言わねー」
「よし、上等だ」
すると長姉、一瞬で弟に対する興味を失ったように踵を返し、戸棚を漁り始めた。
作業中の長姉に声をかけるのはドMの所業。八王子は黙りこくってことの成り行きを見つめる。
ちゃぶ台の上に並べられていくのは、小学生の頃によくお世話になった消毒液、何かの冗談みたいにデカい縫い針、シンプルな金のピアス。
「夏子(かこ)、冬子(とうこ)」
「はいよ!」
ピッタリにハモった声が居間の両サイドからしたかと思えば、これまた同時にスパーンと障子が開き、八王子は二人の女に挟まれた状態になった。
左が六歳上の姉その二、八王子家の炊事班、冬子。
右が三歳上の姉その三、夏子。今や絶滅危惧種のガングロギャルである。
「ガキを抑えときな」
「承知!」
長姉・春香(はるか)の命令に、夏子と冬子がキビキビと応じた。
夏子に足を刈られ、畳に膝をつくと同時に左右の腕をキメられる。
ものの一秒で、八王子は断頭台にかけられた罪人にも似た姿勢を取らされた。
「ちょっ……オイ、やめろって。なあ、普通でいいから、普通に。マジで普通にやってくださいです」
暴れるたびに左右の腕が姉二人の胸を激しくまさぐる格好になるが、八王子はそれどころではない。
目の前では春香が、イイ音でジッポーに火を灯していた。独特の、ちょっとカッコイイ匂いが立ち込めてくる。長姉は、揺らめく炎に太長い縫い針を何度も丹念にくぐらせた。
「安心しな。アタシが現役の頃は、男も女も関係なく、片っ端からコイツで貫通させたもんだ」
「い、言い方……」
肉食系どころの騒ぎではなく、もはや肉食獣にしか見えない長姉を前にすると、八王子のツッコミもまったく冴えない。
春香はさらに縫い針を消毒液で洗浄してから、急速に間合いを詰めてきた。
「姉貴、ふ、普通にやってくれよ? マジで、痛くすんなよ?」
「知るかザコ助。痛てえのはテメエの根性がたりねえからだろ!」
言うが早いか、豊満な胸と筋肉質な両腕に、八王子は頭ごと固定された。そして、左耳をちぎらんばかりの力でぐいぐい引っ張られ、悲鳴を上げざるを得ない。
「痛っ! やめて! 痛い痛い! 耳取れる! ちょ、ねーちゃん、痛い! やっぱナシ! ストップ! タンマ! やめてやめて……」
「股ぐらに御大層なモンぶら下げてるくせに、なんつう情けねえ声出してんだサノバビッチ! 向かいに住んでる幼女だってもうちょいマシな声出すぞ!」
もがけばもがくほど、胸に顔が押しつけられるという状況。
しかし、その相手が実の姉だということを抜きにしても、八王子はこれっぽっちもうれしくない。
このまま首をヘシ折られるのではないかという恐怖すらわき起こってくる。
金をケチって姉に頼んだことを、まさかこんなに後悔させられることになるとは。最初から病院で開けてもらうのだったと思っても、後の祭りだった。
耳が全面的に痛くて、何がどうなっているのかまったくわからない。
胸に呼吸を阻まれ、窒息しそうだ。いい匂いに包まれたまま気が遠くなる……。
八王子家の夜は、こうして更けてゆく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます