第10話 長いの、白いのに驚愕す
「もしかすると、この世の中を変えられるかもしれないね。ぬしは『ほころび』だ」
すると大鼬、己の長い胴体を眺めやり、
「むむ。それはおれの毛並みが拙いということか? ここへ来るまでに多少乱れたかもしれんが――」
「ぬしならばあるいは、因果の鎖を断てるかもしれない」それから、妙に人間じみた仕草で口元へと前足をやる。「おぞましい鼬ごっこを断ち切るのは、粗忽物の鎌鼬……か」
「うへへ。そんなに褒められると、くすぐったいぞ。だが、やれるだけのことはやってみる。おれの不始末だがな。うまくいくよう、祈っていてくれ」
鼻をうごめかして言う大鼬。唐草模様の風呂敷包みをもう一度しかと背に負い直し、白狐に大きく頷いてみせた。そして、怪しげな足取りで東へと駆け出してゆく。那智黒の目に満ちた決意があまりにも強かったため、白狐は危うく、頷いてそのまま見送ってしまいそうになった。
水たまりから一歩も動こうとしないまま、白狐はまた目を細めた。その先で大鼬が足を止め、首を後ろへ曲げたまま身を捩って、気味の悪い動きをしている。
「なあ、白いの」
「なんだい、長いの」
「体が動かんのだが、これはとうとう瘴気とやらが、もうどうにもならなくなったということだろうか?」
「違うよ」
「むう。では、おまえが怪しげな術の類いでも使っていたりしてな」
言いながら、うはは、と笑う。
「怪しくはないけれど術は使ったよ。ぬしはだいぶ粗忽者のようで、人の話をおとなしく聞いてはくれないからね」
それを聞くと大鼬、黒く丸い目を瞬かせて白狐を見た。
「たしかによく言われるが、今はべつだ。ときがない。こうしてはおれんのだ、なあ頼む、術を解いてくれないか?」
「厭だ厭だ、これだから狸やら鼬やらは困るんだ。まろがその瘴気をなんとかしてやろうというのに、聞く耳を持ちやしない」
「できるのか」
「できるさ。まろをなんだと思っているの?」
「毛皮を狙われそうな狐だなあと」
「……褒め言葉と受け取っておくよ。まあいい、百聞より一見。まろはこういう者だ」
言うなり、輝く白狐は飛び上がって宙返り。すぐさま、どろん、と奇怪な音と共に、どこからともなく現れた白煙が狐の姿を押し包む。白煙はかさを膨らませながら薄れゆき、やがてそれが晴れると、水たまりの向こうにいたのは一人の人間だった。
妙ちきりんな姿をしている。白い狩衣をふうわり纏い、その下に薄色の単が覗く。手には竜笛。薄墨の指貫に黒漆の浅沓。ひと言でいうのであれば、公家のようにも見える。ただし、冠や烏帽子の類いは戴かず、腰まで届く月と同じ色の髪を垂れ髪にしていた。
術の解かれた大鼬、二、三歩よろめいて、開いた口からため息一つ。牙の覗く口は半ば開いたままの間抜け面で、
いくばくかして、風のせいか虫の音か、とにかく何かをきっかけに、
「手習いの師匠に聞いたことがある。おまえのように様子のいい男を、突っ転ばしの二枚目というんだろう?」
「よく知っているじゃないか。でも、男に褒められても嬉しくないね」
「そうか、すまんすまん」
頬を掻きながら、大鼬は前のめりに倒れて岩にぶつかり、また少し平べったくなった。黒い目は輝いたままであったが。
「ううむ、その出で立ち、もしや公家かなにかか?」
「公家じゃないよ。さっきも訊いただろう」
「うむ。だが、さっきは答えてくれなかったろう」
雅寿丸の口振りは別段、咎めるようなそれではなかったため、追儺の口からは自然に「それは申し訳なかった」という言葉が転がり出た。
「さて、いつまでも岩の上で馬鹿話をしているわけにもゆかない」
「面白くていいぞ」
「ぬしがどこで野垂れ死のうと、まろ痛くも痒くもないけれど、月読でああいうことになった以上、おめおめと死なれては困る。そこでその瘴気、まろが引き受けよう」
「これを? おまえが?」
曇りない漆黒の目を瞬かせ、鼬が長い首を捻る。胸中にいかなる思いが去来しているや、捻りすぎた首の先にある頭が、間もなく岩にくっつきそうだ。
「そうすると、今度はおまえが死ぬんじゃないか?」
「ぬしじゃあるまいし、そんな間抜けなことをするわけがないだろう。まろは、
「ふむ……」
「仙狐というのは字の如く、狐の仙人さ。元来強い通力をもつ狐が己を律し、心の鍛錬を行なうことにより、様々な術を会得したものだ。力は期待してくれて構わないよ」
問いの気配を察するや否や、突っ転ばしは澄んだ声で答えを寄越した。鼬あしらいも大分板についてきたとみえる。
「わかった、任せる。この借りは、きっと返す」
雅寿丸がうなずくと、狩衣姿の追儺はなんの気負いも見せず、淡々と術に取り掛かった。
弄んでいた竜笛を手の中でくるりと回すと、それはたちどころに形を変えた。見事なぼうぼう眉と顎鬚を有する、穏やかな顔つきの翁面である。それを顔へ寄せると、膠がついているわけでもあるまいに、優男の顔にしかと張りついた。
「おおっ」という大鼬の感嘆も意に介さず、白い髪へと手をやり、指にそのうちの一本を絡め、引き抜く。
髪は引き抜かれたとたんに、一枚の紙片へと姿を変えた。大きさは短冊ほどか。
一面には文字が書きつけられていたものの、筆跡があまりにも流麗すぎて、雅寿丸には何が書かれているのやら見当もつかない。
そんなことなどお見とおしであろうに、翁面のおかげで顔つきのわからない狐の仙人はその場に屈み込み、鼬の背中に紙片を軽く押しつけた。
糊がついていたとは思えないが、紙片は白黒二色の柔らかな毛にしっかりと貼りついた。雅寿丸が何かを言おうと口を開く間に、再び同じ紙片が、今度は腹側に貼りつけられた。
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