8 智という名の力

 ――なんだ、この威圧感は……。

 こいつ、いきなり自信にあふれてきやがった。

「ヤス先輩、ユイさん、一度事件のまとめをしますがいいですね?」

 今までとは打って変わった冷静な口調に、俺達は頷くしかなかった。

「――では、声に出して整理します。ここに来てからのすべてを」

 ひねりは悠然とソファーに座った。

 そして、まるで膝に抱いた猫に聞かせるように、ここに来てからの出来事を語り始める。

 ……途中おかしな独り言も多々あったが、やがて事件の全容をまとめ終えた。

 そこから長い沈黙が続く。

「――おい、おしゃべりは終わったんだろ? ボケッとしてる暇があったら捜査の一つでもしなきゃ、いつまでたっても解決しねえぞ」

 しかしひねりは、まるで俺の存在をいま思い出したかのように見つめ返して言った。

「――いいえ、もうそんな必要はありません」

 俺とユイはあっけにとられる。

「たったいま解決しましたから」

 ……解決だと?

 俺の用意したトリックが解けたというのか?

「――まさか『他にいないからヤス先輩が犯人です』なんて言うつもりじゃないだろうな?」

 だったら俺の勝ちだ。

 なぜなら『自分が犯人なのがバレていること自体は計画前から承知の上』だからだ。

 いわばこれは『公然の秘密』。そもそも俺を除いてここにひねりとユイしかいない以上、そんなことは明白なのだ。

 しかしあえて隠そうともしない代わりに、認めもしない。――なぜなら肝心の『証拠』が存在せず、その上俺には犯行が不可能ということになっているからだ。

「犯行方法を証明しない限り、解決なんてありえないぜ」

 だが俺のその言葉を、ひねりはあっさりと受け流した。

「大丈夫です。解ったのは『すべて』です。犯人の――ヤス先輩の行動とその意味……そして計画そのものまで」

「……聞かせてもらおうか」

 俺は、膝に猫を乗せたひねりと向かいあう形でソファーに座った。そうしてゆっくりと腕を組む。

 俺の挑戦の結果が――勝負の行方が、今はっきりするのだ。

 ひねりは毅然として俺を見つめながら口を開いた。

「この事件の鍵……それは文字通り『鍵を盗んだ者』です」

「ひねきち、鍵って――二階の非常口の?」

「そうです。なぜなら私達の目を盗んで鍵を持ち出すのが可能なのは、あの時ロビーにいた者だけ――つまり私とユイさんを除くと、アキ先輩か浦野先輩しかいないからです」

 ユイが頷く。

「それはそうね、ヤスさんはフロントにさえ近付けなかったんだから」

「これはかなり大きな意味を持ちます。これを踏まえて推理をすれば、答えは一つしかなくなるからです」

 俺は黙って耳を傾ける。

「そもそもこの事件は二つの事件によって成り立っています。すなわち『アキ事件』と『浦野事件』です。推理する際考えるべきなのは、まず『浦野事件』です」

「え……なんで後に起きた事件を先に考える必要があるのよ?」

 ユイの質問にひねりは――。

「なぜなら『浦野事件』もまた、鍵の盗難者と同じく、ありうる犯人は二人しかないからです」

「『ありうる犯人』って、誰と誰のことよ?」

「同じです。アキ先輩と浦野先輩――この二人だけです。ヤス先輩は浦野先輩が部屋に閉じこもってから行方不明になるまでの間、ほぼずっと一緒に私達と行動していましたので犯人ではありえません」

「ちょっと待ちなさいよ! 浦野事件の容疑者が浦野さん自身ってどういうことよ?」

「姿を消したのが、言うなれば『自分で自分の存在を殺して見せた』――つまり浦野先輩が自分の意思で身を隠した可能性があるからです」

 そこでユイもようやく気付いたようだ。

「以上の推理からわかる重要な事実、それはいずれの事件においても『アキ先輩か浦野先輩しか犯人ではありえない』ということです」

「――それじゃ……ヤスさんは犯人じゃないってこと?」

 首を振るひねり。

「では、考えうる犯人を仮定して推理を進めてみましょう。まずは浦野先輩を犯人と仮定した場合――」

 ひねりは考えをまとめるように、間を置いてから言葉を続けた。

「一つめは『浦野先輩単独犯説』です。浦野先輩の単独犯と仮定した場合、話は簡単――『不可能』です。浦野先輩ひとりでは、アキ先輩が拉致できないからです」

「ああ、そういえばアキ先輩が部屋に入って以降、浦野先輩はずっとアタシたちといたものね」

「そうです。もしこれに説明がつくとすれば……二つめの『浦野先輩&アキ先輩共犯説』です。つまり、二人は共謀しており、アキ先輩は自ら身を隠した――」

「って、なんでわざわざそんなことすんのよ?」

「そう、この推理の最大の問題は『意味がない事』――被害者が存在しない上、二人が身を隠す必要もないんですから」

「じゃあ浦野さんが犯人の可能性は消えたってことね」

「その前に三つめの仮定が残っています。『浦野先輩&ヤス先輩共犯説』です。これはずっとロビーにいた浦野先輩に代わって、ヤス先輩がアキ先輩を拉致に行ったというものです」

 ユイが手を打つ。

「あ……そっか、その手が――」

「しかしこの場合、散歩に出ていたヤス先輩が非常口から侵入して拉致する以外ないのですが、鍵を持っておらず受け渡しするチャンスもなかったため、やはり不可能です」

「じゃあやっぱり結論は――」

 言ったユイにひねりは頷く。

「浦野先輩は犯行に関わりなし、となりますね」

 俺は内心で舌を巻いた。――こいつ、今までとは別人のようだ。

 ひねりは淡々と推理を続ける。

「残るはアキ先輩を犯人と仮定したケース……その一つめが『アキ先輩単独犯説』です」

 俺は平静を装ってひねりの推理を聞き続けていたが、握りしめた両手はいつの間にか汗ばんでいた。

「これは実際に可能だし、充分ありえます。この場合『アキ事件』の真相は実に単純で、ただの『自作自演の失踪』……部屋に戻る前に非常口の鍵を盗んでおき、人払いをしてから外に出ればいいだけです」

 ……あの表情豊かで子供っぽかったひねりが、今は恐ろしいほど落ち着いた瞳で一つ一つ分析して行く。

 それはまるで獲物のネズミを冷静に追いつめる猫のようだった。

「しかしここで浦野先輩拉致時のアロハシャツの問題が出てきます。これは脱がすのが大変な上に、そんな事をしている間に誰か来るかもしれないのに、わざわざアロハシャツを茂みに――しかもホテル内から見える位置にかけています。当然、アキ先輩がなんの意味もなくこんな事をするはずがありません」

「ああ、そうね。ホテルのまわりで浦野さんの死体が見つからなかった以上、どこかへ体ごと運んでいったはずなのに、ご丁寧に上着だけ脱がして置いて行くなんて考えられないものね」

「その通りです。――そしてここで、もう一つの説明がつかない点……ヤス先輩の二回にわたる不可解な抜け出しも考えねばなりません。当然これにも相応の理由が必要です。……そうですよね? ヤス先輩」

 ――俺は返事ができなかった。

「この二つのおかしな行動を考えあわせると……残された最後の説、すなわち『アキ先輩&ヤス先輩共犯説』ですべての説明がつくのです」

 この程度の手がかりで真相解明ができたってのか――?

「アロハシャツについては脱がすのにも置いて行くのにも自然な理由がなく、ゆえにアキ先輩が『誰かに見せるため』茂みにかけたとしか考えられません」

「要するに誰かに何かを伝えるためだったってこと?」

 ユイが不思議そうに尋ねる。

「はい。その『誰か』とは――まず『共犯者』です。そしてその共犯者でありうる人間はただ一人……」

 言葉の意味を理解したユイが声をあげる。

「ヤスさん――」

「そう、もう他に残された人はいませんから。さらにこれによって、ヤス先輩がわざわざ窓からトイレを――それも五分という短い間だけ抜け出した理由がわかります」

「ああ――アロハシャツを見に行ったのね。……でも、シャツをかけておく事にどんな意味があるの?」

「おそらく『合図』だと思います。浦野先輩の拉致が成功したか、不測の事態がなかったか等の確認のためだと思います。私達を撹乱する目的もあったかもしれません」

 そこで俺は初めて口を挟む。

「合図なら見つかりにくい物を使うだろ? 小石とか――」

「あえて目立つアロハシャツを使ったのは、他にも見せなければいけない相手がいたからです。だからこそ、わざわざ二階からでも窓明かりで見える場所にかけたのです」

「――誰に見せるってんだよ」

 最後の抵抗。……だが、もう通じない事はわかっていた。

「『私達』です」

「え――なんでアタシたちに?」

「あれを囮にしたんです。私達がアロハシャツの方に引きつけられている間に、ヤス先輩がホテルから逃げ出せるように」

「あ……」

 声を漏らしたユイが俺に目をやる。ひねりはずっと俺から目をそらさずに推理を続けた。

「――ヤス先輩がそうまでして抜け出す必要があった以上、間違いなく『その時ヤス先輩自身がしなければならない事』が存在したはずです。そしてそれはおそらく――」

 ひねりは俺を見据えて告げた。

「――殺人です」

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