第20話 長いの、親父を助く

「なんだ。おまえら、見たいのか?」

「おう、見たいとも」

「見せてみやがれ」


 輪を掛けてやんやと囃す与太者ら。


 雅寿丸がじゅまるは大きく頷き、勢いよく吉勝楽喜丸きっしょうらっきまるを抜き放った。


 二振りの刀身を無理やり一振りに打ち合わせたかの如き肉厚の刃は、いかにも頑強で、引いて斬るよりも力に任せて叩き斬るのに向いている。切っ先からはばきまでが三尺を越えるこの妖刀は、上背のある雅寿丸のために誂えたとみえ、具合がよさそうであった。


 刀が放つ気迫に圧され、海千山千の与太者らもたじろいだ。決まり悪そうに顔を見合わせると、ひじでの小突きあいがはじまる。どちらが次に仕掛けるかで揉めているのだ。


「心配せんでも、この刀で人は斬らん。人を正すのは人に任せる。なにより、弟たちが嫌がるからな」見るからに重量のある刀を、竹ひごでも振り回すように片手でもてあそび、もう片方の手で顎を撫でる。「その代わりといってはなんだが、ひとつ、面白いものを見せてやろう」


 肩に担いだ刀を揺らしながら、雅寿丸は与太者二人の周りをゆるやかな歩調で回りはじめた。与太者らはやむなく互いに背中合わせになり、少しばかり震えつつ匕首を構えていた。


「ゆくぞ。名付けて秘技――」


 言うや否や、雅寿丸は歩調を倍に速めて二人を中心に回り、左手一本で刀を振るった。幾度も迫る切っ先は、しかしいずれも与太者らには到達せずに、紙一重のところを掠めてゆくばかりである。一回りすると、右手に刀を持ち替えて切っ先を上に向けた。与太者らに鎬を向けるかたちで、その裏に左の手のひらをかざした。


「――すまん。やはり、いい名が思い浮かばん」


 その足元で、親父がこけたように見えたのは気のせいだったか。


 それはともかく、与太者二人はいずれも、まるで刀身から風が吹きつけたかのように感じた。さして強いものではなかったが、風は駆け抜けざま、二人の着物をたんなる布切れへと変えていったのである。


「な、何だこりゃァ」

「妖術の類いに違いねェ。こいつァ分が悪い、ずらかろう」


 二人はともに、褌一丁に匕首だけを握り締め、今の今までその身を飾っていたはずの布切れをその場に残したまま、砂埃を蹴立てて逃げ去っていった。


「こいつは仕立て糸を切っただけでな、縫い合わせればなんと元どおり……という技なんだが。身包みを置いていけなどと言う割には、着物を粗末にするやつらだなあ。こんなところへ捨ててゆかんでもいいだろうに」


 相手が二人とも逃げてしまったので、呟きは独り言になってしまう。

 しかたがないので雅寿丸は、まだへたりこんだままの親父に笑いかけた。力強いが穏やかで暖かい笑顔は、腕っ節は強いが気立てのよい、頼り甲斐のあるがき大将を思い起こさせる。


 大男の視線の先にいるのは、五十には届いておらぬであろう、福々しい頬が見る者を安らがせる親父である。親父は地べたに這いつくばったまま、幾度も頭を下げた。


「危ないところでした。お侍様には感謝の言葉もありません。ありがたやありがたや……」

「おれは侍ではないというに、参ったな」吉勝楽喜丸を鞘に納め、雅寿丸は親父と目線を合わせるためにしゃがみ込む。「おれは雅寿丸。氏も家も持たん、風来坊の渡世狼士とせろうしだ」


「狼士様でしたか、これはこれは……」


 とぼけた顔の狼士がよほど神々しく見えるのか、拝むようにして両手を擦りあわせる親父。まるで、そういうふうに作られたからくり人形である。


 雅寿丸は「まあまあ」と親父を押し留め、まずは簪職人の元へゆこうじゃないかと持ちかけた。このぶんでは、店仕舞いの只中に駆け込む羽目になりそうである。


 歳若い大男に促され、いざ立ち上がろうという段になって、親父の顔が強張る。

 どうやっても己の足がいうことを聞かないのだ。あたかも臍から下を他人の脚と挿げ替えられでもしたかのようで、顔が真っ赤になるほど力を入れてもまるで立ち上がることができなかった。


「こりゃあいったい、どういうわけか」

「むむ」手を貸して立ち上がらせようとしかけ、雅寿丸は唸った。「さては腰を抜かしたか。どれ、背を貸そう」


 見上げる背丈を屈め、おぶさるように促すと、親父はまたもやひれ伏さんばかりに恐縮しながらも従った。


「簪職人ということだったな」

「へい、すみません。明日までにどうしても仕上げてもらわにゃならんので、発破をかけに、金を持って出向こうとしていたところだったんです」

「なるほどな。それではどこへゆけばよいだろう? おれは今し方この町に着いたばかりで、右も左もわからんのだ」


 人一人をおぶっているとは思えない確かな足取りで雅寿丸は駆け出し、背中で親父が、右だ左だ真っ直ぐだと指図するとおりに進んだ。日が落ちて辺りが薄暗いのもなんのその、家路を急ぐ半纏姿や、湯気を纏った湯屋帰りと思しき女、天秤棒を担いだ物売の間を器用に縫い、ほどなくして目指す飾り物屋にたどり着いた。


 人を背負った狼士風の男が、草履の足音高く駆け込んできたのを見て、職人とみえる五十がらみの男は黙ったまま、今にも噛みつきそうな顔つきになった。それでも、黒い袴姿の後ろに知った顔があるのを見ると、いくぶん柔らかい顔になる。


「そういえば、明日だったね」

「そうなんですよ。明日は明日でも早くにいるんです、明六ツには取りにきますので、どうか……」


 職人はさすがに渋い顔をしたが、浪人の背中から腕を伸ばして代金を渡されると目を剥いて見せた。使い込まれた巾着の中身は、胸算用よりもだいぶ多かったのだろう。腰を浮かせつつ、景気よい音をたてて膝を打つ。


「ここまでされちゃ引き下がれないねぇ。今晩は夜なべして仕上げましょう」

「ありがとうございます。どうか、くれぐれもよろしく」


 拝み倒されそうになった職人は、笑って「そんなことより」と親父の腰を心配した。


 そして帰り道。申し遅れたと、雅寿丸の背でまた散々詫びながら、親父は久兵衛きゅうべえと名乗った。


「〈あわ雪〉って、宿を兼ねた乳料理屋を営んでます」

「乳料理か。そんな洒落たものは食ったことがないなあ」

「そいつはちょうどいいです、雅寿丸の若旦那。助けて頂いたのと、おぶって頂いたお礼をしなくちゃいけない。是非うちに泊まって、自慢の乳鍋を食べていってくださいよ」


 むしろねだるような口ぶりでそう誘われ、雅寿丸は素直に喜んだ。図らずして、今晩の飯と寝床が転がりこんできたのである。歓声を上げて、久兵衛の申し出を受けることにした。


「そいつはありがたいな。ちょうどさっきも、小銭を稼いでから宿を探そうとしていたところだったんだ」


 そうと決まれば話は早く、雅寿丸は久兵衛を負ぶったまま、次は乳料理屋〈あわ雪〉を目指す。再び背後からの指図に従い人の海を泳ぎきれば、どうやら元来た道を戻っているようだ。

 〈あわ雪〉は、雅寿丸が追儺ついなと別れた場所から、ほとんど離れていない場所にあったのである。

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