#01:捜索

 大森林は春を迎えていた――にも関わらず、天を覆う程の巨大な樹木達は一辺して青々とした葉を繁らせている。

 ここは不変の領域だった。わずかに射す木漏れ日が昼夜を報せる程度で、季節が何であるかはそこいらの野草を見るしかない。

 季節や気温の変化はあるが、気候は亜熱帯に近く、巨木の枝からは多くの水分を集めるためにいくつもの丈夫な根や蔦が垂れ下がっている。これらは森に住むあらゆる生物にとって大事な移動手段であり、時には武器やロープの原料にもされていた。

 小動物の鳴き声がどこからともなく響き渡り、幾重にも増幅されて木霊する。降り始めの雪の如く疎らに降り注ぐ葉は、何年もかけて降り積もった枯れ葉の分厚い絨毯を、更に彩っていく。

 バサッと音を立てて、小さな影が木の葉を撒き散らした。直上に垂れ下がった根も大きく揺れている。影はそこから来たようだ。

 深い葉の絨毯から顔を出したのは、クロンという名の子供だった。よわい十六にして容姿が幼く、小柄に見えるのは、「耳が少しばかり尖っているため」である。その、全身を包み込むゆったりとした装束は新緑色一色だったが、履き口を膝下まで折り曲げている大きめの柔らかい革長靴だけは、湿った土の色をしていた。

 クロンは身体についた木の葉を叩いて落とすと、背中に担いだ革袋から丸い二枚の板を取り出し、足に結わえた。深く降り積もった落ち葉の上を歩くための「板履き」である。

 その足でゆっくりと歩きながら周囲を見渡すと、一つ先の巨木の根元に、不自然に沈んだ部分を確認した。

 クロンは息を飲みながら、恐る恐る近付いていく。

「まさか……嘘だ……!」

 認めたくない願望と否定出来ない事実が頭の中でぐちゃぐちゃになりながら、体は自然と答えを求めて突き進んだ。

「……そんな……! ユーナン……!」

 三日前と同じ服装で変わり果て、置き去りにされた友の姿。クロンは堪えきれずに涙を零した。

 いつも冷静であれ、と言われ続けてきたが、こんな状況では理性など無意味に等しい。


 そこへ、もう一つの影が後方に沈んだ。クロンは、はっと振り返り、その姿が自分と同じ緑色の装束であると知るや、ひとまずは安堵し、慌てて涙を拭った。

「クロン! 見つけたのか!」

 下りたばかりの影はクロンに呼びかけると、手際良く両の足に板履きを取り付け、軽快に走ってきた。

「はい……ゼッキさん」

 クロンよりも一回りも二回りも大きな体躯。ゼッキと呼ばれたその男は、純粋な人間ポムサピアであり、背丈も大きい。クロンにしてみれば、いつも鬼のようなイメージが付きまとっていた。

「……頭は、無くなって、いますが……」

 クロンが何とか冷静を保ちながら報告した。

「くそっ! なんて惨たらしい最期なんだ……!」

 ゼッキは歯噛みし、大きな拳を樹に叩きつけた。

「これでは浮かばれぬ。村できちんと葬ってやらねばなるまい。……親御さんには辛い現実を見せつけることになるな」

「……そう、ですね……」

 震える声で言葉を絞り出すクロンに、ゼッキはクロンの肩をたぐり寄せるように抱いた。

「クロン。よく我慢した。仕事とはいえ、お前も辛かったろう。願わくば他の者が見つけてくれればと思っていたが……、ユーナンの魂が、幼馴染みだったお前を呼んでくれたのかもしれんな」

 クロンはゼッキの胸元でぎゅっと目を瞑り、口から洩れだす嗚咽を噛み殺しながら、出来る限り友人の最期を思い描いた。

 ――この果てし無く広大で静寂な森の中をたった一人で彷徨い、何者かに襲われ……誰にも見つからずに三日も野晒しにされたのだ。

 誰かぼくを見つけて、と叫びたかったであろう口も、村の光を求めていたに違いない目も――終には全て奪われてしまった。

 一体、どれだけ寂しかっただろうか。どれだけ悔しかっただろうか。

「……本当に、残念だ。俺は不器用だから、上手く言葉をかけられないが……」

「……いえ……お気遣いに、感謝します……」

 クロンは一旦気分を落ち着かせてから、動かなくなった友人の方へ向き直った。

 そして、自分の頭の天辺にピタリと両手を向かい合わせるように垂直に乗せ、中指と中指を綺麗に合わせると、その姿勢で腰を折り曲げ、魂の安息を願った。ゼッキもそれにならう。

「彼は俺が担いでいこう。クロンは先に戻り、皆に伝えてくれ。その後は休んでくれて構わない」

「はい……」

 クロンは手頃な巨木――およそ大人十人が手をつないで一周出来る――に手を添え、その上方を見据えながら、板履きを革袋に仕舞い込んだ。代わりに黄金色に透き通る鉤爪のついたグローブを両手に嵌めると、巨木に爪を立て、身体を支えた。一つ整息してから、巨木のうろや滑りにくい樹皮を頼りに一気によじ登っていく。

 ゼッキの姿が豆粒程に小さくなったところで、遥か上の枝から垂れ下がる根を掴み、強度を確かめた。ポン、と強く幹を蹴り飛ばし、クロンの軽い身体が振り子の如く大きな弧を描いて飛んだ。

 後は長年の勘と経験、この森で育んだ身体感覚を頼りに勢い良く根を振るい、次から次へと飛び移っていくだけだ。万が一失敗しても、身体を受け止めてくれる程の落ち葉が地上にある。彼ら森の民は、物心ついた時から自然と一体となり、暮らしてきた。もはや、クロンにとっては遊びの延長でしかない。


「……ただいま戻りました……」

 村の入り口前の落ち葉の上に埋もれるように着地したクロンは、浮橋うきはしと呼ばれている、落ち葉よりもやや高い位置にある丸い木製の足場に上がり込んだ。

「クロンよ、どうじゃったか?」

 真上からの嗄れた声に、クロンは頭を上げた。闇色のローブを纏った老人が、家と家を繋ぐ吊り橋に寄り掛かっている。村長のガブルじいさんだった。

「見つけた。……ダメ、だったよ……。今、ゼッキさんが連れて帰るところ。多分……ウルヒおばさんが知ったら……耐えられないと思う」

「……そうか……」

 ガブルは、長く蓄えたあご髭を慰めるように何度も撫でながら小さな目を閉じ、クロンに背を向けて大きく溜め息をついた。

「お前にも大変な想いをさせてしまったなぁ、クロン」

「…………仕事……だから……」

 懸命に涙を堪えて答えようとしたクロンだったが、あの凄惨な――無念の顔すら失った姿を見た直後では、思い出す度に冷静でいられるはずが無かった。ましてや、まだ子供なのだ。

「来なさい、クロン。…………ああ、よしよし……いい子だ」

「ふぐっ……ううっ…………うあああああああああぁ――――っ!」

 クロンはガブルの胸元で肩を震わせ、とうとう村中に聞こえる程の大声で泣き叫んだ。それは、村中の人々に結果を報せる合図にもなった。

「……なぁ、クロンや」

 ガブルは、いつの間にか涙で濡れた小さな目をクロンに向けた。

「そろそろ、お前も安全な都へ行きなさい。それがお前の為でもあるぞ」

「……嫌だよ。それだけは」

 クロンは俯き、浮橋に足の爪先を突つきながら応えた。

「ガブルじいさんも、ぼくがどうして都へ行きたくないか、分かってるでしょ?」

「……もちろんじゃよ。十年前の出来事を思い出したくないのじゃろう? 皆も同じ目に遭って、ここへ来たのだからな」

「それに、母さんを残して去るだなんて、出来るわけないじゃないか」

 ガブルは小さく笑った。

「莫迦が付くほど親孝行者じゃな、クロンは」

「親不孝者って言われるよりは、マシだよ」

 半ば自棄糞に応えたところで、大きな革袋を担いだ大男が、先程のクロンと同じように木の葉を撒き散らして落ちてきた。

「帰って来たよ」

「うむ……ウルヒを呼んでこよう」

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