豹真の挑戦と春の嵐 

 その夜のことです。

 残業を済ませて帰ってきた父が、ポストの中にあったという封筒を僕に渡しました。

 封を切って中を見ると、新聞広告を切って作ったらしいメモに、こう書いてありました。


  神楽の最中の決闘。手加減無用のこと。


 父は封筒のことは何も聞かず、黙って正座しました。僕も父の前に座りました。

メモは膝の前に伏せ、聞いてみました。

「見ますか?」

 いいや、と父は答えました。僕に決めさせる以上、聞く必要もないのでしょう。

 すると、正座したのはなぜか?

 その答えは、父の質問にありました。

「お前は、豹真の父のことを知っているか?」

 少し、と答えると、信じられない答えが返ってきました。

「彼が死んだ原因は、私だ」

 豹真が言霊を使うときと同じような悪寒が全身を走りましたが、その話は、重い割には単純でした。

 若い頃の父は、今の豹真と同じことを考えていたのだそうです。

……普通の人間とは違う力を持ちながら、なぜ世間の片隅に隠れて生きなければならないのか。

 力に溺れるあまり、裏社会に沈みそうになった父を、豹真の父は懸命に止めたのだそうです。

 それを聞かなかった父に、豹真の父は決闘を挑んで破れました。

 父の雷撃は、命を奪いこそしませんでしたが、呼吸器や声帯、舌の機能を破壊し、言霊はおおろか笛の業さえも封じてしまったのです。

 こうして豹真の父は早逝し、母はこの地を離れた結果、生活の無理がたたって病に倒れました。それを悔いた父は、父は言霊を伝えはしても、使うことを自らに固く禁じたのでした……。

 さて、それから数日、豹真は練習にやってきませんでした。問題の「なんじ」の辺りは当日のぶっつけ本番という、良識があれば普通はやらないスケジュールで進める練習に文句をつける者はなく、神楽は当日を迎えました。

 桜、満開。

 僕は神主の、理子さんは鈴の房を手に、金色の冠を戴いた巫女の衣装に身を包み、既にイベントや屋台のテントで一杯になった役場の駐車場の端に設置された、割と地味な祭壇の上で出番を待っていましたね。

 日曜の四十万町は満開の桜と春祭りの人出で、春の祭典一色でした。

 それこそ、豹真の愛するビバルディの『四季』にある「春」の曲がよく似合うだろうと思われる日だったのです。

 ところが、その豹真は集合時間になっても来なかったので、町内会の大人が代わりにBGMを務めることになっていましたが、トラブルはまず、そこで起こりました。

 横笛の音が出ないのです。

 町内会長が慌て初め、町内会のスタッフがどたばた走り回り、それに気づいた観客も騒ぎ出しました。

 僕がそこで真っ先に考えたことは、豹真のいやがらせだということです。

 それならそれでいいと思いました。神楽ができなければ決闘は無効。闘わなくていいし、理子さんをはじめとして、傷つく人は誰もいません。

 しかし、世の中はそんなに甘いものではないようでした。

 アンプからは音が出ていないのに、お囃子の横笛はどこからか聞こえてくるのです。

 僕の頭の中に、あの捨てゼリフが蘇りました。


 ……だったら、俺が吹いてやるよ……!


 これは憶測ですが、言霊「ほむら」と共に、横笛の技も引き継がれたのではないでしょうか。

 豹真の挑戦のはじまりでした。闘いぬかなければなりません。

 恐れることなく、僕は祝詞の文句を口にしました。

 

 始めさもらへ、始めさもらへ……


 そのとき横笛の音は止まりましたが、そのくらいのことで、始まってしまった神楽を止めることはできなかったでしょう。

 ましてや、伝統の「日御子神楽」に気を取られている関係者と観客に、豹真の操る「ほむら」が聞こえるわけがありません。

 体中を悪寒が走り、豹真の言霊が動き始めたのが分かりました。


  火の立つや、火の立つや、一・二・三・四、炎立つ……。


 急がなければなりません。僕は目を閉じ、心の中に閃く稲妻と向き合いました。心の闇の中を疾走する、閃光の蛇と。やがて、身体の中をぞろりと這うものがありました。これが、僕の中に潜む「ナジ」です。

 

  日御子の宣らしたまふや、汝このくにに来してひととせ、ふたとせ、長きにわ たれば、とこしえの恵みを賜はん。


 祝詞に乗せて、僕は心の中の「稲妻の蛇」を天空へと解き放ちました。

誰にはばかることもないのなら、雷を呼ぶことなど造作もありません。たちまちのうちに空には暗雲が立ちこめ、満開の桜が照らすこの町を薄暗く覆い隠しました。

 しかし、豹真も本気でないわけがありません。恐らく誰も気づいていなかったでしょうが、僕や理子さんの衣装からはうっすらと煙がたちのぼっていました。さらには、会場のあちこちにあるテントやのぼり、そして祭壇からも……。

 僕が圧倒的に不利でした。豹真は見える相手に火を点ければ済みますが、僕はどこにいるか分からない相手に雷を命中させなければならないのです。

衣装やテント、祭壇が発火するまで、せいぜい十数秒といったところでしょう。

 しかし、僕の心配をよそに、神楽は進行します。理子さんは澄んだ声で、高らかに祝詞を返してきました。


  受けたまへ、受けたまへ、我みとせ、よとせ、とこしへに、日御子の恵みに  て、五種の穀やすらへん。


 早く見つけ出さないと、観客を巻き込んだ大惨事になります。そうなれば、身体の傷だけでは済みません。この神楽を続けることはできなくなり、町内の人を過去から未来へとつなぐ絆が一つ失われるのです。そうなれば、豹真の母のような思いをする人がまた生まれてくるかもしれません。

 僕は祝詞を上げながら、豹真の姿を探しました。



  五種の穀とは何ぞや、何処より来しものぞ。ひとふたいつ数へて、速日、速水のもと培はん。


 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。

 祝詞と共に数えているうちに気持ちが落ち着き、考えもまとまりました。

 豹真は、僕たちを見ています。見ているということは、間に障害物がないということです。障害物がないということは、僕からも豹真が見えるということです。

 僕は辺りをもう一度見渡しました。

 目立たない、しかし障害物のないところ。

 眼を凝らすと、駐車場の向こうにある町役場の車寄せで、屋根を支える柱にもたれかかっている背の低い人影が見えます。

 それが、豹真でした。

 しかも、屋根の下ではなく、雷を落とせと言わんばかりの外側で。

 衣装の焦げる臭いで、時間がないことが分かります。落雷させてでも理子さんを「ほむら」の言霊から守る覚悟は決まりました。

僕は遠くから見つめているであろう豹真を見据えました。

豹真! だから僕たちは、闘ってはいけないんだ!

 心の中で叫んだ、そのときです。

 豹真に向けて稲妻を放とうとした僕の耳に、理子さんの悲鳴が聞こえてきました。

 間に合わなかったかと思ってそちらを見れば、まだ火は出ていません。

 しかし、理子さんの状態はただ事ではありませんでした。

 祝詞を上げるその声は、ここ数日聞いていた中学三年生の女の子のものではなく、地の底から轟いてくるような響きを持っていました。


  米・麦・豆・粟・稗、月詠の弑する保食神より来たりて、五・六・七・八・  九・十年、実りて生して速日、速水祀らん。


 鈴を振り鳴らし、髪を振り乱し、独楽のように舞う巫女の姿に目を奪われた僕の視界の隅で、光るものが二つありました。

 一つは、暗い雲の中で閃く稲妻。

 もう一つは、テントの端で揺れる陽炎。

 瞬く間もなく、舞い続ける理子さんの巫女の衣装の周りにふわりとしたものが立ちのぼり、僕も全身に、灼けつくような熱さを覚えました。

 ほどなく空が光り、テントに炎が走り、衣装が燃え上がったかと見えた、その時です。

 凄まじい風と共に、雨が塊となって僕たちの頭上から落ちてきました。

 役場の避雷針に雷が落ちると共に悲鳴を上げて逃げまどう観客は、ふりしきる豪雨の中で蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、そこには茫然と立ち尽くす町内会の人たちと、祭壇の上でびしょ濡れになってへたり込んだ僕たちだけが残されました。

 やがて、誰かが我に返ったのでしょう。町の有線放送のコールサインが鳴り、町役場の人が聞き取りにくいくぐもった声で、神楽を含む春祭りの中止を告げました。

 土砂降りの中、大人たちがテントの撤収を始めたところで、背中にのしかかるものがあるのに気づきました。

 ふと後ろを見やると、目を閉じた理子さんがもたれかかっていました。

 あの後、実に済まなさそうな顔をした町内会長さんに促されて祭壇から降り、 役場の更衣室を借りて急いで帰ることになったんですが……。

 疲れて眠っていたんですよね? あのときは。

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