17話『特別時間管理局』
矢島と黒服よりも先に『新月亭』を抜け出していた雨宮と大橋は、二人揃って安堵からくるため息を漏らした。
「ふあぁ~。助かったぁ~!」
「えぇ、ホントに危機一髪というのを身をもって体験した気分です」
「あんなの二度とゴメンよね。うー」
雨宮はようやく緊張をほぐすように伸びをする。
「間一髪でしたが……窮地を救ってもらい助かりました」
大橋は深呼吸しながら、パトカーのハンドルを握る警官に礼を述べる。
「いえいえ、お礼なら雨宮さんに言って下さい。彼女のおかげで『新月亭』に辿りつけのですから」
運転する中年の警察官は、人当たりのいい笑顔を作る。
「えっ?」
大橋は警官を見て間抜けな声を出す。
雨宮がこの警官を呼んだということなのだろうか?
「あの雨宮さん……」
訳を訪ねようと雨宮のいる二列目に視線を向ける。
その時に雨宮のポケットから電子音が鳴りだした。
「あれ、こんな時間に誰だろう? お話中ゴメンネオジサン。電話出てもいい?」
「え、えぇ」
戸惑いながら頷く大橋に雨宮は微笑むと、スマホを取り出して耳に当てた。
「もしもし~? ……やっぱり生きてたのね。ん、了解」
笑顔で電話する雨宮は、スマホを耳から話して膝の上に置くと、スピーカーに切り替えて電話相手の声を全員に聞こえるようにした。
大橋は雨宮の不可解な言動に疑問を抱きながら、電話口の声に耳を傾けた。
「えーあー、聞こえているかな? 久しぶりだね大橋さん。といってもたった数時間ぶりだけれど」
その声には聞き覚えがあった。
声で判別できなくても、そのセリフで誰なのかは判明した。
大橋の知る限り、数時間ぶりなのは一人しかいない。
「あなたは笠持……さん? え? でも雨宮さんは死んだって……」
そう、笠持は死んだと雨宮は『新月亭』で言っていた。
なら一体この電話口の男は誰だ?
「はい。お久しぶりです大橋さん。笠持和也です」
「……」
「ええ雨宮さんは嘘をついてませんよ。しっかり私は一度
は? どういう意味だ?
言っていることが滅茶苦茶ではないか。
「千里ちゃんから聞きました。あなたも見たでしょう? 一度
なるほど、そういうわけかと大橋はぼんやりと理解する。
大橋は一度見ている。矢島が
笠持は補足する。黒服にタクシーの運転手が撃ち殺されて、雨宮が『新月亭』に拉致されたあと、失ったタイマーをどうにかして入れ直したというらしい。
ラジオのニュースで運転手の死亡しか報道されなかったのは、そう言った事情があったのだが、大橋の知るところではない。
だが、大橋が気になるのはそこじゃない。
どうしてこのタイミングで電話をかけてきた?
雨宮と笠持が知り合いなのは解かる。今日一日一緒に行動していたからだ。
だが、大橋も雨宮も、笠持にとってはただの知り合い。こんな話をするために電話をかけてくるものだろうか?
それにそもそもどうやってタイマーを入れたのだろうか。
その疑問だらけの表情を見た雨宮は優しく微笑む。
「オジサン、難しく考えなくてもいいよ。全部繋がってるから」
「一体何が?」
「聞こうとしてたでしょ? 私が警官を呼べた理由とか、笠持さんが生きてることとかね」
昼間見た雨宮とは雰囲気が違っていた。今はただの女子高生に見えない。
だがその違和感は別として、彼女の言ったことは図星だった。
電話の向こうの笠持が、彼女の台詞を引き継いだ。
「改めて自己紹介をしよう。僕と千里ちゃんと、そこで運転してくれている花田さん……ほかにも何人かいるけれど」
彼は、とんでもないことを呟いた。
「僕たちは――――
――――警察庁特別時間管理局時間管理課。
タイマー関連及びシステムの監視を行っている特秘機関です」
「要するにね。笠持さんがシステムの被害に合ってたのは、遠堂の目的を調べるための囮だったってわけ。宮内にまでしか到達できなくて、こんな結果だけどね」
大橋の思考に空白が生じる。
『特時』は矢島ではないのか?
彼は笠持とも雨宮とも知り合いだという素振りは一切無かった。知り合いであることを隠す理由が分からない。
そもそも花田という警官が駆けつけたとにも、矢島はそのことを知らなかったどころか僥倖と感じていた節がある。
「どちらかが……嘘を付いている?」
矢島は嘘をついていたのか?
いや、彼は宮内が行ったシステムでの殺害事件を食い止めた立役者。特時以外でそこまでする理由は見当たらない?
しかし、逆に笠持が嘘をつく理由があるだろうか?
現に花田さんは助けに来てくれた。疑えない。嘘をつくメリットがない。
もう一般人の大橋には、理解できる領域を超えていた。
しかし雨宮と笠持は会話を続ける。
「いやー、それにしてもあなたがタクシーの中でぶっ倒れた時には、私まで心臓止まるかと思ったわ。なんで先に言ってくれなかったのよ」
「心配させてゴメンね千里ちゃん。でも予想外だったんだ。でも、千里ちゃんが宮内の本拠地までうまいこと乗り込んでくれて良かったよ。おかげでこうして大橋さんも助けられた」
雨宮さんがいつの間にか『新月亭』の場所を知らせていたのかと、ぼんやりと納得する。
今日は散々な一日だった。生きているのが不思議だが、なんとかなった。
もう流石に今日は限界だ。
大橋は二人の会話を聞きながら、疲れに身を任せて眠りについた。
「そうね。でも、矢島悠介に別行動されたのは……ちょっと予想外だったわ……」
「そうだね。できれば彼とは事件以外で詳しく話したかったよ」
「えぇ……。でもこれで宮内が引き起こしたシステムの事件は一旦終わりね。背後に遠堂がいるとは言え、もう今日はゆっくり休みたい気分だわ」
「千里ちゃんはこの後しっかり休息を取っておいて欲しい。宮内が起こした一連の事件の情報から、遠堂を足止めするため捜査本部が動いている。それで数日は時間を稼げる算段さ」
「今日はゆっくり寝て、起きたら捜査再開ってことね」
「えぇ、よろしくお願いします」
「くぅ~、もうホントに無理」
「……本部に到着するまでは少し我慢してくださいね」
電話を切って伸びをする雨宮を見て、花田は困り顔で言いながら、深夜の街へと戻っていった。
***
「十八日未明、市内在住の元市長宮内蓮太郎氏の家で火災が発生しました。それにより、宮内連太郎(九六歳)と妻の宮内明子(八九歳)そのほか使用人四名の計六名が、消化に駆けつけた消防によって焼死体となっているところを発見されました。出火の原因は、夫妻の寝室に置いてあった電気ストーブから布団に燃え移ったことによるとみられ―――」
朝のニュース番組で女性アナウンサーが深刻そうな顔をしてニュースを読み上げるのを、笠持は病室で詰まらなそうに眺めていた。
病院。
事件や事故で加害者や被害者に話を聞くため良く足を運ぶのだが、病院というのは白い清潔な壁に消毒液をバターのように塗りたくっているのだろうか。
笠持は消毒液の匂いが嫌いだった。
しかしそんな笠持が病室にいるのには訳があった。
昨夜緊急搬送されたのだ。
雨宮や大橋には話さなかったが、今彼は病室で点滴を打たれている。
極度の貧血のため、右目と右足が完全にその機能を失っていた。
昨日の夜。
笠持と雨宮を回収するために駆けつけたタクシーの運転手。
彼は特時の一員だった。
もともと笠持は逃げ切ったあと、
だが、黒服の追跡が想像以上にしつこく、結果特時の仲間は撃ち殺され、唯一動けた雨宮も黒服に連れ去られてしまった。
タクシーの中で、笠持はタイマーが切れたまま長時間放置されていた。
タイマーが切れているというのは死んでいるということ。
いくらタイマーを入れ直したからといって、無制限にそれが実行できるわけではない。
猶予は
七分以上立つとタイマーを入れ直しても助かる見込みはガクッと下がる。
そして笠持は、異変に気づいた花田が急行してタイマーを打ち込むまでの九分間、命はこの世になかったのだ。
その後遺症。
彼は言うことを聞かない目と足に触れた。
感覚ももう無い。神経がやられているらしい。治る見込みは無いとまで言われた。
ニュースでは、もう次の特集コーナーに移っていたので笠持はリモコンでテレビを消す。
リモコンをおいたあと、その手で隣のスマホを手にとった。
打ち込む番号は、先日ようやく手に入れた遠堂総司のものである。
五回ぴったりのコールで遠堂が電話に出た。
「……、」
遠堂は挨拶すらしなかった。
だが笠持には関係ない。要件を単刀直入に伝える。
「もう今朝のニュースは見たかい? あなたほどの大物が犯罪に加担したどころか主犯ってことは、どこにも公表していない。だが証拠はもう持っているし、これ以上大事にするようならそれに対応する準備もできている」
「……、」
「嘘だと思うなら、あなたの自慢の情報網でも使って調べるといい。僕たちはあなたの悪行を必ず食い止める」
一方的にまくし立て、笠持は電話を切りベットの脇に戻す。
証拠を掴んでるなんて嘘だった。
だが遠堂はこの嘘が、真実かどうか調べるのに時間を使わざる得ないだろう。そして、普通無いものを無いと確信するのは難しい。
これで数日稼げるはずだ。
その間に、遠堂を追い詰めるのに必要なモノは全て揃えてみせる。
笠持は松葉杖をついてゆっくりと病室をあとにした。
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