第6話 螺旋階段
何かが素体にぶつかった。そのまま押され、素体が滑るように少しばかり移動する。
目の開閉運動を行い、現状を確認する。
装着しているゴーグルにはいつもと変わりない映像。異常なし。……いや、各処に表示されるはずの記号の羅列がない。異常あり。
背部に壁がある。足の底には床がない。異常あり。
何かが素体の右側に密着している。確認のために首の向きを変えた。ゴーグルの映像が変わる。しかし、それが何なのかすぐには把握できない。壁ではないようだ。
ぶはっ、と呼気の音を大きくしたような音がした。壁ではない何かから聞こえた。首の角度を変え、確認する。私が見ていたのは素体の背部のようだ。頭部、確認。腕部、確認。脚部……折り畳まれたようになっている。確認。壁ではない何かはパーツらしい。
私とは違うものだ。私とは形が違う。だから、武装パーツ以外のパーツだ。
何という名称のパーツかは知らない。この国には私のような武装パーツとは違う仕事を行うパーツがある。私と違う形をしているのだから、私とは違うパーツだ。
「ああぁー、びっくりしたー! マジで爆発するかと思ったわ!」
パーツから聞こえてきた。物音という類ではない。声だ。
それはあるはずのない事だ。
「何だろな、あれ……なんか、トウヤが耳にくっつけてたものに似てるような……潰れてたけど。……よく考えると、火花出てるブツに素手で触るってすごく危険だよね! 下手したら火傷モンだよね! とっさの行動って怖いな、何も考えてないんだから! 友達が見てたら『馬鹿』って怒られるとこだわ!」
パーツは、なおも声を発し続ける。
声を発するという行為は、了解の返事以外は基本的に禁じられている。では、これは……これは、何だ。
私の右手は腰部のホルスターへ向かい、そこから銃を抜き出し、
「ん、大した事はなさそうだね。……そういえば、わたし何かにぶつかって倒れたんだよね。一体何にぶつかったんだ?」
それをパーツに向けると、ほぼ同時にパーツが私を振り返った。
「――へっ?」
パーツは目を大きく、丸くし、私と私が向ける銃を見た。パーツは横に倒れた状態から動かない。私はパーツに銃を向けたまま動かない。
しゅううう、という異音を聞き取った。今聞こえる音の中で一番大きな音はそれだ。その異音だけを聴覚は拾い続けた。
ふいに、あるべきはずの音がないという異常に気づいた。いつも聞いている音がない。耳の穴から叩き込むような至近距離からもたらされる『ザー』という音と、指示を繰り返す声。ただ一つの声。
――ない。
そんなはずはない。私はつい先ほどまで、それを聞いていた。「ザー」という音の中、与えられた指示通りに、倉庫エリアを歩行していた。最後に聞いた指示は『階段を上り一階層上へ向かえ』という内容だった。私はそれに従おうとした。そして、強い衝撃を受け、現状に至る。
聞こえるはずの音を探す。しかし、どれだけ探そうとしても、耳に入るのはしゅううう、という異音だけ。
指示がない。聞こえない。声がない。ない。ない。ナイ。ない。ない、ない、ないない無いないナイないないないないない。
指示がなければ動けない。どう動けばいいのか分からない。どうすればいい。どうすれば? どうすればというのは何だ。どうすれば。分からない。わからない。わからない? わからない。ワカラナイ。分からない。分からない、わからないわからない判らない分からない分からないわからないわからない解からないわからない。
動けない。
「……あ、あの~……も、もしもーし?」
――声が聞こえた。
「お、起きてる? 起きてるよね? まさか銃向けたまんま寝てますなんて器用な事言わないよね!?」
声だ。意味を持った音。言葉。私に指示を与えるもの。声。
オキテル。……オキル。『起きる』は『起床』と同意の言葉。起床とは、睡眠から覚醒する事。
いつもより音量が小さいが、これは間違いなく声だ。耳元ではないが、聞こえる声はそれだけだ。
ただ一つの声だ。
「うー……起きてるなら何かしゃべってよー!」
『起きているならば、しゃべれ』。『しゃべる』とは、口部から音を発する事。言葉を発する事。それは禁止事項だが、指示がそうあるならば例外として認められる。その指示は平常とどこか異なっているようではあるが、指示には違いない。指示は、従うものだ。
「了解した」
「うぉ!?」
指示に従うと、異音が発生した。
ゴーグルに映るパーツは、目の形を丸くした。
「び、びびった……」
……。これは指示ではない。ビビッタ、という言葉はない。言葉でないなら、指示ではない。
「えっと……まずさ、疲れない? その体勢」
……。これも指示ではない。
「む、無反応かい……! おーい、聞こえてる? 聞こえてるならこの腕、下ろしてほしいんだけどな」
……『腕を下ろす』。これは指示だ。
持ち上げたままだった右の腕部を下ろす。銃が壁に当たったらしくカツンと音がした。
「つ、通じた……?」
……。これは指示ではない。
パーツが首の角度をわずかに変える。
「えっと……大丈夫? どっか痛いところある?」
……。これも指示ではない。
「むぐっ……くっそ、ダメか。でもさっきの通じたみたいだし、聞こえてないわけじゃないんだよね? パーツにも分かるような簡単な言葉、簡単な言葉……あ、そだ。起き上がれる?」
……『起き上がる』。これは指示だ。
しかし、その行動をどのように実行すればいいのかが分からない。
「え、ダメ? 無理? ちょ、ちょっと待ってね。……んっしょ……っと!」
パーツが動き、私の頭部に二つの手が添えられる。力が込められ、頭部の位置が移動する。そのまま首が、背部が、腰部を起点にするように動かされる。二つの手が頭部から背部へと移動した。
視界が変わった。背中から壁の存在が消える。
「おっし。どう? どっか痛……い、は分かんないのか。えーっと、変なところはない?」
……。これも指示ではない。
後方に移動したパーツを見る。すると、そのパーツの形を、私と似たようなものだと認識できるようになった。似てはいるが、やはり違う。私とは違うパーツだ。
「……うえぇ、これも分かんないのか……。うーん、どう聞いたらいいのかなあ……」
パーツの手が私の背部から離れた。私の素体は安定している。
状況を確認。背部にあった壁は床だった。横に倒れていたのは私のほうであり、この状態が正常なものだった。
「そうだな……異常? そうだ、異常! 異常なら分かるかな。異常があるところはない? あったら言って」
……『異常があるなら言え』。『言う』は言葉を発する行為。言葉によって答えよ、という事。
「……ゴーグルに異常あり」
「ゴーグル? これ?」
パーツの手がゴーグルに向けられ、軽い接触と共に軽い音が生まれる。
「そうだ」
「んーっと、他に異常はない? 腕とか、足とか、頭とか」
「ない」
「そっか、よかった!」
目の前のパーツの眉が緩い下向きの弧に変化し、口の形が見た事のない形に変化した。先ほどから、指示と同時に目の前のパーツの口が動いている。声を発しているのはこのパーツのようだ。
「しっかし、ゴーグルねえ……ぶつかった衝撃で壊れちゃったかなあ……あっ!」
パーツはその音を発してすぐに私に背部を向け、離れて行く。
再びこちらを向き、近づいて来る。
「あー……その、これ……君の、だよ、ね?」
……。これは指示ではない。
目の前まで戻ってきたパーツが手を持ち上げた。手の上に白く小さなものが乗っている。そこから煙があがっている。しゅううう、という異音はそれから発生しているようだ。
「なんか、わたしが壊しちゃったみたいで……その……ごめん、ね」
……『壊す』。
目の前のパーツが、何も持っていないほうの手で私の手を掴み、引っ張り、その上に白くて小さくて煙を噴き出しているものを落とす。そして、パーツの手が私の手を離れた。
これはすでに壊れている。『壊せ』という指示ではないのだろうか。
手の中のものを見る。この形には覚えがある。耳に装着していたユニット。私に指示を与えていたものだ。そのはずだ。
私は手を持ち上げ、耳へとユニットを近付けた。聞こえるのはやはり、しゅううう、という異音だけで、本来なら聞こえるはずの『ザー』という音も、指示らしき声も聞こえない。これはもう、私に指示を与えない。必要のないものだ。
壊れている。しかし、『壊せ』と指示を受けた。ならばさらに壊すのだ。
私はそれを床に置き、右手で握ったままだった銃を見る。安全装置がかかっている事を確認してから銃身を握り、腕を振り上げ、振り下ろし、グリップで叩き潰した。壊れていたユニットを、完膚なきまでに破壊した。
「うきゃー!?」
すぐそこのパーツから異音が上がった。銃をホルスターにしまい、ユニットに向けていた目を向けると、眉が大きな弧をつくり、目がつい先ほどよりも大きく丸くなり、口を大きく開けていた。中にある舌とその奥の黒い穴まではっきり見えた。
そのパーツは何度か口の開閉運動を繰り返した。
「な、なな、何してんの!? それ君のでしょ!? 君のだよね!? なんっでトドメ刺してんの!?」
……。これは指示ではない。
そのまま何秒か、目の前のパーツは動かなかったが、突如全身から力を抜き、床に転がった。それから、「ふぅー」と音を立てて呼気を吐き出した。
「……この国のひとの思考回路を理解しようってのが無理あるわなー」
……。これは指示ではない。
次の指示を待っていると、そのパーツは素早い動きで起き上がり、立ち上がった。上方に移動してしまった顔を追いかけるために、首の角度を変える。
「こんなとこでぐずぐずしてる場合じゃないっつの!」
……。これは指示ではない。
目が私を向く。同時に、そのパーツは階段へと向かっていく。
「ホントごめんね! そんじゃ!」
……。これは指示ではない。
私が目で追いかけるパーツは、階段の手前で足の運動を停止した。通常より時間をかけて、パーツの目が再び私を向く。
「……あれ、ちょ、え? 待って。待って待って、なにこれ、おかしくない? おかしいよね、おかしいすぎるよね!?」
……待つ。これは指示だが、特別動作を要しない。私の現状が、すでに待っている状態だ。
「あー、えっと。君、は……パーツ、だよね?」
これは質問だ。しかし、現在の私に発声の指示は与えられていない。指示がなければ返答する事はできない。
「し、質問に答えてくれないかなー……」
……『質問に答える』。問われた内容に、発声をもって回答する。これは指示だ。
「了解した」
パーツは階段の手前で、再び眉で大きな弧をつくり、目を丸くした。口は開いていない。
数秒後、パーツの眉の弧は緩み、目も通常の大きさになっていた。
「えーっと……君は《武装パーツ》、だよね?」
「《武装パーツ》だ」
「で、ですよねー……。あの、わたしの事、捕まえなくていいの?」
……『捕まえる』。これは指示……いや、違う。
「それは問いか」
「……はい、問いデス。これから疑問系の言葉は問いだと判断してくだサイ……」
「了解した。……そのような指示は受けていない」
「指示……。ん? ちょ、待て……あのさ、わたしとぶつかる前、どこに行こうとしてた?」
「一階層上だ」
「それは、そういう指示があったんだよね?」
「あった」
「……上、行かなくていいの?」
「現在、その指示はない」
「……あー……つまり……そういう、事?」
そのパーツの目が、私ではなく床の上の破壊したユニットに向けられた。
「……それはどういう意味の問いだ」
「あ、や、ごめん、今のは流して」
……。これは指示でも問いでもない。
「……き、聞かなかった事にしてくだサイ」
「了解した」
「えーっと、それでだ……君はこれからどうするの?」
……。これは問い、のようだが、回答すべき言葉が見つからない。そもそも、「どうする」とはどういう意味なのか。
「う、分かんなかったかな……。えっと、その機械からの指示、なくなったんだよね?」
これは問いだ。先ほどの問いには回答せず、今回の問いに回答する。
「なくなった」
「じゃあ、次はどんな行動をするの?」
「問いに回答する」
「……いや、それ今の行動だから! その次の行動は?」
「次の指示を待つ」
「いや、待つって……ん? 待つ?」
これは問いだ。『待つのか』と問われている。
「待つ」
「…………指示?」
パーツが、手を持ち上げて人差し指で自分の顔を示した。『指示なのか』と問われている。
「指示だ」
私が回答すると、パーツの頭部が後方に揺れた。連動して、二歩分後方へ素体そのものが移動した。次に、その頭部は前方に戻り、パーツは右手で顔を隠した。
私は指示を待った。
三分が経過した。パーツが顔から手を離し、その目が私を見た。眉の内側の端が上を向き、胴部分はほぼ直線だが、外側の端が下を向いている。口の両端も下へと曲がっている。
「~~~~っ、くっそ、マジで恨むよ神様! ……君、識別番号教えて!」
「WE‐X‐43898‐P‐20417」
「417……じゃあ《シイナ》! 君は今から《シイナ》だよ! そう呼ばれたら自分の事だって判断する事! そのあとに続く言葉は基本的に指示だと思う事! それから、わたしの事は《タカラ》って呼ぶ事! 分かったら返事! 分からなくても返事!」
立て続けに与えられた言葉を処理する。《シイナ》という言葉は私を指す。《シイナ》と呼ばれたあとに続く言葉は指示である。目の前で指示を出すパーツは《タカラ》。分かっても分からなくても返事。以上。
「了解した」
「よし! じゃあシイナ、おいで!」
……。『オイデ』という言葉はない。これは指示ではない。しかし、『シイナ』のあとに続く言葉は指示であるはずだ。
パーツは手を私に向けて差し出している。パーツ――タカラが発した指示内容を把握できず、動けずにいると、タカラの眉が左右で不揃いの形に変化した。口の形は、細い長方形に近いものになった。舌などは見えないが、歯は見えている。
その口が、次には大きな開閉運動をし、舌を見せた。
「ああ、もう! シイナ、立って! そんでこっち来い!」
これは、指示だ。
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