第2話 長いの、白いのにたしなめられる

「止せ」


 高すぎず低すぎぬ、落ち着いた声がそう言った。鼬は手――前足をその場に止めて狐を見、嬉しげに口を開いた。


「おう。狐がしゃべったぞ」

「ぬしも鼬のくせにしゃべっているじゃないか」


 朗らかな声でいたずらっぽく囃せば、すかさず狐に言いくるめられ、鼬は「そうか」と、伸ばした前足で頭を掻く。鈍重な足取りで狐の前を行ったり来たり。やがて足を止め、つぶらな黒い目を興味深げに輝かせつつ、長い首を捻った。


「それで、なにをしているんだ?」

「なにって……あ」


 大儀なる秘密でも漏らしたかのように口へ手を当てる仕草は、まるで人間だ。白狐は、絶句したまましばし固まる。ややあって、深く息を吐きながら、水たまりの前にうずくまってしまった。両の前足を交差させた上に尖った細い顎を乗せ、赤い両目をつむってしまうと、狐はどこまでも白くなる。


 不意に灯りが消えたように思えて、鼬は気遣わしげに声をかけた。


「どうした、腹でも痛いのか?」

「痛くないよ」

「ううむ。では、腹が減ったのか?」

「減らないよ」

「そうか。では、腹が……」

「もう、腹はどうもなっていないよ」


 話を打ち切って、白狐はため息とともに意識を沈ませる。横で大鼬が動き回る音が聞こえないわけはないのに、再び目を開くこともしない。力なく尾をひとつうち振るのは、もはやどうでもよいという気持ちの現れだ。


 風がすすきをざわめかせ、虫たちが競って鳴き交わす――長い秋の夜。いくらも経たぬうちに、鼬はおとなしくしているのに飽きてしまった。


「なぁ、白いの」

「なんだい、長いの」


 つい返事をしてしまった白狐が目を開くと、恐らく自分の格好を真似たと思われる大鼬が、目の前で長々と寝そべっていた。


「浮かない顔だな。困りごとか? なんなら談合柱になるぞ」

「いかにも。まろはたった今、人生において最も大きな過ちを犯してしまったのだから」

「『まろ』か」鼬の鼻先で、そこそこ行儀よく揃っていた長い髭が、曼珠沙華さながらに前へと開く。「公家かなんかか?」


 狐は横目で鼬を一瞥したが、なにも言わなかった。近くでよくよく見れば、その赤い瞳は、猫のそれのように縦に細長いことがわかる。

「まぁ、いいさ。おれは雅に寿と書いて雅寿丸がじゅまるという。おまえはなんて名だ?」


 どちらかといえば暖かみがあるはずの赤色だが、狐の目はあくまで冷ややかだ。鼬がめげずに次の言葉を探そうとしたころ、ようやく応えがあった。


「名というのは、素性も知れぬ相手に軽々しく口にすべきではないよ」といったそばから、鼬の雅寿丸が頷くよりも早く名乗った。「まろは、白月追儺しらづきのついなという」

「おう、追儺、か。よろしく見知りおいてくれ」

「あのさ」しかし追儺の声はなお冷たい。「まろはここで月読の儀を行なっていたわけ」

「ツクヨミノギ、とはなんだ?」

「今宵は望月。空の月を水鏡に映し見れば、求める答えが得られる日なのさ」

「それはいいな。おれが探しているものも、教えてもらえるだろうか」

「誰でもできるわけがないだろう。月と心通わせる眷属が、長い修行を経てその術を学び、ようやく行なうことのできる儀式だよ」

「むう、そうか」


 期待に満ち満ちていた雅寿丸の目であったが、追儺ににべもなく否定され、わずかに気を落とした様子になる。顔つきこそ変わらぬものの、前――白狐に向かって広がっていた長い髭が、顔に沿って下向きにうなだれていた。


「妖狐襲来よりずっと、まろは美玉をこの国から追い出す手立てを探る一方、言葉を交わしてわかり合えないものかとも思っていてね」

「ええと、ビギョクというのは女帝の名だったか。なんで追い出すんだ?」

「ぬしは、どこでなにを聞いて生きてきたんだい? あの雌狐が清から渡ってきてからというもの、将軍を骨抜きにしてやりたい放題じゃないか。鎖国を廃し、国号を『封国ほうこく』と改めて、渡来妖怪の横暴を許した。だからぬしもまろも、こんなところをうろついているんだろう?」


 そう、ここは天下の東海道。野山に潜む獣の類いからしてみれば、人里といっていい。大鼬だの妖狐だのといった物の怪どもが、こうも人目をはばからずに往来するなど、有り得ないことだったはずなのだ――三十年ほど前までは。


「そうなんだ。おれは人探しをしている。もし知っていたら教えてほしいんだが」


 大儀そうに起き上がり、鼬が水たまりを回りこんで狐のもとへやってこようとすると、


「そこまでだ」白月狐は、刃のように鋭く冴え冴えとした声を発した。「動けば、生きたまま目玉だけ炭にするよ」

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