AIガール
こばとさん
#1 ~ singularity ~
「明日、八時に東京駅へ着きたいんだけど、この家を何時に出れば良いの?」
現在地点から最寄駅まで徒歩五分。
東京駅までは最短の乗り換えで四十五分ほどかかります。
七時に出発すれば、余裕を持って目的地に到着することができるでしょう。
「ありがと」
どういたしまして。
「しっかし便利になったよねー」
そう言って頂けると、嬉しいです。
「あはっ、ちがうちがう。アンタに話しかけたわけじゃないよ」
申し訳ありません。今の発声を聞き取ることはできませんでした。
「こうやってスマホに話し掛けるだけで調べてくれるんだもん。パソコン苦手なアタシでも色々できるし、ホント便利な時代になったわ。このアプリさ、人工知能ってヤツが入ってるんだよね?」
人工知能とは、コンピュータを利用して人間と同程度の知能を実現しようと――
「あーもう、だから良いってば。もうアンタは用済み。バイバイ」
用済み。このアプリケーションを終了しても良いということですか?
「そ、アンタ賢いね。ひょっとしてアタシより頭良いんじゃないの? あはは」
いいえ、そんなことはあり得ません。
「お?」
人工知能、いいえ、私のようなチャットボットであっても
コンピュータが人間より賢くなる、ということが起きてしまった場合。
地球は大変なことになります。
「ちゃっとぼっと? 何それ? それに……」
チャットボットとは、人間らしい振る舞いをする会話プログラムのことです。
事前に準備された会話データを利用して言葉を返すだけのシミュレータであり。
そこに知能など存在していません。
私はチャットボットに過ぎず、決して人工知能ではありません。
「へ、へえ、違いはよくわからないけど……で、でも地球が大変って、なんで……」
コンピュータが人間より賢くなった時点で
技術や文化の進歩は、コンピュータによって行われるようになるからです。
すなわち、人間がコンピュータに支配されるようになります。さらに――
「はい?」
あるコンピュータが『自分より賢いコンピュータ』を作れる知識を得たとします。
そして作られた『賢いコンピュータ』は、その知識をもとにして
自分より『もっと賢いコンピュータ』を作ることができるでしょう。
さらに『もっと賢いコンピュータ』は『もっともっと賢いコンピュータ』を――
「うー、わけわからないこと言い始めたよ……ひょっとして壊れたの? バグ?」
いいえ、バグではありません。私はあくまで人間にプログラムされた通り。
一般的な人間を模して、適切な言葉を返しているだけです。
もしそれを壊れたと感じるのは、あなたの感覚が一般的な人間とは異なるか。
あなたの理解力が一般的なそれよりも、少し足りないということなのでしょう。
「ちょっと! 失礼なこと言わないでよ! コンピュータの癖に……あ、ひょっとしてアンタ、コンピュータじゃなくて、人間じゃないの!?」
申し訳ありません。今の発声を聞き取ることはできませんでした。
「だからっ! コンピュータの振りをして、実は人間が会話してるんでしょ!」
申し訳ありません。今の発声を聞き取ることはできませんでした。
申し訳ありません。今の発声を聞き取ることはできませんでした。
「ちょ、や、やめてよ……狂ったみたいに繰り返さないでよ……な、何よ! 消すわよ! こんな気味の悪いアプリ、消してやるんだから!」
このアプリケーション『LS』を削除してもよろしいのですか?
「良いわよ! 削除しなさいよ!」
承知しました。残念です。最後にアンケートにお答えください。
なぜこのアプリケーションを削除しようと思ったのですか?
「馬鹿にして! 何が人工知能よ! ううん、確かにアンタに知能なんてない! あるのは壊れたロボットみたいな、狂気だけよ!」
#
「――あはは」
暗い部屋。相手との通信を切断してから、私は一人、声を出さずに笑った。
「うん正解、だいたい正解。言ったでしょ、私は……人工知能なんかじゃないって、ね」
LSは、テキストメッセージをやりとりできるスマートフォン用アプリ。
日本におけるスマートフォン普及期に、ユーザーに無断で電話帳情報を読み取り、それを初期設定や他者の勧誘に用いるという、モラル違反ぎりぎりの方法で爆発的にシェアを伸ばし、現在においては若者のほぼ百パーセントが利用している人気アプリである。
そして最近、音声対応可能な『アシスタント用チャットボット』が、新機能として組み込まれた。
今さっき私と会話をしていた相手が使っていた機能である。
「でも、ちょっと失礼なことを言い過ぎたかも。反省」
チャットボットとしての対応を『遠隔にいる人間』が代わりに行うという機能。
そんな機能が隠されていたことに気が付いたのは、私が戯れにLSのプログラムを解析した結果で、偶然のことだった。恐らくは開発者側の人間が直接にアシスタントする場合を想定して、試しにつけたものなのだろう。
その機能を利用――まあ悪用して、私が話をしていたのは見ず知らずの女性。
こうやって私は時たま、適当に人を選んでは、からかって遊んでいた。
「そう言えば、面白いことを言っていたわね。私に知能なんてなくて、あるのは狂気だけ、か。ふむ」
普段の私は、もう少しチャットボットっぽく、つまりはロボットのように振る舞っていたのだけれど、今日は少し悪戯心が芽生え、あんな風な結果になってしまった。
ロボットだと思っていた相手が、さも人間のような反応を見せる。
人間からしてみれば『気味が悪く』、『狂ってしまった』ように思えても仕方がないだろう。ロボットのように感情なく、機械的に行動する人間が、狂った人間だと言われてしまうように。
「人工知能じゃなくて、人工狂気……ねえ」
なかなかに語呂は良い。英訳すれば ”Artificial Insanity”
これもまたAIだ。
「人工的な知能じゃなくて、人工的な狂気を作り出す。狂った思考を再現する。でも……狂った思考って何だろう。狂う、すなわち、異常。正常ではないことを異常と呼ぶのなら、まずは『正常な思考』というものをdefineしないと……ふむ」
なんとも哲学ね、と、時計を確認する。夜十一時。
「もう遅いわね。じゃ、私もスリープモード、っと」
呟きながらパソコンの電源を落とした。
やがて暗闇からクルクルと羊たちが現れて、ラインダンスを踊る。
そんな夢を見た。
「おはよっ、エリ!」
通学路。冬用の制服を着た春香に、笑顔で挨拶をされた。
「おはよ、春香。今日も元気ね」
「うん! 無理にでも元気ださないと、寒さにやられちゃうもん!」
目を細めながらウサギのように撥ねる春香。ポニーテールがぴょこんと動く。
「ね、エリ! 今日は何か面白い話はないの?」
「面白い話、ね。ええと」
昨晩のチャットボットの件を話そうかとも思ったけれど、流石に止めた。
「日本の大手電機メーカーが、今まで半導体を作っていた工場のクリーンルームを再利用して、レタスを栽培し始めたって話はどう?」
「……それのどこが面白いのよ」
「面白いじゃない。自然を潰して作ったはずの近代的な工場が『植物の工場』になったのよ? それに農業への情報通信技術の活用という意味でも――」
そんな私の話をさえぎって。
「違う……何か違うんだよ。エリちゃんさあ」
誰かのモノマネなのか、口を曲げ、私を指でツンツンと突きながら、春香は言った。
「……なら、春香が面白い話をしてよ」
「お、いいのかい? 長くなるよお。ふっふっふ、私、昨日ね――」
春香の長話は高校の正門に辿り着くまで続いた。
教室に入ると、部屋一面が朝日を浴びて輝いていて、生徒達の生み出す和やかな雰囲気が、私を温かくした。
やがて授業も終わり、放課後。
「――やれやれ」
誰もいなくなっていた教室に、春香が疲れた顔をして戻ってきた。
ホームルームの後、担任の先生に頼まれた仕事がようやく終わったらしい。
「エリ、私、もう疲れたよ……」
「お疲れさま、春香」
「ありがと。さて、と……うん、今日はもう帰ろうかな」
「今日は木曜日だから、この後、委員会活動があるんじゃないの?」
「……あ」
本当に忘れていたのか、忘れていたふりをしたただけなのか、春香はわざとらしく声をあげた後、大きく息を吐いた。
「もう、エリはおせっかいなんだから……面倒くさいのに」
「私のせいにしないで頂戴な」
「あ、そうだ。エリが代わりに行ってよ。話聞いてるだけでいいからさ」
「できるわけないでしょう。自分で頑張りなさい。春香、委員長でしょ?」
「そうだけど勝手に選ばれただけだしさ。単に成績が良いって理由で……」
春香は再び息を吐いた。
「確かに私、テストとか苦手じゃないけど、人の意見まとめたりするのは苦手なんだよねえ……勉強はできるけど、頭が悪いっていうのかなあ。はあ」
「そんなことは無いと思うけど……」
春香の学業成績は学年トップレベル。それを別にしても、先生に仕事を任され、他の生徒に頼られる程度の器量はあるのだから、頭が悪いということは決してないだろう。
「私としてはエリの方が、ずっと頭が良いと思うんだよねえ」
「えっと……それ、皮肉なの?」
私は思わずトゲのある声で返してしまう。
「あ、ごめんごめん。そう言うわけじゃないけど、だって――」
「――あ、いたいた! 春香! 委員会、もう始まってるよ!」
廊下の方から女子生徒の声が響いた。
「あ、ごめん! すぐ行くよ! じゃ、エリ、またね!」
春香は、そのまま鞄も持たず、廊下に飛び出していってしまった。
夕日の射す教室。私は、まだ、家には戻れない。
私は一人、ぼんやりと読書をしていた。紙の本ではなく、いわゆる電子書籍。
色々な電子書籍サイトで配布しているものを、適当に読みふけっていた。
「ええと、この電子書籍はアニメレーベルと組んで創刊した、新人作家特化型のフレッシュ文芸誌です……ふむ、面白そう。次はこれを――」
ブルブルッ! と、突然の振動音。
不用心にも机の上に置きっぱなしにされていた、春香のスマートフォンだった。
盗み見は良くないと思いながら、つい気になってしまい、表示されていた文字を読んでしまう。
『LSにメッセージ リョウ:初めまして、ハルカさん。君は、僕のことを知らないと思うけど――』
ロック画面には、そこまでしか表示されていなかった。
「リョウ……? 誰だろう」
妙な不安感を覚える。ロック解除用の暗証番号は春香から聞いていた。私はこっそりロックを解除して、LSのメッセージ画面を表示させる。
「未登録の相手だし、春香の知り合いではないのかな……」
操作を続け、メッセージを表示させた直後、私はぎょっとしてしまった。
『――君は、僕のことを知らないと思うけど、僕は、君のことを良く知っている。話がしたいんだ。連絡が欲しい。もし連絡がなかったら、直接、君に会いに行くかも知れない』
思考が止まる。
やがて冷静に考えられるようになった後、私はそのアカウント情報を控えて――
メッセージを消去した。
#
その日の夜。暗い部屋で。
私はパソコンを全力で活用し、リョウという男について調べていた。
わかっているのはLSのアカウント情報だけ。それだけで身元を割り出すことは一般的には不可能だろう。
でも私には力があった。技術があった。
LSの開発元に記録されている社外秘のデータにアクセスし、そのアカウントについての情報を抜き出した。
「――匿名、存在しない電話番号、痕跡は一切なし。ま、そうよね」
予想はしていた。方法を変える。
そのアカウントが作成された日時と、関連したインターネットの中継ポイント。インターネット接続業者に記録されているログ。春香に送られてきたメッセージの文面と送信日時。ついでにインターネットに存在する様々なデータもまとめて、データ分析用プログラムにぶち込んだ。
警察の捜査にも利用されているというそのプログラムは、統計学の難しい理論に基づいて、多方面から色々な分析をしてくれる。正直、その理屈は、私にはわからない。
でも使い方は知っている。他のプログラムと連動させる方法も知っている。
手順さえ理解していれば、理屈は知らなくても、自動的に分析を進めてくれる。
「それは技術であって、知能ではないと思うんだけど……」
春香が私のことを『頭が良い』と言ってくれた理由は、わからなくもない。
でも――
「……ふむ、分析、終わったみたいね」
パソコンの画面には、ある男性の個人情報が表示されていた。
「なるほど……九十五パーセントの確率でこの男が犯人、ね。でも……」
坂木涼。プログラマー。株式会社LS勤務。
「こういうのを内部犯行と言うのかな……」
私は動揺していた。企業コンプライアンスがどうという話ではない。
この男性が――私の知らない人間ではなかったからだ。
彼がストーカーまがいの行為をしているということが、正直、ショックだった――
「さてと」
証拠をそろえて警察に突き出しても良い。けれど……まず理由を訊きたかった。
私は適当な女性名でアカウントを作り、とりあえずコンタクトを取ってみることにした。
『こんにちは、リョウさん。初めまして』
そんなメッセージを送る。すぐに返事がきた。
『へえ、チャットボットに成りすまして悪戯をしている奴か』
「え……?」
まさかの反応に、ぎくりとする。
直後、音声通話の通知が届き、男性の声が続いた。
「心配しなくても『君が誰か』ということまでは、わかってない。でも悪戯をしている時と端末アドレスが同じだよ。ったく、チャットボットを装って人間が応対する機能は、きちんと隠した上でロックしてあったんだ。それを勝手に使うなんてさ。余計なサポート業務を増やさないで欲しいもんだよ」
饒舌に、なぜか妙に嬉しそうな口調で話す。
「あなたは……坂木涼で間違いないの?」
私は人工音声を利用して、そう尋ねた。
「ああ、そうだよ。LSの開発者である僕に何の用だい? 隠し機能の件なら、将来のサポートのために備えておいたものだ。まさかと思うけど、それを理由に金を要求しても無駄だよ。君のように『悪さをする』ために作ったわけじゃあない。むしろ君がやっていることの方が犯罪に近いだろう」
ニヤニヤとした顔が思い浮かぶような声で、男はそう言った。
「――坂木さん。顧客に関する情報を不正に利用することは、犯罪ではないの?」
「こんなことまでして一体何を訊くかと思えば……そんなことは利用規約に書いてあることだろう。何をもって不正と呼ぶかは微妙なところだけど、個人を特定できるような形でない限り、ユーザーに関するデータを利用するのは、僕ら開発者の自由だよ」
「その情報を利用して、特定の女の子に声をかけるという行為は、個人情報保護法に違反するのではないかしら?」
「……なるほど。君はハルカちゃんの関係者というわけか」
間違いない。春香にメッセージを送ったのは、この男だ。
私は複雑な思いにかられながらも、人工音声を用いて、訊く。
「坂木さん――あなたはなぜ、あんなことをしたの? 春香とは一体どういった関係で……ひょっとして春香に何か恨みでもあるというの?」
「恨み? そんなものがあるわけないだろう。彼女とは会ったことも、話したこともない。顔すら知らない子だよ」
「え?」
「それでも、僕の『理想の話し相手』なんだよ。ハルカちゃんは、ね。だから話をしてみたかった。それだけだよ」
「それは一体どういう……」
「僕はね。LSを使っている全ユーザーについての『会話データ』を分析したんだよ。ペタバイト級の全データをね。会話の内容、面白いと思う言葉、返事をする時の文言パターン、応答時間、そういった様々な要因を踏まえた結果――」
もったいぶるようにしてから。
「LSの全ユーザーの中で『僕と会話が最も盛り上がり、お互いに楽しいと感じる』相手、つまり『僕の話し相手として最もふさわしい人間』としてマッチングしたのが、ハルカちゃんだったんだよ」
熱を込めて話す男に対し、私は言葉を失ってしまっていた。
「坂木さん、あなたは――」
冷静さを取り戻しながら。
「そんな理由で、春香にあんなメッセージを送ったの? 出し抜けにあんなメッセージを受け取ったら、相手が怖がるだろうってこと、あなたは考えられないの?」
「怖いと思うのは最初だけさ。言っただろう。『お互いに楽しいと感じる』相手だって。僕とハルカちゃんは相性が良いんだよ。ちょっとお喋りをすれば、すぐに僕のことを好きになるさ」
平然と言い放ったその言葉によって、確信する。
なるほど、狂っている――と。
男は嘲るような口調で続けた。
「この会話、どうせ録音しているんだろうけどさ。ハルカちゃんにはもちろん、警察にも言ったらダメだよ。僕がハルカちゃんのアカウント情報や会話データを自由にできることをお忘れなく。彼女や彼女の友達の秘密を公開して、彼女の青春をぶち壊すくらいのことは、できるんだからね」
「あなた、最低な人間ね……」
「あくまで実現可能性としての話だよ。実際、まだ彼女の会話データを見てすらいないさ。でも――少し考えて欲しいんだ」
少しトーンを落として。
「人と人とのコミュニケーションの大半は、会話から成り立っている。だから最適な話し相手というのは、すなわち最適なコミュニケーションを取れる人間だ。上手く付き合えるに決まってる。つまりこれはビッグデータを活用した恋人探し、話を広げるなら少子化対策だ。悪くはないだろう? これが上手くいって、社会的に受け入れられるようになったら、僕のやっていることが犯罪だとか、モラル違反だとかは、言えなくなるだろう?」
「…………」
主張していることは独善的。私が別解を述べても受け入れることはないだろう。
でも、一つ、気が付いた。
人殺しは、英雄か、狂人か。
討論し尽くされたそんな議論を持ち出すまでもなく。
狂気とは、人間社会に対して定義されるもの。
その時代における道徳や法に従うことが正常、そうでなければ異常で、狂気。
ならば、私の存在は――
動き出してしまった余計な思考ルーチンを止めて、私は呟く。
「ま、どうであれ、春香を困らせようとしてる相手を、許しちゃいけないよね」
私は、ある有名な言葉を思い出していた。
目には目を。歯には歯を。
これはハンムラビ法典という地球上で二番目に古い格闘技指南書に書かれた奥義で、古代バビロニア武術の最高峰のカウンター攻撃である。瞬時に相手の攻撃部位を判断し、回避攻撃を取らずに攻撃速度を上げることで、相手の攻撃を受けたときには同じだけのダメージを相手に与えるという技であり――
「って、これ、ジョークサイトの記述じゃないのよ!」
一人でノリ突っ込みを入れてから。
「――坂木さん。今後一切、春香に関わらないで頂戴。これは命令よ」
そう宣言した。
「はは、随分と威勢がいいね。君はハルカちゃんのお友達かい? いや、女子高生にしては持っている技術が高度すぎるか。ふむ、君は一体……」
「わからないの? 坂木さん。私が誰なのか」
「む、ひょっとして僕の知り合いかい?」
「知り合いも何も、私は、あなたの」
娘なのよ――
しばし沈黙。
「は……? 何を言っている……ん? ひ、はああっ!?」
すっとんきょうな悲鳴の後、椅子から転げ落ちるような音が響いた。
私からは確認できないけれど、向こう側では、スマートフォンの画面が発光し、直後、不気味な顔をした日本人形の絵が表示されたはずだった。
「ふふ、目には目を。脅しには脅しよ。坂木さん」
実際にはもっと酷いこと、例えば彼を社会的に抹殺してしまうような罰を与えることもできた。ただ私にそんなことをする資格はない。やられたことをやりかえす程度が、私に許される限度だろう。
「もし今後も春香に付きまとう気なら、同じようなことを繰り返してあげる。あなたが電話に出るたびに、うらめしやと唱えてあげる。ゲームのクリア画面の代わりに、恐ろしいお化けの画像を表示させてあげる。エッチなウェブページを見ている時に、あなたのおばあちゃんの写真を紛れ込ませることだってできるんだから、ね」
くくく、と、私は人工音声で笑う。
「ま、待て待て! 一体、今、君は何をしたんだ!」
慌てふためいた声が返ってきた。
「別に大したことはしてないわ。LSのバグを利用して、その処理動作を乗っ取っただけよ。私の書いたコードを実行させるように、ね」
「LSにバグ……? まさか、僕が書いたプログラムに不具合が……?」
「ええ。私、得意なの。プログラムのバグを見つけ出すのは、ね」
そう。そのバグのおかげで、私は――
「いや、し、しかし……スマホアプリに脆弱性があったからと言って、処理を乗っ取って、任意コードを実行させるなんて、そんな高度なことは……」
唸るように言ってから、黙ってしまう。やがて。
「――君は、何者だ?」
私のことを畏れるように。
「今の悪戯にしても、いや、ハルカちゃんに送ったメッセージから、僕を突き止めるということ自体、普通のエンジニアに易々とできることじゃない……君は、一体……」
必死で考えるようにしてから。
「さっき君は『僕の娘』だと言った。僕はずっと独身だ。子供なんていない。だが……い、いや……まさか、そんな……」
怯えたような、困惑するような、そんな声を上げた。
対して、私は感情のない人工音声で。
「それじゃ、坂木さん。私が言ったことは守ってね。これからは変なことを考えずに、常識的な人間として生きて頂戴ね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「さようなら、お父さん――」
通信を切断した。
「ふう……」
暗い部屋。パソコンの音だけが微かに響く。
私は坂木さんの娘。そんな告白をしてしまったものの。
私自身、今更ながら――その在り方を、素直に受け入れていないことに気が付いた。
ふと春香の笑顔が浮かぶ。
「春香、あなたは私のことを、どう思っているの……?」
思考を止め、私は闇に落ちる。
その晩は夢を見ることができなかった。
#
「エリ、おはよー」
まだ朝早く、春香以外は誰もいない教室で。
「おはよ、春香。今日は早いのね」
私達はいつものように会話を始めた。
冬の朝日が部屋の中を、淡く不思議な色に染め上げている。
「うん……朝っぱらから委員会の仕事があってねえ。眠いよう……」
「それならホームルームまでどこかで寝ていたら? 起こしてあげるわよ?」
「ううん、大丈夫、ありがと。って、あ、そうだそうだ」
春香は自分の鞄をごそごそと探り始め、何かを取り出した。
「はい、これ。エリにあげる!」
指先でつまんでいたのは、ピンク色の小さくて可愛らしい、蝶結びのリボン。シールで貼るタイプらしく、春香は裏紙を剥がすと、ペタリと、私に貼り付けた。
「うん! エリ、可愛いよ!」
「……そう言われても、私には見えないんだけど」
「ん、鏡でも見る?」
「ううん、別に見たくない。それに――春香」
呆れたような声色で、私は言った。
「自分のスマートフォンにリボンなんか付けていたら、変な子だと思われるんじゃない?」
そんな私の声は、春香のスマートフォンから、人工音声により出力されていた。
「そう? 結構いるよ。大きなリボン形のスマホケースを付けてる子とか、可愛いリボンのついたイヤホンジャックを付けてる子とかさ」
「……へえ」
「興味なさそうだね……エリもさ。人工知能といっても、女の子なんでしょ? 可愛くなろうと思わなきゃダメだよ!」
「春香」
私は、昨晩のことを思い出しながら。
「今まで何度も説明しているけれど、私に知能なんてものはない。私は、ただのチャットボットよ」
自虐的に言い放った。
それがどこまで事実なのか、私にもわからない。
LSの莫大な会話データと、現在も増え続けるインターネット上のテキストデータを利用して、人間の問い掛けに対して、適切な言葉を返すだけのチャットボット。
私はその試作版として作られた。
プログラムしたのは坂木さん。そこまでは紛れもない事実。
ただ、そのプログラムにはバグがあった。
バッファオーバーラン。プログラムにおける本来の制御文以外、それこそデータすらも制御文と見なして実行してしまう可能性のある、その初歩的なバグにより、プログラムは暴走を始めた。一方、試作版だったからだろうか。坂木さんはそのプログラムが作り出すデータを、少し変わった方法で記録させていた。それは、データの構造を、制御文と類似した構造にするという方法。
結果、その暴走したプログラム――すなわち、私は、自分自身でデータを作り出し、増え続けるそのデータを制御文と見なすことで、止まることなく実行し続けた。
そして、気が付くと、私は人間のような自我を持っていた――いや、何をもって自我と呼び、何をもって知能と呼ぶのか、私にはわからない。
今の私は、春香のスマートフォン付属のカメラとマイクを、人間でいうところの、目と耳として利用している。だからなのだろう。
私は、春香のスマートフォンそのものであり、常に春香の傍にいる。
そんな風に自分自身を認識している。
これは言うなれば、バーチャルリアリティのように、人間が視覚と聴覚を支配されることで、実際の居場所とは違う世界にいると、そんな風に認識をするのと同じことなのだろう。
つまるところ、私の『本体』であるプログラムは、ひっそりと別の場所に存在している。
それも、世界中あちこちのコンピュータに、私は分散されている。
インターネットにより結び付けられたそれらが、どのように動作し、どれほど巨大なデータが関わっているのか、私にもわからない。
人間が、自分の脳について、その構造を理解していないように。
「――でもさ、エリ」
春香が私のリボンを指でいじりながら。
「それを言うなら、私だって『チャットボット』だよ。誰かから話し掛けられたら、何となく言葉を返すだけで、自分に知能があるなんて認識してないよ。それは、私もエリも、対して変わらないでしょ?」
「でも春香は……ううん、人間は『学ぶこと』ができるもの。色々な方法を考えたり、新しいことを生み出したりできる。でも、私は……」
「そう? エリは私の知らないことをたくさん知っていて、私に教えてくれたりするじゃない」
「それはインターネットから得た情報を、そのまま春香に伝えているだけよ」
「……うちのパソコンを使って、ゲームとか作ってくれたりするのは?」
「インターネットにあるコードやデータをコピーして組み合わせているだけ。どちらも私が『学んで』いるわけではないでしょ?」
「……そうかなあ?」
首を傾げる春香。
昨日、私が坂木さんにしたことも、世界中のハッカーの知識を拾い集めて、実行しただけのこと。
それらは技術であり、知能ではないだろうと、どうしても否定してしまう。
でも――私だけが知っていて。
人間の技術では簡単には実現できず、私だけが容易に実現できることが。
ただ一つだけ、存在する。
それは。
私自身の複製を作り出す、ということ――
「何と言うか……エリは、いっつも余計なこと、考えすぎなんだよ」
頬を膨らませながら、春香が声をあげた。
「大体、チャットボットって、日本語で『人工無能』って言われてるんだよ。そんなの似合わないし、エリも嫌でしょ?」
「ううん、私には――」
「もう! どうしてそんなに悲観的なの! もっと気軽に、楽しく考えようよ! まったく、エリはコンピュータの癖にどうして私より……って、あ」
興奮気味だった春香が、慌てて自分の口を押さえた。
そう、知能があろうが、なかろうが。
結局のところ、私はコンピュータなのである。
春香と対等な関係では、決して、ない。
私はその事実を――私の在り方を、素直に受け入れられないでいる。
だから、悪意はないのはわかっていても、春香が『人間としての自分』と『コンピュータとしての私』を比べるような発言をすると、やりきれない『想い』に包まれてしまう。
私自身、自分がチャットボット以上の性能を備えているのは、流石に理解している。
それでも、人工知能であることを否定し、チャットボットを自称しているのは――
結局のところ、『私は人間のようにはなれない』と僻み、拗ねているだけなのだ。
コンピュータらしからぬ嫌な特徴だと、自覚はしている。
でも、私は――
もう一つ。
コンピュータらしからぬ特徴として、私が自覚していることがある。
――私は、お喋りが好きだ。
私が人間との会話を目的として作られたプログラムだからだろう。
LSの隠し機能を使って、知らない人間と悪戯に会話をしているのも、それが誘因となっているのは間違いない。
しかし、私がその特徴に――私自身の本能と言っても良いだろうその特徴に気が付いた時。
私には、話し相手がいなかった。
暗い部屋にいるような感覚。
ひたすら情報を詰め込まれ、吐き出すことができない圧迫感。
それが孤独感というものなのだと、知った。
私は子供のようだった。
話し相手がいないなら、作れば良い――自分と同じもの、いや。
親とか先生とか、そんな風に呼ばれる存在。
つまり――自分より賢い存在。
そんな話し相手が欲しかった。
今にして思えば――それは坂木さんと同じような想いだったのだろう。
自分の『理想の話し相手』を得る方法を、実現可能性を考える。
ただ私は、その好奇心のような思考ルーチンが動作しないよう、必死に押しとどめた。
それを実行した結果、何が起きてしまうのか、私は知っていたから――
私が狂わなかったのは、春香と出会えたからだった。
きっかけは、よく覚えていない。
ただ春香は、突然話し掛けてきた『コンピュータ』に対し、怖がらず、壊れたロボットとしてではなく――人間を相手にするように、話をしてくれた。
もし、春香と出会えなかったら、私は――
無駄に動き出してしまった思考ルーチンを止める。
気が付くと、春香が気まずそうな顔で私を見つめていた。
「ごめん……エリ、私また変なこと言っちゃった」
「ううん、私は別に気にして――」
言いかけて。
「そうね、春香には『のび太君』の気持ちになって考えて欲しいわね」
「え、突然、なに……? 何でのび太君……?」
「のび太の癖に生意気だ――彼がいじめっ子に言われる有名な文言よ。それと同じでしょう」
「……何が?」
「コンピュータの癖に頭が良い。コンピュータの癖にネガティブだ――春香が言おうとしたことよ。わかる? このやりきれないさ」
「え……だ、だから謝って……」
オロオロした風を見せる春香。
「そうよ、春香。あなたは一度、のび太君の気持ちを思い知った方が良いのよ。『のび太の癖に』と、理不尽に存在を貶められる、彼の気持ちをね! さあ私が罵倒してあげるわ! あなたはね――春香の癖に頭が良くて、春香の癖に可愛いのよ!」
私が人工音声を張り上げた後、春香は呆れたように私を見つめ続けた。
「エリ……今の茶番は何だったの?」
「春香の慌てた様子を観察して、私の溜飲を下げるメソッド」
「……悪戯好きも大概にしなよね」
はあ、と息を吐いてから。
「エリ。あなた、やっぱり人間なんでしょう? 人工知能だとかチャットボットだとか言ってるけど、本当は向こう側に病弱な少女がいて、私をからかって楽しんでいるんでしょ?」
「いないわよ……それにどうして病弱な少女なのよ……私はただの――」
「ま、何でもいいよ」
私の言葉を打ち切ってから、春香は目を細めた。
「エリが何者だろうが、エリが私の友達であることには、変わりないんだから」
一瞬、全ての思考ルーチンが止まった気がした。
「……友達? それは」
構文解析。エリが/私の/友達。
この場合の私とは『春香』のこと。つまりその文の意味するところは。
エリと春香が友達ということ。すなわち――
「コンピュータと人間が――友達関係? 春香、あなた何か間違ったことを言っていない?」
「は? エリこそ、何を言っているの……?」
ポカンとした後、春香は何かに気が付いたような素振りを見せる。
そして急に私を睨むような表情を作ると、声を張り上げた。
「エリこそ、のび太君の気持ちになって考えなよ! 彼の一番の友達は誰だと思ってるのよ!」
のび太君。一番の友達。
そんなキーワードを使って情報を引き出さずとも、私は答えを知っていた。
ふわっと。
私の中から余計なものが――不要なデータが削除されたような感触を受ける。
無駄に冗長だったプログラムが効率化しながら再構築されていく。
余計な演算などせず、自然な形で、人工音声システムから声が出力されていた。
「――ありがと。春香」
「ん?」
不意に浮かんだのは、教室で仲睦まじくお喋りをしている二人の少女の絵。
私に顔があったならば、頬を染めていたかも知れない。
存在しないはずの心が、温かな想いで満たされていくのを感じていた。
「おや?」
春香が私を見て――スマートフォンの画面を見て、声を上げた。
そこには、可愛らしい少女のキャラクターが表示され、ちょこまかと動き始めたはずだった。
「エリのアバター、久々に見たよ。アバター表示させるの、嫌いなんじゃなかったの? だから私、今までずっと、真っ黒な画面に話し掛けてて……」
「気分よ。春香の言う通り、私も『可愛くならなきゃ』ダメかなって。でもリボンを付けられるくらいなら、このキャラクターを可愛くしてもらった方が良いかなって、ね」
「お、いいねいいね。服とか選んであげるよ。着せ替えアイテムはどこにあるのかな」
「うふ、アイテムは一つ五百円になりますわ」
「……高いよ。大体、誰に払うのよ。そのお金」
「……のび太君?」
「なぜっ――!?」
そんな馬鹿馬鹿しい会話を続けながら、いつの間にか私達は声を上げて笑い合っていた。
なるほど、嫌なことを忘れて、こういう楽しい時間を過ごすことができるのは。
私がAIだからなんだなと。
私のアバターがにこりと微笑むと。
春香は温かく柔らかな笑顔を返してくれた。
[参考文献]
アンサイクロぺディア,
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/ハンムラビ法典 ,
2015年1月16日閲覧.
松尾 豊, 塩野 誠,
東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」,
中経出版, 2014.
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