おにぎりドラゴン

リナさんさん

第1話


「……っあー、クソが」 悪態を吐き出しながら膝をついたのは重鎧に身を包んだ女性だ。

 鎧は傷つき、欠け、軸足として動かしていた右足には大小様々な空洞が乱雑に空けられている。抉じ開けられるようにして空いた穴からは、義足を動かす為のコードや間接部品などが無残にも千切られているのがよく見えた。

 パーツに負担をかけないようにとゆっくり立ち上がろうとしたが義足はうんともすんとも言わない。どうやら神経の大部分をやられてしまったようだ。

 しかしまあ、なんて嫌なところへ噛み付いてくれたのか。女はぼやく。

 こんなに破壊されてしまったら修理代が怖くて整備士の所へ行けやしない。良くて八割、悪ければ全部取替えだ。


 刃毀れの激しい剣を杖代わりに女はなんとか起き上がる。立ち続けるのすら一困難だ。

  産まれたての小鹿が如く脚を震えさせれば、前方にいる大きな影は巨躯を震わせ、笑った。


「はっはー!! なんだもう終わりか!? 終わりだよなぁひ弱な人間!! なんせ、ご自慢の足が動かんのだから!!」

 してやったぞと、目の前の影――ドラゴンは宙に向かって火を吹き上げた。

 嬉しそうに手を叩く様を見て女性の口から舌打ちが出る。なんだよお前その態度、近所のクソガキかよカミナリ親父呼んで来るぞコノヤロー。

「うっせーなー、大体なんで足狙って噛むんだよ。お前ドラゴンだろ、どうせならブレス使ってこいよ、ブレスを。ブレスでぶわーってすればいいじゃねえか」


 ドラゴン族が強敵に分類されるのは、強靭な肉体も然ることながら近接を封じるドラゴンブレスの存在が大きい。

 距離を詰めようとした相手には灼熱の息で牽制……どころか、相手によってはそのまま焼き尽くせる上に、背後を取ろうにも鞭の様にしなやかな竜尾が手薬煉を引いて待っている。

 ……筈なのだが、どうにも、目の前に居る奴は女がよく知ったドラゴンではなかった。身近な手で掴みかかってきたり、大口を開けながら突進してきたりと驚かされるような攻撃ばかりしてくる。


「はー? だってそんな事したら直ぐに死んじまうだろうが」

 鼻でもほじりだしそうな、だるだるとした態度である。むっかつくわー。

「何言ってんだ、ブレスくらいなら気合で弾き飛ばせるわボケ」

「まじかよ……思ったよりもすげーなお前……」

 ふふん。

「私を甘く見るなよ。ドラゴンスレイヤーの名は飾りじゃない」

 そう、女――こと私は誉れ高きドラゴンスレイヤーだ。最上位の魔物であるドラゴンを屠る事の出来る、一握りの英雄――

「その癖、俺様に負けてるのな」 むっかつくこのドラゴンドヤ顔してる!本当にむっかつく!

「お前が普通のドラゴンみたいにブレス使ったり尻尾でぶんぶんしてくりゃ勝てたわバーカ!! なんだよテメー馬鹿みてえに接近ばっかしてきやがって!! このクソドラゴン!!」

 もーやだ、やめやめ。このドラゴンにテンプレは通用しない。


 大きなため息を吐き出し、剣を地面に叩きつけて大の字で寝転がった。

 どーせここで勝っても帰り道の魔物に殺されるし、運良く帰れたところで冒険者は暫くの間は廃業するしかない。そうなれば稼ぎは激減するし、今住んでいる宿屋も追い出される。 

 ったく、英雄英雄持ち上げておきながら衣食住に一切金を出さねーんだからいつまで経っても弱小国なんだよ!! 馬鹿かよこの国!!!


「ぶふっ、なんだお前。面白い人間だなぁ。さっきまでめちゃくちゃキメ顔してたのに」

「うっせーなー、いいんだよどうせ野垂れ死ぬんだからよ。ほら、殺るならさっさと殺っちゃってくれ」

「あっはっはっは」

 ドラゴンは口を歪ませ、腹を抱えて笑う。

 それにして表情の豊かなドラゴンだ。今まで色々なドラゴンと出会ってきたが、こんな奴は初めてだ。

 ドラゴンといえば『思慮深き賢人』だとか『雄大なる魔力の持ち主』だの、ご大層な二つ名が付き纏っているようなやつばかりで、喋り方も老人じみたものや紳士的なものばかりだ。もしかして、生きてきた年月により変化するのだろうか? だとすれば、目の前の固体はドラゴンの中では結構若いのかもしれない。


「なんだよ、殺さないのか?」

「なんだ殺して欲しいのか?」

 ドラゴンは私の横に座った。 胡坐かいてんじゃねーよオッサンくせえ。

「どーせここで生き延びても下山する途中で雑魚に殺される」

「雑魚!! この山に巣食う魔物を雑魚って言うのか!!」

「ドラゴン以外は全部雑魚だ」 答えれば、ドラゴンは満足そうに笑う。

「気に入った!」

 ドラゴンは指をぱちりと鳴らし、鋭い爪先を私の胸にそっと置いた。

「お前さーなんかこう、最期にしたい事とかないのかね? ん? 言ってみろよ」

「ウゼェ顔…………」


 しかし、まったく妙なことを聞くものだ。

 ……最期か。そうだな、私にもついに終わりが訪れるのか。

 短かったようで長い人生だったなあ。思い起こせば色々有り過ぎて涙が出てくる。


 最期、最後、最期か……そうだなあ。

「………………………おにぎり、食べたいな」


 この世界には存在しない、前の世界での料理。

 今の母ではなく、前の世界の母親をが作ってくれたおにぎりを、それをもう一度食べたいと思った。最後に食べたのは何年前だろうか?

 目を閉じれば、母が握ってくれたお握りたちが想い浮かぶ。忙しい朝ごはんに出されたシャケお握り、運動会で食べた俵型の彩り豊かなもの、ああそうだ稲荷もよかったなあ。

 戻れるのならば転生前の世界に戻り、好きなだけおにぎりを食べたいものだ。

 あれ無くしては前の世界を語れん。それほど思い出深いものだ。

「……ま、忘れてくれ」

 このドラゴンに転生前の世界の料理を語ったところで、どうなる訳でもない。

 あーあー思い出したら懐かしさに涙が滲んできた。

 ……早く一思いに殺ってくれないかと、視線を動かせば――


「………………それは俺も食いたいなぁ」

「…………は?」

「梅は苦手なんだけど、おかかが好きでなー。味噌汁と一緒だといいよな」

 ドラゴンは鋭い瞳を和らげ、物憂げな表情を浮かべた。伏せられた瞳はどこか遠くを見ているようで――ってまてまてまて。

「で、お前はなんの具が好きだ?」

「え、は? あー、しゃけ」

「しゃけもいいよなー。マヨネーズにも合うし醤油もいい」

「そうそう、私も…………って、お前本当になんなんだ?」 何者なんだ?

「俺はそうだな――漆黒の闇に抱かれし」

「厨二か!!」

「はっはっは、でも分かるだろ? 俺が、何者なのか」


 ごう、と強い風が吹き抜ける。

 ブレス対策のマントがばたばたと音を立てて棚引いた。


「……お前も、転生したのか」 私と同じように、あちらで命を終えてこちらにやってきたのだろう。

「そうだよ。日本に居た時の名前は龍慈。転生したら名の通りドラゴンになっちまったけどなあ」

 ドラゴンの瞳はどこか同情的で労わるように優しいものだ。私と同じように、彼にもこちらの世界での生活に対して葛藤があったのだろう。


「で、お前さんの名前は?」

「…………麗華」 元の世界の名だ。

「ごてごてしてそうな名前だな」

「お前が言うか」 画数ならお前も似たようなもんじゃないか。

 ちいさく吐き出せばドラゴンはにいっと笑う。

「じゃあレイカ」 思わず胸が熱くなる。二十年ぶりに呼ばれた名だ。

 最後にその名を呼んだのは一体誰だったろうか。 父だったか、母だったか、それとも友であったか――。

「ええ!? 名前呼んだだけで泣くなよ!!」

「うっせえな!! 黙れよリュウジ!!」 呼べばドラゴンの眉も下がる。

「……あ、駄目だわそれで呼ばれるとお兄さん泣いちゃう」 お前もじゃねーか。



 暫くの間、目頭を熱くしながら前の世界について語った。

 曰く、某ハンバーガーショップの季節限定メニューやら某遊園地についてだの、コマーシャルでやっていたアレはどうなっただの。至極くだらない事ばかりだ。

 でも、その、至極くだらない事がとても楽しかった。とても、心地よかった。


「で、お前どーすんの?」 いつの間にやら横に寝そべったドラゴンが問う。

「どうってお前……」

 正直な話、殺す気も殺される気もどこかへ行ってしまった。あれほど前の世界の話で盛り上がってしまっては軽い親近感すら芽生える。というかこれは間違えなく芽生えたはずだ。


「うーん、降りるにしろ脚はこれだからなあ」

 右足の義足は未だにうんともすんとも言わない。多少なりとも動くのであれば荷物を漁って簡易処置をするのだが、動かすための神経が完全に切れてしまっている。それを自分でつなぎ合わせるなど到底無理な話だ。



「……じゃあさ、ここに居ろよ」 ドラゴンの鼻先がずいっと近づく。思ったよりも鼻息は冷たく爽やかな感じがした。

 そういえば間近で生きているドラゴンを見たのは初めてかもしれない。いつもならば相手は死んでいるか虫の息、姿形がこんなにもきれいな状態というのは珍しい事だ。

 ああほら、顎のあたりにある柔質な鱗が艶やかに輝いた。欠ける事の多い希少な部位だ。市場に出したらどれ程の高値がつくことやら……ああ、しかし本当にキレイだ。

「人間って話聞かずに襲い掛かってくるからよ、まともな会話もできなくてさあ」

「……それ、ドラゴンスレイヤーの私に言うか?」 今だって鱗を値踏みしているような輩だぞ。

「いいじゃん。今は普通に喋れてるんだし……それに、前の世界の話とかまたしたいし」

 それは自分もそうだ。前の世界に帰る事は諦めたといえど、やはり懐かしさに浸りたい時もある。彼が居れば故郷を思い出して寂しくなるかもしれないが、決して淋しくはならないだろう。


「お前が望むなら魔の森や死の海を案内するぞ」

「そりゃいいな。 でも、もう義足が動かないんだ」

「それがどうした、お兄さんの背に乗ればいいだろう」

「マジ?」

「マジ、ついでに俺と契約結んじゃえよ」

 ふふっと笑みが漏れる。ドラゴンスレイヤーがドラゴンライダーになるとは何たる皮肉だろう。ていうかお兄さんって、ふふっ。

「人間の雌を口説くだなんていい趣味してんな」

「うるせー、ドラゴンの雌なんて面倒なだけだ。 あいつら番探しですっげえ肉食系になるし……とりあえずお前で我慢してやるよ」

 軽口の往来、茶化しあい。ああ、何故かこんな遣り取りが懐かしく思えてしまう。思わず緩んだ頬を両の手で挟む。

「いいぞ、リュウジ。お前に付き合ってやる、ただし私の事は前の世界の名で呼べ」

「おうよレイカ。お前もその名で呼べ。それじゃあ――」

 

 一息吸う。


「「契約だ」」





 某国から英雄が一人消えた。そのような噂が流れ出たのは、彼女を最後に見届けた冒険者ギルドからだ。

 曰く、顔馴染みでランクの高いドラゴンスレイヤーが帰って来ないというものだ。それと同時期に、死の森の方でやたら仲睦まじいドラゴライダーが現れたという新たな噂が出たのはきっと、偶然ではないだろう。

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