第12話 地上12F→地上13F

 トウヤもシイナも急激に変化している……ような気がしてきた。

 トウヤが分からない事をわたしに聞いてくるのはほぼ最初からだったけど、シイナはずっと黙ってついてくるような状態だった。……シイナについては、わたしが半ば強引に連れてきただけなのだから、仕方がない。だからこそ、シイナが先ほど「分からない」と言ってきた事には、本当に驚いた。シイナが自分から行動を起こした事もかなりびっくりだったが。

「いやはや……子供の学習能力おそるべし……」

 シイナはもちろん、トウヤだって子供みたいなものだ。

 カプセルとやらが実際どういうもので、どのように過ごすかは分からないけれど。八歳と、一歳。特に一歳なんて、見るもの聞くもの触るもの、全てを貪欲に吸収していく年頃ではないだろうか。八歳だって、まだまだ頭はやわらかそうだ。普通の八歳の子供に比べると劣るかもしれないが、柔軟性は十分に思える。

 トウヤが首を傾げる動作を取り入れたのは確実にわたしを真似た結果だろうし、シイナがだんだんわたしが指示を出す前に行動し始めるようになったのはトウヤに引きずられた結果に思える。

 はしごに手を掛けて上り始めたトウヤと、その後ろに続こうとしているシイナの姿を眺めながら、こりこりと後ろ頭を掻いた。

 トウヤを巻き込んだのも、シイナを巻き込んだのもわたしだ。とにかく、この二人連れて無事に国外へ脱出する。それはわたしの責任で、義務だ。

「……けど、それでハイおしまい、ってわけには……いかないんだよなあ……」

 この国の外がどんなところかは分からないが、二人をそこで放り出すわけにはいかないだろう。仮に、外の世界がわたしの常識に則した世界であったとしても、結局それは二人の常識とはかけ離れているものだ。例えば、どこかで二人を預かってくれる親切な第三者がいたとしても、少なくともそこまではわたしが二人の面倒を見る事になるのは当然なわけで。

 つまり、その間二人がわたしに影響を受ける事も必然なわけで。

「うっわー……ちょー責任重大……」

 トウヤとシイナが何を知り、どう成長するかは、わたしにかかっている。少なくとも、この先しばらくは。

「世のお父さんお母さんって偉大なんだなあ……」

 ……お父さん、お母さん。

 今、本当は何時なのか。腕時計もスマホの時間表示も当てにならない。しばらく意識がなかったはずだから、時間感覚が冗談抜きでわからない。心配しているだろうか。

 帰りたい。

「……いや、いやいやいや、弱気になってんな、成海宝良。帰るんだ。帰るんだったら帰るんだ、たとえここがどこだって」

 そのための第一歩として、まずはここを出る。トウヤとシイナの事も放っておけないからどうにかする。それからの事は、その後考えよう。

「タカラ」

「うな!? あ、ごめん、考え事してた……」

 はしごを数段上ったところからシイナが声を掛けてきた。ぼーっとしてたわたしはいまだ一段も上っていない。慌ててはしごに手を伸ばした瞬間、シイナが言った。

「足音だ」

 ――頭から血が引いていく音を聞いた気がした。

「ヤッバ……のんびりしすぎたか! トウヤ、シイナ、上って! 急いで!」

「『イソイデ』とは何だ」

「だーっ! もういいから、とにかく上って!」

 この場はそう答えるしかなかった。マザーの管理下に置かれているこの国の住人が、『急ぐ』なんて概念を持っているわけがない。そして、それを悠長に答えている時間がない。

 できるだけ急いではしごを上りながら耳を澄ましてみれば、シイナの言った通り、カツカツ、ガシャガシャと、不気味なほど静かなこの国において明らかに異質だろう音がいくつも重なって聞こえてくる。この塔の中には何人ものパーツがいたからこそ、断言する。こんな音を立てて動くのは武装パーツだけだ。

 階段組はまだいい。螺旋階段の中を音が反響しているせいで大きく聞こえるが、実際問題、彼らがこの十二階へ辿りつくまでにはわたしたちもはしごを上り終えられるだろう。

 彼らが寄り集まって階段を上って来ているという事は、マザーにわたし達の居場所がばっちり知られている、という事。問題はそっちだ。

 嫌な可能性について考えていると、チーン、と聞き覚えのある電子的高音までフロアに響いた。

「ほーらおいでなすったー!」

 エレベーター組が到着し、わらわらと六人ほどの武装パーツが鉄製の箱から銃を携えた状態でこのフロアに踏み入ってきた。

 彼らは数秒の逡巡すらなく、銃口をわたし達に向ける。そして躊躇なく、右手でそのトリガーを引き寄せた。光が矢のように迫り、わたしは反射的に体を小さくしてそれをやり過ごす。じゅっ、とすぐ後ろで焼け焦げる臭いがし、じりじりとした熱さが背後から迫ってくるような気がした。髪の毛にかすったのかもしれない。

 どうやら彼らの武器は実弾銃ではなく光線銃のようだ。こんなところまで未来的。そしてどっちにしろ危機的状況には変わりない。

 そして大問題。

 恐怖のあまり、体が動かなくなってしまった。動かなければただの的。しかし、動いたって当たる可能性はなくならない。当たったらどうなってしまうのか……考えたくない。

「タカラ、上らないのか」

 上のほうからトウヤの声が聞こえてくる。腹が立つほど冷静な声音に、恐怖心をいっぱい詰め込んで答える。

「の、の、上れるかー!!」

「何故だ」

「銃が怖いからだよー!!」

「……どうすればいい」

「なんか武装パーツの動きを止めるような策はないデスカ!?」

 とは言ったものの、トウヤからの回答など期待していない。むしろ『策』という言葉を知っているかも怪しいところだ。

「破壊すればいいのか」

「へ?」

 それはトウヤのではなく、シイナの声だった。ふっと、頭上を影が通り過ぎる。

 わたしより前にいたはずのシイナが、金属の高い音を鳴らしてわたしの足が乗っているすぐ後ろの段に着地した。その右手には、シイナがいつも腰のホルスターに収めていた銃。シイナはその銃口を下方にいる武装パーツ達に向け、やはりこちらも躊躇いなく、トリガーを引く。シイナが放った光線は、相手集団のうち一人の腕を傷つけた。白色の服が真紅に塗りつぶされていく様子が鮮明に映り、喉下で息が詰まる。

 与えられる指示に従って動く武装パーツ達は、負傷して銃を落とした仲間に目もくれない。知らず、上下の奥歯が強く噛み合ってギリ、と削るような音を立てた。

 変わらず向けられる光線の雨と、その間を縫うように放たれるシイナの攻撃。相手の攻撃が、シイナのふわふわした髪の毛の端を焼いた。シイナはそれに頓着せず、またトリガーを引く。そしてまた一人、白い服を赤く染めていく。

 不思議なほど唐突に、頭の中が冴えわたる感覚に襲われて、慌ててシイナに声をかける。

「シ、シイナ! 攻撃やめ! とにかくはしごを上るよ!」

「……了解した」

 シイナの返事は、なんとなく不本意そうに聞こえた。けれど、それを気に留めて深く考える余裕はない。シイナを先に行かせ、武装パーツからの攻撃への反撃を完全に捨ててひたすらはしごを上る。

 時折光線が髪の毛や制服をかすっていくが、直撃しなければ問題はなさそうだ。しかも、当たらない……当てようとしていないのだ。

 シイナが二発撃って二発とも武装パーツに当たっているという事から、命中精度が低いなんて考えは浮かばない。これは威嚇射撃のつもりなのだ。どのような思惑があるのかはわからないが、向こうにこちらを殺す気がないのなら、それを利用するまで。

 シイナも武装パーツとはいえ、多勢に無勢。勝ち目はないし、そもそもわたしはシイナを人殺しになどしたくない。逃げ道もある。ならとにかく逃げる、ひたすら逃げる。

 ふいに、先を行くシイナがちらりとわたしを振り返り、次の瞬間にははしごを蹴ってそのまま十三階に跳んだ。

「お、おお……ナイス判断、シイナ!」

 武装パーツのシイナは跳躍力スーパーレベルなのだから、普通に上らせるより跳べば速かった。最初からそうさせておけばよかったかもしれない。

 わたしもわたしで、自分に出せる最大速度ではしごを駆け上り、天井の四角い穴を上半身が通り抜けた直後、その周辺に視線を巡らせた。意識して探せば、スイッチはすぐ見つかった。右手を伸ばせば簡単に届く壁に、ぽつんと設置された赤いボタン。私は腕の力で下半身も引き上げながら、そのボタンを殴るように押す。直後、穴はスライドして閉ざされた。

 へたりと座り込んで、肩で息をすると、

「ぐっ……げっほ……! ごほっ、ごほっ……う、うぅ……?」

 異物が気管に入り込んできて盛大にむせる羽目になった。反射的に、口と鼻を右手で覆う。

「こほっ……」

「けほっ、けほっ……」

 自分以外の咳の音を聞き、トウヤとシイナも同じような状態らしいと察する。しかし、二人はどうして自分たちが咳き込んでいるのか分かっていないらしく、口と鼻は無防備なままだ。

「……ト、トウヤ、シイナ……口と鼻、こう、ちょっと軽めに手で覆って。隙間から空気が入るようにね」

「『クウキ』……こほっ」

「ぅおいっ……呼吸は、分かるよね。呼吸するときに吸い込んでるものだよ」

「……了解し、たっ……」

 二人が口と鼻をカバーした事を確認してから、落ち着いて周囲に気を配ってみる。

 閉ざされた穴は、すでに正方形の線の跡を残しているのみ。その下から機械の駆動音が聞こえてくるので、はしごは仕舞われている最中らしい。どうやら動作の順序は、十三階の床を閉じてから、はしごを十二階の天井と十三階の床の間に仕舞い込み、最後に十二階の天井を閉じる、になっているらしい。おかげで助かった。はしごの回収が先だったら、武装パーツの一人や二人くらい、ここまで追いかけて来ていたかもしれない。

 よろよろ立ち上がり、まず自分の状態を確認した。

「あーあぁ……スカート焦げてら」

 しかし、ざっと見たところ、怪我はない。

 髪の毛の確認はやめた。泣きたくなりそうだから。

 次に、直立するトウヤとシイナを見た。

「トウヤは無事だね」

「ブジだ。……タカラは、ブジか」

「ま、なんとかね。――シイナ、怪我……じゃ、ないのか。えーっと……破損? 損傷? してるところはない?」

「ない」

 三人とも、口元が手で隠されているためくぐもった声での応酬になったが、聞き取りに問題はない。しかし、視界はぼんやり白く煙っている。

 ようやく十三階の中を見回して――――

 驚きで体がいっぱいになって、一瞬呼吸を忘れてしまうほどだった。

 今までとはまるで違うこの光景を、つぶさに観察する。

 最上階は、プライベートルームの様相を呈していた。小さめでちょっとおしゃれなデザインの丸テーブルと、セットらしきチェア。テーブルの上には水差しとシンプルなコップが鎮座している。最上階の床面積の大部分を占領しているのは、天蓋つきのベッド。真っ白なレースカーテンに可愛らしくリボンがあしらわれたそれは、おとぎ話に出てくるお姫様が使っていそうな雰囲気だ。ベッドの反対側には緩くカーブしている壁に合わせて作られたのだろう背の低いチェストがあり、こちらもおしゃれな装飾がほどこされている。

「……まさかこの国で普通の……いや、普通よりだいぶ乙女度タッケーけど、でもまあ普通の部屋が見れるとは……」

 残念なほどほこりだらけだが。

 おまけに、少々形容しがたい、あまり心地よくないタイプのにおいが鼻につく。すごいほこりだらけなので、おそらく長い間掃除もせずに閉め切られていたのだろう。そのせいかもしれない。一分も経過すれば慣れそうだ。

「壁も、白くないのかな、もしかして」

 白い靄が視界を邪魔しているので、はっきりとは言えない。

 壁に近づく。歩くだけでほこりが煙みたいにそこらを舞い踊った。白い靄はすべてほこりらしい。

「……溜め込みすぎだろさすがに。掃除くらいしろっつの……どんだけ放置されてんだ」

 この下の階まではきれい過ぎるくらいきれいだった。トウヤもシイナも、こんな大量のほこりが溜まり込んでいる空間は初体験だろう。わたしもこんなの初めてだ。

 目を凝らして、壁の色を確認する。白といえば、白だ。しかし、下の階よりずっと落ち着いていて、安心感のある色……アイボリー、そう、アイボリーだ。

「……いやいやいや。え? 何ここホントどうなってんの?」

 答えの出ない疑問について、一人もんもんとしながら室内を歩く。

 丸テーブルのかたわらに立って、左手の人差し指でその面を撫でてみる。ほこり独特の柔らかくかわいた感触が指先から伝わり、薄灰色の下からは純白がほんの少し顔を見せた。

 ほこりをかぶっているせいでインテリアは全体的に灰色のように見えていたが、どれももとは真っ白なのかもしれない。

 テーブルの上に、ひときわこんもりほこりが積もっている個所があった。というか、厚みのある何かが置かれているらしく、その上にこんもりほこりが乗っているようだ。よく観察してみれば、側面が少しばかり覗いている。一番上に分厚い紙、その下には薄い通常の紙が積み重なっているらしい。つまり、本だ。

「何の本だろ」

 ほこりを払い、手に取ってみる。

「……日記?」

 そう、赤い表紙に金で綴られていた。

 見た事のない文字で。

「……よーしちょっと待てちょっと待て。何で読めるんだ!?」

「どうした、タカラ」

「……何でもない、何でもないヨー」

 トウヤに問われて、適当に答えた。

 再度、分厚いダイアリーを見下ろす。何度見ても、「日記」としか読めない。しかし、そこに綴られているのは見たことのない文字記号。アルファベットに似ているし、解釈もできる。これは『A』にあたる文字、これは『R』、そんな具合に。しかし、まったくの別物だ。

 ここはいったいどこで、わたしはどうしてしまったのか。

「……いやもう、この国の存在からしていろいろおかしーよね、今さらだよね……」

 実際のところ、そんな簡単に放棄していい疑問ではないと思う。しかし、今は考えていたって仕方がない。わたしはその答えを出せないし、トウヤとシイナにだって分からないだろう。現状に限れば、答えが出ない疑問に時間を割くより、この国からの脱出について考えるほうがずっと有意義だ。

 ダイアリーを手にしたまま、室内を見回す。アイボリーの壁を一部切り取って、大きく作られたガラス壁。そこから差し込む太陽の光。日当たり良好。そのわりに室内は暑くなく、寒いわけでもない適温。どうやら空調が効いているらしい。だから余計にほこりがもやみたいにふわふわ踊っているのだろう。壁がアイボリーに見えるのも、案外日焼けしただけなのかもしれない。

「……トウヤ、この部屋来た事ないんだよね?」

「ない」

 即答。それはそうだろう。トウヤはこの十三階への行き方を知らなかった。《管理パーツ》なのに。

 管理パーツにすら存在が秘匿されていた部屋。当然、他のパーツも知るはずがない。マザーは……分からない。トウヤのこれまでの発言から考えると、マザーはこの国においてかなり上位のポジションに立つ何か、と解釈できそうだし、知っていてもおかしくはない。しかし、トウヤが「知らない」という事は、この室内には監視カメラはない、という事。そう考えるとマザーも知らないという可能性はゼロではない。

「……でも住人の行動から何からすべて管理してるっつーマザーすら知らないなんて、妙だな……いやでも、マザーが最上位とは限らないんだよね。マザーのさらに上、マザーを管理してる何かがあるなら……」

 ちらり、と手に持ったままのダイアリーを見る。

 ダイアリー。日記。日々の記録。

 とある家のとある個人の部屋に置いてあるなら、何も不自然な事はない。しかし、この国においてはあまりに場違いだ。

「日記を書くような習慣、パーツにあるわけないし……」

 あったらびっくりだ。そう思ってしまう程度には、私はこの状況に馴染んでいた。

「……つまりこれは……………………《人間》が書いたもの、だよね……」

 マザーをシステムだと仮定する。あるシステムの更に上位システムが存在しないわけではないはずだろうが……では、システムを作りだすのは誰か。

 ――《人間》だ。

 マザーとパーツで構成されたこの国の始まりだって、人間だったはずだ。もしかしたら、この日記はそんな人間が残したものなのかもしれない。少なくとも、この国で生きていたパーツではない誰かが残した可能性は高い。

 この中には、疑問だらけの現状についての答えが、あるいは答えに辿りつくための手がかりが記されているかもしれない。

 ごくり、と緊張からツバを飲み込む。そうっと、分厚いダイアリーの表紙に指をかけた。

 ほんの少しだけ開いて、

「……やめた」

 元に戻した拍子に、ほこりが少し舞った。

 ダイアリーを元の位置に戻して、背を向ける。

 後ろ髪を引かれる思いはある。なにか有益な情報が書いてあるかもしれない。けれど、勝手にひとのダイアリーを見るなんて、ひどく失礼な行為だと思う。

 それに、

「どー考えても女の子だもんなあ、この部屋の主」

 この部屋のインテリアを見れば、それは確定事項だ。それも大人の女性らしい印象はない。もっと幼い、夢見がちな年ごろの少女のような。

 そういった少女の日記ほど、盗み見ていたたまれないものはない。おまけに、そんな少女の日記がこの不可解な現状の疑問に答えてくれるとは考えづらい。何を思ってここで過ごしていたのかは、参考になるかもしれないが。しかし知りたい気持ちより申し訳なさが先に立ってしまった。

 同じ理由で、チェストなどを漁る気にもなれない。

 さて、どうしたものか……。

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