第21話 短いの、娘の尻を追う
今時分より暮れにかけて、人どおりは増える一方。今がまさにかきいれどきと声を張り上げて行き交う物売に混じって、小さいがよく通る女の口上が聞こえてくる。「こぉ
これは人々がよく口にする謎の一つで、江戸であろうと京であろうと、あるいは小さな宿場町であろうと、そこで商売する氷売は必ず、文句のつけようのない別品べっぴんだというのだ。
それもそのはず、氷を商うものたちはみな、「雪女」と呼ばれる
ある町では、氷売に懸想した呉服屋の主人が、尽きぬ氷を買い続け、一日にして無一文になったとかならないとか。
挙句、
夫婦仲行李で分かつ氷売
などという川柳までが人々の口に上る。
妖の使う妖術は、そのほかにもさまざまなかたちで人々の暮らしを一変させた。
暑さ寒さ、日照りにお湿りを自在に操ることにより、夏に小松菜、冬に瓜を商う振売も少なくない。頑固な年寄りの中には「旬のものしか食わぬ」と頑張る者がいないわけではないが、一年をとおして豊富な食材が手に入ることは、概ね受け入れられているようである。
このようにして物の怪たちは、何食わぬ顔で人々に紛れ込んで暮らしている。
木戸門の外で鼬や狐とつい長話をしてしまったのは失敗であった。通りの人込みにも、路地の井戸端にも、どこにも娘の姿はなかった。過ぎたときからすれば無理もないことであろう。
化け狸の
慶吾は、あの娘を親の仇とつけ狙うわけではない。また、恋焦がれて密かにあとをつけているわけでも無論ない――と、本人は言い張るに違いないが、これに関しては必ずしも的外れというわけではなかった。
「明朝でしたかのう、お
「えぇ、お陰様でねぇ。嬉しいような、寂しいような。笑顔で送り出したいような、すがりついてでも行かせたくないような、なんともいえない気持ちになりますねぇ」
藍染めの暖簾を潜ると、店の奥から四十になったかならぬかの女が愛想よく現れた。商人にありがちな愛想笑いではなく、見るものを安らがせる笑みを浮かべ、濡れた手を前掛けで拭っている。店の主人である
お園は慶吾の前へ、どぶろくよりもなお白い飲み物で満たされた茶碗を置いた。
「ほうじゃなぁ。世間じゃあ、なにやら物騒な噂も囁かれとるが、無事に出立して戻ってきてもらわんといかん」
「ずっと調べてくだすってたんですねぇ。やはりよくないんでしょうか? 主人は舞い上がってますけれど……」
よく冷えた茶碗を持ったまま、慶吾は暖簾越しに外を見た。
すでに日は沈み、あとは暗くなるのを待つばかりである今、通りを行き交う人もさすがにまばらになりつつある。とおる者一人一人の年恰好や体つきを見るにつれ、どうにも歳若い娘が少ないように思うのは、果たして慶吾の思い過ごしであろうか。
「お雪殿は、どがいに思うとるんじゃろう?」
「あの子は……」お園は手拭を絞りながら、ふと目を上げた。「あたしらに楽させてやるんだ、って張り切ってますけどねぇ。そう言ってくれればくれるほど、あたしはあの子を身売りさせちまったんじゃないかと、思えてきちまうんですよう」
「支度金五十両。たしかに、うますぎる話といえば頷けんでもない」
お園の一人娘お雪は、歳が明ければ十六になる。このたび、
娘を団に預ければ、それだけでまず五十両。数年の間異国で学び、学問を修めて帰国すれば、通詞としてお上に召抱えられ、厚い待遇が約束される――との触れ込みである。
「役人にでも、もう少し詳しい話が聞ければのう……」
「お役人様は、慶吾様にはお話ししてくださいませんか?」
「男に用はない、と門前払いを食ろうたわい。それでなくても儂ゃ大手門にはよう近寄れん」
「あら、どうしてです?」開店に備えて卓を拭きながら、お園は笑い混じりに問う。「いままでお勤めされていたお侍様たちが、だいぶお役御免になったそうですねぇ。入れ替わりでお召し抱えになった方々というのが、どうも少し変わった方々のようですよ。鬼のような大男だとか、逆に子どものような小男だとか。いわれてみれば、前とくらべてお城の様子が変わったかもしれませんねぇ」
「鬼のような、と」
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